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3-63.思い遣りと葛藤

「あんた達…暗いよ…」

 沙穂が呆れた顔でそんな事を口にしたのは、賢治の誕生日からちょうど一週間が経過した日の放課後、いつものように訪れたお気に入りのカフェ『メリル』での事だった。

 沙穂の言う「あんた達」とは当然ながら遥と楓の事であるが、二人は華の女子高生が最も華やぐ放課後には到底不釣り合いな程に酷く気落ちした様子で、その表情も実際にどんよりと暗く沈んでいる。

「うぅ…だってぇ…」

 特に落ち込み様が顕著な楓は眼鏡の奥で瞳を潤ませて今にも泣き出しそうな顔で情けない声を上げる。楓が何故こんな事になっているかと言えばその理由は至って単純で、本日返って来た期末テストの結果が芳しくなかったからだ。

「中間テストは結構良かったのに…今回は赤点が三つも…」

 楓がその不甲斐ない結果にがっくりと肩を落として益々落ち込んでしまうと、沙穂は心底呆れた顔で溜息を付く。

「ミナがちゃんと勉強しなかったからでしょ…」

 至極尤もな意見に楓は返す言葉も無いが、それでも何か物申したげな顔で真横の席に座っている遥の方をチラリと見やった。

「あんた、まさかカナの所為にするつもりじゃないでしょうね…?」

 視線の動きに気付いた沙穂が先回りして釘をさすと、楓は慌てた様子でぶんぶんと左右に首を振る。

「そ、そんなことしないよぉ!」

 その返答を聞いた沙穂は「よろしい」と満足げに頷いてから、あわあわしている楓とその横でしょんぼり俯き加減でいる遥を交互に見やった。

「カナも気にしちゃだめよ、テストなんて自己責任なんだから」

 沙穂の言う事はこれまた至極尤もで、遥も理屈の上ではそれが正論である事は分かっているのだがしかし、普段から楓の勉強を見ている立場上その心境は中々に複雑である。

「うん…でも、中間の時みたいにボクがもっとミナと一緒に勉強できてたら…」

 その時は楓も赤点を取らずに済んだかもしれないと思うと、遥としては申し訳なく思うこと頻りで、一緒になってその結果に落ち込みもするという物だった。

「そんな事言ったって、カナは彼の誕生日でそれどころじゃなかったでしょ?」

 沙穂が言う通りに、今回遥が中間テストの時ほど密に楓の勉強に付き合えなかったのは、丁度その頃が賢治の誕生日関連で一番バタバタしていた時期だったからである。

「そう…なんだけど…ミナの赤点って、一日目の科目に集中してるし…」

 その日は賢治の誕生日があった翌日であり、詰まるところ楓は前日に遥のサポートが殆ど受けられない状態でテストに挑んで、その結果がご覧のありさまという訳だった。

「ミナ、本当にごめんね…」

 遥が大いに責任を感じて堪らず謝ってしまうと、楓はまた慌てた様子で激しく左右に首を振る。

「そんな、ワタシこそごめんねだよ! カナちゃんノートのコピーくれてたのに!」

 それは遥ができたせめてものサポートだったのだがしかし、結果から見るとどうにも楓は余り有効活用できなかった様だ。楓は分からないところが分からないタイプの勉強下手なので、物言わぬノートでは役割不十分だったのかもしれない。

