3-58.一片の詭弁と託された想い
響子に自身の悩みを打ち明けた翌々日の日曜日、遥は賢治の誕生日プレゼントを選ぶべく、朝一で近隣にある大型ショッピングモール「ユニオン」へとやって来ていた。
休日のショッピングモールは開店した直後にも拘らず既にかなりの人出で、相変わらずの盛況ぶりである。そんな中、小さな遥は共にやって来た同行者二人とあっという間にはぐれて迷子になりかねない所だが、吹き抜けのテナントフロアを歩くその足取りは軽快その物だった。
何せ遥は今まで散々頭を悩ませてきた「女の子らしい物」という縛りにはもう捉われる事無く、純粋に賢治が喜んでくれそうな物をプレゼントとして選べるのだ。それを贈った時の賢治が喜ぶ顔を想像するだけで胸躍るという物で、その上それを渡すシチュエーションがデートともなれば遥は今から既にウキウキである。
ただし、遥は広がった可能性と胸躍るその気持ちの一方で、少しばかりの気掛かりが無い訳でも無かった。遥には賢治の趣味趣向を誰よりも熟知している自信があって、既に無数の候補が思い付きはしているのだが、これには一つ留意しなければならない問題があるのだ。
「あっ、ここだ」
アメリカン雑貨を扱うテナントショップの前で足を止めた遥は、そのまま店舗の奥へと足を進めると、早速候補の一つであった品を見つけ出す。それは、赤と青を基調とした派手な色合いのスマホケースで、そこに描かれているモチーフは近年ハリウッドで実写映画化されて日本でも人気が高まっている賢治も好きな筈のアメコミヒーローだ。
「ねぇ、これどうかな?」
遥は手に取ったスマホケースを後ろに付いて来ていた同行者二人に提示しながら、そのプレゼントが賢治に相応しいかどうかの是非を問い掛ける。
「かっこいいけどぉ、賢治くんはもうその人あんまりすきじゃないかもー?」
独特な間延びした口調でそれに否を唱えたのは、本日の同行者その一、行きつけのラーメン屋の一人娘で、遥の妹分でもあるツインテールがトレードマークの中学三年生、真梨香だった。
「そっか…賢治、コレもうそんなに好きじゃないんだ…」
遥の記憶では、映画が公開された当時に賢治はそのキャラクターをいたく気に入って、原作コミックスまで集めていた筈なのだが、いつの間にかその熱も冷めてしまっていた様である。
「去年やった映画の三作目が酷かったからな…」
抑揚の乏しい低い声で賢治の熱が冷めた経緯を簡潔に説明したのは、本日の同行者その二、久しぶりに会っても相変わらずアウトレイジ感満載の強面をした光彦だった。
「そういうことかぁ…」
遥は光彦の解説に納得すると共に、先程までのウキウキとした様子から一転、気掛かりだった事柄が早々に現実の物となってしまった事に意気消沈して俯き加減になってしまう。
賢治の趣味趣向に関しては誰よりも詳しい自信のあった遥だがしかし、実の処その情報は事故に遭った三年前から余り更新されていないままだったのだ。遥は今の身体になってからの半年間で、知り得た限りの情報を逐一更新してはいるものの、流石に賢治の三年間を全て把握しきれているはずも無い。今し方のアメコミヒーローが良い例で、その事に関して遥が知っていたのは、映画の一作目を切っ掛けに賢治がそのキャラクターにハマっていた事までだった。
「賢治はそんな事全然話してくれなかった…」
別に賢治はこの事を秘密にしていた訳では無く、今まで二人の間でそれが話題に上がる事が無かった為、単純に話す機会が無かっただけである。とは言え、そういった類の遥が知り得ていない情報はまだまだいくらでもある筈で、こうなるとプレゼント選びも少々難易度が上がってくる。
「こんなんじゃ、賢治に喜んでもらえるプレゼントなんて見つけられないかも…」
すっかり自信喪失してしまった遥は、持ち前のネガティブ思考をここぞとばかりに発揮して、その口からはつい弱気な気持ちがこぼれ出た。
賢治の事なら誰よりも良く知っている筈だったのに、空白の三年という歳月を経た今ではもうその限りでは無い。遥はその事をある程度想定して、その為に今日はいつも一緒の沙穂や楓では無く、賢治との旧知である真梨香と光彦という珍しい取り合わせの二人に同行してもらってもいた。只それでも、いざこうして気掛かりだった事が現実のものとなってしまうと、やはりどうしたって落ち込まずにはいられない。
