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29. 王女と乙女の出会い La Princesse rencontre La Pucelle

 パンドラ公国には大きく分けて2つの派閥がある。一つはパンドラ公国の公王を支持する公王派。彼らはファンタジア王国の王の子であり、正式にパンドラ公国に“()()()()()()”を与えられたツエールカフィー公王を()()している。そして彼らは信心深く、公王の礼賛(らいさん)する痴愚(チグ)神を信じ、公王の権力はチグ神に与えられたものであるという、王権神授説(おうけんしんじゅせつ)の態度を()った。


 チグ神とは、公王自らが紐解(ひもと)いた、ネーデルラント系地獄(パンドラ)人の書いた『チグ神礼賛(しんらいさん)』をその根拠とする神である。彼らはこの書物を聖典と(あが)めている。チグ神とは地獄(パンドラ)産の神なのである。つまり、ファンタジア国王に“権威”を与えられ、チグ神に“権力”を与えられた公王こそが真なる統治者であると。


 彼らの多くは文官にあたる者たちで、文民たる()()()()()()()()()するという、“文民統制シビリアン・コントロール”こそが〘最良の〙統治(とうち)方法だと考えている。そしてミルヒシュトラーセ辺境伯が権勢を振るっている現状に不満を抱いている。彼らは、辺境伯派の政策の(ほとんど)ど全てに無条件に反発し、時には()()()()()()に辺境伯(にく)しで反対する。そうして、議会を混乱させるのだった。


 しかし、そのおかげもあって彼らは辺境伯派の推進する差別政策や分割統治政策にも反発し、()()()差別意識が少ない。ただ彼らが差別とみなさないような行為は、無意識のうちに平気で行うので、()()()性差別主義者(セクシスト)でないという評価にとどまるのだが。


 アイの同級生であり、公王の娘である、ラアル・ツエールカフィーナ・フォン・ファンタジア王女もこちらに属する。


 ◇◆◇

 

 そしてもう一つの主流派閥は、ミルヒシュトラーセ辺境伯爵派である。彼らはファンタジア王国の辺境伯爵であり、正式にパンドラ公国を蛮族(ばんぞく)から“()()()()()()()を与えられたエレクトラ・アガメムノーンナ・フォン・ミルヒシュトラーセを()()している。


 そして彼らは英国系地獄(パンドラ)人の書いた、『ユートピア』に説明される国家こそが理想郷の姿であり、全ての国家は()れを目指すべきだという態度を執った。この本は()()()()()()彼らの聖典のようなものだった。


 彼らの多くは軍役に服する武官で、強いものこそが国を統治するべきだと考えている。ゆえに()()()()()()()()()()()する、“軍部大臣現役武官制ぐんぶだいじんげんえきぶかんせい”ことが〘最強の〙統治方法だと考えている。


 そして、ツエールカフィー公王は国の象徴であるに留まり、“君臨すれども統治せず”の態度を守るべきだと主張する。そしてなにより、辺境伯の推し進める、差別政策を大いに励行(れいこう)し、生粋(きっすい)性差別主義者(セクシスト)が多い。ミルヒシュトラーセ家の実質的な下部組織にあたる、不知火陽炎(しらぬいかげろう)連合に属し、アイの同級生である、陽炎陽炎(ようえんかげろう)春日春日(かすがはるひ)はこちらに属する。


 そして、アイ・サクラサクラ―ノヴナ・フォン・ミルヒシュトラーセもこちらに属する。


 ◇◆◇ 


 しかし、アイの立場は極めて不安定だった。類稀(たぐいまれ)なる(ヘルツ)を持つこころをもつもの(プシュケー)であり、最も優れた性別であるアニムス・アニムス(と詐称している)、そしてミルヒシュトラーセ家の一員とくれば、アイは()()()()()()()()を兼ね備えた、生粋のミルヒシュトラーセ辺境伯派であると(ほとん)どの人が同意するだろう。

