第11話 コンサートイベント
駆の姉、歩たちのアイドルグループにとって七月最後の土曜日は特別な日だ。グループを結成して初めて行ったコンサートイベントがこの時期であり、以来毎年必ずコンサートが行われているためだ。
特に三期生が加わり本格的に名前が知られるようになって以降は、ほとんど既存のメディアにしか露出しない彼女たちと直接出会える貴重な機会として、ファンを中心に世間に浸透しつつあった。
そんな重要イベントなのだが、とあるやり取りがここ数年の定番となっていた。
二期生リーダーを務める鳥峰咲良とグループリーダーの歩の掛け合いである。
「弟さんを下さい!」
「弟はわたしのものだ!」
最初の自己紹介の時にいきなりやってみたり、曲の間のMCで突然言ってみたりとその時によってタイミングはバラバラなのだが、必ず最低一回は行われるためイベントの名物の一つと化していた。
なお、本人たちは至極真面目に言い合っている模様。
「そういえば、ねえ、咲良?」
「はい!……呼ばれて登場、咲良です!」
衣装合わせに練習に告知を兼ねたメディアへの出演にと、本番に備えて忙しく動き回る中でぽっかりと空いた休憩時間に、一期生の一人が咲良を呼び止めた。
「今年もあの歩との掛け合いをやるの?」
「掛け合いじゃないです。真面目な告白ですよ」
「ああ、うん。そうだったね。で、どうするの?」
駆に告白する方が先では?とは誰も言わない。それくらいあの姉弟はお互いがブラコンでシスコンなのだ。駆という将を射ようとするならば、歩という馬を射ることが必須であり最短の道となる。
「もちろん熱い思いの丈をぶちまけ――」
「今年は縁と宏美も参戦するんじゃない?」
「う゛え゛?」
「こらこら。アイドルがしちゃいけないような顔と声になってるわよ」
たしなめながら何も考えていなかった、いや、あえて意識しないようにしていたのかと思考を巡らせる。何せ咲良は「山口ツトムフリーク」を自称するほど駆のファンなのだ。それも幼少時からのという筋金入りである。
本人曰く、とある子役オーディションを受けた際に見た駆が演じる模範演技の映像に衝撃と感銘を受けたのが始まりなのだとか。グループの二期生募集時の面接の際も「動機の三割は山口ツトムさんに会えるかもしれないと思ったからです」と公言していたくらいだ。
「ど、どどどどど、どどしましょう!?」
「落ち着け。でも、いつもみたいにいきなりは止めた方が良いのかもね。あとは縁に宏美、歩としっかり話し合っておきなさいな。まあ、うちのファンの人たちは基本的に駆君の存在に寛容だから、二人が参戦しても面白がるだけで終わるだろうけどね」
それもこれもことある毎に歩がブラコン全開で弟自慢したり、咲良が山口ツトムについて語ったりするからなのではあるが。「男の存在」に嫉妬や嫌悪を発生させることがなく受け入れられているのは、二人の様子がファンに近い、ぶっちゃけオタク気質であることが関係していた。
とはいえ先日の一件では駆も宏美も想定外の名前の売れ方をしてしまった。そのことでおかしなアンチも発生しているというし、今度のコンサートイベントでのやり取りは慎重になった方が良いのかもしれない。
しかし歩の反応は違った。
「もちろんやるわよ。誰が相手でも駆君は渡さないから!」
と言ってシャドウボクシングのような動きをし始める。もちろん駆と違ってボクシングはおろか格闘技の経験などないので、へっぴり腰な上に猫パンチ状態とかなり格好が悪い。いや、コアな歩ファンならかえって喜ぶか。
ちなみに、ダンスレッスンのたまものなのか足元のステップだけはやたらとキレがあり、それがまた余計に上半身とのアンバランスさを生み出しダサさに拍車をかけていた。
「いや、誰が相手でもとかそういうことを聞きたい訳じゃなくてさ。それこそどこかの誰かが攻撃してくる隙を見せても良いのかってことなんだけど……」
