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アイドルの弟  作者: 京 高
第4章 夏の再会
15/20

第15話 休暇の予定

 ミーンミーン。ジージー、ジジジジジ。

 緑の少ない街中にあって街路樹という希少なオアシスに居場所を定めた蝉たちが全身全霊をもって鳴いている。ただでさえ八月に入って以降連日のように猛暑を超えた酷暑を記録しているというのに、その音は聞く者、つまりはその高温の中にその身をさらさなくてはいけない者たちにとって夏の暑さを後押ししているようだった。


「おはようございます!」


 そんな不快指数の高さをものともせず、歩たちが所属するアイドルグループを運営している芸能事務所の建物に元気の良い声が響く。楓である。

 コンサートイベントにサプライズ登場したことでわだかまりが解けたのか、彼女は毎日のように事務所に顔を出していた。とはいえアイドルとしてグループに復帰することには抵抗があるようで、興味関心はもっぱらマネージャーを始めとした裏方の仕事に向けられていた。


「おはよう、楓ちゃん。今日も元気だね」

「それでもこうやって直接元気な姿を見られるのだから嬉しいよ」


 将来有望そうな後輩の登場に事務員たちも恵比須顔である。メンバー時代に接点の多かった板尾などは涙を流さんばかりの喜びようだった。

 そんな元気な一団がいる反面、暗く落ち込んでいる、いや不貞腐れている者もいた。なにを隠そう駆だ。


 コンサートイベントでのサプライズに起因するドタバタは、大半はあらかじめ仕込まれていたものだという結論に達していた。しかし、それはそれこれはこれということで、楓と共にステージに現れた謎の人物の特定が進められていたのだ。

 加えて咲良が暴露してしまったこともあって、下手に隠す方が危険だと判断した事務所はこの騒ぎに全力で乗ることにした。

 まずは『お察しの通り、渦中の人物は弊社所属のタレントです』と正式に発表、続けてSNSを使って『普段とは違う恰好にスタッフ一同ドキドキでした』と意味深なコメントを出したのである。


 それが世間では「山口ツトムの女装した姿」だと捉えられることとなる。

 更には「TS説」や「実は女の子だった説」、「中の人は歩説」なども登場し、ついには「山口ツトムとは何なのか?」と字面だけ見れば哲学的な問いのような騒動へと発展していくことになってしまうのだった。


 まあ、見て分かるようにほとんどは悪乗りしているだけであるのだが、これまで歩の弟として地元で少しばかり目立つだけだった駆としてはこの程度でもストレスとフラストレーションが蓄積する事態となっていた。

 これを機に他者からの視線に慣れてくれればという事務所の思惑通りにはいかなかったようである。


 そんなイライラが募る状況でも、仕事の依頼とあれば直ちに現場に向かうことになるのだが。

 駆にお呼びがかかる時点で切羽詰まった状態になっていることが多いため、断ることができないという点も無きにしも非ずではある。が、それでも最終的な決定権をこちらが握っていることを考えると、やはり基本的にはお人好しなのだろう。


 もちろん年がら年中、二十四時間三百六十五日常に仕事を受け付けている訳ではない。

 特に夏のこの時期はコンサートイベントという一大行事が終わった直後ということもあり、歩と一緒に休暇を取ることも多かった。これにはメンバーの多くが学生のため、アイドル活動にばかり専念することはできないという事情もあった。


「二人ともお休みが取れていいわよね……。お母さんも休暇が欲しい……」


 久しぶりに家族三人が揃った夕食の席で、さっそく母親の湊が愚痴り始める。

 ちなみに、駆作の手作りハンバーグだ。ソースは旬のトマトを荒くざく切りしたものにオリーブオイルと塩コショウで味を調えたフレッシュトマトソースである。さっぱりした味で暑さでバテてしまいがちな夏場でも肉を食べられるのでお勧めの一品、らしい。


 それはともかく世間ではお盆やら夏休みやらと言われる一方で、メディア界隈ではそれに合わせて生放送を含む大型特番が企画予定されていた。事務員やマネージャー陣はその調整のために目の回るような忙しさとなっていたのである。

