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3-55.足並み

 地元の駅で淳也達と分れてバスに乗り込んだ遥は、程なく辿り着いた停留所から徒歩で自宅へと向かっている最中、見覚えのある白いSUV車が後ろからやって来て横を通り過ぎていくのを目撃した。

 その白いSUV車は特別に珍しい車種という訳では無いので、普通ならば幾ら見覚えが有ると言ってもそれが誰の車であるのかを特定するのは些か難しいだろう。ただ、その車が既に目前まで迫っていた遥の自宅横に停車して、そのまま紬家の車庫に入って行ったとなれば話は別だ。

 何処へ行っていたのかまでは定かでないが、それが時同じくして帰宅した賢治である事を察した遥は少しばかり足早になってそのまま自宅の門前を通り過ぎる。それは、いつもの遥なら大好きな賢治に一時でも早く会いたい一心でとったちょっといじらしい女の子的な行動だがしかし、今回に限っては少しばかり様子が違っていた。

「賢治!」

 自宅をスルーして紬家の門前に辿り着いた遥は、丁度玄関の扉を開けて中に入ろうとしていた賢治を語気荒く呼び止め、そのままその場で仁王立ちになる。

「ハル…? って…ど、どうした?」

 賢治は呼び止められて振り返った当初こそいつもの落ち着いた調子だったが、傍まで歩み寄って来た時点で遥が明らかに尋常ならざる様子である事に気付いて困惑を見せた。

「ねぇ賢治…、ボクに謝らなきゃいけない事、あるでしょ…?」

 遥は一旦声を抑えつつも、その口調は決して穏やかな物では無い。そもそも、今日という日に賢治と顔を合わせたからには、到底穏やかでいられる訳が無いのだ。

「ハルに謝らなきゃいけない事? そんなもん別に―」

 遥の明らかに咎める様だった問い掛けに賢治は眉を潜めてそれを否定しかけるが、その途中で言葉を止めてハッとした顔になった。

「もしかして…お前…、最近タケと会ったりしたか…?」

 最近も何も、遥は髪を整えてもらう為に最低でも月に一回は淳也と顔を合わせているし、それでなくとも今日は一日ずっと緒で、別れたのもほんの三十分ほど前の事である。

「ボク、今日は淳也と一緒に出掛けてたんだけど…」

 単にそれだけの話しならば、それは旧知の友人と遊びに行っていたというだけの極ありふれた日常的な報告にしかすぎないがしかし、勿論遥が言わんとしているのはそんな事では無い。

「そ、そうか…じゃあ、その…アレの事…だよな…」

 賢治も遥の意図を完全に理解した様子で、真っ青になった顔をかなり気まずそうに引きつらせる。賢治は「アレ」と曖昧な言い方をしたが、それが何の事であるのかはもうお互いに敢えて確かめるまでも無い。遥がここ最近で淳也とまみえた事によって、賢治が謝罪しなければならない案件等という物は、互いに例の恥ずかしい写真が流出してしまったこと以外に心当たりが無いのだ。

「あんな物が淳也に渡ったら、ろくなことにならないって分かるよね…?」

 伊澤仁のファインプレーによって既にその写真は淳也のスマホから消去されてはいるが、それは結果論であるし、最悪の事態が避けられたというだけの事である。それ以前の出来事として、例の写真が淳也の手に渡っていた所為で、遥が余り人には聞かせたくない恥ずかしい歌声を披露する羽目になった事は、間違いなく今日という日の中で一番ろくでも無かった思い出だ。

「あれは…ちょっとした手違いで…、決してわざとじゃないんだが…その…」

 賢治はしどろもどろになって言い訳を開始したが、例えどんな事情を聴かされたところでこの件に関しては遥が納得する様な事は無く、今は冷ややかな視線を浴びせるばかりである。

「…謝って?」

 遥が静かにだがゾッとする程冷たく言い放つと、賢治ももうこれは言われた通り素直に謝罪するしか道がない事を悟って観念した。

「すまん! 本当に悪かった! この通りだ!」

 顔の前で拝み手を作った賢治は、一八〇センチを超えるその長身を遥の身長よりも低くして、正しく平身低頭の姿勢で精一杯の謝罪を示す。その態度には確かに強い反省の色がこもっており、遥にもそれはしっかりと伝わってはいたが、これで賢治を許せたかと言えばそれにはまだ及ばない。

