32. しね、ブス、しね! Die, Ugly, Die!
あの“永訣の夕”のあとからラアルとオルレは袂を分かった。一緒の寮の部屋も別れた。ラアルが権力に物を言わせて、学校に無理やり相部屋にさせて、2人で笑い合った部屋だった。その時に、その部屋で過ごした思い出さえも2つに別れた気がした。
ラアルもオルレも頭が冷めてから考えれば、言い過ぎだったと相手に謝ろうと何度も考えた。しかし、口論の内容がそれぞれの生い立ちと過去と自己同一性に深くて根ざしたものだったので、それを認めてしまうと今までの自分の人生を否定してしまうような気がして、どうしても謝れなかった。
◇◆◇
そうして、ラアルは上流階級で、美人だと噂されている友数人とつるむようになり、オルレは独りに戻った。ラアルは無闇矢鱈に人の悩みを聞いて回ることをやめ、表面的に人とうまくやる方を選んだ。
しかし、新しい友人たちがラアルと気まずそうなオルレを馬鹿にして、彼女に取り入ろうとした時は元親友のために諍いを起こすことを厭わなかった。それが、ラアルに遺された死んだ友情への手向けの方法だった。そうして表面上、オルレはよくある普通の惨めな学園生活にもどり、ラアル元の充実した学校生活に戻った。
ラアルが自分に隠れて話すお友達の陰口を聞くまでは。友人たちが反感を持ったのには訳があった、ラアルがいつも喧嘩別れしたオルレを庇うからだった。自分でもハブっている(ように見える)くせに、善人面で守ろうとするのが理解できなかったのだ。自分で追い落としておいて、助けるという聖女ヅラをするための自作自演にしか見えなかったのだ。
――つまり、オルレを憎みきってさえいれば、ラアルが傷つき、性格が全く変わってしまうほどの絶望を知ることも無かったのだ。
◇◆◇
それは、オルレと本心をぶつけ合った日から、数週間が経ち、なんとかラアルの心も平静を取り戻してきたある日の放課後だった。
教室に忘れた『チグ神礼賛』を取りに戻った時のこと。ドアに手をかけたラアルの耳に、仲良しなお友達たちの声が聞こえてきた。これまでのラアルだったら喜び勇んで話に加わろうとしただろう、しかし、親友との決別を経験した彼女は、一瞬、ドアを開けるのを躊躇ってしまった。
――その一瞬が良くなかった。
「ラアル様ってさぁ……ぶっちゃけ空気読めないよね?」
「うわっ、それ言わないようにしてたのに!」
「いや〜でもみんな思ってるでしょ。」
「そりゃあねぇ、あんだけ偉そうにしてるくせにさぁ、『普通の学生と同じ様に扱って〜』って。」
「そんなことしたらウチらの首が飛ぶっつうの。親にも迷惑かかるし……。」
「てかさぁ……善意の押し売りみたいなのマジでウザくない?」
「それな〜。あの『かわいそうな人は助けてあげなきゃ!』みたいな思想。」
「あれ自分が他人を見下してることに気づいてすらいないでしょ。かわいそうってレッテル貼られることがどんなに苛つくか分かんないかね〜。」
「恵まれた王女様にそんなん分かるわけがないでしょ。」
ラアルはドアノブにかけていた手から力を抜き、腕をだらんと垂らしていた。そして前にはそうできなかったが、今度こそは聞かなかったことにして、もう2度と友を失うことがないように、その場を去ろうとした。
猫背になり俯いて、普段の彼女からは想像もできないほど、暗い顔をして――。
――奇しくも“オルレと別れた後のラアル”の姿は、“ラアルと出会う前の、いつも自信のなかったオルレ”にそっくりだった。
歩き去ろうとした彼女の耳に、元、親友の名前が聞こえてきた――。
「てかさぁ?オルレさんに対する仕打ち酷くない?」
「それ!ずっと自分の美人さが引き立つようなブスを側においていたくせにさぁ。突然ハブるなんて。」
「ラアル様と仲のわるいやつなんて、みんなビビちゃって、一緒になってハブるしかないのにね。」
「……何よりさぁ、あの人自分が引き立つように周りに自分より不細工しか絶対におかないよねぇ?それがいちばんキモいわ。」
「わかるわかる。自分がグループで一番美人じゃないと気がすまないんだろうねぇ。」