「遥くん」
真梨香はいつものゆるゆるとした笑顔で遥の元に歩み寄って、そのちょっと癖のあるふわふわした髪をやんわりとした手つきでそっと撫でつける。
「大丈夫だよー、こんな時のためにマリ達がいるんだからー。ねー、光彦くん?」
同意を求められた光彦も真梨香に倣って、その無表情な強面からは一見想像できない程の優しい手つきで遥の頭を撫でやった。
「頼りにしてくれ」
元妹分で中学生の女の子と元同級生で元同性の青年に揃って頭を撫でられるという状況は中々に気恥ずかし物だったが、おかげで遥は気が紛れて気持ちも少し上向きになる。
「うん…」
二人よりも小柄な遥は必然的に上目遣いになりながら、ここで改めて真梨香と光彦に向って今回の件についての協力を仰いだ。
「二人とも…お願い…します」
真梨香はこれに一層ゆるゆるとした笑顔になって、光彦の方もほんの僅かに口元を緩ませて滅多なに見せたい笑みを覗かせた。
「マリにおまかせだよー」
「任せておけ」
二人の頼もしい言葉に勇気付けられた遥は、ネガティブになりかけていた気持ちをきっちりと前向きに改めるべく、胸元に引き寄せた両手でギュッと握り拳を作る。
「二人とも、ありがとう…!」
三年の時間経過という深い溝は、今も尚現実としてそこに重く横たわっていたが、友人達の助けと、何よりも賢治を想う気持ちがあればそれも何のそのだ。
「よしっ…、それじゃあ次のお店に行こう!」
自身を鼓舞した遥は気を取り直して次なる目的地へ向かって歩き出そうとしたが、その頭には依然として真梨香と光彦の手が乗ったままだった。
「あの…、もう大丈夫だから、二人とも手を…」
無理に振り払う事も躊躇われた遥がおずおずと申告すると、真梨香と光彦は素直にそれを聞き入れ手を引っ込める。
「ふふっ、マリちょっとお姉ちゃんっぽかったかもー」
真梨香は自分が「お姉ちゃん」を演じられた事にご満悦の様子で、そのゆるゆるとした笑顔のニコニコ具合がいつもの二割増しだ。遥はかつての妹分にお姉ちゃんぶられるのは中々に複雑な心境ではありつつも、実際存分に励まされてしまった手前反論すべくもない。
「昔の癖で…すまん」
光彦の方はそれを弟達が幼かった頃の名残だとするが、最近その弟達と学校で顔を合わせている遥はついそれを現在の姿で想像してしまう。
「…っ!」
智輝はともかくとして、あの王子様風の晃人がこの光彦によしよしと頭を撫でられている絵面は中々のインパクトだ。普通ならば遥はここで思わず吹き出しそうになっている所だが、今回は少しばかり様子が違ってその両頬がみるみる内に赤く染まっていった。
「む…どうした?」
その様子を怪訝に思った光彦が眉を潜めて問い掛けて来ると、ハッと我に返った遥はこれに慌てて勢いよく首を左右に振る。
「な、なんでもないよ! それよりも次のお店に行こう!」
遥はそんな誤魔化しの言葉を口にしながら二人に背を向けるなり、若干早足になって次なる目的地へ向かってそそくさと歩き出した。つい想像してしまった光彦に頭を撫でられる晃人の図が、最近読んだBL漫画のワンシーンに酷似していたとはよもや言えるはずも無い。
「「…?」」
真梨香と光彦は若干挙動不審だった遥の様子を不思議そうにしつつも、その小さな背中を見失わない様、またはそれを見守る様にして、ゆっくりとした足取りで後に付き従った。
それから遥は都度々々真梨香と光彦に意見を求めながら、賢治に贈る誕生日プレゼントに相応しい品を求めて数々のテナントを渡り歩く。初っ端でいきなり出鼻を挫かれてしまった形の遥ではあるが、それ以降は大した問題も無くそれなりに順調だ。見繕った中には「誕生日プレゼント」としては難ありといった物が幾つかありつつも、賢治の好みという点では大凡で外さず、遥としては面目躍如といった感じである。
そして、遥が候補を幾つかに絞り込んでその自信をも大部分取り戻した頃、これまで意見を求められた時以外は黙って付き添っていた寡黙な光彦がふと足を止めて、何やら一件のテナントを指差した。
