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アイドルの弟  作者: 京 高
第2章 突然の競演
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第10話 彼女の目標



  ~-~  -~-  ~-~  -~-  ~-~  -~-  ~-~   



 体育館、もしくは講堂のような建物の隅で制服姿の女子が(うずく)まるように座っている。


「ん」


 そこに両手にスポーツドリンクを持った男子がやってきて、片方を差し出した。


「……いらない」

「ん」


 けんもほろろに断られるがしつこく差し出し続ける。


「いらないって言って、きゃっ!?」


 我慢比べ状態に耐えきれなくなって振り向いたところでポイッと投げ渡す。

 ニヤリと笑って隣に座る男子。それを苛立った様子で睨みながらも、受け取ってしまった物を突き返すことができず仕方なくキャップを開けて口を付ける。


「う、うえええええ……」


 そこで感情がこらえきれなくなったのか、彼女の両目からは大粒の涙があふれ出していく。

 泣き続ける女子の隣で、男子は無表情のまま自分が持つペットボトルを開けると、大きく喉を鳴らして飲み下すのだった。


 埃っぽい室内に強い日差しが差し込んで、キラキラと光の乱反射が起きていた。



「染みわたれ、おれたちの想い」

「染みわたれ、わたしたちの誓い」


「「届け、ボクたちの青春に」」


『流した汗も涙も無駄じゃない。また進み始める人たちへ。“ソークリキッド”』



  ~-~  -~-  ~-~  -~-  ~-~  -~-  ~-~   



 駆と宏美が出演しているCM風動画は、その他の撮影時のものと一緒にメイキング映像としてネット上で公開されることとなった。依頼企業や撮影陣など迷惑を受けた側が矛を収めた形だ。

 動画を流出させた女性タレントに表向きはペナルティはなかったが、信用信頼を失ったことで今度は所属事務所ともども小さくない打撃を受けることになるだろう。華やかな反面、義理だの繋がりだのといった古風な習わしも重要視されている業界なのである。


 駆たちにも大きな変化はなかった。せっかくの機会だからと同じ事務所内の役者部門から基礎練習への参加の打診が行われたくらいだろうか。当初は宏美や希望者のみということだったのだが、数日後にはグループの全員が参加することになったのは、企画を立ち上げた者たちにとっても予想外のことだっただろう。

 その原因がこれである。


「はあ、疲れたあ。駆君、甘えさせて」

「宏美さん!休憩の度にイチャイチャしようとしない!」

「おお!ナイスインターセプト!」

「素早いわねえ。あの動きが曲の入れ替わりの時にもできるようになるといいんだけど」

「歩さん、大丈夫ですか?」

「ふ、ふふん!本物の姉弟(きょうだい)の絆に敵うものはないのよ!」

「声、めっちゃ震えてますよね……」


 事ある毎に宏美が駆に甘えようとするので、それを阻止妨害しようとする一部メンバーが参加し始めたのをきっかけに、そのやり取りを心配したり面白がったりする残りのメンバーも参加を決めた、というのが一連の流れである。

 余談だが、今のところ前者は数名でほとんどが後者となる。


「あの子たち、駆君が居る状況をナチュラルに当然のことだと認識してるわね……」

「まあ、いいんじゃないかなー。どんな指示にでも対応できるだけあって駆君のアドバイスは適格だしねー」

「もはや異次元の才能よね、あれ。役者部門(うち)のコーチとか演技指導役として引っ張ってきたいくらいだわ」


 ワチャワチャと騒ぐ彼女たちの様子を少し離れた所から先輩女優たちが見ていた。男性俳優たちも所属しているが、一人を除いてグループのメンバーは十代の少女たちばかりのため、基本的には女性陣が指導に当たってくれていたのである。よって同室に居る人物の中で駆は黒一点となっていた。

 しかしながら全員よく知った相手ばかりであること、宏美に対してもそれなりに甘やかせ慣れてきたこともあって緊張している様子はない。


 そんなある意味変わらない彼らとは裏腹に、世間では大きな騒ぎが発生することとなる。

 きっかけとなったのは件のCMが解禁されたことだった。駆と宏美が出演する仮CM]の方が出回ってしまったため、本CMの方も後悔を繰り上げられることとなったのである。まあ、せっかく話題となっているのだ、企業側としては利用しない手はなかったのだろう。


「いやー、まさか全く同じ構成のものを出してくるとは思わなかったねー」

「こちらと比較されると思ってなかったんでしょうか?」


 ノートパソコンで公開されたCMを見て、珍しく呆れたように駆が問う。これだけそっくりとなれば演者の力量も比較しやすくなることは明白だ。事実ネット上では格好の話題、ネタとなっていた。