「同じノート使って勉強した早見は赤点取らなかったんだけどねぇ」

 沙穂は同様の待遇を受けていた青羽を引き合いに出して皮肉たっぷりに言うと、それだけでは止まらず更なる手厳しい追い打ちを楓に掛けてゆく。

「だいたい、テスト勉強どころじゃなかった筈のカナ自身はちゃんと成績キープできてんのよ? 別に忙しくも無かったミナが赤点って…ほんともう呆れるわ…」

 遥の場合は一年生をやり直しているアドバンテージがあるので比較対象としては余り適切では無いのだが、楓に反論の余地が無い事だけは確かだった。

「うぅ…カナちゃぁん、ヒナちゃんがいじわるだよぉ…」

 堪らず楓が泣き付いてくると、遥としては自分だけちゃっかり良成績を収めてしまっている後ろめたさみたいな物もあって少々居た堪れない気分だ。

「と、とりあえず追試がんばろ? 今度はちゃんと付き合うから、ね?」

 遥はそれをせめてもの埋め合わせのつもりで口にしたのだが、追試という言葉は楓にとって正しく追い打ちも同然だったようで、魂が抜けたかの様に力なく項垂れてしまう。

「オネガイシマス…」

 焦点の定まらない虚ろな瞳で生気なく返答する楓の様子に、遥と沙穂は顔を見合わせて思わず苦笑いだ。

「まっ、ミナは自業自得だからとりあえず良いとして…」

 沙穂は楓のテスト結果については最早若干投げやり気味になってそう締めくくると、今度は遥の方へと視線を移して何やら怪訝な顔で眉を潜めさせた。

「カナの方は何? どうした訳?」

 突然話の鉢が回って来た形の遥は一瞬何の事を言われているのか分からずきょとんとしてしまったが、直ぐに沙穂の意図を察して少々ギョッとなる。

「えっ…とぉ…何の事…かなぁ…?」

 サッと目を逸らして白を切って見せた遥のそれは、とぼけるにしたってお粗末が過ぎる対応で、これでは沙穂の追及から逃れる事など当然ながら出来はしなかった。

「だ・か・ら、何をそんなに暗い顔してんのって話し!」

 沙穂が若干身を乗り出して質問の内容をより明確にしてくると、遥は明後日の方を向いたままかなり気まずい様子でその表情を引きつらせる。

「そ、そのぉ…や、やっぱり…ミナに悪いなぁって…」

 遥は取りあえず今現在の心境をその理由として述べては見たものの、勿論沙穂がそれで納得する訳は無かった。そもそも本当にそれが遥の気落ちしている原因の全てならば、沙穂はわざわざこんな質問を改まってしてきたりはしない。

「あんたさ、テストが返ってくる前からちょいちょいそんな顔してたでしょ? あたしがそれに気付いて無いと思う訳?」

 テーブルの上に両手をついて本格的に身を乗り出してきた沙穂は、今現在も「そんな顔」をしている遥を至近距離からじっと覗き込んでくる。沙穂にここまで言われてしまっては、遥がその追求から逃れる術など有りはしないがしかし、だからと言ってそれが素直に打ち明けられる話しかどうかは全く別だった。

「お、思わない…けどぉ…で、でも…うぅ…」

 訳有って近頃気落ちしている理由を明かせなかった遥が困り果てた顔で言い淀んでしまうと、沙穂は乗り出していた身体を引っ込めて小さく溜息を付く。

「あのさ、あたしの思い違いだったらいいんだけど…」

 一旦そこで言葉を区切った沙穂は、僅かに目を伏せて逡巡を見せたかと思うと、次には酷く真剣な面持ちになった。

「あんた…、もしかして前みたいな男性恐怖症気味になってない…?」

 遥にとってその指摘は思ってもみなかった物で、何故沙穂がそんな推察に至ったのか全く分からず今度こそ間違いなくきょとんとしてしまう。

「えっ…えぇ? 別に全然へーきだけど…」

 強がりでも何でもなく本当に心当たりの無かった遥はそう答えるしかなかったが、沙穂は眉間に寄った皺をもみほぐしながら今日一番の深いため息を付いた。

「じゃあ、あんたが最近、男子の視界に入らない様にいつもあたしやミナの後ろに隠れてた様に見えたのは気のせい?」

 これには思い当たる所の有った遥はハッとなって、沙穂が何故「男性恐怖症」などという発想に至ったのかも納得である。

「あっ…それは…えっと…」

 遥には確かに近頃、何かにつけて沙穂や楓の後ろに隠れる様な行動を取っていた自覚があって、それには男子生徒が関連している事も本当だ。がしかし、遥がそんな行動をとっていた理由は、沙穂の言う様な男子の視線を怖がっていたからという訳では無かった。