「遥、ここ」
光彦の短い呼びかけに応じて、遥と真梨香も足を止めてその指先が示す方向へと目を向ける。そこにあったテナントは、ハンドメイドのレザークラフト製品を扱っているショップの様で、遥が予め目星を付けていた候補の中には無かった店舗だ。
「へぇ…こんなお店あったんだぁ」
店先には革製の財布やベルト、それにブレスレットやチョーカーといったアクセサリー類が細々と展示されており、それを目にした遥の瞳はゆっくりと見開かれて次第にキラキラと輝き出す。
「…かっこいい!」
革製品の渋い風合いと少し武骨なデザインラインに遥の中に有った「男の子心」が顔を出して、その口からは思わず感嘆の言葉が漏れ出ていた。
「どうだ?」
予定には無かったショップだが、そこに並ぶ品々にすっかり魅了されてしまっていた遥は、光彦の短い問い掛けに二つ返事で頷きを返す。
「見てく!」
力強く応えた遥は意気揚々とショップ内へと足を進め、光彦と真梨香もその後に続いて三人で揃って店内を順に見回り始めた。
「わぁ…! どれも良いなぁ!」
店内には小物類ばかりでなくバッグやリュック、ポーチといった大きめの商品も並んでいて、そのどれもが遥の「男の子心」をガッチリ掴んで離さない。そんな中、遥は店内中央にあった棚の前でピタリと足を止め、そこに置かれていた商品を一つ手に取ってその瞳をより一層にキラキラと輝かせた。
「これ…! 凄く良い…!」
遥が手に取ったのはブラウンのなめし革を使った一本の長財布で、ワンポイントで彫り込まれた花と鳥の意匠が美しい中々に見事な逸品だ。
「ねぇ! これどうかな!?」
遥は見つけ出したその品の是非を友人達にも問うべく、後ろに振り返って手に取った長財布を真梨香と光彦に向って提示する。
「おー、かっこいいねー、賢治くんも好きそうー」
真梨香は二割増しのゆるゆるとした笑顔でそれを肯定して、光彦の方も相変わらずの無表情ながら同様の意思表示として頷きを見せた。
「良いな」
真梨香と光彦からお墨付きをもらった遥は一度パッとその表情を明るくしてから、手にした財布に視線を戻して、その大きな瞳を感慨深げに細めさせる。
「賢治が今使ってる財布、もう結構ボロボロなんだよね…」
その賢治が今使っているボロボロの財布とは、何を隠そう遥が六年ほど前の誕生日プレゼントとして贈った物だった。遥は今でもその財布が大事に使われている事を嬉しく思っていた一方で、そのくたびれ具合がずっと気になっていたのだ。
物持ちの良い賢治は下手すれば壊れるまでそれを使い続けかねない為、今回新しく財布をプレゼントしなおすという考えは中々に悪くない。何より今見つけた長財布は、真梨香も認めてくれたようにデザイン面でも賢治の好みにしっかりと一致する上、遥自身から見てもかなりカッコいいと思える逸品だ。
「ボク、これに―」
遥は今まで見繕って来た候補達の事はもうきれいさっぱりと忘れ去って、この長財布を賢治の誕生日プレゼントにする事を即決しかけたがしかし、その途中で言葉を止めてそのままその場で固まってしまった。
「遥くん? どうしたの?」
電池の切れたおもちゃの様になってしまったその様を不思議に思った真梨香が覗き込む様にして問い掛けて来ると、遥はぎこちない動きで顔をあげてその表情を青ざめさせる。
「…これ」
そう言って遥は持っていた長財布を真梨香の方に差し出し、そしてもう一方の手である一点を指差した。
「ふぇ?」
尚も不思議そうな顔をする真梨香が遥の指さす方を目で追ってゆくと、その先には長財布の端からぶら下がる小さな長方形の紙片が在る。そしてそこには、控えめな手書き文字で「¥35,000」という余り控えめでは無い販売価格が書き込まれていた。
「いち、じゅう、ひゃく、せん、まん…、三万五千円だねぇー」
真梨香がご丁寧に桁を数えた上で読み上げてくれたその値段は、一般的に見ればこの手の革製品としては比較的良心的な価格設定ではある。がしかし、それはあくまでも相対的な話であって、経済能力を有さないしがない高校生である遥にとっては、間違いなく高額と言って差し支えのない金額だった。
「うぅ…完全に…予算オーバー…」