 加えて、物珍しさがはあるだろうが新鮮味は薄くなってしまう。インパクトが大事なCMでそれは良かったのだろうかと他人事ながら心配になってしまう。


「それだけ勝てる自信があったってことじゃないかなー。まあ、別パターンを出しても「逃げた」とか言われて叩かれることになっただろうけどねー」


 先輩女優からの答えに「なるほど」と一定の理解を示す。そこには自分の方が優れているかもしれないという認識は欠片もない。


「駆君はもう少し自分のことを客観的に評価できるようになるべきだねー」

「いきなりディスられた!?」


 驚く彼の様子に先輩女優はけらけらと笑う。この程度で改善されるのであればとうの昔に気が付いているはずなのだ。言っても無駄だと思いながらついつい勿体ないという気持ちが口をついていたのだった。


 もっとも、世間の評価は彼女寄りであった。二つを見比べてみると、駆こと山口ツトムのバージョンの方が良いと推す声が圧倒的だったのだ。

 そして宏美に対しては辛辣なコメントも少しばかり含まれていたのだが、初めての演技でしかも突発的だったということがメイキング映像から知られており、「その割にはなかなか上手い」というのが全体的な評価となっていた。


 揃って高評価の駆たちに対して、本来の演者の二人ははっきりと明暗が分かれることとなった。


「動画に出演してた山口ツトムさんって一見無名の人みたいだけど、実は業界内では知る人ぞ知る演技が上手いことで有名な人だからね!最初にあの動画を見せられた時はスタッフの人たちに「え?これ俺が演じるんですか?」って素で聞き返しちゃいましたからね。……まあでも、俺もこのままじゃ終われないんで、稽古重ねて経験積んでいつか彼以上の演技ができるようになるつもりです」


 インタビュアーからの質問に素直に負けを認めつつも腐らず奮起して見せることで、人気を落とすことなく今後に期待が持てると印象付けることに成功していた。


 その一方で騒動の原因となった女性タレントはというと、それまでの炎上に近いSNS上でのやり取りが災いしてか「大口を叩いていたのにこの程度」という扱いになっていた。

 加えて勝手に動画を流出させたことへの謝罪を行っていないことや、一回目の撮影をドタキャンしたことなどがすっぱ抜かれてしまい、人気も好感度も大きく下落させてしまったのだった。


「なんだか大事になってますねえ」

「いや駆君、他人事か!?」

「おー。今のツッコミはキレがあって良かったよー。練習の成果が出てるねー」

「本当ですか?やたっ!」

「……ねえ、ツッコミと演技の練習って関係あるの?」

「しっ!それは掘り下げない方がいいやつだよ」


 今日も今日とて練習に励むグループのメンバーを、駆や先輩女優たちが見守っていた。ちなみに今日は演技ではなくダンスレッスンの日だったりする。

 誰かの目があると意識することも上達に繋がるということで、グループのレッスンルームは新曲の練習など特定の時間を除いて、事務所に所属する者であれば出入り自由ということになっていた。もっとも大半が十代の若い女子たちということもあって、ほとんどの男性陣は自粛しているというのが実際のところだ。

 

「それにしてもさー、宏美ちゃんだけじゃなくて駆君にもそろそろ何かしらのオファーがあってもいい頃だと思うんだけどなー」

「ないと思いますよ。おれが演じて(やって)いるのって基本的に緊急で臨時の代打ですから。下手に露出が増えてギャラが上がっちゃったら困るでしょ」

「その言い方からすると、そうなるように仕組んだなー。まったくもー、若いうちから仕事を選ぶようじゃ碌な大人になれないぞー」


 拳でコツンと小突かれて、駆はバツが悪そうに視線を逸らす。真剣に役者業をやっている彼女たちには申し訳ないとは感じつつも、どうしても自分の演技には価値を見出せないのだった。


 宏美の方はというと、本人の希望と事務所の思惑が合致していたこともあって各所に売り込み攻勢が掛けられており、現在もその関係で外出していた。

 まあ、アイドルグループでの活動が最優先という絶対条件があるので、どちらかと言えば関係先との顔合わせや顔繋ぎといった面が強かったのだが。それでも話題性が抜群だったこともあり相手側の反応はどれも上々だったので、同行していた子島や板尾は密かにほくそ笑んでいたりする。


