50. 最初に逢った12番目の使徒 The 12th Apostle, who First met
そのあと、アイとラアルが何を話したのか。ラアルがアイに何を伝えたのか。アイがラアルに何を伝えなかったのか。それは誰も知らない。
曰く、“ふたりのヒミツ”だそうだ。
◇◆◇
「あっ!イダくん!」
林間学校に向かう馬車のなかで、アイが男子生徒に声をかける。
「!!……あ……アイ様。」
アイは喜び勇んで隣に座る。
「いや〜、なんだかこうやってお話するのは久しぶりだねぇ?」
イダと呼ばれた生徒は馬車が狭いせいで、アイがとても近くに座ったときに、フワリといい香りがしたこと、そして左腕にアイの身体が密着していることドギマギしていた。
「そう……ですね。あれは……確か……入学してすぐの頃でしたか。」
「そうそう!この学校に入っていちばん最初のお友達!」
「僕にとってもそうでした。アイ様が、いちばんの――」
「――アイちゃん様アイちゃん様、この人と仲いいの?紹介してよ〜!」
連れ立って馬車に入ってきていたアルタークが口を挟む。イダの眉根が少しこわばった。
「アルちゃん!そうなの!仲いいんだ!私たち!ねっ!イダくん!」
アイが男同士の気安さで、イダに近づく。
「あ……アイ様……!そっそうですね。まぁ、仲良しと言って差し支えないかと。」
「ほらね〜!」
母に友達を自慢するようにアイが笑う。
◇◆◇
「それでそれで?どうやって知り合ったのよ?」
「うーん、あれはマンソンジュ軍士官学校に入学してすぐだから、う〜んと……」
「――9月8日の午後13時16分でした。」
空気が凍る。アイもアルタークも吃驚していた。アルタークに至っては軽くひいていた。
「すごーい!イダくん、記憶力いいんだね〜!」
「いえ、それほどでも……ただのノーマルですし、獣神体のアイ様には到底敵いませんとも。」
記憶力とかそういう話か?とアルタークは思った。社交性の高い彼女は決して言葉には出さなかったが。
「へ〜……てかアイちゃん様!?私とお友だちになるまではお友だちいなかったって言ってたじゃん!ウソだったの!?私とは遊びだったの!?およよ〜!」
最近アルタークのなかで流行っている“アイちゃん様へのだる絡み”だった。
「えっ!違います!えっと、えっとそれはナイショにって!そうなってたから!わたくしとイダくんが友達なのは!」
すんっとアルタークが落ち着く。急に落ち着くな。
「ヒミツ?なんでさ?」
「それは、え〜っと……」
モジモジしながらイダの方を盗み見るアイ。
「いいですよ。アイ様、お伝えしても。僕から頼んだのです。どうかヒミツにしてほしいと。僕と同じ“平民の”デイリーライフさんならわかるんじゃないですか?」
「同じ」と言ったときのイダの瞳が挑発的に揺れていた。
「あぁ〜。入学してすぐに、アイちゃん様と……だもんねぇ……。そりゃ目ぇつけられたくないし、ヒミツにもするか。だってアイちゃん様がこんなに平民にもやさしいってまだ誰もしらないもんねぇ。そりゃあ、『平民風情がミルヒシュトラーセ様に!』って言われかねんもんね。わかるわかる。」
彼女にも似たような経験があるようだった。
「そういうことです……それに、ミルヒシュトラーセ家ということを抜きしても、アイ様はお美しいですから、よっぽど自分に自信がある人しか近づけませんよ。」
「たしかになぁ〜!」
黙って傾聴していたアイが申し訳なさそうに口を挟む。
「すみません……お二人とも……わたくしのせいで、ご迷惑をおかけして……。」
「違いま――」
「――違うよっ!」
イダが何か言おうとしていたが、アルタークに先をを越される。イダは神に話しかけるように敬った言葉で、アルタークは友に話しかける気安い口調でアイに答えたからだ。そのことに彼の眉間がピクリとうごいた。笑顔は保っていたが。
「悪いのはアイちゃん様じゃないでしょ!勝手にちょ〜!かわいい〜!から!ミルヒシュトラーセだからって線引きした人たちだよ!