「あ、あのね、ボク…男子の視線を避けてた訳じゃなくて、どっちかっていうと逆で、男子を見ない様にしてただけ…なんだけど…」

 遥はその行動の意味合いを正しく訂正してはみたものの、「男性恐怖症」という疑念を抱いている沙穂にしてみれば殆ど同じだった様で「いずれにしても」だ。

「やっぱりあんた…前みたいな事になってるんでしょ!」

 沙穂がその疑念をより一層強めてしまった為、遥は少々びっくりしながら一体全体何と説明すればいいのか分からずかなり慌ててしまう。

「ほ、本当にそれは全然大丈夫で、そうじゃなくてね? えっと…なんていうか…そ、その…」

 沙穂の誤解を解くためには何故そんな行動を取っていたのかという理由の部分から説明しなければならない遥だが、それは当初の質問に対する解答と同様の事柄で、この期に及んでも容易に打ち明けられる物では無かった。

「ねぇカナ…」

 遥がどう言ったらいいのか分からずひたすらあたふたしていると、沙穂は埒が明かないと思ったのか別な切り口で質問を投げかけて来た。

「あんたさ、あの人の誕生日に何が有ったの?」

 唐突だったその質問に遥は目を白黒させて益々慌ててしまうが、その横で抜け殻状態からようやく立ち直った楓が宙を扇ぎながら何か思い当たった顔をする。

「そういえば、カナちゃんがワタシ達の後ろに隠れる様になったのってその頃からだね…」

 沙穂はそれを頷きで肯定すると、先程の質問をより具体的な意図と共に再度投げ掛けて来た。

「最近カナの様子がおかしいのは、その日に起きた何かに原因があるとしか思えない訳」

 だから何があったのかを明らかにしてほしいという事らしいがしかし、遥の中であの日は「何も無かった」事になっているし、それは既に沙穂と楓にもその様に報告済みである。

「えっと…前にも言ったけど…おしゃれして…賢治と一緒にご飯食べただけ…だよ?」

 とりあえず遥は自身で認識している通りの事を改めて述べてみたものの、疑念を抱いてしまっている今の沙穂がそれをそのまま鵜呑みにする筈は勿論なかった。

「ご飯の後は?」

 沙穂がズバリ切り込んでくると、遥の脳裏にあの時の記憶が俄かに蘇って、一気に顔が耳の先まで真っ赤になる。いくら遥が「何も無かった」事にしていようとも、これではもう何かあったと白状しているも同然で、沙穂もそれを見逃しはしなかった。

「何かあった訳ね…」

 賢治の誕生日がただの食事では終わらなかった事を確信した沙穂は、片肘を抱え込んで頬杖をつきながら思案顔になる。

「ほ、本当に何にも無かったから!」

 遥はあくまでもその主張を曲げなかったが、沙穂はもうそれには取り合わず、ややってから何やら思い付いた顔になった。

「そういや、場所はホテルのレストランだっけ…」

 それは当日以前に遥が明かしていた情報で、今になってそれを思い出した沙穂はそこを取っ掛かりにして独自の推論を推し進めてゆく。

「ホテル…ねぇ…」

 遥には男性恐怖症の疑惑が有って、それは賢治の誕生日に端を発している様であり、そしてその時のロケーションがホテルとなれば、沙穂が次の様な結論を導き出したのは至って自然な流れだった。

「あんたまさか…、あの人と寝たの!?」

 その時の経験がトラウマになって、遥は男が怖くなってしまったのではないかというのが沙穂の思い描いたシナリオのようであるがしかし、それこそ在りもしないとんでもない思い違いだ。

「そ、そ、そ、そんな訳ないでしょ!? 賢治がお酒の飲み過ぎでベッドに倒れちゃっただけで、ボクは何もされなかったし、賢治だって何もしなかったよ!」

 思い出すだけで色々と恥ずかしくて堪らない為、遥はその事を今まで二人には伏せていたが、これで誤解が解けるのならばもう背に腹は代えられない。

「ねぇねぇカナちゃん、それって『されそうにはなった』ってこと?」

 いつの間にかすっかり生気を取り戻していた楓が興味津々と言った顔で身を乗り出して来ると、遥はこれに付いても力強く否定した。

「賢治がそんな事する訳ないじゃん!」

 賢治が酔い潰れて眠ってしまうその瞬間までは、確かに遥も貞操の危機を感じてはいたものの、最終的にはやはり「何も無かった」のだ。故に遥の中ではもう賢治にそんな意図は「無かった」事になっているし、誰が何と言おうともその認識を覆すつもりも無かった。

