35. 愛たちはどう生きるか How Do We Live?
「アイアイアイっ!!聞いてよ〜!」
「ふふっ、どうしたんですか?ラアルさま?」
ガラッとドアを勢いよく開け放ち、アイの居る教室に入ってきたラアルが大きな声でアイを呼ぶ。
「この高貴なるラアル様が会いに来てあげたわよっ!」
「それそれは、ありがとうございます。……うれしいです……!」
「そうよっ!感謝しなさいなっ!」
「はいっ!感謝しますっ!」
ラアルがアイに告白紛いのことをして、2人がお友だちになってから、ラアルはよくアイに会いに来るようになった。朝授業が始まる前に、お昼ご飯の時間に、5分休憩のその合間にさえ。1日に何回はアイを視界に入れないと、といったノルマでもあるように。1時間に1回はアイの声を聞かないと気がすまないというように。
「アイアイアイ!ねえねえねえっ!」
ラアルが自分より随分小さいアイにも背中からたれかかり、力を抜き身体を預ける。そして頭をグリグリとアイの頭にこすりつける。2人の美しい黒髪と金髪が混ざり合い、アイの夜空にラアルの天の川がひとすじ流れる。まるで小型犬にじゃれつく大型犬、ちいさな母に甘えるおおきな娘のようだった。はるひに能力のほとんどを吸収されたアイは、体幹も力もそこらのノーマルの子供にも負けるほどよわいので、必死にラアルを支える。
「わわっ!……ふふ、どうしたんですか?ラアルさま?聞いてますよ〜。」
「さっきの心の授業でさ〜。心を結構な時間外に出したまま保つって課題が出されたの!」
「へぇ〜。」
「どれぐらい出してなきゃいけなかったと思う?」
「う〜ん……10分ぐらいでしょうか……?」
気を使ってわざと少し少なめに見積もるアイ。
「なんとその時間30分!無理に決まってるじゃないっ!いくら私が優秀とはいえねぇ。」
「わぁ〜そんなにっ!それは大変でしたね。お疲れ様です。ラアルさま。」
よしよしとラアルの頭を撫でるアイ。ラアルはお母さんにそうされたときのような、あんしんでしあわせなきもちになる。
「アイ〜!」
「ふふっ、ラアルさまは今日も甘えん坊さんですね……よしよし。」
「それよっ!」
ビシッとアイに垂れかかったまま、指を突き立てる。
「それ……?とは?」
「その呼び方よ!私はアイって呼んでるのに、なんでアイはラアルさま呼びなのよ!」
他の人には名前で呼ぶことさえ嫌うのにアイにはそんなことまで要求する。
「なんで……と言われましても……ラアルさまは王女殿下ですし、この国で一番偉いと言っても過言ではない方に、呼び捨てはちょっと……。」
クラスメイトがすこしざわつく。アイがラアルに尊称をつけて呼んでいるのに、ラアルがそうしないというのは、暗に公王のほうが、辺境伯爵よりも上の地位だと宣言しているともとられないからだ。しかし、ただのなかよしなお友だち同士の2人にはそんなことは関係がなかった。
「えぇ~!たしかに私は偉いしうつくしいしすごいけどさ!」
「はいっ!ラアルさまはすごいですっ!うつくしいですっ!」
生まれてきたときからずっと晒されてきた耳障りのいい薄っぺらなおべっかではなく、本心からのアイの称賛に身体が熱くなるのを感じていた。
「そ……そうよ……すごいのよ私は……ってそうじゃなくて!いい?アイ。貴女も私ほどじゃないとはいえ、偉くてすごくて……くやしいけどっ!私よりもうつくしいんだから、もっと自信を持ちなさいな!そしてラアルと呼びなさい!ラアルちゃんでも可!」
アイの顔をやさしくつかんで顔を近づけて宣言する。しかしラアルは、あまりのかわいさの暴力に、すぐ顔を離してしまう。
「そんな……わたくしの家の地位が高くとも、私自身は何も成し遂げてはおりませんし……それに、わたくしはラアルさまこそがこの国でいちばんうつくしいと……思います。」
アイが顔を赤くして告げ、ラアルもつられてもっと真っ赤になってしまう。
「いいっ?家が偉い人はその人も偉いの!絶対に!だから優遇されるし、尊敬される。そして、だからこそ高貴なる義務を遂行して、その恩恵に報いなければならないの!わかった!?」
ラアルは言いながら、自分には高貴なる義務として平民どもに尽くす気力なんてもうなくなってしまったことを思い出した。
「う〜ん、でもわたくしは――」
「――ファンタジア王女殿下?アイちゃん様?もう、お昼の休憩が終わってしまいますわ。王女殿下は自分の教室にお帰り頂いたほうが宜しいのでは?」
2人の天上人のやりとりを、はたから見ていたアルターク・デイリーライフが声をかけた。
「何よ貴女……。私とアイの話に割って入るなんて……身の程を弁えなさいっ!私を誰だとこころえる!?」
アイとの時間を邪魔されて、不機嫌になるラアル。アルタークは国の威光を背負った人間の威嚇も意に介さず、淡々と応える。彼女は世界でいちばんうつくしいアイと過ごしていたので、この国でいちばんうつくしいラアルの美貌にはあまり影響を受けなかった。
