第13話 サプライズが始まる
コンサートイベントの数日前のことだ。事務所の会議室で駆は子島に報告を行っていた。
「楓の仕上がりは上々ということなのね?」
「はい。病院の先生たちからも参加オッケーの許可をもらってます。絶対に無理はしないっていう条件付きですけど」
いくら順調に仕上がっているとは言っても彼女はまだまだリハビリの真っ最中なのだから、提示された条件は当たり前なことだろう。特別なファンサービスをさせる予定もないので、残る大きな懸念はステージ上でのメンバーとの不意な接触くらいだろうか
「そっちもおれと一緒に踊る練習をしていたんで大丈夫だと思いますよ」
「宏美に新曲の振り付けをマスターさせた実績がある駆君が言うのなら安心ね」
大丈夫と言っておいてなんだが、子島を始め事務所の大人たちからのこの信頼の高さは何なのだろうか?と首を秘めりたくなる駆だった。
「後は……、いざステージを前にした時かしらね」
「まさか、動けなくなる?……え?でも怪我をした時と全然状況は違いますよ?」
「心の傷なんていつどんな形でぶり返すのか分からないものよ。……保険を掛けるならダンスをしているところと応援メッセージの動画が欲しいところね」
子島の提案に駆は静かに首を横に振る。
「楓さんのモチベーションはコンサートイベントに出ることを目標に高まってますから、水を差すような真似をするのは逆効果にしかならないと思います」
「そう……。ところで駆君は当日どうするつもり?」
「どう、とは?」
「観客として見たいならチケットを手配するわよ。スタッフとしてみんなのサポートに回ってくれてもいいけど」
「ここまできたら最後まで楓さんのサプライズに付き合いますよ」
CM騒動で大々的に顔が知られてしまったため、下手に観客席に居てはいらぬ混乱を招きかねない。裏から歩たちの活躍を見るという提案には惹かれるものがあるが、サプライズのことをつい漏らしてしまうかもしれない。
同じ現場に居るのであれば、孤立してしまいそうな楓のそばにいた方が何かと役に立てそうである。
「そう言ってくれるとありがたいわね。それじゃあ楓のフォローとサポートをお願いね」
「了解です」
この一言がコンサートイベントにもう一波乱を巻き起こす原因となるのだが、未来を知り得ない駆たちには知る由もないのだった。
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そしていよいよ運命の当日。万が一にもメンバーたちと鉢合わせしないように、楓と駆は本番が開始してから会場へと入っていった。
「おお。本当に楓ちゃんだ!」
「連絡も取りあっていたし、今回の経緯もずっと聞いていたけれど……。こうして直接会うと感慨深いものがあるなあ」
「皆さん……。お久しぶりです!」
今は衣装置き場の一つに偽装された控室で、板尾たちマネージャーや事務所のスタッフたちと旧交を温めているところだ。コンサートイベントではテレビ等メディアに出演した際の裏話をする時間が設けられており、そのためのんびりペースの長丁場に設定されていたのでこれくらいの時間は十分にあった。
どちらかというと舞台裏でグルーメンバーと出会ってしまうことの方が問題なので、こうして控室にこもっているのが正解ですらある。楓としても数年ぶりのステージ――しかも観客ありの一発勝負――となるので、緊張をほぐすという意味でも入れ代わり立ち代わりスタッフたちと話ができるのはありがたかった。
「久しぶりのステージだし、動きやすさを考えるとスカートよりもスラックスの方がいいかな?視線対策にもなるし」
「あ、はい。その方が楽かもです」
と、雑談をしていたのかと思いきや着々と出演に向けての準備も進められているようだ。衣装担当と話す彼女の背後ではヘアメイク担当が髪をすいて調子を確認していた。余談だが当日の楓の身体的または精神的状態に対応できるように衣装は複数用意されている。
「練習の時はどうしてた?」
「駆君に手伝ってもらってたので基本的にジャージでした」
「ふむふむ。それならやっぱりパンツスタイルの方が動きやすいでしょうね。気取らないラフな休日のお出かけって感じでどうかしら」
「お願いします」
衣装コンセプトも決まったところで駆と板尾は頷き合う。
「さてと、ぼくたちは席を外すから後は頼んだよ」
「分かりました。準備が終わった後の連絡はどうします?」
