33. 「生まれてきてくれて、ありがとう。」 "Thank you for being born."
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※初期のエピソードに挿絵を追加しました。
いくらミルヒシュトラーセ辺境伯派の強いマンソンジュ軍士官学校とはいえ、パンドラ公国の王女である、ラアルに敬意を払わないわけにはいかなかった。そして、取り入ろうとする者も大勢おり、それには王女のお気に入りとなってうまい汁を吸おうとする以外の思惑を持った者たちもいた。
パンドラ公王派がエレクトラと折り合いの悪いアイを躍起になって自陣営に取り込もうとするのなら、わざわざ公王派の息のかかったチグ神学校から辺境伯爵の建てたマンソンジュ軍士官学校に編入してきた、ラアルを辺境伯派に引き入れようとするのは、ごく自然なことだった。
彼らの誤算は、ラアルは母であるツエールカフィー公王と仲違いしたわけではなく、寧ろ母子としては、アイとエレクトラとは正反対に、理想の関係を築いていたこと。そして、そもそもラアルにマンソンジュ軍士官学校への編入を勧めたのは、公王その人だということだった。
公王の思惑としては、まず何よりも、傷ついた娘に新しい環境を与えてあげたいという母親の慈愛。その為に、比較的王族を神の似姿ではなく、人間扱いしてくれるであろう辺境伯派の強い軍閥の学校を勧めた。そして、王女が国を二分している対立派閥とうまくやることで、国に遥かなる恩恵をもたらすことを期待した、公王としての策謀があった。
エレクトラはアイを使い公王派を完膚なきまでに叩きのめすことしか頭になかったが、ツエールカフィー公王は自陣営だけでなく、国全体を憂い、ラアルに協力してもらって、あわよくば国を蝕む不要な対立構造を抜本的に改善しようと思っていたのだ。この意味でもアイとラアルの立場は真に正反対と言えるものだった。
王女が辺境伯爵に与するために軍学校に来たのではないと悟った人々は、一人また一人とラアルから離れていった。こちらに阿る気がないのなら、寧ろ王女と親しくしていることは、辺境伯派のなかでの立場を危うくするからであった。そうして、ラアルの下に残ったのは、元々軍閥のなかで立場のないもの、辺境伯派のなかで被差別階級である人間体、そして多くは、権力者の恩恵に与ろうとする下心を持った者たちが殆どであった。
◇◆◇
ラアルは国民を等しく“見下す”ようになっていた。そうすることで自分の壊れそうなこころを守るという防衛本能からだった。つまり、敵意を向けられ、侮蔑され、陰口をたたかれ、除け者にされる前に、自分から全てに敵意を向けることで、実際にそうされた時の傷を浅くしようとしたのである。私よりも遥かに低い所にいる塵屑共に、石を投げられても届かないと、何を言われても傷つかないと。
奇しくもこれは、人に馬鹿にされる前に自分を卑下することで自分を守ろうとするオトメアンのオルレと――“見下す”相手が自分か他人かの違いはあれど――同じ生き方だった。
これは世界中の人々を自らの上に置き、等しく“敬う”ことで自分を守ろうとするアイとは真逆の精神構造だった。アイはいくら自分を殴り、傷つけ、罵倒する相手でも信じて、敬った。そうして、自分自身だってこんなに醜く汚いアイはちゃんと嫌いだ。ちゃんとみんなと同じ距離で憎んでいる、軽蔑している。だから、身の程を弁えているから、もう虐めないでと謙ることで、自分のこころを守ろうとした。自分より遥かに高いところにいて、その権利のある皆様に、石を投げられるのなら、傷つけられるなら、仕方がないと。
考え方は真逆であったが、その目的は同じだった。人と関わることでこれ以上少しでもつらい思いをしたくなかったのだ。もう一生の許容量を超えるほど傷ついたのだから、もうやめてくれと。もう許してくれと。
同じことを願っているのに、他人に対する態度と自分自身に対する態度、そして神に対する信念、つまり人生に対する姿勢が真逆になったのには、理由があった。それは、こころのいちばん奥深いところで、“自分を好きかどうか”だった。つまり、“母に愛されてきたかどうか”だ。
ツエールカフィー公王はエレクトラとは違い、ラアルを愛していた。もちろんエレクトラもアイ以外の子は愛していたが。娘が幼い時分から良く愛で、愛し、そして……そして何よりも、
「“生まれてきてくれて、ありがとう”。」
という言葉を惜しまなかった。そして娘の母親として……時には女友達として、姉妹として、ラアルの悩みを聞き、夢を応援し、日常を愛した。
その甲斐もあって、ラアルは自分を愛することができる人間に育った。お母さんがいつもかわいい、綺麗だと言ってくれるから、容姿に自信を持てた。いつも味方でいてくれるから、失敗を恐れることはなかった。愛してくれていると確信が持てるほどに、態度を、言葉を尽くして伝えてくれるから、人を愛するだけのこころの余裕を持てた。
