第16話 叔母と従姉弟との再会
シャーロットと郁の到着予定日、空港まで迎えに行った駆は二人とすれ違うこともなく無事に合流することができた。
「駆君が来てくれることになったんだね。助かるよー」
顔を合わせた早々、郁は朗らかに笑いながら礼を述べてきたのだった。どこか歩にも通じる気風の良さと義理堅さを兼ね備えた言動に、駆は密かに記憶の中の父親を重ねていた。
そんな母親とは対照的に、シャーロットははにかむように微笑んでいた。人見知りとは無縁の性格だったはずなので、余所行きもしくは仕事モードになっているのかもしれない。ここは彼女の意思を尊重して、挨拶はそこそこにして場所を変えた方が良いのかもしれない。
実際に顔面偏差値の高い美形が二人並んでいたことで母娘は多くの人からの注目を集めていた。加えてシャーロットは金髪に碧眼という特徴もある。異邦人の割合が高い国際線ターミナルとはいえ日本国内には変わりはなく、しっかりと目立ってしまっていた。
そこに性別の異なる駆が合流したのだから、その勢いに拍車がかからないはずがない。
彼らがモデルやタレントだと気が付かれてしまえば、肖像権を無視した違法撮影会場の場となってしまうのは日の目を見るより明らかだった。
「母さんに言われてタクシーを手配してるから、積もる話は移動した後にしようか」
そう日本語で言うと二人のスーツケースやら手荷物やらが載せられたカートを引き取って運び始める。
「そこは馬鹿正直に湊さんのことを出さなくてもいいのに……」
「かと思えばごく自然な態度で荷物を持って行っちゃったわね。ロッテ、あなたのライバルは歩ちゃんだけではなくなっていそうよ」
「ぐぬぬ……」
駆は困惑した表情を見せないよう背を向けたまま二人の会話を聞いていた。
鈍感系主人公の気がある彼だが、意外にも他者から向けられている好意そのものはしっかりと認知していたりする。ただ、それを無意識のうちに人として、または友として、あるいは家族としての好意に落とし込んでしまっているのである。
シャーロットなど幼い頃から「好き」どころか「I love you」と囁き続けていたにもかかわらず、この轟沈具合だ。
まあ、彼女の場合はそのたびに歩に「わたしの方が駆君のことが大好きなんだから!」と張り合われていたために同じ家族カテゴリーへと分類されてしまった、という経緯もあるので二人だけに責任を問うのは少々酷というものかもしれない。
何はともあれこのように自己に対する認識――演技力への低い評価も含めて――を改めない限り駆が恋愛を自分のこととして捉えることはないのかもしれない。
「暑う!?」
気軽に雑談が行えたのは建物から出るまでのことだった。空調の加護を受けることのできない外へと一歩踏み出した瞬間、湿度増し増しの酷暑という洗礼を受ける三人。また、昼下がりと最も気温が高くなる時間帯だったことも災いしていた。
「日本育ちのママの方がわたしよりも先に悲鳴を上げるのっておかしくないかしら?」
「ママが暮らしていた頃の日本と今とを一緒にしないでちょうだい。この暑さはもはや別世界よ」
毎年のように最高気温が更新されている訳で、郁の言うこともあながち的外れだと笑い飛ばすことはできなくなっていた。
余談となるがここまでの親子の会話は全て英語だ。が、シャーロットは決して日本語が扱えない訳ではない。駆の台詞をきちんと理解していた通り、会話はもちろん読み書きに至るまで日常生活において支障のないレベルに達している。
「はいはい、二人ともそのくらいで。タクシー待ってもらってるんだから」
促されて二人は渋々といった調子で歩き始める。気持ちは分かってしまうためそれ以上は急かすような真似はしないが、早くこの暑さに慣れて欲しいと切に願う駆なのだった。
手配していたタクシーで一路シャーロットたちの宿泊先となるホテルへと向かう。そこで一休み、とはならずに荷物を預けるとさっそく先方との打ち合わせ場所として指定されたスタジオへ向かう。屋内での撮影もそこで行われるので現場の下見でもあった。
それでも来日した直後に打ち合わせというのは、多少どころではなくおかしなスケジュールだ。それこそ分刻みの予定を余儀なくされるような世界的に人気な超有名人でもなければ普通はあり得ない。