「ホールには入らないようにするから、ぼくのスマホに直接かけてくれればいいよ。そうだな、建物の表側で調子が悪くなっている人がいないかを確認して、それから周辺を一回りしてみるよ」
「了解です」
また後でと楓に一言残して、駆は板尾と一緒に控室から出る。途端に軽快な楽曲と地響きのような歓声が小さく聞こえてくる。
「この曲が流れているということは、今のところ予定通りに進んでいるようだね。このペースでいけば楓の出番は一時間とちょっと先くらいかな。ぼくは言った通り見回りをしてくるけど駆君はどうする?喫茶スペースでのんびりしていても構わないよ?」
「あー、建物内の見回りについて行ってもいいですか?じっとしていても落ち着かないと思うので」
「……まあ、建物の中だけなら大丈夫かな」
「いや、暑いので最初から外には出るつもりないです。クーラーバンザイ」
「それには心の底から同意するよ」
コンサートイベントの熱気に当てられたかと思ってしまうほど、真夏の太陽にあぶられた気温は夕方に近い時刻になっても高止まりしていた。搬出口の近くや経費削減のために空調が切られている小部屋などは熱気で息苦しさを感じるほどだった。
苦笑いを浮かべながら、二人は表側へと続く扉を潜り抜けていくのだった。
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裏でサプライズの準備が整っていく一方で、歩たちのコンサートイベントの方も順調に進行していた。
「――そんな感じで、事務所の先輩たちのご厚意もあって、実はわたしたちこっそり演技の練習も始めちゃってるんですよね」
「こっそりて。別に悪いことしてる訳じゃないんだから」
今は先日のCM騒動の件から、これまでの歌やダンスに加えて演技のレッスンも始めることになったことを報告していた。
それを待っていたかのように観客席のあちこちからから「見たい!」とか「宏美ちゃん!」や「生CM!」だの、果ては「何かやってー!」などなどの歓声が上がる。
「何かやって!?え?何かってなに!?」
「ここで!?いきなり!?」
「ちょっと皆さん、無茶振り過ぎませんか!?」
その一部を縁たち三期生が即座に拾って悲鳴染みた声で返すと笑いが巻き起こる。
テレビ番組などでひな壇に座っていればイジラレ前提のネタ振りなどはザラだ。むしろそういった質問しかこないことすらある。答え辛いセクハラっぽい質問に比べれば余程受け取りやすくて投げ返しやすいボールだった。
「それとマジレスすると、権利関係が色々と難しいので人前でのCM再現はアウトになってます」
「わたしらがやると、上手くても下手でも便乗してると思われちゃうからね」
宏美からの通達に一期生が苦笑しながら付け加える。既に十分に元は取れたと言えるだけの人脈や繋がりを得ることができているので、事務所的にもグループ的にもこれ以上を求めるつもりはなかった。なので早々に話題を変更する。
「わたしたちのグループだと、演技が上手なのは宏美さんですよね」
「以前からそっち方面に関心を持たれていましたもんね」
「後はさすがリーダーと言うべきなのか、歩さんも上手なんですよ」
咲良たち二期生がメンバー内での演技が上手い人下手な人を暴露し始める。
「縁は……、まずはポーカーフェイスの練習から始めようか」
「んにゃー!?」
「縁ちゃん、トランプやるといつもビリ候補なんですよ」
「くっくっく。縁はメンバー内最弱!!」
「ひーん!」
いじられる縁に会場内から「頑張れ」や「可愛い」といった声援?が起きる。
「ほら、皆さん今の聞きましたか!?歩さんはああいう台詞を言わせるとすっごく上手いんですよ!」
やり過ぎるとイジメのようにも捉えられかねない、特に縁は三期生でメンバー内では年少なので、再び咲良が話題の方向転換を行う。
が、振られた歩は眉をハの字にしていた。
「ああいう台詞って、その言い方だとわたしがいつもネタを口走ってるみたいじゃない?」
「え?いやいや、そんなことはないですヨ?」
「どうして疑問形なのかな、咲良ちゃん?それとこっちを向いて喋ろうか?それとさっきの褒め方も微妙だったのはどうして?」
テンポの良い言葉の応酬に、観客だけでなくメンバーたちもまた笑いを堪えきれずにふき出してしまう。二人のやり取りが漫才みたいだと言われる所以だ。
ふと、あらぬ方を向いていた咲良が歩に身体ごと向き直る。