「あ、いたいた。駆君、ちょっとお話があるから手が空いてるなら来てくれる?」

「おれですか?なんだろ?すぐ行きます」


 突然の女性スタッフからの呼び出しにレッスン室を出て行く駆。それを見送った歩が先輩女優に近寄っていく。


「姐さん、あれって……」

「多分歩ちゃんが思っていることで正解だよー。今後のギャラの相談とか出演依頼がきてる件の話とかだろうねー」


 その答えに「やっぱり」と頷くメンバーたち。


「ねえ、これって駆君にとって飛躍のチャンスだよね?その木じゃないのは見てて分かるけど、それでも後押ししてあげるべきなんじゃないの?」


 一期生の一人がメンバーを代表して歩に尋ねた。


「もう言ったわよ。せっかく転がり込んできたチャンスなんだから挑戦するだけでもしてみたら、って聞いたの。そしたら……」

「そしたら?」

「姉さんお弁当をつくったりみんなへの差し入れのお菓子をつくったりする時間がなくなるなあ、って言われた」


 その瞬間、レッスン室の空気が固まった。

 彼のお手製弁当がグループ内でレアアイテム化していることは以前にも述べた通りだが、実は差し入れ用のおやつの方も好評を博していた。グループの結成以前から、母親である湊へのお弁当と一緒にことある毎に事務員や裏方スタッフたちに差し入れられていたことを考えると、こちらの方が有名でファンの数は多いとすら言える。


「な、悩ましすぎる二択だわ……」

「それを言われると素直に応援できなくなりそう……」

「そうだ!逆にわたしが愛妻弁当を作ってあげれば!」

「そういうことはまともに包丁が使えるようになってから言おうか」


 案の定グループメンバーたちの意見も百八十度ひっくり返るとまではいかなくても、純粋に心の底から応援することはできなくなっていそうだ。


「やれやれだわー。これはさすがは駆君というべきかしらねー。有効性というか自分の武器を熟知してるってことか―」


 そしてそれほどの強力なカ-ドを切ってくるということは、翻意にするつもりはないという言外の主張だと思われた。


「ただいま戻りました。……あら?空気が微妙?みんなどうかした?」


 挨拶回りから帰ってきた宏美が顔を出すが、室内の浮ついた落ち着かない雰囲気に眉をひそめることに。グループの結成初期からサブリーダー的な立ち位置にいたこともあって、そうした変化には敏感なのだ。


「宏美ちゃん、おかえりー。何でもないよー。ちょっと駆君のおやつが食べられなくなるかもしれないってだけ―」

「え?それ一大事じゃないですか!?」

「ぶふふっ」


 マジトーンな宏美の返答に先輩女優がついに噴き出してしまう。一方で歩たちは数分前の自分たちを鏡写しのように見せられているようで居心地悪く感じていた。一人状況についていけない宏美だけが頭上にハテナマーク(???)を浮かべていた。


「そういうことだったんですか」


 落ち着いたところで成り行きを説明されて合点がいったと頷く宏美。かと思えば眉間にしわを寄せて頬を膨らませる。最近彼女がよくやるようになった仕草の一つだ。メンバーたちは密かに「歩みたいだ」と思っていたのだが、当人たちは気が付いていないようなので今のところは内緒にしたままだ。


「ちょっと悔しいです」

「なにがー?」

「要するに駆君は今のままでいい、ここより先に進む必要はないと考えているってことですよね」

「そんなことな――」

「そう捉えられないことはないよねー」


 歩の反論より先に先輩女優が肯定してしまう。


「姐さん!?」

「歩ちゃんも分かってるはずだよねー。あの子の本気はあんなものじゃないってさー」


 問いかけるようでいてその実有無を言わさない強さの言葉に、歩はそれ以上口を開くことができなくなってしまった。何より料理しかり護身術しかり、実体験として「本気になった駆の凄さ」を一番思い知らされているのが彼女自身なのだ。

 もしも彼が本気で役者をやる気になれば、今の演技など軽く凌駕してしまうはずだ。


「決めました」


 沈黙を打ち破ったのは宏美の一言だった。


「わたしの目標は、駆君を本気にさせること!」

「ちょ、ちょっと待ってください!?それはもちろん役者として、ですよね!?」


 縁の問いに宏美が返したのは満面の笑顔だけだった。


「うわ、これマジじゃない?」

「縁に続いて宏美さんまでも!?」

「ら、ライバルも障害も大きいほど燃えるものだから!」

「そうだねえ。でもその前にちゃんと恋愛対象として見てもらえるように頑張ろうか」


 途端に騒がしくなるグループメンバーたちを見ながら、先輩女優は引け目も負い目も感じていない彼女たちを眩しそうに見つめていた。


「みんなポジティブだねー。これが若さってやつかー。ふふふ。駆君は苦労することになるかもしれないけど、これはなかなかの見物になりそうだよー」


 彼女が悪い顔でくつくつと笑っている頃、話し合いをしていた駆は急に原因不明の悪寒に襲われていた、らしい。



これにて2章完結です。

次章はヘタレなあの子ともう一人のダブルヒロインになる、予定。


……おいおい、本当に書けるのか、作者?

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