「つまりこれも、不幸なすれ違いの結果ってことじゃないかな」
既に湊の予想と懸念は伝えられており、タクシー内ではそれにのっとった形で作戦会議が開かれていた。ちなみに、後部座席に運転席側からシャーロット、郁、駆の順に並んで座っている。
駆の指摘に神妙に頷く二人。特に郁はその原因の何割かを占めているだろうだけあって責任を感じているようだ。そもそも彼女が私的なマネージャーとして付き添っているのはシャーロットがモデルに専念できるようにするためだったのだ。それがかえって足を引っ張るようなことになっているのだから、凹んでしまうのもさもありなんという話である。
「でも、本当にシャーロットのことを買い叩いて使い潰そうとしているかもしれないから、用心だけはしておくのが正解だと思う」
「それってどのくらいの可能性なの?カケルの見立てででいいから教えて」
「うーん……。言うことがコロコロ変わっちゃって申し訳ないんだけど、正直心構え程度かなあ。名前を聞けば男でも若い女性向けファッション雑誌だって気が付くくらい有名だし」
隠そうとしてもSNSなどで簡単に情報が漏れてしまう世の中だ。雑誌の名前に傷がつくリスクを背負ってまで、日本ではようやく名前が知られ始めたところでしかないシャーロットを買い叩く意味などない。
「というか、伸びしろがあると踏んだからコンタクトを取ってきたんだろうし、それなら悪印象を持たれるような真似はしないと思うんだよね」
逆に仲良くしようとするのが普通ではないだろうか。良い印象を与えて好感度を高めておけば次に繋がる確率も上がるというものだ。さすがに有名になれば今と同じギャラとはいかないだろうが、優先的に仕事を受けてくれる、もしくはそういった素振りを取ってくれるだけでも看板の名や価値が上がっていくのだから。
「ああああ……、やっぱりそうよねえ……。ロッテごめんね。日本からのお仕事だからってママ知らないうちに舞い上がってたみたい」
「ママにはいつも助けてもらっているんだから気にしないで。……それに、そのおかげでカケルと一緒に居られることになったんだし……」
前半は郁の手をぎゅっと握りながら、そして後半は母親を飛び越えた先の駆へとチラリと視線を向けながら心情を告白するシャーロット。
「叔母さんとロッテのためなんだからこれくらい何でもないさ」
しかし返された言葉はこれだった。彼的には健気な従姉弟を励まそうとしたのだろうが、彼女が欲しがっている答えからは大きく外れてしまっていた。
「ぐぬぬ……。ガッデム!通じてないのもあれだけどママの方が先に来てるのが納得いかない!」
「え、えー……。特に意味なんてなかったんだけど……」
「細かいことだけど、女の子って自分のことを優先して欲しいと思うものなのよ」
突然不機嫌になったことに困惑を隠せないでいると、郁から助け舟が出される。確認のために該当者を見てみれば、同意を示す首の縦振りはとても激しいものだった。そういえば歩も湊よりも後に呼ばれると不機嫌になることがあったなと思い出す。
なお、女の子の前にはもれなく「恋する」という一語がさんさんと輝いていることだろう。
そんなドタバタ劇を挟みつつ、彼らの乗ったタクシーは撮影現場のスタジオへと到着する。ホテルに到着した際に連絡してみたところ、既に雑誌の担当者に撮影にかかわるスタッフたちが集合しているとのことだった。そんなことからもあちらの警戒度の高さがうかがえるというものだ。
これ以上こじれることがないよう手早く和解させる必要があると、駆は密かに気合を入れていた。
しかし、それが良い意味で空振りする出来事が発生することになる。それは顔合わせの場、というよりスタジオへと入って早々に起きた。
「あれ?山口ツトム君!?……どうしてここに?」
「え?あ、本当だ!」
撮影スタッフのうち数名が仮CMの時のメンバーだったのだ。
「広いようでいて狭い業界だから、もしかすると知り合いの人が居るかもしれないとは思ってましたけど……」
運が良ければそこから誤解を解くことができるだろうと考えてもいたのだが、まさかわずか数カ月前に一緒になった者たちと再会することになるとは思ってもいなかった。
