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4-3.強引なお誘い

 夏休み初日、体育の補習を受けるべく朝から学校にやって来た遥は、独り校門の前で途方に暮れていた。これから待ち受けている事を鑑みれば、その心中は推して知るべしというやつだったがしかし、今現在遥が途方に暮れているのはまた別な理由からだ。

「早く…来すぎた…」

 遥が腕に嵌めている青いスポーツウォッチをチラリと見やれば、時計の針は六時を少し回った頃合い指し示している。因みにそれは言うまでも無く、朝の六時だ。

 勿論そんなに朝早くから補習授業が始まる訳は無く、こんな時間から来ているのは遥くらいのものだったが、途方に暮れている理由は正しくそこに在った。

 とどのつまり早朝の学校は、遥を除けば他の補習参加者は言うに及ばず、部活組や教職員の姿すら影も形も無く、まだ完全なる無人なのだ。そうなると当然の事ながら校門は昨夜施錠された状態のまま固く閉ざされており、その所為で遥は学校の敷地内に入る事が出来ずに、こうして途方に暮れていたという訳だった。

「むぅ…」

 普段でもこのくらいの時間に学校か開いているかどうかは若干怪しい所なのだが、それなのにどうして遥がこんな早くに来てしまったかと言えば、それには勿論理由が有る。

 遥は昨日、家に帰ってから体育の補習に付随する着替えの場を何とかうまく回避する方法は無い物かと一人で彼是と考えてみた結果、一つの作戦を思いついたのだ。

 他の女の子達と着替えの場を共にしたくないのならば、他の女の子達が来る前に着替えを済ませて、さっさとプールに出てしまえば良いのではないかと。

 そんな訳で遥はその作戦を実行する為に、こうして他の女の子達が来てしまう前を確実に狙って登校して来たのだが、結果はご覧のあり様である。因みに補習が始まるのは通常授業と同じ九時からなので、幾らなんでも万全を期するにも程があって、流石に気が逸り過ぎたというやつだ。

「うー…どうしよぉ…」

 取りあえず必要以上に早く来過ぎてしまった事は、もうこの際仕方がないとしても、学校に入れる様になるまで一体どうして過ごすかというのが差し当たっての問題だった。

 一応遥は無駄に早く家を出ただけあって、補習が始まるまでの時間は趣味の読書にでも当てるつもりで、その為の用意もしてきている。ただ、学校に入れる様になるまで本を読んで時間をつぶすにしても、今度はどこでそうするかが些かの問題だった。

 本来の目的を考えれば、このままここに留まるのが手堅いが、如何せん校門前は駅へと続く比較的大きな通りに面していており、こんな早朝でも結構な人通りが有る。

「う、うーん…」

 遥がどうすべきか考えを巡らせている間にも、これから出勤と思しきスーツ姿のサラリーマンやOL風の女性といった人々の往来が実際にチラホラと在った。

 小心者の遥がそんな状況下で優雅に読書などできる筈は当然無く、それどころか無人の学校前でポツンと立っている自分は不審がられてやしないかとすら思ってしまう。

「う、うん…とりあえず、一旦どっかに移動しよう…」

 遥がそう結論付けたのは半ば必然だったとして、そうなると次は実際にどこへ移動するかという点がこれまた少々厄介な問題だ。

「うぅむ…」

 落ち着いて読書が出来る場所という観点から行くと、放課後にいつも利用しているカフェはそれなりに理想的ではあるが、何分早朝なのでまだ開いて無い。カフェに限らずこの時間帯は大抵の店がまだ開いておらず、近場でやっているのはコンビニかオレンジの看板が目印の大手牛丼チェーン店くらいのものだろう。

「お腹は空いて無いしなぁ…」

 家を出る前に朝ご飯を食べて来てしまっている遥は、その上で更に丼物を食べられるほど胃袋が大きくないので、となると牛丼屋という選択肢はまずない。

 残るはコンビニだが、こちらはそもそも長居できるような場所ではないので遥の中では最初から検討外だった。世の中にはコンビニの雑誌コーナーで何時間も粘れる猛者が存在するらしいが、往来に面した校門前ですら留まり難かった遥にそれが不可能なのは言わずもがなである。

「あっ…そういえば、近くに公園あったよね…」

 遥がしばし頭を捻ってからふと思いついたその場所は、今年の春ごろに光彦と予期し得ない偶然の再開を果たしたあの公園の事だった。だだっ広いだけが取り柄の何もない質素な公園ではあるが、間違いなくコンビニや牛丼屋よりは落ち着ける筈で、読書をして時間をつぶす程度ならば必要十分だ。

