24. 愛の沈黙 Silence
アルターク・デイリーライフを襲ったのは、数人のノーマルだった。
そこには人間体排斥委員会の者だけでなく、アイ・ミルヒシュトラーセのファンクラブの者もいた。
彼等の言い分はこうだ。彼等の信奉するアイ・ミルヒシュトラーセ様に無礼な口をきき、馴れ馴れしい態度をとるデイリーライフに警告をしなければならないと考えた。そうしたときに、どこからかデイリーライフが人間体であるという情報を嗅ぎつけた人間体排斥委員会の者に話を持ちかけられた。
彼等の話を聞くと、この国の獣神体主権において、最重要の地位を占めるミルヒシュトラーセ家の子息であり、当人も獣神体であるアイ・ミルヒシュトラーセ様とデイリーライフのように下賤な人間体が対等な関係を築けば、獣神体の権威失墜に繋がる、この危険分子を排除しなければならない、とのことだった。
デイリーライフの排除という点で利害が一致した、ファンクラブの連中と人間体排斥委員会は共謀して、彼女を襲ったのであった。その報を聞いたアイは激怒した。そして、すぐに医務室に運び込まれたアルタークの様子を見に行ったあと、クランの連中とファンクラブの連中に話をつけようとした。
しかし、風紀委員長である、姉のシュベスターに制止された。アイは最初頑なだったが、シュベスターとしらぬい、かげろうにまで矛を収めてくれと頼まれては、沈黙するしか無かった。
それでもアイは遣る瀬無かった。申し訳がなかった。自分のせいで、やさしい友達が傷つけられたということに。それから、アイはアルタークが目を覚ますまで、ずっとそばについていた。その行動も新たな火種になりかねないと言われたが、アイはこれだけは譲れなかった。ケガをした友達を捨て置いて、のうのうと授業を受けるなど、そんなものはアイのなかでは友達ではない。
そして、アルタークが目を覚ます――
◇◆◇
「……?い……いたい……?ここ、どこ……?」
「アルちゃん!目が覚めたんですね……よかった……ほんとうに、よかった。」
「ア゙……アイちゃん……?何でそんなに悲しそうな顔をしているの……?誰に何されたの!?私に、言って……。アイちゃんは……私が……守るから……。」
アイの頬を撫でて慰めたかったが、右手が上手く動かせない。
「うっ動かないでください!まだ安静にしていないと……!」
「ん……ああ、ここびょういん……?」
「いえ、学園の医務室です。アルちゃんが見つかったのが学園の敷地内だったし、それに軍学校なだけあって、病院と遜色ない医療設備がありますから……。」
「わたし、わたし……あぁ、そうか、なんか同級生……と上級生?……たちに呼び止められて、あぁ、それでこのケガか……。」
「ごめんさない、アルちゃん……全部わたくしのせいなんです、わたくしが悪かったんです。」
アイのサファイアの瞳が揺れるのを、ただ綺麗だなと思って見ていた。
「何いってんのさ、確かにあいつらアイちゃんのことでごちゃごちゃ言ってきたけどさ、悪いのはあいつらで、アイちゃんじゃないよ。これだけは絶対にそう。自信を持って言える。
だから、これ以上悲しい顔をしないで……アイちゃんには、笑っててほしいんだ……私。だってアイちゃんは、笑顔がいちばんかわいいんだからね!」
お道化てなんとかアイに笑ってもらおうとする、だが、全部の言葉本心でもあった。アルタークはアイの笑顔が好きだったのだ。教室の窓際の席に波打つ、陽だまりのような笑顔が。
「ふふっ、なんでわたくしよりアルちゃんの方が元気そうなんですか……もうっ……。でも……ありがとうございます。彼等への対処は任せてください。わたくしの持てる力の全てを使って、アルちゃんにこんな事をした人たちと……戦います。」
その言葉にアルタークはゾッとした、今まで見てきた心やさしい天使とも、か弱いお姫さまとも形容できるアイは、戦いという概念からもっとも遠い人だったからだ。
「やめてよ、アイちゃんに戦いなんて似合わないよ……?それに、流石に先生や風紀委員……ほら!アイちゃんのお姉様だって何か手を打ってくれるだろうしさ!」
「……この件に関しては、おねえさまは当てに出来ないのです……。おねえさまはミルヒシュトラーセの、エレクトラ様の御心を何より大事にしています。前にも人間体差別について話し合ったのですが……特にやめさせようという方針ではないみたいです。だから、わたくしが――」
「いやいや!流石に何か罰はあるでしょ?退学とかさ、だって暴力事件を起こしたんだよ?」
「この学園は、人間体差別の根強い公国の、中枢にあります。学園長は、差別を推進するミルヒシュトラーセ辺境伯派の元政治家の天下りですし、校長だってそうです。なにより、こんな所謂エリート校の教師になれるものは獣神体が多いです。だから、先生方も自分たちと同じ獣神体贔屓に自然となります。精々厳重注意ぐらいが関の山だと思われます。……かなしいことですが。」