余談だが、仮CMはスタッフやその場に居合わせた連中がぽっかり空いた時間と場所を有効利用しようと悪乗りした結果作られた本来は非公式非公開のものなので、お互いに仕事歴としては主張することができない。
「あれだけの騒ぎになっちゃったから何もなしという訳にはいかなくてね。対外的に処罰したことをアピールする意味もあってあの製作チームは解散、私たちは晴れて出向の身となったのよ」
そう言いながらも彼女らの顔つきは明るい。それもそのはずで、想定外の形で世に出ることになった仮CMは評判が良く、元製作チームの者たちは皆それぞれにこわれる形で出向していたのである。当然こき使われるようなことはなく、余りに下に置かれない態度に困惑する羽目になる者までいたくらいだ。
「もちろん私たちも良くしてもらってるよ」
「それに何と言っても天下の有名雑誌社様だからねえ。資金も潤沢なのよ」
容赦のない経費削減が進む昨今だが、それでも弱小企業に比べると使用できる金額は文字通りの桁違いなのだとか。
さて、駆が旧交を温めている間にシャーロットたちも互いの誤解を解くための対話を行っていた。幸運にも彼らの再会はすれ違いを元に発生していた固い空気を一掃することになった。このチャンスを活かそうと、郁はまずあちらの担当者と内々で腹を割っての話し合いをすることにしたのだった。
一見すると重要なやり取りから外されたようだが、元より駆はシャーロットの従姉弟というプライベートな立場なので前に出る必要がないのであればそれに越したことはないのだ。という訳で事の成り行きを見守りながら、こうして仮CMの時のスタッフたちとのんびり会話をしていたのだった。
「ところで……、今更だけど私らも聞いてよかったの?あのシャーロットと山口ツトムが従姉弟だったとか結構大ニュースな気がするんだけど?」
タイミングを見計らっていたのかおずおずと一人が尋ねると、周囲の者たちも気になっていたようでコクコクと首を縦に振っていた。
仮CMが世間に流出したことと本来の演者だった男性役者のコメントによって、山口ツトムの名は多くの人々に知られるようになった。ネット上には彼の出演シーンばかりを切り抜いてまとめた動画も投稿されていたくらいだ。もっとも、見たものの大半が「チョイ役過ぎて演技の良し悪しなんて分からないんだが?」という意見が大半を占めていた
更にそちらの話題の舌の根も乾かないうちに、先日の歩たちアイドルグループのコンサートイベントでのサプライズ騒動である。最近では歩の弟自慢語録からその実在性を検証してみようとするものまで現れる始末だ。
なお、こちらに関してはハイスペック過ぎてあり得ないと結論に達していて、「いくらなんでも話を盛り過ぎててドン引き」という意見の一方で「ブラコンだから仕方ない」とか「それでこそ歩ちゃん!」と肯定的な反応が相次ぎ、よく訓練されたファンの姿を見せつけることになっていたのだった。
「別に隠してるってほどのことでもないからいいんじゃないんですかね。活動の拠点にしてる国も違うし。あ、うちはともかくあっちがどう反応するのかは分からないんで、SNSでの拡散とかはさすがにNGってことで」
対して駆は軽い調子で答えていた。相変わらずの自己評価の低さからか、いまいち事の重大さに理解が及んでいない模様である。
「もちろんそんなことはしないわよ。……え?ちょっと危機感薄くない?」
実は特ダネの匂いを感じ取ったハイエナのごとき連中が密かにうごめき始めていた。業界関係者であれば巻き込まれ事故を防ぐためにこうした情報や感覚に精通しているのが当たり前であり、だからこそ彼の態度は異常に感じられたのだ。
「これが才能だけでこの業界を生き抜いてきた弊害というやつなのかしら?」
「漫画なら読者のヘイトを集めるだけ集めて盛大にザマアされるっていうのが定番だけど……」
「なんか酷いこと言われてません?」
「うん。そういうことが理解できるだけのまともな感覚も持ち合わせているのよね」
「それなのに何故自分のことにだけあんなに無頓着なのか……」
彼らの雑談はシャーロットたちが奥の部屋から出てくるまで続けられたのだった。