遥が今回用意した軍資金は二万円程であり、それに対してせっかく見つけたこの素敵な長財布は無情にも1.5倍の価格だ。それは遥が毎月母親から受け取っているお小遣いに換算すると、実に七ヶ月分相当である。遥は今回捻出した二万円という予算だけでも十分に頑張った方だったので、その上で更に追加の予算を投入する余力等有りはしなかった。
「せっかく良いの見つけたのに、残念だねぇ」
経済観念的に遥と近しい真梨香はそれを諦めるのも止む無しといった感じだったが、そうでは無かった者が居る。
「…遥」
名を呼んだ光彦はそれ以上何も言わずに自分の財布を取り出して、そこから無造作に引っ張り出した万札二枚を無言で遥に差し出して来た。
「えっ…?」
その唐突な行動の意図を計りかねた遥は、光彦の顔と差し出された万札を交互に見やって困惑頻りである。
「…俺も出す」
遥が戸惑っている所に光彦がそんな簡潔な言葉で自身の意図を明確にしてくると、それを横で聞いていた真梨香が「あー」と気の抜けた感嘆の声を上げた。
「遥くん、マリも少しだけど出すよー」
真梨香までもがそんな事を言い出して、肩からぶら下げていたポーチから自分の財布を取り出して千円札を数枚差し出して来る。
「えっ? えぇ? で、でも…」
不足分を補ってくれるという二人の申し出に遥は益々困惑頻りだったが、そこへ真梨香が相も変わらぬゆるゆるとした笑顔で事も無げに言った。
「マリも賢治くんのお誕生日お祝いしたいから、一緒にプレゼント買わせて?」
真梨香は、お金を出すのは何も遥の為では無く、自分自身と、そして何よりも賢治の為だと言う。
「遥が代表で渡してくれ」
光彦もこれはあくまでも自分の気持ちを託すに過ぎず、遥にはそれを届ける役割を担ってもらうだけだと、そう言うのだ。
二人も賢治とは浅からぬ友人なので、誕生日を祝いたいと言うその言葉は決して嘘では無かったが、ただそこには一片の詭弁も含まれていた。勿論それは悪い意味では無く、こう言えば遥がこの申し出を受け入れやすくなるだろう事を想定した、二人の気遣いに他ならない。友人同士でお金を出し合って少し高価な誕生日プレゼントを購入する事は良くある話なので、これならば遥も抵抗が少ない筈なのだ。
「二人とも…!」
もしも遥がもっと「女の子」だったのならば、二人の思惑がどうあれ、好きな人に贈る誕生日プレゼントを共同購入にする事はどの道受け入れ難かったかもしれない。がしかし、一人よりも二人、二人よりも三人分の想いがこもっていた方が、賢治も一層喜ぶかもしれないと思ってしまうのが今の遥だった。
「そっか…そうだよね…!」
遥は詭弁を弄された事にも気付かず、むしろ二人の賢治に対する厚い友情を感じてその表情を明るくする。三人分の気持ちで賢治の誕生日を祝える上に、せっかく見つけたこの素敵な長財布を諦めなくても良いとなれば、遥がこの申し出を断るべくもない。
「…分かった! 三人で一緒に買おう!」
それを聞き届けた真梨香と光彦は「それなら」と差し出してきていたお金をいよいよ手渡して来ようとしたが、遥はこれに関しては少々慌ててストップを掛けた。
「ま、待って! 一緒に買うんでしょ?」
遥はその場で現金を受け取る事はせず、その代りに真梨香と光彦の後ろに回って二人をレジの方へと誘導する。遥としてはお金を払う際も一緒であった方が、共同購入である事を実感しやすかったのだ。それを汲み取った真梨香と光彦は、大人しく遥に促されるまま共にレジへと向かい、三人は実際にその場でそれぞれにお金を出し合った。
「二人の気持ちも賢治にちゃんと伝えるね!」
会計を済ませ、店員から長財布の入ったショッパーを受け取った遥は、それが若干の詭弁であるとも知らずに真梨香と光彦に向って託してくれた想いを必ず賢治に伝える事を約束する。
「ふふっ、よろしくねぇー」
真梨香はいつもの三割増しのにこにこゆるゆるとした笑顔でそれに応え、光彦の方も相変わらず無表情ながらその瞳はどこか満足げだ。
かくして遥は、そんな友人達のお陰でプレゼントの用意についてはこれで万全となり、後は間もなくやって来る賢治の誕生日当日を待つばかりである。