「本当に何も無かったの!」

 遥は念を押す様に改めてそれを強調すると、目の前に置いてあったオレンジスムージーのストローに口を付けながら憮然とした面持ちで頬を膨らませる。

「う、うん、何かごめんね…?」

 楓は遥の剣幕に少々気圧されたのか謝りを入れてきて、沙穂の方も思っていた様な事が無かった事に付いては取りあえず納得してくれた。

「何も無かったんなら、それはそれで良いんだけど…」

 遥はこれで丸く収まったかと思って安堵しかけるがしかし、実の所大本の議題についてはまだ何一つ解決されていないままで、話は振出しに戻っただけだ。

「それじゃあ、結局カナは何に落ち込んでて、何で男子を避けてる訳?」

 沙穂が当初の質問に立ち返ってそれを今一度それを投げ掛けて来ると、遥ギクリとして飲み掛けのオレンジスムージーを吹き出しそうになる。

「ケホッ! ケホッ! も…もう…勘弁してよぉ…」

 遥はむせかえりながらできればこの話題にはこれ以上触れないでほしい旨を申告するも、嘆願虚しく沙穂はそれを聞き入れようとはしなかった。

「カナが話してくれるまで、あたし今日は帰らないからね!」

 何としても真相を聞き出すことを高らかに宣言した沙穂は、その意思表示として深々と椅子に座り直して長期戦の構えを見せる。

「ねえカナちゃん、ヒナちゃんはカナちゃんが心配なんだよ?」

 加勢のつもりか楓は諭す様にそんな事を言ってくるが、勿論遥だってそれは承知の上だ。

「本当にヒナが心配するような事は何にもないんだってばぁ…」

 遥は全て取り越し苦労である事を必死になって訴えるも、沙穂がそれを聞き入れる事は無く、むしろ一層頑なになってしまう。

「心配する事かどうかは話を聞いた上であたしが決める! カナが何か悩んでるのは間違いないんでしょ!? そりゃぁ、あたしに出来る事なんて知れてるけどさ、友達なんだから一緒に悩むくらいさせてくれたっていいじゃない!」

 珍しく声を荒げさせて一気にまくしたて沙穂がこれまた珍しく拗ねた様子でそっぽを向いてしまうと、楓はその様子に苦笑しながらも気持ちの面では同調して頷きを見せた。

「うん、カナちゃんだってさっきワタシの為に落ち込んでくれたでしょ? だから今度はワタシ達の番ってことじゃダメなのかな…?」

 駄目かどうかで言えば勿論駄目では無いし、二人の気持ち自体は間違いなく遥にとって得難い物だ。遥も出来る事ならそれに報いたかったし、二人を必要以上に心配させてしまっている心苦しさに胸が締め付けられもした。

「うぅ…」

 遥は二人の示してくれる思い遣りや友情と、自身の極個人的な自尊心や羞恥心との間でしばし葛藤する。どちらが大切かと言えばそれは間違いなく前者の方であるし、そうこう考えている間にも沙穂の酷く心配そうな面持ちが目の前にチラついていたとなれば、遥が決断を下すまではもう幾らも時間が掛からなかった。

「えっと…あ、あの…ね…それじゃあ…話す…けど…」

 自身の抱えている物を打ち明ける決意を半ば余儀なくされた遥が遠慮がちに話を切り出すと、沙穂と楓は若干前のめり気味になって一言一句聞き逃すまいとする。

「うっ…本当にそんな深刻な話しじゃないんだよ? え、えっとね…男子を見ない様にしてたのは、男性恐怖症とかじゃ全然なくて…なんていうか…その…」

 遥は二人の真っ直ぐな視線に怖気づきそうになりながらも、ここまで来てはもう後にも引き返せず、覚悟を決めてその理由を明らかにするしかなかった。

「さ、最近…お、男の人を見ると…い、いやらしい想像しちゃうからなの…!」

 遥が真っ赤な顔で告げたそれは、沙穂と楓にしてみれば思っても居なかった余りにも斜め上な真相だった様で、二人は仲良く揃ってポカンとしてしまう。

「それで…自己嫌悪っていうか…だから…落ち込んで…ました…」

 遥は最後に消え入りそうな声でそれが近頃暗い顔をしていた理由である事も加えて明かしたが、先の発言が余りにも衝撃だった為か、沙穂と楓は唯々唖然となるばかりだった。

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