 

 だが、アイの人柄に問題があった。アイはミルヒシュトラーセ家の息のかかった差別思想の強い校風のマンソンジュ軍士官学校に入学しておきながら、ノーマルや、あまつさえ人間体(アニマ)に対しても獣神体(アニムス)と接するときと同じ態度をとった。分け(へだ)てなくだれにでも親切にし、思い()りを持って接した。


 これではどちらの派閥からも、わざわざ辺境伯派の学校に入学し、その差別的校風を破壊しようとしているとみられても仕方がない。加えて当代のミルヒシュトラーセ家当主、エレクトラからエレクトラーヴナ(エレクトラの子)という親性(しんせい)剥奪(はくだつ)され、アイ・ミルヒシュトラーセと名乗っているとくれば、もう言い逃れはできなかった。


 公王派はこの状況を良しとし、嬉々としてアイを自陣営に取り込もうと躍起(やっき)になった。そして、“国を統治するにはまず自分自身を統治し、その次に自らの家族を統治し、最後には国を治めることができるのだ”と書かれた、中国系地獄(パンドラ)人の著した『大学』という思想書を引き合いに出して、ミルヒシュトラーセは家の統治すらできないくせに、国の統治なんぞできないと議会の場で主張を始めた。


 これはミルヒシュトラーセ家が地獄(パンドラ)利権を盾に反映してきたこともあり、かなりの威力を誇った。そしてエレクトラの気分を害するには十分な言論だった。

 ……そして、エレクトラのアイへの憎しみをさらに降り積もらせることに大いに寄与した。


 しかし、辺境伯派も黙ってはおらず、公王派の信奉するチグ神とは、恥ずべき愚かな神、つまり痴愚(チグ)神のことであり、『痴愚神礼讃(ちぐしんらいさん)』は聖典などではなく、地獄(パンドラ)人の書いたただの風刺(ふうし)小説であると、相手の神を引きずり下ろそうとするのであった。そして、そんな書物は焚書(ふんしょ)してしまい、理想の国家を語る『ユートピア』をこそ子供たちに読ませるべきだとも主張している。


 こうしてアイは辺境伯派からは裏切り者として糾弾(きゅうだん)され、公王派からは都合の良い使い捨ての偶像(アイドル)として使い潰されるのだった。


 しかし、まだギリギリのところでアイは、辺境伯派の中ではその立場を保っていた。それは兄姉たちの助力やかげろうとしらぬいの協力も大きかったが、いちばん大きな()()()()()()は、“アイ自身が差別構造の頂点である獣神体(アニムス)の中の獣神体(アニムス)である、アニムス・アニムスであるという(と表向きにはなっている)こと”だった。


 もしこれを(うしな)えば、アイは――。


 ◇◆◇


 ラアル・ツエールカフィーナ・フォン・ファンタジア公女は、“高慢(こうまん)偏見(へんけん)”にまみれて、気難しい勝ち気でプライドの高い、自身の美貌にそれそれは自信の持った、ナルキッソスの生まれ変わりだと言われていた。確かに彼女は傲慢(ごうまん)生粋(きっすい)のナルシシストだったが、何もそれが彼女の生来の癖というわけではなかった。


 ――彼女は言わば、その全てが“アイ・ミルヒシュトラーセとの合わせ鏡”だった。


 ◇◆◇

 

 彼女は産まれたときから、母であるツエールカフィー公王に溺愛(できあい)され、蝶よ花よと育てられた。そして、彼女は外見は確かに美しかった。豊かな光輝く金色の髪に、すっと通った高い鼻筋(はなすじ)、そして夕暮れの空のような茜色の、()()()()()


挿絵(By みてみん)


 アイの外見が“誰かに(まも)られないと生きていけないような庇護欲を引き立てるもの”だとすれば、ラアルは“一人でも生きていけそうな強い美貌”の持ち主だった。


 しかしそんな美貌を持ち、恵まれた環境にいても、決して(おご)ることはなく他者を見下すこともなかった。それはひとえに母がたびたび口にする、

 