オトメアンのオルレと決別し、お友達の陰口を聞き、神学校をやめるまでは。しかし、そうなっても彼女が“車輪の下”に落ちこぼれ、それの重さに潰されることはなかった。今までの人生で、母だけは自分の味方でいてくれると、信じさせてくれたからだ。母がいつもこの国いちばんだと褒めてくれた美貌は、神の祝福は、何があっても決して自分から去っていかないと確信できたからだ。
だから、ラアルはアイとは違い、自分を憎まずにすんで、他人を憎むことができた。
◇◆◇
そんな彼女のマンソンジュ軍士官学校での生活は、表面上うまくいっていた。王族以外を心の中では見下してはいたが、すり寄ってくる輩とある程度上手くやり、適度に会話をし、学校では常に誰かといることに成功した。たとい家に遊びに行くお友達がいなくても、学校でだけ話すクラスメイトがいれば、それで十分だったし、彼女も他人を自分の身内に引き入れることを嫌っていたのでちょうどよかった。また、真なる友を喪えば、今度こそは自らのこころが完膚なきまでに砕け落ちることは避けられないだろうと恐れていたのだ。
そんな順調な彼女の学園生活にも1つだけ度し難いものがあった。アイ・ミルヒシュトラーセの存在だ。心にヒビが入ってからのラアルは、その自信の根拠を母からの愛に求めていた。とりわけ、母がいつも国いちばんだと言ってくれる、その美しさに。そしてそれが、いちばんでなくなることが恐ろしかった。友情を喪い、それまで失えば今よりもっと人生に暗い影がさすような心持ちがしたのだ。そしてなにより、この国いちばんだという“母の言葉”を嘘にしたくなかった。
母を愛していたのだ。
母の言葉を。
母から自分に向けられた、その言葉を。
そんな彼女にとってアイ・ミルヒシュトラーセの存在は目の上のたんこぶだった。静かな学園生活を求めている彼女にも、嫌でも聞こえてくるそのうつくしさを称える声が。今日もアイ様の美貌は、ほかに並ぶものがないほどだったとか、心の授業で心を纏ったアイ様のうつくしさは、かなしいほどだったとか。加えて、誰にでも分け隔てなくお優しい、アイ様のかわいらしさはまさに、この国いちばんのものだとまで。
気になって少しお友達に聞いてみると、曰く、アイ・ミルヒシュトラーセはいい気なって、自分の親衛隊なるものを自分で作っているとか。曰く、調子に乗って“学園の天使お姫様”なる愛称を自称しているとか。さらには、対抗心を燃やし、ラアルのことを“学園の立腹お姫様”などと呼び侮蔑しているとも。
ほかにも風紀委員長を姉に持ち、生徒会長と親しいことを利用してその権力を乱用しているだとか、“学園の二大王子”なる人気者たちを侍らせて悦に入っているナルシシストだとかそんな噂まであった。もっと酷いもので言えば、公王派のお友達の中にはアイ・ミルヒシュトラーセが地獄好きなこともありその皮肉として、地獄医学の言葉をもってきて、彼女を、誰よりも自分がチヤホヤされていないと気がすまない、自己愛性人格障害者だと言うものまでいた。
そして、ラアルが何よりも、国でいちばんうつくしいという自己同一性を打ち砕かれるかもしれないという、その恐れよりもさらに彼女を憤らせたのは、アイが上手くやっているように見えたことだ。なにを?それは、学園生活、ひいては人生だった。
ラアルは考えた。
――彼女はかつて“神学校の聖女”と呼ばれた私のように、貧民、平民、貴族、人間体、ノーマル、そして獣神体と分け隔てなく接している。そして尚且つ慕われている。あの娘はかつての私のように、悩みを相談されれば自分のことのように心を痛め、親身になって相談にのるそうだ。誰に対しても。
なのにかつての私のように嫌われてはいない。でもなんで?なんで上手く言っているのか。同じことをしていてなぜ自分は、親友に罵倒されお友達に陰口をたたかれるのに、なぜアイツは?なぜ愛される?慕われる?自分だって精一杯やっていたのに。みんなのことを考えたのに、おかしいじゃない。理不尽だわ。私とあの娘で何が違うっていうのよ?お互い最高権力者の娘で?なのにあの子はお高くとまってるとか、見下してるとか陰口をたたかれない。私は言われるのに。ずるい。……ずるいじゃない。
あのとき親友を喪わずにすんだ自分を何度も何度も何度もベッドの中で夢想した。その成功した、もうひとりの自分が上手くやっているのをありありと見せつけられているような気になって、また公王派のお友達から聞いたラアルを侮辱しているなど噂もあって、ラアルはアイに会いに行くことにした。
◇◆◇
「アイ・ミルヒシュトラーセは居る!?」
ラアル自身にもわからない怒りや嫉妬、屈辱……そして羨望などの綯い交ぜになった手で、ドアを大きな音を立てて弾きながら、ラアルはアイのいる教室に足を踏み入れる。
――こうして、辺境伯爵の息子と公王の娘、自己卑下の塊と自尊心の塊、自分を憎む者と自分を愛するもの、母に殺された子と母に愛された子、美しい黒髪と金髪、哀しみに満ちた眼と怒りに満ちた眼、サファイアの瞳とルビーの瞳、正反対の2人の人生は、しかし同じ様に踏み捨てられ重なる落ち葉のように、交わったのである。