アルタークはこの国の差別がここまで根が深い問題だったとは考えもしなかった。都会の差別とはこういうものなのか。
「でもさ、じゃあ流石に同じことをしようとはならないんじゃない?厳重注意って言っても貴族のメンツ的にキツイでしょ?貴族はメンツが命なんだから……。」
「差別主義者になるのは、親や周りの人間の影響がとても大きいです。この学園にいる性差別主義者の生徒の親は十中八九性差別主義者です。そうなれば親もむしろよくやったと褒めることさえあるかもしれません。
人間体排斥主義を紐帯として団結するミルヒシュトラーセ辺境伯派の中では、人間体差別はむしろ褒められることなのです……。」
「そんな……。」
「だから、わたくしが話をつけてきます。ファンクラブなどと宣ってわたくしを仮にも好いてくれているのならば、わたくしが言えばやめさせられるかもしれません。人間体排斥委員会の人たちも、ミルヒシュトラーセ家の人間であるわたくしの言葉は無視できないでしょう。」
「でも……それは、差別がよしとされてる家にいながら、差別主義者と戦ったら、アイちゃんの立場は……?すっごく悪くなるんじゃないの?それに、自分のお母さんに反対意見を表明することにもなりかねないでしょ?大丈夫なの?」
「アルちゃんはほんとうにやさしいですね。……こんなときにまでわたくしの心配をして下さるなんて……。でも大丈夫です!ココだけの話わたくしは妾の子で、産まれたときからおかあさまには蛇蝎のごとく嫌われてるんです!それに忌み子として育てられてきたので、これ以上悪くなる立場なんてないんですよ!だから大丈夫です!」
努めて明るい表情で話していたが、エレクトラに嫌われていると言うときのアイの声が酷く震えていたのを、友は聞き逃さなかった。
「……そう、なんだ。貴族にも、この国でいちばん偉い家に生まれた人にも、苦労ってあるんだね。なんだか、貴族っていうのは悩みとは無縁の人種だと思ってたよ。
あぁ、そっか、だめだね……私。自分は差別されたくないのに、勝手に貴族や都会に住んでる人を見て、自分とは違う生き物だって考えるなんて……もしかしたら、差別っていうのはこういう相手のことを知らないところから始まるのかもね……。」
「そこで、自分の考えや行いを内省して、改めようとできるのは、アルちゃんのほんとうにすごいところだと思います。自分の考えを改めるのは、自分の世界観を揺るがすことでもありますから……。
わたくしは、そうできなかった……。わたくしはそれができなくて……昔、はるひくんに酷いことを言ってしまったんです。貴女にわたくしの気持ちがわかるわけないって……人にこころを分かってもらいたかったら、まず自分が相手のことを理解しようとしないといけないのに……わたくしは理解しようとせず、理解を求めてばかりでした。それに、酷いこともしてしまいました……。だから、いまでもちょっと気まずいんですよ……あはは……。」
「学園の平民王子様に……?……にしてもアイちゃんが誰かに酷いことをしたり言ったりするなんて、想像もできないや。だってアイちゃんが誰かを悪く言ってるのだって聞いたことがないんだもん。私が知ってるアイちゃんは、とってもやさしい、すっごく天使な、とってもお姫様な……すっごく素敵な私の友達だよ……?……でもアイちゃん、無理だけはしないでね……?……“やくそく”。」
アルタークは腕から友情の心を伸ばしてアイの腕に絡める。アイもそれに応えるように、友情を絡め合う。アルタークのやさしい黄緑色をした友情に、アイは淡い桜色の友情で応える。
「はい……“やくそく”、です。」
「何でだろうね?他の獣神体はこわいのに、アイちゃんも獣神体なのに、なんでこころが安らぐんだろ……?」
船を漕ぎながら、アルタークが言う。
「……それは、きっとわたくしたちが、とってもなかよしな、おともだちだから……ですかね……?
……おやすみなさい、アルちゃん……いい夢を。」
アイは自分も人間体だと伝えたかった。だから安心して欲しいと。貴女の気持ちが分かると。友達を安心させるより、自分の身を守ることを優先していることが嫌だった。友達に嘘なんて吐きたくなかった。自分の身を守るためだけの、自分本位で、醜く、黒い、嘘を。
アルタークの寝顔から顔を上げたアイのサファイアの瞳は、深く決意に燃えていた。そして、確かな意志が感じられる足取りで、部屋を出ていく。
残されたアルタークはまだまどろんでいた。そして、襲われたときに言われた、ある一言がずっと頭にこびりついて離れなかった。
――オマエが人間体だというのは1人の人間しか知らないだろう?どうして我々が知っていると思う?オマエは――
――あのお方に裏切られたんだよ!――