「歩さん、弟さんを、山口ツトムさんをわたしに下さい!」
「弟はわたしのものだー!!」
話題を唐突にぶった切った告白に客席がしんと静まり返る、直前に歩がいつもの台詞でやり返す。一拍置いてついに飛び出した定番ネタにドッと盛り上がる。
しかし、今年はここから先があった。
「ちょ、ちょっと待ってください!わたしだって咲良さんにもお義姉さんにも負けませんから!!」
「そっか。この場合年下だけど義理の姉ってことになるのよね」
いっぱいいっぱいな調子で縁が、飄々とした雰囲気で宏美が一歩前に出る。当たり前だがこれは完全に予想外だったようで、対照的な様子で参戦を表明する二人に会場がどよめく。
「ぐぬぬ……。リーダーに逆らうとは―!」
「わたしも一期生のリーダーなんだけど?」
「二期生ののリーダー、咲良です!」
「わ、わたしは三期生のリーダーをやらせてもらってます!」
そしてそろっとリーダー同士の対決のようにシフトさせていく。いくら恋愛が禁止ではないとはいえ、アイドルグループである以上必要以上に男の影を出すのはよろしくないのだ。
残るメンバーたちもそれを後押ししていく。
「うーん。我の強い面々の中で縁は一抹の清涼剤よね」
「これってもう勝負がついたんじゃない?」
「ちょっと!?」
「まさか同期が最初に裏切ってきた!?」
一期生による軽妙なやり取りに笑いが起きる。こうなればもうこちらのものだ。後は予定されているプログラムへと合流させればいい。
「こうなったら誰が一番会場のお客さんたちから応援をもらえるか勝負です!」
おあつらえ向きにも待ち構えていたのは、中盤の自己紹介ことアピールタイムだ。観客側からのレスポンスが必要になるので多少のアレンジは行わなくてはいけないが、それくらいは一期生たちで十分に対応できる。
グループが始動したての頃は金銭的な余裕がなかったこともあり、機材トラブルが多発してアドリブで無理矢理乗りきるということもあったのだ。それに比べればおおよその流れができている分、誘導させやすい。
「あ、それはわたしもやってみたい!」
「歩さんたちには悪いけど、ナンバーワンはもらっちゃおうかな」
「わたしたちも頑張ろうね!」
観客を巻き込んだアピールタイムは大いに盛り上がっていくのだった。
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ステージ上でそれぞれのポジションについた歩たちが振り返った先、ステージ奥では扉が大きく開かれていた。スポットライトに照らされて二つの影が揺らめいているが、大量にたかれたスモークによって阻まれてしまい誰なのかの判別がつかない。
瞬時にサプライズとはこれのことかと思い出すが、下手に動くこともネタ晴らしもできずに様子を見ているしかなかった。
そのため、歌い出しがほんのわずかだけ遅れてしまう。
「やっとここまで来た♪」
結果的にそれが最良の演出となった。第三者の伸びやかな歌声に追従するようにして全員の声が揃ったためだ。
しかし、それも長くは続かない。スモークを乗り越えて出てきた人物の姿が露わになっていくにしたがって、一人また一人と歌うことができなくなってしまったから。
その立ち位置も影響していたのだろうが、最初に彼女たちの正体に気が付いたのは咲良だった。しかもステージ上であるにもかかわらず腰から下に力が入らなくなったかのように座り込んでしまったのだ。
思わず駆け寄りそうになった楓の腕を組んでその場にとどめる。こうなるかもしれないとは予想済みであり、まずは一曲歌いきることが重要なのだ。曲中にメンバーたちとどう絡むかは彼女任せではあったが、サプライズが刺さり過ぎてしまった咲良の元に向かっては中断してしまうのが目に見えている。
これまでの努力が水の泡にならないよう、ここは心を鬼にしても止める必要があった。
ステージの中央に届くかどうかという辺りまで進んだところで足を止めて楓を前に押しやる。ここからは先は彼女たちだけの舞台だ。余計な付き添いもお助けキャラも必要ない。
不安そうに振り返ったところにニッコリ笑いかけてやれば、すぐに決意がみなぎった表情へと一変していった。
「大丈夫。ここにはみんながいるよ」
別れ際に楓にだけ聞こえる言葉を残すと、前に進む彼女とは反対にゆっくりと後退っていく。そして再びスモークに包まれた途端、駆はダッシュで扉の奥へと退散していくのだった。