「よしっ…あそこにしよう…」

 無難なところで一先ずの方針が決まった遥は、早速目的の公園へと向かって歩き出す。

 七月も後半に入った今時期は早朝でもうだるような暑さで、欲を言えば冷房の効いた環境下が理想的ではあったが、そんな都合の良い場所はそうそう思いつかなかった為、この際贅沢は言っては居られなかった。


 無人の学校から歩いて五分程、程なく目的の公園に辿り着いた遥は、出来るだけ日陰に在るベンチを選んで、早速そこに腰を落ち着ける。早朝の公園は学校と同じく実に閑散としたもので、気候的な問題を除けば、読書をするには割とうってつけの環境だ。

「さて…」

 遥はリュックの中から持参の本を取り出して早速と読書を開始したがしかし、ほんの数ページ程読み進めた所で、それまで物静かだった公園内が途端に騒がしくなり始めた。

「むっ…?」

 遥が何事かと本から顔を上げて周囲を見回してみると、いつの間にか前方の広場には多数の子供が集まっていて、道理で急に騒がしくなった訳だ。

 ざっくり数えてみた感じだと人数は十人前後、パッと見の印象からおそらくは全員が小学生だろう。基本的には低学年中心の様だが、中には明らかに遥よりも体格の良い子が数人居るので、どうやら学年に関しては一律では無いらしく、男女比で行くと男の子がやや多い。

「今日、何かあるのかな…?」

 今一統一感のない小学生の一団がこんな朝早くから公園に集っているのは余り見慣れない光景で、遥は一体全体何の集まりだろうかと不思議に思って首を傾げさせる。

 例えば考えられるのは、子供会などの地域行事か、もしくはそれに類するスポーツ少年団やボーイスカウトといった集まりだ。

 それならこんな朝早くから小学生たちが公園に集合していても不思議では無いが、実際の所はそのいずれでも無い事が間もなく明らかになった。

「みんなおはようさーん」

 そんな調子はずれの挨拶をしながら子供たちの元に歩み寄って行った一人の中年男性。その手には、今やリサイクルショップのジャンクコーナーくらいでしかお目に掛かれない様な随分と年季の入ったCDラジカセが一台。

「「おはようございまーす!」」

 中年男性に元気よく挨拶を返した子供達は、よくよく見れば皆一様に紐の付いた四角い紙片を首からぶら下げている。

 夏休みの早朝、CDラジカセを携えた中年男性と首から紙片をぶら下げた小学生の集団。これだけの情報が出そろえば、遥にはもうこの集まりが何であるのかは考えるまでもなかった。

「あー…そっか、夏休みだもんね」

 それはそう、この時期になると全国の至る所で行われている夏休みの風物詩、朝のラジオ体操で間違いがない。

 最近では、実施していない地区も多くなってきているらしいが、少なくとも遥には小学生だった時分に参加経験があり、そうと分ればこの光景も不思議でも何でもなかった。

「ボクも昔は賢治と一緒に行ってたなぁ」

 そんな感慨はともかく、分ってしまえば何と言う事も無かった集まりの正体に納得した遥は、疑問も解消された所で再び読書に戻るべく膝の上に預けてあった本に向って手を伸ばす。

 ラジオ体操が終わるまで公園内は暫く騒がしいままだろうが、何が起こっているのかを把握できてさえいれば、それは生活音と一緒なので読書をするのに支障は無かった。がしかし、そうは言っても物理的かつ直接的な干渉を受けたとなれば、これはまた話が全くもって別である。

「なにしてんだよお前、早く来いよ! もうラジオ体操始まんぞ!」

 その些か乱暴な呼び掛けは、直ぐ正面まで駆け寄って来た高学年と思しき男の子から送られて来た物で、そしてそれは間違いなく遥に対して向けられている物だった。何せ、遥とその男の子は、完全に正面からバッチリと目が合ってしまっていたので、それだけはもう間違い様がない。

「えっ…と…ボク?」

 遥としても男の子が自分に向って呼びかけている事は分かっていたし、彼が言わんとする所ももちろん理解できていたが、それでもそう聞き返さずにいられなかった。小学生の男の子からラジオ体操への参加を促されているという事はつまり、完全に同年代だと思われているという事なので、遥としてはもうこれは仕方の無い事だ。

