52. 我が闘争 Mein Kampf
イダくんは途中で違う馬車に移ってしまったので、馬車のなかでアルちゃんと2人きりでお話をした。
◇◆◇
馬車に入ってくる光が、ちょうど斜めにふたりを分かちアルちゃんは陽だまりのなかに、わたくしは影のなかにいた。隣に座っていると捨てやっていた左手を、わたくしが捨てた玩具を拾い上げるように右手で握られる。彼女の手はいつもわたくしがこぼれ落としたものを拾ってくれる。……とても大切そうに、拾ってくれる。
彼女の手は春の木洩れ日だった。人の体温とは陽だまりの温度なのかもしれない。だから、人と人は身を寄せ合うのだろうか。だからこそ、人は愛する人と手をつなぎ、抱きしめ合い、睦み合うのだろうか。そうやってお互いの体温を、お互いの太陽を、分かち合うのだろうか。
あの教室で、あの放課後に、春の日にされたように、奪われるのではなく……与え合うように。
「ぽかぽかしてきもちいいよ?ほら、アイちゃんもこっちに座ってみて?」
彼女のひざの間に誘われ、後ろからおなかに手を回される。陽だまりの温度。心臓の音像。わたくしの日常だった。
そうしていると先日エゴおねえさまのおなかの上で、体温を分けて頂いたことを思い出した――。
◇◆◇
「アイちゃ〜ん?最近学校はどう?た〜の〜し〜?」
珍しくおにいさまが邸宅に居られて、さらに珍しくエゴおねえさまの体調が良かったので、シュベスターとわたくしもいれて4人でダラダラと他愛のない話していた。……会ったこともない妹もここにいれたらいいんだけど……。
「はい!今までは独学で文学や哲学を学ぶか、ファントム先生に家庭教師をして頂くかだったので、集団の講義というものは新鮮です。」
ソファに寝転がっているエゴおねえさまのお腹の上に抱き抱えられ寝そべったまま首だけ上を向いて返事をする。
「そうよね〜。あぁ、私も学校に行ってみたいわ〜。」
エゴおねえさまはあいがものごころついた時から大病を患っており、あまり外に出られないのだった。
「それにしても……エゴおねえさま?」
「ん〜?どうしたの?アイちゃん。」
「この体勢重くありませんか?」
「ぜんぜんよ〜?アイちゃんはネコみたいに軽いしね〜。あんまり外に出られないから、ネコにおなかに乗られるのが夢だったのよ〜。」
「なら、いいのですが……。」
「それに――」
「エゴペー!!もういいだろう!アイの貸し出しは終了だ!かえせ!」
椅子に座って腕を組みながら貧乏揺すりをしていたおねえさまが叫ぶ。
「――シュベちゃんに見せつけられるしね〜。アイちゃんはシュベちゃんのモノじゃないでしょ〜?」
エゴおねえさまの顔は見えないが声音がもうニヤニヤしている。
「それにシュベスター、アイは物じゃないぞ。」
絨毯に寝そべって頬杖をついたあにいさまが言う。
「黙れ!とにかく返せ!」
「まぁまぁ、おねえさま、エゴおねえさまと一緒に居られる時間は貴重ですし……。」
「ア……アイ……?それはつまり、私との時間は貴重じゃないと……?」
「ちがいますちがいます!えっと、おねえさまとは学校でも会えますし……!」
「最近教室にも風紀委員会室に会いに来てくれないじゃないか……。」
「えっと、えっと!上級生の教室は入りづらいものでして……!」
「弟を困らせんなよ。シュベスターよぉ、これじゃァどっちが下か分かんねーぞ?」
「あはは……。」
◇◆◇
「それでどう?アイちゃん?いじめられてない?……もしそうだったら言ってね?学校を空からぶち壊すから〜。」
「だ、だいじょうぶですっ!お友だちもできましたしっ!」
「へー、どんな奴だ?」
そう言いながら、おにいさまはおねえさまに心でできた球を投げる。
さっきからまずおにいさまが心を部屋の反対側にいるおねえさまに投げ、わたくしの足の先いるおねえさまがそれをわたくしの両脚の上をコロコロと転がし、わたくしはおなかの上でそれを受けとり、両手をあげてそれを頭の上にいるエゴおねえさまに手渡して、エゴおねえさまがおにいさまに投げるという遊びを延々としている。
みんなのこころが少しずつ混ざっていく。少しずつこころが大きく、広くなっていく。
……けっこうたのしい。
「アイ?どんな奴だ?」