……まぁ、気持ちはわかるんだけどね。」
「ふふっ……そしてアルちゃんが声をかけてくれた。……ですよね?」
「そうだよっ!いや〜他のヤツらがもったいないことしているうちに、私が高嶺の花を頂いちゃったってわけさぁ!ざんねんでした!」
「もう!アルちゃんったら!」
キャッキャッと仲睦まじく話すふたりを見て、イダの拳に力が入る。力を込めたことで筋だった骨は白い手袋のなかに隠れていたが。
◇◆◇
「それで、イダ?さん?のことはなんとお呼びすれば宜しいでしょうか?」
しばらく戯れた後、イダのほうに向き直ってアルタークが問う。
「僕のことはただのイダ……と。平民なので家名もないですし。」
「でも“出生名”はありますよね?たとえば隣のクラスのパラウンアイズさんだったら“ブラークシ”とか……。」
出生名とはサクラ・マグダレーナのようなもので、この場合はマグダラ生まれのサクラという意味になる。家名を持たない同名の者を区別するために使われたり、貧しい土地に生まれた者に対して、生まれた場所をあげつらって卑しめるときにも使う。
「イダくんは、ユス――」
「――アイ様、それは、わたくしのほんとうの名前は、貴方様にだけ知っていてほしいのです。だから……あの日にお伝えしました。」
すぐそばのアイに瞳は向けられていたが、その眼はアイとの想い出だけを映していた。
「そうだったんだねっ!ごめんなさいっ!もう言おうとしませんっ!」
ちいさな両手で口をそっとおさえる。
「はい……なので、デイリーライフさん。僕のことはイダと。」
アルタークはイダの態度が誰かに似ているような気がしたが、アイの声で名前を呼ばれる幸福は自分にも理解できるので、素直にしたがった。
「そうですか?では、イダさん、と。よろしくお願いします。私の名前はもう知っていると思うけど、アルターク・デイリーライフです。」
「ええ、承知致しました。」
◇◆◇
「わぁ!?」
「きゃ!」
突然馬車が激しく揺れ、水を飲んでいたアルタークは、アイの頭の上から水をひっかけてしまう。その水はアイの髪を濡らし、服を濡らし、足までをも濡らした。
「わっ!わっ!アイちゃんゴメン!」
「オマエ!何を――!!」
「だいじょうぶだいじょうぶ!水だしっ!それにほらっ!ちょっと暑かったからちょうどいいよ?」
イダは熱り立ってアルタークに暴言を浴びせようとしたが、アイの声で遮られる。
「わぁ!?アルちゃん何してるの?」
アルタークが自分の髪でアイの濡れた足を拭こうとする。
「いや!私が濡らしちゃったし!ハンカチ持ってないし!」
「アルちゃん落ち着いてっ!わたくしハンカチ持ってるから!アルちゃんの綺麗な髪が汚れちゃうよ!」
慌てて静止するアイ。
「あっ……ゴメン。完全にテンパってた……。ほんとゴメンね?アイちゃん。」
アイちゃんだと?とイダは心のなかで独りごちた。
「いいのいいの!ちょっときもちいいよ?」
罪悪感を持たせないように二へっと笑うアイ。
「も〜!アイちゃんったら〜!」
イダはただ暗い目でそれを見ていた。自分の神を売女が汚すのを。
◇◆◇
イダはアルタークと同じように平民で、アルタークと同じような考えで学校に通い始めた。つまり独りで過ごして、馬鹿な貴族にも獣神体にも関わらないでいようと。
そもそも生来彼は明るい性格ではなく、社交的な方ではなかったので、どちらにせよ友達を作ることは困難だったのだが、最初から、自分のほうからそんなものは欲していないという態度で自分のプライドをまもっていた。
彼の人生は空っぽだった。授業が終われば急いでいちばんに教室から逃げ出したが、別に帰ってやりたいこと、やるべきこともなかったのだ。特別何が好きというものもなく、これだけは絶対誰にも負けないというものもなかった。
学校に入ったのも親に言われたからだったし、マンソンジュ軍士官学校を選んだのだって親に『将来食いっぱぐれない』と言われたからだ。別にどこでもよかったし、どこでなくてもよかった。
川を流るる枯れ葉のように、ただ慣性の任せる間に生きていた。死んでいないだけなので、生きていたというかもあやしいが。
彼だってもっと小さい頃は、普通の子供のように、根拠のない自信と理由のない万能感があった。
しかし彼はその生で知っていたのだ。好きなものにはもっと好きな人がいて、得意なことにはもっと得意な人がいると。そして、自分は一番にもなれないし、最下位にすらなれない、物語にも出てこないようなその他大勢の人間だと。
自分の性別が平凡というのも、彼にとっては凡庸の烙印を押されたようでイヤだった。しかし獣神体と競えるほどのノーマルになる努力をするのは面倒くさいし、わざわざ人間体を馬鹿にするような気力もなかった。
◇◆◇
僕の選んだ席は、一番うしろの端っこではなかった。最初はそこが一番目立たない教室の隅だと思っていたのだが、教官から遠いうしろは騒がしいヤツらが群れてくる。しかし一番前に行ってうしろから多数のクラスメイトの視線を感じながら、教卓の正面に鎮座する度胸もなかった。それに最前列にはいかにも向学心がありますといったポーズをわざとらしくとったヤツらがいる。
入学して少しして、そのことに気づいた僕は、前でも後でもない真ん中の、人通りの少ない奥側の端っこに居を定めた。ここなら僕の前の席の莫迦と後の席の阿呆が僕を挟んで騒がしい会話をするという最悪のシチュエーションもない。こんなことを考えて、その席に向かった。
……そこには“神”がいた――。