 特に湊は事務員のはずなのだが、敏腕マネージャーだった経験を買われて今年もあっちこっちに引っ張りだことなっていた。


 なお、歩たちのグループにもそれらの番組から出演の依頼はきている――実は駆こと山口ツトムにもあった――のだが、二人または三人の少人数を交代していくことで休暇を確保していた。


「休みって言っても夏休みの課題を片付けなくちゃいけないし、大してのんびりとはしていられないんだけどな」

「駆……。確かにそれも大事だけど、友達と遊びに行くとかそういう予定はないの?」

「ないなあ」

「うちの弟が枯れている件……。あ、でもそれならわたしとずっと一緒に居られるということに!?」

「姉さんは姉さんで大学の課題があるでしょ。というか、夏季休暇中にある短期間の集中講義を取ってなかった?」


 アイドルの仕事を少しでも増やせないものかと、シラバス相手に睨めっこをしていたので記憶に残っていたのだった。ちなみに、集中講義を発見した時は小躍り――さすがはアイドルというべきか無駄に上手かった――をしていた。


「そうだった!うあーん!数カ月前のわたしのおバカー!!」


 あっさりと休暇中の未定だった予定が決定してしまい、絶望の悲鳴を上げる歩。スケジュールの管理ができていない証拠でもあるので自業自得だ。


「まあ、それならそれで好都合とも言えるのかしらね」


 湊の言葉に不穏な気配を感じ取り、駆が密かに身構える。母親から無理難題を押し付けられたことはほとんどないのだが、いかんせん便利屋的な立ち位置で仕事を受けているため、つい何か無茶を言われるのではないかと勘ぐってしまうのだ。

 もっとも、どちらかといえばそのようなやり方にこだわっているのは駆の方で、事務所側としてはそろそろ足を洗わせたいと思っていた。つまりはこちらもまた自業自得というやつである。


「少し前に(いく)お義姉さんから連絡があったのよ。……はい、これ」


 字面からも分かるように実姉ではなく今は亡き夫、進の姉に当たる人物だ。要は駆や歩にとって叔母である。アメリカ在住でジャパニメーション大好き(オタク)な北欧出身の夫と、駆たちと同年代の娘との三人で暮らしている。そしてその夫の強い勧めで山口姓を使用していたりする。

 そして湊は自身の携帯端末を操作してテーブルに置いた。駆と歩が覗き込んだそこに書かれていたのは、びっしりと文字で埋め尽くされた画面だった。どうやら思いついた言葉を片っ端から書き込んでいるらしい。


「叔母さん、相変わらずなんだ……」

「みたいだね」


 ため息を吐きながら二人は文字の海の解読へと取り掛かっていく。


 まず、郁の娘であるシャーロットがモデルをしていること。これはよく知っている。駆が子役をしていると知った彼女が対抗して、というのがそもそもの始まりなのだから。何なら歩が本格的にアイドルを目指すようになったのはそんなシャーロットに対抗してのことだったりもする。


 次に、モデルの仕事のためにシャーロットが近々来日するとのことで、そこに郁も同行することになったらしい。連絡がギリギリになったのは依頼側との間でなかなか撮影場所の折り合いがつかなかったからなのだとか。日本を希望する郁たち母娘に対して、どうやら先方は海外での撮影を推していたようだ。

 

「へえー。ロッテもついに日本上陸なのね」


 感慨深そうに歩が呟く。年が近い従姉妹同士というだけあって、お互いに対抗意識を持ってはいても仲自体は良好だった。そしてその言葉の意味はもちろん仕事で、モデルとしてということである。ここ数年はご無沙汰だったが、彼女の年齢が一桁の頃は毎年一回以上は来日していた。


「姉さん、ここからが本題みたいだよ」


 駆の言う通り、そこからは少し雲行きが怪しくなってくる。撮影地が日本になったことを相手側は「自分たちが折れてやった」と解釈したようで、時折高圧的とも思えるような要求が飛び出し始めたのだという。

