40.親に殴られて育った子供は、自分の大切な人を殴るようになる。 You become the man you hate the most.
「春日春日って……アイちゃんがこわがっている……あの?……そうか……元平民だから“平民王子様”……だもんね……。」
「ええ、そうです。わたくしは彼を彼女と呼びますが、それはわたくしと出会ったときのはるひは、まだわたくしよりもちいさな、女の子だったからです……。これは世間に憚る遠慮というよりも、そのほうがわたくしにとって自然だからです……。」
「そう、なんだ。今の2人からは想像もできないや……。」
アイがすこし微笑む、それは温度をもたない氷の微笑だったが。
「そうでしょうね……あの子の身体は随分と大きくなってしまって、そのこころも、わたくしにはもうわかりません。いえ、ほんとうは……ほんとうはね……一度だって理解し合えていたことがなかったんです。」
アルタークからは俯いて長い髪の陰に隠れた親友の表情は分からない。
「アイちゃん……。」
◇◆◇
「出会ってすぐにわたくしたちは友達になりました。“すこし話して笑いあったらもう友達だ”というような子どもの……浅はかな考えでした。わたくしとはるひでは、立場も境遇も、何もかも違ったのに……それでも友達になれると、子どもだったわたくしたちは勘違いをしてしまったのです。」
そこでアルターク何か言いたげな顔になったが、俯いて自らの世界を狭めているアイには気がつけなかった。
「……わたくしは知らず知らずのうちに、無神経なことを言って、お金に困っていた家の子であった、彼女のこころを傷つけていたのです。ほんとうにお優しい、わたくしが出会ったなかで誰よりも愛情深く、陽だまりのような尊さをもった彼女のお母様さえ、わたくしは知らず知らずのうちに侮辱していました。そのことに気が付きもしていなかったのです……愚かで思い上がっていたわたくしは。
あるときはるひがその心を、その心をぶち撒けました。限界だったのでしょうね……。
その時になってようやく、わたくしは日常のささいな言葉で、行動で彼女を傷つけていたことに気がついたのです。
自分の家がお金持ちなのに、権力があるのにも関わらず、もっとつらい人の前で、不幸な顔をしていること。やさしい両親に、やさしいきょうだいに恵まれているのに、はるひから彼女の両親の愛情を掠め取ろうとしていること。男に生まれたくせに、男に生まれたかった彼女の前で、酷いことを言ったこと。
わたくしはわたくしの罪に気がついていませんでした、うまれただけで、永らえているだけでも罪深いのに、これ以上醜くなれるとは、露とも知らなかったたのです。
彼女にはどれほど謝っても謝りきれません。今でもわたくしのせいで、仲の良かった両親と折合いが悪いのだそうです。自分が生まれた家族だけでなく、友達の家族さえ羨んで、壊すような人間なのです。
……そして、彼女に責められたときに……わたくしもこころをぶち撒けてしまいました。彼女に心を向け、暴力を振るったのです。そして、なにより、……なによりも罪深いことは、気分がよかったのです。しあわせを感じたのです。“ほんとうのさいわい”を知ったのです。彼女を痛めつけている間ずっと。それまで殴られるだけの人生だったけど、人を殴ってみたら満たされたように感じたのです。
決して、蹴られて殴られて育った自分は、他の人に同じ思いをさせないように生きていこうと誓っていました。その誓いを破ったのです。怒りにまかせて、憎しみにまかせて……。あの時のわたくしは、わたくしの本性は……おかあさまに……。
アルちゃん……わたくしはこんな人間なんです。罪の多い生涯を送ってきたのです。これでも、まだわたくしを友と呼んでくださいますか……?わたくしの……穢れた手を……握ってくださいますか……?」
◇◆◇
話し終えたアイは、手錠をかけられた罪人のようにただ手を前に突き出して、もう顔を上げられなかった。親友に軽蔑された眼で見られることに耐えられなかったのだ。
――じゃあ……じゃあなんでこんな事を彼女に話した?分からない、でもまた友を失うのなら、大好きな人のこころを喪うのならば。
あの桜の森の満開の下で、花弁と散ってしまえばよかったではないか――。
◇◆◇
「〜!ばかっ!!」