「とりあえず…写真消して…」

 遥が謝罪に次いで元凶である写真をこの世から完全に抹消する事を望むと、賢治もやらかしてしまっている手前、これに異論を唱えずすぐさまそれをその場で実行した。

「ほら、全部消したぞ!」

 程なく操作を終えた賢治が証拠として差し出してきたスマホの画面には、それなりに枚数があった淳也の物とは違って随分閑散としたフォトライブラリが表示されている。そんな中でも、賢治のフォトライブラリには遥の写真が二枚程残ってはいるものの、それはどちらも遥自身が送りつけた写真なので今この場で消去する必要性は無い。賢治のフォトライブラリにある写真はそれ以外で行くと、後は遥には関係ない物が数枚と、操作ミスで撮ったとしか思えない変なスクリーンショットがあるだけだ。

「うん、ちゃんと消えてるね」

 例の写真が無事に全てこの世から消え去った事を遥が確認し終えると、スマホを引っ込めた賢治は引き続きの平身低頭でおずおずと尋ねて来る。

「後は…どうすればいい…?」

 きっちりと謝罪をしてもらい、問題の写真もこの世から消え去ったとなれば遥にはもう何の憂いも無く、場合によってはこれで賢治を許すのも吝かでは無い。ただ、ここであっさり賢治を許してしまうのも簡単すぎる気がした遥は、少し考えを巡らせてからふとある事を思いつく。それは、今なら賢治に普段できない様なある程度無茶な要求をしても、逆にこちらが許されるのではないかという、いわば恋心からくるちょっとした打算だった。

「ねぇ、賢治…許してあげる代わりに…えっと…その…」

 自身の恋心を満たす方向性にシフトした遥は、それまでの尋常ならざる様子から一転、両頬をほんのりと赤く色付かせて、何やら気恥ずかしそうに突然もじもじとしだす。淳也や美乃梨は、遥が電車内で伊澤仁に対する好意を語った際、その様子を「女の子」だと感じてあらぬ勘違いをしていた訳だが、今のこれこそが正しく「恋する女の子」のそれだった。

 淳也と美乃梨ももしこの場に居合わせていたのならば、比べてみれば納得と言う感じでその違いに気付いて、自分たちの想い違いにもまた気付いただろう。だが、惜しくも今この場に居合わせているのは、遥が度々「女の子」な面を見せながらも、一向にその恋心を察する様子が無い鈍感で知れている賢治ただ一人だ。

「ど、どうすれば許してくれるんだ? まさか、土下座…とか?」

 案の定今回もその鈍感ぶりを如何なく発揮している賢治は、平身低頭のままチラリと顔を上げて、そんな見当違いな事を言ってくる。遥は別段サディスティックな性質は持ち合わせていないので、そんな事をされたところで特に何も満たされたりはしない。

「土下座って…そんなの逆に困るんだけど…」

 遥は幼馴染の愚鈍さに少しばかりうんざりとした気持ちになりながらも、具体的に何を要求するかまでは思いついていなかった為、ここで少しばかり考え込んでしまう。一口に恋心を満たす要求と言っても、これがいざ考えてみると中々に難しいのだ。

「うーん、そうだなぁ、何がいいかなぁ…」

 遥は以前、賢治にお願い事を出来る機会を得た際には、膝の上に乗せてくれるように要求してその恋心を大いに満たしているが、今回はそれが選択肢に上がる事は無かった。何せ遥は今日一日ずっと美乃梨にベタベタされ続けて、その結果大いに気まずさを募らせてきた所である。それを思えば同様の事を賢治に強いる気には到底なれる筈もなく、また相手が誰かに拘らず今日の所はもうその手のスキンシップ自体が願い下げだったのだ。

「あんまり無茶な事は聞けないが…、俺の出来る範囲でなら何でも言ってくれ…!」

 賢治は所詮一介の大学生にしか過ぎないので、その「範囲」は大して広くも無いが、それでも遥からすればそれは無限にも等しい可能性だった。

「何でも…」

 淳也が言う所の恋するJK奏遥ちゃんにとって、好きな人が何でも言う事を聞いてくれる等というこの状況は、それこそ世界が新たにもう一つや二つ爆誕したにも等しいかなりの大ごとだ。がしかし、遥は俄かに上昇したテンションとは裏腹に、「何でも」等と枠を大きく広げられた所為でこれには益々悩んでしまう。

「う、うーん…」

 いよいよもって何を要求したらいいのかが分からなくなってしまった遥は、唸り声を上げて頻りに首を捻っては見るものの、どうにもこれといった物が思いつかない。そもそもの話し、奥手な上に余り欲の無い遥は、賢治と一緒に居られるただそれだけの事でも比較的満たされてしまうので、改めて考えてみれば具体的に何かをして欲しいという事は特に無いのだ。しいて言えば、普段は遠慮しているスキンシップの類だが、それについてはやはり今回の選択肢には上がらなかった。