「……ですから、ファンタジア王女殿下とお呼びしましたよね?ここでは王女であっても1学生のはずです、学園のルールは守られたほうがいいのでは?」
「この高貴なる私にそんな口をきくなんて!貴女……どこの貴族かしら?よっぽど偉いんでしょうねぇ?私の行動に口出しできるぐらい。」
「私はアルターク・デイリーライフ……ただの田舎の農家の出です。申し訳ありません。貴族の礼儀なんぞ知らないもので。」
「ぷっ……アハハッ!貴族ですらないのね!お笑いだわっ!そんな人間がアイちゃん様だなんて呼ぶのをなぜ許しているの?アイ?平民の娘にカンチガイさせちゃあかわいそうよ。」
あわあわと二人をみていたアイが口をはさむ。
「ラアルさま!アルちゃんにそんな酷いことを言わないで下さいっ!わたくしのいちばんのお友だちなんです!」
高らかに笑っていたラアルの笑みがピタリと止む。
「アルちゃん……?いちばんのお友だち……?」
わなわなと震え、彼女の美しい金髪さえ怒りの心でキラキラと逆だっているように見える。
「……おかしいわねぇ……?アイ?私のことは頼んでもちゃん付けしてくれないのに、その娘にはするのね……?それに、1番のお友だち?変ねぇ……いちばんの!お友だちは……あの日の心を通わせあった私よね?言い間違えちゃったのよね?そうよね?アイ?」
ラアルの大きな体軀が、いたく華奢なアイに迫る。圧が漏れ出ている。アイはラアルが獣神体であることを悟り、ただ一人の人間体として震えるしかできなかった。猛禽類のようなルビーの瞳に見つめられて、身体の自由がきかない。……このままだとラアルに、みんなに、人間体だとバレてしまう。
「アイちゃん様が怖がっていますっ!今すぐやめてくださいっ!」
アルタークが大声を出すが、ラアルの世界にはアイしかいなかった。そのルビーの眼にはサファイアの瞳しか映ってはいなかった。
「アイ……。」
「ひっ……ひっ……、ラ……アル……さま。」
怯えきったアイを助けようと、アルタークが手を伸ばした。そして、アイに触れた。触れてしまった、獣神体の獲物に……。
その瞬間ラアルのルビーの瞳が燃え、自分の獲物に手を出そうとした敵を、獣神体の圧で威圧する。いっかいの人間体であるアルタークはその圧に飛び退き、後退りをしてしまう……アイを残したまま。
それをアイから決して目線を外さずに、横目に見たラアルは、獣のように犬歯を剥き出しにして、低く嗤う。
「貴女……人間体だったのね、この娘がまさか、平民を……それも人間体を側に置くなんて……。……貴女がもし獣神体だったらみすみす自分の獲物を他の獣神体のそばに残して離れたりなんか……絶対にしない。」
「私は決して人間体なんぞではありませんが……公王の娘ともあろう者が公然と人間体を差別、それも他人の性を暴露未遂をするなんて……随分とこの学校に染まってしまわれたのですね……?」
アルタークの皮肉を聞こえていないかのように捨て置く。そして、アルタークに向けた低い声音とはうってかわって愛玩する動物に向けるような、不自然なほど高い猫なで声で、怯えきって震えているアイに言う。
「ねぇ、アイ?私はね?獣神体は獣神体同士で恋愛をすべきだと思うの。確かに獣神体と人間体じゃないと、番にはなれないわ?でもね、公王派のなかでは番と人生のパートナーは別っていう考えかたが主流になってきてるし、優れた獣神体同士のパートナーなんて、素敵じゃない?ね?そう思うでしょ?」
アイが何よりも恐れているのは、人に嫌われることだった。オマエなんかいらないと、見捨てられることだった。母親にすら愛され無かった生い立ちと、母親に堕胎告知を受けた心的外傷が、アイのこころに深く影を落としていた。そして、その影が言うのだ。
「この世でいちばんのわが子を愛してくれるはずの母親すら、オマエに堕胎告知を与えたんだから、もう誰にも必要とされるわけがない」
アイがその短い生涯で出会ったなかで、いちばん愛情深い母親が、陽だまりのような人が、言っていたのだ。
「わが子を愛さない母親なんていないわ!」
そうして、アイは人に見捨てられないように、人にやさしくするのだった。アイのやさしさは弱さからくるものだった。人に嫌われるのがこわいから、やさしくするしかないのだ。
それはラアルのもつ、圧倒的な自信に裏打ちされた余裕から来る、強いやさしさとは正反対のものだった。
つまり、ラアルは人に好かれていると言う自信があるから、人にやさしくできる。
対してアイは、人に嫌われたくないとう不安から、人にやさしくすることしかできない。
だから、自分を好いてくれていると勘違いできるほど、自分にやさしくしてくれる人に、歯向かうのは、アイが何よりも、この世でいちばん、したくないことだった。
だが、彼女は……彼は――。
「ラアル、さま……撤回してください。アルちゃんを馬鹿にしたことを……!アルちゃんはわたくしの、大切なお友だちなのです……!」




