25. 生きるべきか、死ぬべきか。それが問題だ。 To be or Not to be. That is the Question.
アイはその足で生徒会室の門を叩いていた。
「失礼します。アイ・ミルヒシュトラーセと申します。しらぬいさんはいらっしゃいますか?」
「……アイちゃん……くると思っていたよ。結局シュベスターの制止も、しらぬいさんの忠告も、意味なかったかぁ。」
どこか諦めたように溢す。
「いえ、わたくしはおねえさまの生き様に従うだけです。おねえさまは家族や友と理不尽がぶつかった時は全力でそれを叩き潰すと仰られました。わたくしもそうするのみです。……だから、彼等の居場所を教えてください。」
サファイアの瞳が、夕焼けに照らされてルビーのように紅く燃えていた。
「……ハァ〜。しらぬいさんたちは好きな子を守りたいだけなんだけどなぁ。」
「To be or Not to be. That is the Question.
《生きるべきか、死ぬべきか。それが問題だ。》
……しらぬいさん。わたくしは傷つけられた友を捨て置いてのうのうと自分の身だけを案じて生きるぐらいならば、友のためにこの世の不条理と戦って死にたいのです。」
「それで、アイちゃんまでもが傷つくとしても?自分のお母さんと対立して、何もかも失うかもしれなくても?」
「はい、友を見捨ててもわたくしは生きていけるでしょう。ですが、わたくしのこころは死ぬのです。友を見捨てた瞬間に。少ない灯りの下、打ち捨てられた友を目の前にしたら、“黒い光がわたくしの前に横たわる全生涯を照らし出す”でしょう。
わたくしはもう二度とあの“黒い光”を見たくはないのです。自分が今生きている人生を、余生にはしたくないんです。」
「ハァ〜。分かったよ……“こころが命じたことには逆らえない”、それは心を修めてきて重々わかってる。ふぅ~……でもアイちゃん。いや……アイ。」
しらぬいは言葉を切り、駈込み訴えでもするように、アイの前に跪き両手でアイの手を取る。
「貴方が傷ついたら、貴方の姉が、私の弟が、そして何より……私が、悲しむんだってことを忘れないでください。それが貴方へ協力するたった1つの条件です。いいですね?」
いつものお道化た雰囲気など欠片もない、ただの人間の姿がそこにはあった。アイはその言葉を何度も反芻して、しっかりと咀嚼して、それから答えた。
「……はい。」
「ん。いい子。分かったよアイちゃん。しらぬいさんが協力する。きっとシュベスターもかげろうも反対するだろうからしらぬいさんのところに来てくれたんだろうしね……。」
しらぬいはその2人と同じぐらい、いやそれ以上にアイに焦がれていることを叫びたかった。しかし、黙っていた。きっとまだ今のアイは人に愛される準備ができていないだろうから。
今のアイに好きだと伝えることは、まだ情緒の育っていない幼子に、その子が抱えきれないほどの感情を押しつけるようなものだ。好きだと伝えることは暴力的なのだ。
……少なくともしらぬいはそう考えていた。
「でもねアイちゃん。協力するからにはしらぬいさんの考えに従ってもらうよ。」
「……?難しい問題ですが、何かをいい策があるんですか?」
しらぬいはいつものニッコリとした微笑みで応える。
「うん、しらぬいさんとっておきの……“たった1つの冴えたやり方”がね!」
◇◆◇
講堂に人間体排斥委員会の人間とアイのファンクラブの人間が集められた。
「いや〜皆さんご足労頂いてありがとうございます。どうしても、皆さんと話したいって人がいましてね〜。生徒会長の権限フル活用で集まって頂きました!」
壇上でしらぬいが楽しそうに話す。
「それでは、登壇して頂きましょう!
ミルヒシュトラーセ家の一員であり!
獣神体の中の獣神体!!