「ウチラもさぁ、あの人が勝手にグループに入ってくるまでは、一応美人で通ってたのにさぁ。すぐ引き立て役にされちゃった。」
「まじで、そんなに一番美人だと思われたいんならよしよししてくれる王家に引きこもっとけよなぁ。」
「まじ最初にあの人がクラスでも一番ブスのオルレさんに声かけたときさぁ!」
「アハハッ!しかもあれわざとクラスメイトがたくさんいる教室でやってたでしょ!まじ性格悪すぎてドン引きしたわ。」
「勉強しかできないガリ勉のブス引き立て役に近くに置いて、聖女ごっこしてんのまじウケたわ!」
「「アハハッ!」」
「いやマジそれな!しかも口癖がさぁ……ぷっ……くく……。」
「笑っちゃってんじゃん!……くくく……。」
「「「『アナタを美しくしてあげるわ!』」」」
「ギャハハ!」
「きちぃ〜!」
「自分に酔ってる感ちゃんとでてた?」
「でてたでてた!」
「あんなに堂々と“オマエはブス宣言”する鬼畜も居ないよねぇ?……ふふっ……。」
「うちらみたいに性格が終わってる奴らでも、陰口で言うくらいなのにねぇ……くくくっ!」
「やめなよ〜、うちらと一緒にしたらまた言われるよ?」
「「『アナタ美しくないわ!』」」
「ギャハハ!ひぃ〜!」
「多分王族は人間じゃないから人の気持ちがわかんないんだよっ!悪く言わないであげてっ!……ふくく……!」
ラアルはだらんと下がっていた手が、ドアノブにかかっていることに気がついた。そのまま力任せにドアを開き飛ばす。大きな音をたてた自分の方に、視線が集まるのを感じた。
――幸い彼女は憎しみのぶつけ方を、親友に身を持って教えてもらったばかりだった。
「ラアル……さま……。」
「ごっごきげんよう……!」
「あのっ!」
何かをほざいている人間共を無視して、ツカツカと其奴らが囲んでいる自分の席に歩いていく。
「ひっ……。」
いつもは人間共を気遣って抑えている獣神体の圧を抑える気にもなれなかった。もう全てが億劫だった。王族に敬意を払わない、国民共を労ってやる気力はもう無かった。
「……邪魔なんだけど……。」
普段の快活さの欠片もない、泥のような声だった。
「えっ……。」
「あの……?」
苛立って力任せに椅子を蹴り飛ばす。
「「「きゃあっ!」」」
「……どけって言ってんの。人語も分からないの?あぁ、そうだよねぇ、お前等非王族はニンゲン、なんだから……王族の高貴なる言葉が分かるわけもないよねぇ?」
「どうしちゃったの……?」
「まるで、別人だよ……。ラア――」
「――下賤な口で高貴なる私の名を呼ぶな。家畜どもが。どうしちゃったの?お前等がこうしたんだろう?私を……。お前等が王族を人間じゃないって言うなら、望み通りなってやるわよ……。それが望みなんでしょう……?ねぇ……?」
圧が強すぎて、人間体であろう女生徒がひとり気を失い倒れ込む。それを屠殺される家畜を見るようなルビーの眼で見下したあと、吐き捨てる。
「あらあら……人間体は脆いですねぇ……?」
そして、自分の――あの日の、ぼろぼろの――『チグ神礼賛』を机から取り出して、手のなかですこしの間弄んだあとに、手から顕現させた紫色の液体の心で包みこんだ。彼女の得意とする、毒のような心だった。あの日の思い出を散らすように、1ページ、また1ページと朽ちていく。それを温度のないルビーの瞳で葬送した。
「な、なにを……?」
思い出に割って入った無粋な人間を疎ましく思いながら、視界は朽ちゆく『チグ神礼賛』から逸らさずに言う。
「なにって……こんなぼろぼろの本はみっともないから処分しているんですよ……。新しいものならいくらでも買い足せますからね。
……私は、貴方達人間とは違って……王族なので。」
「では、国民の皆様、ごきげんよう。もう2度と会うこともないでしょう。」
――さようなら、オトメアンのオルレ、私のたった独りのおともだち――
そうして、ラアルはチグ神学校を去り、母に勧められるまま、マンソンジュ軍士官学校に移ったのだった。言われるがまま転校したのは、もう何も考えたくなかったからだ。こうして彼女は、アイ・ミルヒシュトラーセと出会う運命を背負って、やってきた。
――もう、決して、家畜ども信用しないとこころに誓いながら。