 がしかし、そんな遥の心情を他所に、男の子はこれまた些か乱暴に手を取って、体格に劣るその小さな身体を無理やりベンチから引っ張り上げてしまった。

「お前の他に誰がいんだよ! ほら行くぞ!」

 膝の上にあった本は当然地面に転がり落ちてしまったが、男の子はそんな事お構いなしに、遥の手をグイグイと引いてラジオ体操の列へと向ってゆく。

「ちょっ…! ま、待って! ボク、高校生なんだけど!」

 このままでは小学生に混じってラジオ体操をする羽目になってしまう遥は、若干の抵抗と説得を試みるも、男の子は思いのほか力が強く、聞く耳も持ってはくれなかった。

「そんな訳ねぇだろ! お前どう見たってオレより歳下じゃんか!」

 男の子が何年生なのかは知る由も無いが、見た目を理由にそう指摘されてしまうと肉体年齢十歳前後の幼女である遥としては反論し難い。だがそうは言っても、遥が高校生なのもまた紛れもない事実で、それを証明する手立てだって幾らかは存在する。

「嘘じゃないよ! 生徒手帳だって―」

 それさえ見せてしまえば流石にこの男の子も自分が高校生である事を信じてくれるだろうとそう思った遥だったがしかし、惜しくも生徒手帳はリュックの中だった。そしてそのリュックは先程まで座っていたベンチの上で、遥は男の子に引っ張られて既にそこからは幾分も遠ざかっている。

「あぅっ…」

 生徒手帳を取りにベンチまで戻らせて欲しいと言った所で、この男の子がそれを聞き届けてくれるとは到底思えず、そうなると遥は別な手段を講じる必要があった。

「そ、そうだ! ほら、制服! 制服着てるでしょ!」

 高校で補習を受ける予定で来ている遥は当然ながら制服を着て来ており、スカートの裾を摘まんでそれを証明材料としたが、男の子はこれもバッサリだ。

「もう何でもいいからさっさと来いよ! お前がこねーと始まんねーんだよ!」

 取り付く島もないとは正しくこの事で、男の子は遥の方を見ようともせずに、その手を引っ張る力を強めてずんずんと進んでゆく。

「そ、そんなぁ…」

 生徒手帳も制服も駄目となると、遥にはもう自分が高校生である事を証明できる物的証拠は存在せず、そうこうしている内にも小学生の集団がもう目の前だ。

「おっちゃん、つれてきたぜ!」

 男の子は得意満面といった感じで、その口ぶりから察するに、どうやら中年男性の指示で遥をここまで連行してきた様である。

「ありがとう、太一君」

 男の子は太一君と言う名前らしいがそれはともかくとして、依頼主である「おっちゃん」は遥の方に視線を移してから何やら少しばかり怪訝な面持ちになった。

「おや? その恰好は西高の制服だね…そう言えば君は見ない顔だし…」

 出来る事ならば太一君に連行を依頼する前に気付いて欲しかったところだが、遥はここに一筋の光明を見出して一瞬その表情をパッと明るくする。がそれも束の間、遥の見出した光明は次の瞬間、それを照らしてくれた当の「おっちゃん」によってあっけなく絶たれてしまった。

「まぁ、折角だからこの子達と一緒にラジオ体操やっていったらいいよ、後でジュースも出るから」

 何が折角なのか全然意味が分からなかったし、ざっくばらんにも程があるという物で、その言葉に遥は思わず愕然である。

「え、えぇ…」

 ラジオ体操という行為自体には何の感慨も無い遥だが、流石に小学生の輪に加わってとなるとやはり幾らも抵抗があるのだ。ただ、「おっちゃん」は割と普通に善意からそう言ってくれているらしく、となると押しに弱い遥がこれを断るのは中々に難しい事だった。

「それじゃあ、はじめるぞー」

 遥が逡巡している間に、「おっちゃん」はCDラジカセの再生ボタンを押してしまい、スピーカーからラジオ体操と言えばコレというお馴染みのイントロが流れ始める。

「ほら、オレの横並べよ」

 太一君は相変わらず些か乱暴で強引だったが、こうなると遥にはもうそれに抵抗するべくは無く、最早小学生達と一緒にラジオ体操をやり切るより他なさそうであった。

 因みに、見た目が幼女だったお陰で、絵的には全く違和感が無く、実際に公園の前を通りかかった誰一人として、その光景を不自然に思わなかったのは若干の余談である。

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