アイ・ミルヒシュトラーセ様です!!」
その名を聞いて集まったものが、動揺し口々に囁き始める。なぜここに?なんであのお方が。その喧騒のなか、アイは舞台袖からゆっくりと歩いて舞台の中央へと歩く。そして、立ち止まり、なおもやまぬ喧騒に向かって言葉を放つ。
「……静かに。」
その小さな言葉1つで、静寂が訪れる。アイの言葉には圧があった。皆それを高位の獣神体のものだと思ったが、しらぬいだけは違うと気づいていた。アイはこころをもつものとしての力を利用し、広い講堂の隅々にまで心を配っていたのだ。それにより擬似的な獣神体の圧を再現していた。
「皆さん、先日はわたくしのお友達がお世話になったそうで……。その節はどうも。」
皆アイが激怒しているのか、何も感じていないのか、分からなかった。ただ有無を言わせぬ力があるということだけは、一様に感じ取っていた。
「今日お集まり頂いたのは他でもありません。わたくしの非公式なファンクラブ?なるものと、人間体排斥委員会の解体を宣言しに参りました。」
皆がざわめきだし、クランのトップとクラブの会長が口を開く。
「アイ様!何故ですか!我々の活動はミルヒシュトラーセ辺境伯爵様の意思に沿うものです!」
「そうです!アイ様!我々は全て貴方様のために!」
《……黙れ。》
心を込めたアイの言葉によって辺りは水を打ったように静まり返る。それと同時に配っていた心に重みを与え、皆を跪かせる。
「誰が、口を開いてもいいと言いましたか?わたくしの心に押しつぶされたいのですか?」
ルビーの瞳には光がない。
「エレクトラ様の御心は絶対です。だからわたくしは決めました。貴方がた2つの団体を解体し、クランはこの手で新たな組織に作り変えます。」
「……アイ様、作り変えると言うと?」
自分の周りを心で覆い、唯一立ったままでいられたしらぬいが問う。
「そうですね、つまりこういうことです。貴方がたのやり方は……生ぬるいので、わたくし自らが指揮をとるということです。
今この瞬間より、人間体排斥委員会は解散とし、新たに獣神体至上主義委員会を組織し、トップはわたくしが務めます。クランの皆様?異論は?」
相手は小柄で天使の様な見た目をしているのに、ずっと体格のいい者でさえ、言葉を発せない。
「よろしい、そして名前の通り活動内容を変更します。我々高貴なる獣神体は人間体なんぞにかかずらっている暇はありません。下賤な人間体なんぞに自らかかわるなんぞ、我々の身を貶めるだけです。
よって、今後は人間体を排斥するのではなく、選ばれた獣神体のさらなる地位向上に努めること。いいですね?元、人間体排斥委員会の元、委員長さん?」
そう言われた3年生の獣神体の女生徒は、ただ肯定することしかできない。
「は……はい……仰せのままに。」
「そして、ファンクラブなるものも解体します。こちらは、新しく何か組織する必要もないでしょう……頭の意思を無視して動く手足なぞ必要ありません。」
元ファンクラブの会長が異議を申し立てる。
「てすが、アイ様――」
《静かに。》
「ぎゃっ!」
アイが人差し指を下に向けると、その3年の男子生徒の身体が地面に万力の心で押し付けられる。
「あっ……がっ……ぎっ……。」
「ハァ、貴方には脳髄というものがないのでしょうか?勝手に音を立てるなと言っはずですが?」
アイが手を解くと男子生徒が解放される。
「発言宜しいでしょうか?アイ様?」
しらぬいが我関せずといった態度で人差し指を挙げて、発言の機会を求める。
「なんでしょう……生徒会長殿。」
「この方たちも元はアイ様を慕う気持ちを紐帯として集まったはず、跡形もなく消してしまうのは、少々……かわいそうなのでは?」
「ふむ……何か考えがあるんですね?……生徒会長?」
待ってましたとばかりにしらぬいが提案する。
「ファンクラブは改め、どうでしょう?アイ様の親衛隊になさっては?」
「親衛隊?ふむ……。」
「彼等に大義と命令を与えるのです。そうすればもう余計なことをして貴方様の手を煩わせることもないでしょう……!」
「ふむ、どうです?貴方達は?わたくしの手足となる覚悟がおありですか?」
アイがとても可愛らしくにっこりと笑う。
その天使の微笑みに抗えるものなどいなかった。