はぐらかされたような気になってなおも食い下がろうとした彼女を留めたのは別の一期生だった。
「まあまあ。それもいいんじゃない。うちらは別に恋愛禁止のルールはないんだし」
その割に誰一人として浮いた話が聞こえてくることがなかったりするのだが。その原因の何割か――歩など一部のメンバーは百パーセント――はハイスペックな駆と日常的に接しているためだろうことは間違いない。
余談だが、変に気を揉まなくて済む分ありがたく思いながらも、年頃の女性としてそれでいいのか?と不安にも感じてしまう子島達マネージャー陣なのだった。
「それにさ、言い方は悪いけど駆君を縛り付けておく鎖は一本でも多い方がいい」
そう言った瞬間、顔が険しくなり瞳が鋭くなる一期生の二人。実は先日のCMの一件以降、山口ツトムをヘッドハントしようとする動きが業界内の各所で起こっていた。さすがに彼女たちの耳には届いていないが、中には脅迫まがいな露骨な条件を提示してくるようなところもあったのだ。
もちろんこちらの事務所も黙っているはずがなく、あの手この手でそれらを白紙撤回させていった。強引な引き抜きにへの対策はしっかりと準備されているのである。中堅ながらも優良事務所としての地位を長年維持し続けている手腕を舐めてはいけない。
なお、陣頭に立っていたのは駆と歩の母、湊であったことを一応追記しておく。母強し。
ともかく、そうした業界内のざわつきを感じ取っていたため、駆が移籍することがないように打てる手は打っておきたいという考えに至ったのだった。
「鎖かあ……。歩はともかく他の三人にそこまでの効果ある?」
「そこなのよねえ。今のところ何かにつけて甘える宏美が優勢っぽいけど、あの子ですらそっち方面で意識されているかは微妙なところかしら。最近は後ろから抱き着かれても動揺しなくなったもの」
「駆君も何気に距離感バグってるわね……。わたしらが真正面に立ったり真横に座ったりしても平気な顔をしてるし、パーソナルスペース小さ過ぎでしょ!?昔から歩が貼り付いていたことが原因かな」
間違いなくアピールをしているのだが、駆の方はリフレッシュのために甘えているだけだと思い込んでいた。加えて歩と同じく姉属性ということもあって、恋愛感情は未だ芽吹かないままである。
「縁の場合は恋に恋してるって感じだしねえ」
「気を引こうとそっと近寄ったり、話しかけられただけで嬉しそうにしてるもんね。初々しくてこっちまでキュンキュンしてくる」
「時々、甘酸っぱいわ!って叫びたくもなるけど」
ニヘラと崩れた表情は表に出すには問題のあるほどだった。だが、それもしばらくのこと。
「残るは咲良か……」
「あの子はねえ……」
顔を見合わせて大きな溜息を吐く二人。そして声を揃えて、
「ヘタレだから」
言いきったのだった。そう、山口ツトムフリークを自称している割に、いやだからこそなのか、咲良は駆に想いを伝えるどころか碌なアピールすらできていない状態だった。二期生リーダーという立場なので接点を増やそうと思えばできる上に、二期生たちは全員応援してくれているというのにこれである。
グループメンバーたちからヘタレと言われてしまうのもむべなるかな。
一応咲良にも言い分があるにはあるのだが、
「だって目の前に憧れの人がいるんですよ!?息をするのだって忘れちゃいそうになりますから!!」
「限界化してるだけじゃないの!」
と一蹴されていた。
「駆君だって男の子なんだから、あの大きな胸で迫ればコロッといけるかもしれないのに」
「それ、咲良には言わない方がいいわよ。前に鼻血出して倒れたことがあるから」
「妄想を暴走させる思春期男子か!?」
二人の会話からも分かるように、彼女はグループの中でも随一の胸の大きさを誇っており、成長著しかった宏美でさえもその頂に届くことはなかった。
「これはもう、新たなダークホースが登場するのを待つしかないのかしら?」
