44. 性別と聖別 Sex and Separation
はるひは後ろ手に空き教室の扉を閉め、アイを逃さないように、扉と彼の間に陣取る。いつもの行動だった。
両性具有者となってから、アイもはるひも普段は女性体で過ごすことが多かった。これは、両方の性の姿を見せるのは、親しい間柄に限るという暗黙の了解があるからだ。アイはそんなことは気にせず、気ままに男性体でも学校に通っているが。
しかし、はるひとアイが二人で会うときには、はるひはアイを男性体でいさせたがった。
アイは両性具有者としては珍しいタイプで、アニマ・アニマなこともあり、両性ともとても女性的な見た目をしていた。(はるひは逆に、両方とも男性的だった。) 違うのは女性体のアイの大きく発達した乳房と、体つきぐらいのものだ。それを意識するたびにアイは思うのだ。やっぱり自分は身体だってエレクトラ様に似ていない、きっと似てしまったのは、“産みの親”の――。
それなのにはるひが第一の性別なんかに拘る理由がアイには分からなかったが、はるひはあの日のアイの面影を見ていたのかもしれない。男女性偏重主義者をいちばん嫌っていたのは、両性具有者になるまでは、春日家の一人娘が息子だったらと、やっかみを言われて育ったはるひのはずなのに。
◇◆◇
「それで?話って何かな?アイくん。それも2人きりでなんてさぁ?……かげろうのヤツの顔……愉快だったなぁ。カンチガイ騎士道振りかざしてるからあぁなるんだよ……ね?アイくん。」
はるひは心底楽しそうに言った。その態度はアイの発言で180度覆ることになる。
「はるひちゃん……お願いがあるんです。」
「何々?水臭いなぁ……わざわざそんなに畏まっちゃってさぁ。私達番でしょ?それに今は気分がいいからさ、何でも聞いてあげるよ。」
さも愉快げにニコニコと嗤いながら、アイの全身を値踏みするように見やる。
「……わたくしたち、お友だちに戻りませんか……?聖別の儀前の、ちいさかったあの頃みたいに――」
アイは二の句を告げなかった。教卓の上に力任せに押し倒されたからだ。
「きゃっ!」
はるひは黙っている。ただ怒りの心で染まった瞳で、アイを見下ろしている。犬歯をむき出しにした口から、獣神体特有の獣のような唸り声が聞こえる。
「……オマエ、今、なんつった?もう一度言ってみろ……!!」
アイが圧にさらされ、何も言えないでいると、はるひの態度が急変する。
「……聞き間違いかなぁ?……いや〜ごめんごめん!急にありえない言葉が聞こえたからさ。」
急に明るい声を出して話し始める、聖別の儀以降、こんなふうに突然機嫌が良くなったり悪くなったりするのが、アイにはこわかった。エレクトラのように常に怒っている方が、アイにはまだ理解ができた。でも、アルタークにもらった勇気を奮いたたせ、親友のやさしさに報いるためにも、ハッキリと言った。
「わたくしたち、お友だちに戻りませんか?昔みたいに、莫迦なことを言って笑いあう、ただのお友だちに。」
はるひの身体が打ち震える。悲しみではなく、怒りによって。そして、いつかエレクトラと対峙したしゅんじつのように、その瞳が燃え盛っている……ように見える。
「“ただのお友だち”?そんなの無理に決まってるよね?今さら。アイくんはどこまで莫迦なのかな?私を殺そうとして、私のお父さんとお母さんを奪ったんだから、そんなこと言える立場じゃないんだよ、アイくんは。」
「わ……わたくしは、しゅんじつさんとひまりさんを奪ってなどは――」
「黙れ、人間体の分際で獣神体に口答えするなって何度言わせる気?ほんとうに莫迦なんだから。あぁ、莫迦すぎて苛々するなぁ……!それに、奪ったんだよ。私から。あの日。あの聖別の儀の日に。あの日からあの人たちは変わっちゃった……。」
「どういう、ことですか?教えてください。」
「なんで私が、獣神体の私が、か弱〜いアイくんの命令なんか聞くと思ったの?お偉いミルヒシュトラーセってのはやっぱ違うねぇ?」
「これは命令ではなく……お願いです。お友だちの。」
お友だちという言葉にはるひがピクリと反応する。
「“お友だちの”お願い?じゃあ尚更聞けないねぇ。だって私とアイくんは、“お友だち”、じゃあないもんねぇ?私たちはたくさんいる有象無象じゃあなくて、お互いの、唯一の、“番”だもんねぇ?」
「わたくしは、はるひちゃんと番になった覚えはありません。“番契約”とは本来双方の合意があって結ばれるもののはずです。だから――」
「――そんなの誰も守ってないルールじゃん。この国で、とくに差別意識の強い辺境伯派のアイちゃんなら嫌と言うほど知ってるでしょ?実際は獣神体の意思で勝手に結ばれて飽きたら勝手に捨てられる……そんなもんなんだよ人間体なんてのは。」
「それは現実であって理想ではありません。醜悪な現実が蔓延っているのなら、信念を持った理想によって打ち砕かれるべきです。」
「あーあーでたよ。アイちゃんの、理想主義者の楽天主義者。現実に差別があるんだから、それは理想じゃなくて妄想って言うの。現実を無視して、理想を語るなら、夢想家にでもなればぁ?