 「貴女のその美しさは才能よ、でもそれだけを理由に貴方が他者より()()()()()ということでは決してないわ。貴女のように()()()才能に恵まれたものは、チグ神の祝福に恵まれなかった者たちの力にならないといけないの。だって()()()()、チグ神は貴女にその美をお与えになったのだから。」

 

 という言葉を信じたからだった。美という神の祝福を得た自分は、人々に尽くすべきだと考えた。そうして、その崇高(すうこう)な精神を保ったまま、公王の建てた、公王派の神学校、チグ神学校に入学した。


 そこでの経験が、彼女の思想と性格を真逆のものへと変えることなる。


 ◇◆◇


 入学してすぐ、ラアルは王女であるということ、そして何よりその美ですぐに人々の関心を集めた。そして、彼女は決して(おご)らず、()()()()()()()()()()()()不運な者たち、つまり、“美しくない者”、“頭のよくない者”、“家柄の良くない者”、これらの人々の為に奔走(ほんそう)した。()()()()()()()()()()()()()()努力をしながら、美しくない者を美しくする手助けをし、頭の良くない者に勉強を教え、家柄の良くない者の悩みを親身になって聞いた。


 そうして、入学してすぐに、“神学校の聖女”とまで呼ばれるようになった。信心深くチグ神を礼賛する公王派にとって、“聖女”という言葉はこれ以上ない最大限の賛辞(さんじ)であった。この評価を受けてもラアルは決して傲岸(ごうがん)になることもなく、ひたすら自己研鑽(じこけんさん)と他者貢献に努めた。


 ……そして、オトメアンのオルレと友達になったのだった。


 オルレはオトメアンという比較的貧しい地域で生まれ、両親を流行病(はやりやまい)でなくし、チグ教の孤児院に預けられた。そして、そこで学問に(はげ)み、孤児院からは異例の、チグ神学校への入学者となったのだった。気弱で人見知りな彼女はチグ神の加護を得られたと自負(じふ)できるものは何もなかった。はたから見ても、彼女は美しくもなく、頭の回転も遅く、家柄なんぞなかった。


 そんなオルレが神学校に入学できたのは(ひとえ)に、彼女が自分の頭の悪さを自覚し、頭の回る人の十倍努力を重ねたからだった。神学校の入学試験が知恵をはかるものではなく、知識を問うものであることも幸いした。つまり、彼女は足りない頭を、膨大な知識で補うことにより、頭のいい人々と肩を並べるという戦い方を選んだのだった。


 一見正反対のようにみえた人気者で自信に満ちたラアルと気弱で人見知りなオルレだったが、お互いに相手が、他の多くの神学生のように才能や家柄に甘えた人間ではなく、“研鑽(けんさん)によって裏打ちされた能力を持っている”という点で意気投合した。その家柄も人柄も何もかも違ったが、そのこころだけが、通じ合ったのである。


 ◇◆◇

 

「……貴女。オトメアンのオルレさん?」


 オルレは驚嘆(ぎょっと)した、いつも教室の中心で皆に囲まれている文字通り階級の違うこの国の王女が、自分の領域(テリトリー)である教室の隅まできて、話しかけてきたからだ。自分はこの()()()()()()()()()()()()があるという、自信に満ちた声色だった。


「えっ……そう、ですけど。」


 彼女とは真逆に後ろめたいことがある犯罪者の様な声しか出なかった。いつものように孤児院の出で、見た目も悪いということをあげつらって(わら)われると身構えていたが、かけられたのは正反対の賛辞だった。


「貴女すごいわね!この学校に入るまで負けなしだったのに、負けたわ!なのになんだか気分がいいの!」


 興奮して貧民孤児にまくし立てる王女殿下殿。


「えっと……なんの話ですか?」


「あら、『チグ神礼賛』の書き取りテストの結果を見ていないの?廊下に貼り出されてるわよ?それとも……順位なんかには興味がないってことかしら?」


 挑発的な笑みで(たず)ねられる。しかし、オルレは恐怖を感じず、なぜか遠くのことのように、綺麗な顔だな、と思った。


「あ……ああ、確かに1位でしたね。」


「?反応が薄いわね!1位なんて取れて当たり前ということかしら!」


「えっ……いや……。」


「すごい自信だわ!見習わないと!」


 ――見習う?ラアル王女殿下様がこの、私を?