「他人事みたいに言ってるけど、それ、あなたかわたしかもしれないんだからね」
「歩と宏美がいるから私たちは大丈夫でしょ。それよりも二期や三期の子たちが心配だわ。年も近いしさ」
一期生は歩以外の全員が進学していれば大学二年生に当たる。
一方で、二期生の最年長は咲良ともう一人で高校三年生だ。高校一年の駆とは二年違いとなる。また、三期生の最年少も中学二年生なので、こちらも二年違いとなるのである。
「でも駆君、無意識に堕としにくるからなあ……」
「勘違いしないようにわたしたちの方で自分に言い聞かせておかないとね」
せっかく良い雰囲気を保ってこられているのだ。恋愛感情のもつれで崩壊していくなど絶対に避けたい。
「一番手っ取り早いのは駆君の出入りを禁止することなんだろうけど……」
「間違いなく歩が発狂するから。それに今まで相当手伝ってもらってるし、最悪このグループが立ちいかなくなりそう」
「だよねえ。時々「あれ?駆君ってわたしらのマネージャーだった?」とか思うことがあるもの」
「やっぱり自分たちで堕とされないように用心するしかないみたいね……」
一期生の二人は顔を見合わせると、弱弱しく微笑みを浮かべるのだった。
さて、コンサートイベントの掛け合いだが、歩が宣言した通り今年も行われることとなる。事務所側としても最早恒例のネタになっているのでやるべきだという意見が大半だった。
そして今回は咲良だけでなく、やはりというか縁と宏美も参戦することとなる。こちらもそれぞれが各期のリーダーを務めていることを逆手にとって、グループリーダーの歩に挑戦するという形に持って行くことで男性、つまりは駆の影がある程度薄められるのではないかという狙いがあった。
「誰からの挑戦だろうと、わたしは負けない!」
ラスボスというよりは物語中盤でそのつもりもないのに主人公のパワーアップに寄与してしまうかませ犬系の中ボスといった雰囲気で仁王立ちする歩。
「こら、今から役に入り込んでどうするの」
「あ痛っ!?」
そんな残念女子を子島が軽く小突く。幼い頃から家族ぐるみでの付き合いがある彼女だからこそできる荒業である。ちなみに、宏美もツッコミ役として最近ではこの荒業を習得しつつある。
「いつものようにやり取りの内容とタイミングは任せるけど、はっちゃけ過ぎないようにだけは気を付けてよ。あなたたちも駆君もまだまだ先があるんだから、潰し合いになるような真似だけはしないで」
「はーい」
ノリ良く返事をする歩たち。
「あの、ところでサプライズってどうなったんですか?」
場が落ち着いたところで縁が手を挙げて尋ねる。
実は今回のコンサートは目玉の一つとして、サプライズが企画されていた。このことはホームページやポスターなどにも明記されていて、既にファンの間では様々な予想が飛び交っている。
「ああ、あれね。……秘密よ。サプライズなんだから当然でしょう」
「ええっ!?サプライズって見に来てくれるファンの人たちにってことじゃないんですか!?」
子島の答えには縁だけでなく他のメンバーたちも少なからず衝撃を受けていた。自分たちのコンサートなのだから、仕掛ける側だとばかり思い込んでいたためだ。
「もちろん歓客にも秘密ね。だからコンサートが始まったら頑張って盛り上げてちょうだい」
ニコニコと笑顔を振りまくチーフマネージャーになんとも言えない不安を覚えながらも、歩たちは首を縦に振るより他なかった。
彼女が満面の笑顔を浮かべた時は、それ以上の質問は受け付けないという合図でもあるためだ。
「とにかく、何が起きても大丈夫なようにしっかりと準備しておこう」
子島がレッスン室から出て行くのを見送って、切り替えるように歩が告げるとそれだけで集まっていた全員の表情が引き締まる。
なんだかんだと言いつつも、グループ最初期からリーダーを担ってきた歩をグループメンバーたちは信頼しているのだ。