……私はお母さんがどれだけ差別されてきたか知ってる。見てきた、いちばん近くで、この目で。地獄本が大好きで、本の中を、“理論の世界”に生きてるアイくんにはわかんないだろうねぇ?」
「じゃあ何故ひまりさんを傷つけてきた人たちと同じことをするのです?小さい頃の貴女は、差別を憎んでいた。あの頃の――」
「うるっさいなぁ……!もう黙れよ。すぐに『あの頃は――』ってさ。何も知らなかったガキの頃になんか戻れないんだよ。いつまでも思い出に縋ってみっともない。あの頃には戻れないし、あの頃の関係にも戻れない。話は終わりだね、人間体ならただ黙って身体を差し出してりゃあいいんだよ。」
アイの服に乱暴に手をかけるはるひ。
「まって!まって……!ください……!一度しっかりと対話しましょう。それこそがお互いを分かり合う手段だと、貴女のお父さんにわたくしは教わりました。春日さんはまだ幼かったわたくしと、対等に話して下さいました。一人の大人と話すように……!」
「チッ……お父さんの話をだすなよ……!うざったいなぁ!対話なんて対等な相手がするもんなんだよ。私の所有物であるアイくんにはできないの。それに番をやめたいやめたいってさぁ……。そんなに私のことが嫌いなの……?それとも他の獣神体に誑かさられた?」
自分が嫌いかと問う声だけが、いつもの馬鹿にしたようなものではなく、震えていた。アイはどんなに馬鹿にされても、酷いことをされても、決して――
「嫌いじゃありませんよ。絶対に。わたくしがはるひちゃんを嫌うなんて、そんなのありえません。」
そして、あの頃の言葉遣いに還るアイ。
「……すきだよ?今でもずっと。」
はるひはその言葉を受けて、押し倒していたアイを引き起こし、教壇に座らせた。今でははるひのほうが遥かに背が高くなっていたが、アイが教壇に座っているので、昔みたいに――あの頃みたいに――2人の目が近い。一瞬無邪気なあの頃に戻ったような錯覚を2人は覚える。
「じゃあ……なんで?なんで番をやめたいだなんて言うの……?私は、酷いことばかり言うけど、酷いことばかりするけど、ほんとうは、私も、アイくんが、アイくんのことが――」
アイは、慈愛に満ち、親愛に縁取られた、でも決して恋愛の光の差さない、幼げなかわいらしい笑顔で言った。
「――だってはるひちゃんは、わたくしの、たいせつな、だいすきな……“お友だち”だから……!」
その光に全身を貫かれたはるひは、雷に撃たれた騎士のように、目から鱗が落ちた。たが、決して回心しなかった。
「そう……そう、なんだね……!アハハッ!やっと分かったよ!じゃあもう絶対に逃がしてやんない……!アイくんは、私だけの人間体だ……!誰にも渡さない。私のものだ……!」
――アイくんのこころに入れないのなら、無理やり突き破ってやればいいんだ。そうして、消えない疵をつけて、それをみるたびに私のことを思い出せばいい。そうして一生彼のこころのなかに、永遠に――
◇◆◇
そうしてはるひは、アイの服を力任せに破いて脱がせ……その身体を――