差し出した手を握られるか、十中八九叩かられることを予想していたアイは、急に顔を両手で掴まれ、グイッと見ないようにしていたアルタークの方へ向けられて目を白黒させる。
――視界の先では変わらぬ親友が、怒りを込めた眼でアイを見ていた。
「ア、アルちゃ――」
「ばかばかばかっ!!ほんとうに!アイちゃんはバカだよっ!」
「えぅ……アルひゃ――」
さらにぎゅっと顔を握られて、うまく話せない。
「私!怒ってるんだからね!わかってる!?」
「え、えう。」
アイはいつも温厚で、自分にやさしいアルタークに怒りをぶつけられるのが初めてで、どうしていいか分からなかった。
「……今まで、ひみひゅにしてて、ごめんなひゃい。」
「そうじゃないっ!それもだけど!私が怒ってるのは!アイちゃんがそんなことで、私がアイちゃんを見捨てるって思ってたことっ!分かってる!?」
「お、おちちゅいて、アルひゃん。」
「黙って!!あぁ!こんなに怒ったことはないですよ私はぁ!あのファンタジア王女殿下に好き勝手言われた時だって内心ブチギレるのに抑えたのにぃ!」
「あ……あのひょきおこってたんだ……。」
「当たり前でしょ!あんな事言われてキレないやついる!?相手が王女殿下様じゃなかったらボディに100発ぶち込んでるわ!!農民の足腰の入ったボディブロー舐めんな!」
「ひゃつ……ひやっぱつ……。」
奇しくもアルタークも新しい一面を見せてきたので、どう反応していいかわからないアイ。
「……アイちゃん……。」
突然フワリと甘い土と花の香りに包まれる。以前アルターク実家でつくっているのだと教えてくれた、エルダーフラワー・コーディアルのシロップの匂いだろうか。そこまで考えて、アイは初めて自分がアルタークに抱きしめられているのだと気がついた。
「ア……アル……ちゃん……?」
「バカって言ってごめんねぇ……でも私は、アイちゃんがどんな人でも、過去に何があっても、昔どんなにひどい人間だったとしても!……そんなことでキライになったりしない!だって私は、私と出会ってからのアイちゃんが素敵な娘だって知ってるし、そんなアイちゃんに何度も救われてきたんだよぉ……。
……だから……だから、私のこと、もっと信じてほしかったっていうのは……本心。」
「ごめん……なさい。」
「こっちこそごめんね……正直……私は平民だし、ただの農家の出だし……アイちゃんのお話は……アイちゃんのくるしみは……半分も理解できていないと思う。
……でも話を聞いていると、アイちゃんがエレクトラ様を、家族を……シュベスター様をほんとうに大切に思っていることは伝わってきたよ。こころで感じられた。ありがとう、話してくれて。」
「あ……ありがとう……?」
アイはこんな事をぶち撒けて、お礼をを言われる意味が分からなかった。前にお友だちに気持ちをぶち撒けたときは……思い出したくもない結果になったからだ。あの娘のこころと訣別してしまったからだ。
「きっと、話すのはつらいことたっだでしょう?でも、私のために話してくれた。それだけ私を信頼してくれたってことでしょ……?」
抱き合っていて、アルタークの首にくっついた右耳から直接聴こえる振動が愛おしい。
「もしかしたら……わたくしのためかもしれませんよ?……誰かに話して、赦されたかっただけかも……。」
さらにぎゅうぅと抱きしめられる。絶対はなさいぞって言われてるみたいだった。
「それでも、ありがとう……アイちゃんのために話してくれて……。自分を、大事にしてくれて。」
――そんな事を褒められたことはなかった。いつも怒られてばかりで……。アルちゃんはわたくしが自分を大切にするとうれしいのだろうか、こんな、わたくしを――。
「なんで……アルちゃんは、そんなにわたくしにやさしくしてくれるの……?」
――だって家族でもないし、弟でもないのに、ただ、たまたまクラスが一緒になっただけ、やさいしアルちゃんがわたくしに話しかけてくれただけ、偶然陽射しの作り出す影が重なっただけの、そんな2本の枝のような、頼りない関係なのに。
「……ふふーん、アイちゃん、そんなこと聞いちゃんうんだ〜?」
「きゃっ!」
アルタークがアイを押し倒し、自分も隣に倒れ込む。そして、顔と顔を近づけ笑い、両手で無理やりアイの口角を上げさせる。
「じゃあ今からこのっ!アルターク・デイリーライフのターンだっ!聞いてもらおうかっ!数多の友人をドン引きさせてきた!この私の!アイちゃん様好き好き語りを!!」