「どうやって勉強したの?参考にさせてくれないかしら!」


「えっとこの『チグ神礼賛』の本文が全て載ってる本を……。」


 ――しまった!これは教会で配られてる無料のやつだし、何より他に教材を買うお金もなかったから、使い込んでボロボロだし。……また馬鹿にされる!


 この学校では教科書や参考書、特に『チグ神礼賛』は綺麗であればあるほど自慢になった。本という高級品をすぐに使い捨てられる富の象徴でもあったし、中には、金箔を散りばめたとても高価な『チグ神礼賛』をこれ見よがしに使う貴族の子息もいた。


 そういった者たちに、入学以来本をボロボロになるまで使い込んでいることを馬鹿にされてきたのだ。それは単に貧しいことを嗤う気持ちと、平民なんぞに成績で負けたという、貴族のプライドからくる嫉妬もあった。


「あら……。あなたの『チグ神礼賛』すごくボロボロね。表紙取れちゃってるし……。」


――ああ、最悪だ。どんな人に馬鹿にされても自分より頭の悪い人の言うことだからって、強がって、自分を慰めてきたけど。なんでか、この人にだけは馬鹿にされたくない。


「すごいのね!貴女!」

 

「……え……?」


「こんなに使い込まれた『チグ神礼賛』は初めて見たわ!貴女の努力が目に見えるようだわ!ここ本はまさに貴女の努力の結晶ね!」


「でも……ぼろぼろで、みっともないですし……。」


「みっともない?!とんでもない!!()()()()()()()()のよ!使われてこそその真価を発揮するわ!だから、貴女の『チグ神礼賛』は私が見てきたどんな豪奢な宝石のついた装丁の『チグ神礼賛』よりも素敵よ!自信を持ちなさいな!」


 その言葉には有象無象(うぞうむぞう)陰口(かげぐち)を吹き飛ばす力があり、オルレの恥を消し去った。そして、オルレのこころが他の人と同じ様にラアルを()()し始めた時、ラアルが少し照れたように後ろ手に持っていた自身の『チグ神礼賛』をオルレに見せた。


「……豪華な装丁(ごうか)に、金の散りばめられたページ……。」


 それは他の貴族と同じ様にとても金のかかった見た目をしていた。しかし――


「でも……宝石も取れて、ページもボロボロになってる……。」


「えへへ……ねっ!……()()()()……!」


 ラアルが他の貴族の生徒の馬鹿にした嗤いとは違い、人間に向けるような(ほが)らかな笑いでもって告げる。


 ――あぁ、この人は……。


 その笑みは普段のオルレなら絶対に言わないような言葉を引き出す、そんな魅力があった。


「ラアル王女殿下……私と()()になってくださいませんか……?」


 ラアルは少しその切れ長のルビーの眼を見開いたあと、とても嬉しそうに、言った。


「ラアルでいいわよ!私たち()()お友達でしょ!……よろしくね、オルレ!」


 こうして何もかも正反対な2人は友となり、オルレはラアルを“信奉するその他大勢”ではなく、彼女の“たった一人の……親友”になったのだった。彼女たちはまだ、()わした言葉も数えるほどしかなく、ボロボロの本を見せあっただけだったが、その瞬間に、確かに2人は親友になったのだった。


 言葉よりも雄弁(ゆうべん)な2冊の本によって。

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