あっ……そうだった。イダくんのことはナイショだから……。
「アルタークちゃんです。アルターク・デイリーライフという娘で、実家はお花を育てています。」
「それは……この前私が会わせろと頼んだ奴か?」
わたくしの脚を持ち上げて、その上に心を転がしながらおねえさまが問う。
「ええ、まだオッケーはもらえていませんが。」
両手をあげておなかの上の心をエゴおねえさまに“心を込めて”手渡しながら言う。
「ええ〜?なんで〜?シュベちゃんがこわいからかしら〜?」
結構な勢いで心を投げながら茶化す。
「それはありそうだな〜。シュベスター、アイに近づく奴を誰彼構わず威嚇するもんじゃあねぇぞ?」
難なく心を受け取ったおにいさまが、これまた結構なスピードでそれを投げる。
「してない!アイ……その子はどんなヤツだ?」
とってもやさしく壊れ物を扱うようにわたくしの両脚をくっつけて、心をお腹に向けて転がそうとする。
「とってもいい娘ですよ?」
「しかし、デイリーライフという貴族は思い当たらないな。」
「あぁ、元、貴族なんだそうです。今は平民で。」
◇◆◇
おねえさまの手がピクリと反応し、その手から離れる直前に心が色を変える。不思議に思いながらそれを受け取った。
「……。」
無言のエゴおねえさまに心を渡す。エゴおねえさまが触った時には特に変化は起きなかった。
「“元貴族”で……今は平民か……。」
エゴおねえさまから心を受け取りながら、おにいさまが呟く。その手のなかの心は形を変え、丸いトゲのようなデコボコができて、球体ではなくなってしまった。
「ソイツの性別は?」
……?なんでそんなことを聞くんだろう?第一の性別なんてどーでもいいってタイプなのに。
◇◆◇
「女の子ですよ?」
「そうじゃない、アイ。ゲアーターが聞いているのは、第二の性別だ。それで……ソイツの性別は?」
おねえさまが受け取った心を手に持ちながら、更に問う。
……?第二の性の暴露には厳しいおねえさまが、なぜ?それにそんなこと気にしなさそうなおにいさまも?でも2人ともとても真剣な目だから、逆らえない。……お二人からこんな瞳を向けられるのは、生まれて初めてかもしれない。エゴおねえさまの顔はここからは見えない。
「……きょうだいだから、言いますが。わたくしのお友だちのヒミツは守ってくださいね?……人間体……です。」
おねえさまが心を転がそうとするけど、トゲのついてしまった心はもうわたくしの脚を伝うことはできない。わたくしにはもう心が届かなかったたので、仕方なく両の手を伸ばして、おねえさまから受け取る。性別を教えた時にさっきより更にトゲトゲしくなったような気がする。
それをそのままエゴおねえさまに渡すのもなんだか気が引けたので、頑張ってまんまるに戻そうとする。しかし、どこかを押し込めると見えない反対側の部分がまたトゲとなって出てきてしまう。……なんだか、直面している問題から目を逸らしたら、別の問題が目に入るときに似ている。
◇◆◇
「平民落ちで……人間体……。……シュベスター。」
「……ああ、そうだな……。」
歪められてしまった心をもとに戻す事に四苦八苦していると、何かおにいさまとおねえさまの間で得心がいったようだった。
なんだか、2人ともとてもこわい目をしているように見える。なんでだろう。何かに似ている気がする。こわくなってぎゅっと歪んだ心を抱きしめた。すると、エゴおねえさまも心を抱きしめているわたくしごとぎゅうぅっと抱きしめる。2人が口を開く。
「アイ……俺には分かる……その平民落ちの人間体は、たぶん何か思惑があってお前に近づいたんだ……。ミルヒシュトラーセとしてのお前の権力や、獣神体としてのお前の能力を当て込んでいるんだろう……悲しい事だが……。」
「あぁ、私も同意見だ。人間体ならやりかねない……それに平民落ちとまできてる。こんなことは言いたくないが、純粋に友達だと思っているのは多分お前だけだ……。ソイツとの交友関係は――」
あぁ、2人の目が何に似てるかわかった。おかあさまに似ている。当たり前だ。だって、2人はおかあさまの子なんだから――。
「――切ったほうがいい。すぐに友達をやめるんだ、アイ。」