 そこで郁たちも日本の芸能業界に伝手があると見せつけるために、誰か事務所の人間を派遣してもらえないだろうか、という提案というかお願いだった。


「え?ちょっと待って。それやっちゃうとまずくない?」

「うん。まずいと思う。最悪アメリカでロッテが所属してるところとうちの事務所で二重契約してるとかなんとか言われるんじゃないかな。……ああ、だからおれなのか」

「駆とならお互いに従姉弟同士だし、一緒に居てもおかしくないから変に角が立つこともないでしょ」


 多少は勘繰られるかもしれないが、事実なのだから堂々としていられる。


「それにこれ、多分不幸なすれ違いだろうから大事にならないようにした方が良いと思うのよ」

「すれ違い?どういうこと?」


 言葉こそ含みを持たせているが、湊の口調には経験に裏打ちされた明確さがあった。歩はそのことに疑問を覚えたようで、すかさず母親に問い返していた。


「依頼主側との交渉の間にどんな人が入っていたのかは分からないけれど、外国の、アメリカの団体ということでどこかで歯止めをかけないと際限なくあちらから要求されるとでも考えてしまったんじゃないか、そう思うのよ」

「あー……」

「そっちかあ……」


 要は思い込みによってステレオタイプに当てはめてしまったことで、勝手に疑心暗鬼に陥ってしまっているのではないかというのが湊の予想だった。

 しかし、すれ違いと称したからにはシャーロットや郁の側にもいくらかは緋があるということになる。


「ロッテちゃんの来日にお義姉さんが同行することが、話がこじれた原因の一つかしらね」


 郁は現在シャーロットの私的な秘書もしくはマネージャーとでもいうべき立場だ。そのため今回の渡航費や滞在費は自腹で賄っているのだが、相手側からは最悪の場合過保護過干渉な毒親のように思われている可能性もあった。


「叔母さん的には日本に帰ってくるちょうどいい機会くらいのつもりなんだろうけど、向こうからすれば娘の仕事に(たか)ろうとしているように見えちゃう訳か……」

「だから、そっちの思惑通りにはいかないぞ!というけん制の意味も込めて高圧的な態度になっていたってこと?」

「お母さんの予想通りならね」


 その光景がありありと浮かんでしまい、渋い顔をする姉弟。確かにそれは不幸なすれ違いとしか言いようがない。その分事情を知る者が間に入りさえすれば、簡単にわだかまりを氷解させることができるともいえる。


「了解。そういうことならしばらくは二人と一緒に行動するよ。ロッテにわざわざ不快な思いをさせることもないし」

「面倒なことを丸投げしてごめんなさいね」

「いいよ。それに役得なこともありそうだから」

「役得!?駆君ロッテと何するつもり!?もしかしてナニするつもりなの!?エッチなことはお姉ちゃんが許しませんよ!?」


 意味深な発言に当然のように歩が食いつく。


「何するつもりって、ロッテと叔母さんに英会話の相手になってもらうだけだけど。間違ってたら指摘してくれるし、すっげえ勉強になるんだ」

「うあーん!駆君のピュアさに浄化されそうだよお!」


 が、元よりそういった方面のことは欠片も頭になかったのか、弟からの即答に汚れた己の発想に苦悩するブラコンなのだった。


「ところで母さん、聞いてもいいなら教えてほしいんだけど、ロッテに仕事を依頼してきたのはどこなの?」

「若い女性向けの雑誌ね」


 湊の口から飛び出したのは、ハイティーンから二十代の女性たちをメインターゲットにしている有名どころの雑誌で、歩だけでなく駆でも名前を知っているほどだった。


「わ、わたしたちですらまだ取材されたことがないのに……」


 と密かに姉がショックを受けていたが、弟としてはエンタメ系よりもファッション系の記事に力を注いでいるという印象だったので妥当な流れだと思っていた。

 どうして紙面構成まで知っているのかというと、最新号が出るたびにグループのメンバーの誰かが購入してはレッスン室の休憩スペースに置かれることになるためだ。


「日系ハーフの若い女の子のモデルってことで以前から目を付けられていたみたいよ」


 基本的には良い意味でのことだ。


「日本でも名前が知られ始めたところだったから、今が買い時だと思われたのかも」


 まったくの無名ではないが、依頼料的には有名どころから比べると遥かに安くすませることができる。そんなタイミングを見測られていたのだろう。


「ロッテちゃん側としても国の枠を超えて有名になる良い機会だと捉えたんでしょうね」


 本来であれば両者共にメリットのある話なのだ。絡まってしまった関係の糸を解き解く今回の役割は意外と責任重大かもしれない。安請け合いしてしまったことを密かに後悔しそうになる駆なのだった。


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