「…ハル、俺が言えた立場じゃないが、そんな無理に―」

 困り果ててしまった遥を認めた賢治が助け舟を出すつもりで、何やら進言しようと口を開きかけたその時の事である。

『きゅぅ』

 何の脈絡も無く、突然何処からともなく二人の耳に飛び込んできたその音は、まるで小動物が鳴いたかの様な何とも言えない大変に可愛らしい響きだった。賢治の家で飼われている小型犬のマルが甘えた声で鳴くと丁度そんな感じではあるが、今回鳴いた者はもっと別な何かだ。

「ハル…」

 言いかけていた言葉を止めた賢治は、音の正体が何で有るのかを半ば察した様子で、その音源があると思しき方へゆっくりと視線を落としていく。因みに敢えて言うまでも無いとは思うが、この時二人の足元に未知の小動物が迷い込んで来ていたという事では無い。

「うっ…」

 賢治と違ってその音が何で有るのかを確かめるまでも無く分かっていた遥は、恥ずかしさと気まずさの余り、元々ほんのりと色づいていたその両頬をより一層赤くする。

「お前、腹、減ってるのか…?」

 賢治からのその問い掛けに、遥は先程の鳴き声を響かせた物の正体、つまり本人の意志とは関係なく生理現象的に空腹を訴えて来た自身のお腹を両手で押さえつけた。

「だ、だって…お昼、あんまり食べられなかったから…」

 今日の合コンではカラオケの時間が昼時で、食べたければ各自にという感じだったのだが、遥は自身では何も注文せずパーティープレートを少し摘まんだ程度だ。加えて言えば、今は丁度夕飯時でもあり、であれば遥のお腹が空気も読まずに愛らしい鳴き声で空腹を訴えて来たのも無理のない話だった。

「そうか…、俺も夕飯まだだし、なんなら今から一緒に白竜でも行くか?」

 ちょっとばかりほっこりとした表情で馴染みのラーメン屋を上げた賢治の提案は中々に魅力的で、その為ただでさえ空腹を訴えていた遥のお腹がその主張を一層激しくする。

『きゅぅぅん』

 またしても意図せずお腹が鳴ってしまった遥はもう耳の先まで真っ赤になりつつも、ここでふと先程まで頻りに頭を悩ませていた問題に対する結論に思い至った。

「じゃぁ…、賢治の驕りって事で、写真の件もそれで許したげる…」

 その要求には最早恋心を満たすという当初の目的は陰も形も無かったが、元々賢治と一緒に居られるだけである程度満足な遥である。遥は賢治が夕食に誘ってくれた時点でもう十分に恋心が満たされてしまい、実の所要求その物が既にどうでも良くなっていたのだ。

「おぉ…、それなら好きなもん好きなだけ頼んでくれ!」

 一体何を要求されるのかと内心戦々恐々だった賢治からすれば、それは願ってもない話で、これを拒む理由は何一つなく中々に豪気な事まで言ってくる。

「…後で後悔しても知らないからね!」

 そうは言っても、遥が食べられる量などはたかだか知れているので、実際に好きな物を好きなだけ頼んだところで結局最終的に平らげるのは賢治だ。

「よしっ、そんじゃ行くか!」

 話が纏まった所でようやく平身低頭を解いた賢治は、自宅の門を抜けるなり、まるでそうするのが以前からの当たり前であるかのように、遥へ向かって手を差し伸べて来る。

「…う、うん!」

 一瞬戸惑いながらも、吸い寄せられる様にして賢治の手を取れば、遥の胸の内では恋心の花が色とりどりになって爛漫と咲き誇る。遥はもう写真の件について怒っていた事などはすっかりとどこ吹く風で、今は賢治とこうして居られる事が唯々幸福だった。

「さーて、何をおごってもらおうかなぁ」

 すっかり上機嫌になった遥が先立って歩き出すと、賢治もほっとした面持ちになってその横に付き従う。仲良く手を繋いで歩く二人の歩幅は、以前と比べて大分差が出てしまってはいたが、今ではもうお互いに随分と慣れた物だ。遥は昔よりも少し早足で、賢治の方は昔よりもゆっくりとしたペースで互いが互いに合わせる様にして夜の市街地を歩んでゆく。そんな二人の足並みは、目的地である馴染みのラーメン屋に辿り着くその時まで乱れる事は無く、そしてそれは後先考えずに食べ過ぎた遥の足取りが若干重くなった帰り道でもまた同様だった。

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