20. 姉と海 The Old Sister and the Sea
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ぎゅっと抱きしめられる、あたたかい体温が伝わってくる、差別をする人間にだってあたたかく赤い血が流れているのだった。
だから、わたくしは――
「おねえさまは、大人ですね、わたくしにはとても、そのように考えるのは難しいです。」
「私は大人なんじゃない。ただこの両の手で守れるものには限りがあるということを知っているだけだ。
人間誰しも自分の理想の世界を生きたいものだ。だが、初めて親の庇護下を離れ家から出て、公園で遊んだときに、皆思い知るんだ。外の世界にはどうしようもない理不尽があって、自分の力じゃあどうにもできないことが確かにあるんだとな。
それはもしかしたら、いつまでたっても遊具を譲ってくれない年上の子に会ったとき、もしくは初めて意地悪な同級生に会ったときか、そういう時に皆気づくものだ。
あぁ、今までは両親の腕の中というやさしい楽園の中にいたんだとな。そして、これからは自分一人でやさしくない外の世界の理不尽と向き合っていかなくちゃあならないとな。」
「そう、ですね……。」
わたくしは、両親の腕でできたやさしい楽園なんかにいたことはない。産まれてから一度だって。
「そうしてみんな自分のわがままや理想が通じない世界、学校や公園に出たときにそれぞれの生き方を選ぶんだ。
ある者はいじめっ子や先生に媚びへつらい、理不尽に対しておもねることで生きていこうとし、またある者は他者や目上の人間に反発し、理不尽と戦うことで生きていこうとする。
どっちが正解かなんてのは分からない。社会にでてもそうだろう、媚びへつらう相手が上司や客に変わるだけだ。」
「おねえさまは人生の理不尽との、どんな付き合い方を選んだんですか?」
「私の場合は、家族や友と、それ以外だ。つまりいくらでも理不尽は受け入れるが、それが私の家族……お前やお母様とぶつかったときだけは、全力でその理不尽を叩き潰す。
逆に言えば家族や友に危害が及ばないのならば、それが理不尽であれ悪意であれ……差別であっても、どうもしない。人間1人でこの世の不条理すべてを相手取るのは、到底無理な話だからな。だから私は家族と友を選びそれ以外の全てを捨てた。」
おねえさまはまだ若い人であるはずなのに、一瞬とてもくたびれてうち捨てられた、“大魚との死闘を終えた海の老人”のように見えた。けどその老人は決して闘志を失わなかった。
「幻滅したか……?」
「いえ!何かを選ぶということは、それ以外の全てを捨てることだと思います。だから、おねえさまは勇敢な人だと思います。あいは何かを捨てる勇気というのが、まだ持てないので……。」
わたくしはまだ、理想の世界を生きているのだろうか。理想を捨てきれないでいるのだろうか。“100日以上もただ魚を求め、明日こそは、また明日こそはと闘志を持ち続ける猟師”のように。
◇◆◇
聖別の儀のときもそうだった、おかあさまの愛以外すべてはとるに足らないものだと切り捨てたはずだった。だけど、どうしてもはるひちゃんに勝ったと思えなかった。勝とうと思えなかった。
自分よりずっとしあわせな人を、何倍もやさしい人を暴力で殴り倒したからといって勝ったことにはならない気がした。むしろ、その行動こそが敗北を証明しているように感じられた。
斃せなかった。それさえすれば、ずっと、ずっと求めていたモノが手にはいると知っていたのに。分かっていたのに。結局すべてを捨ててしまった。
あのとき、負けを認めたとき、わたくしは何を失ったんだろう?誰を喪ったんだろう……なにかを、得たのだろうか。
◇◆◇
「そうか、やはりお前はやさしい子だ……。私はお前に害が及ぶなら万難を排して駆けつける。お前の敵全てを滅ぼすと誓おう。
……だから、どうかお前は安全なところにいてくれ、この学校に潜む悪意とは関わらないでくれ。お前は……私の、いちばんの弱点なんだ……。」
――いちばん弱点がわたくしだと言うのなら、きっといちばん大切な人はお母様なのだろう。
返事はできなかった。うそになるからだ。性別を偽る以外に、おねえさまにうそはつきたくなかった。これ以上、大事な人にうそをついて生きるのは、いやだった。
◇◆◇
「こんにちはー!いやーこんばんはかな?アイちゃん久しぶり!シュベスターこんな人気のないトコロにアイちゃん連れ込んでなにしてんのさ~。風紀委員長サマが、堂々と風紀を乱していいわけぇ?」
振り返ると、しらぬいさんが立っていた。いつからいたんだろう?おはなしきかれてた?
「はぁ、うるさい、お前こそ生徒会長サマともあろうものが、こんなとこで何をしてる?全校生徒の代表ともあろう者がきょうだいの会話を堂々と盗み聞きか?」
しらぬいさんがにっこりと笑う。
「いや~?人目がないからってデレデレしてるシュベたゃんを眺めてただけだよ~。」
「たゃん言うな……まぁちょうどいい、私はこれから残してきた仕事と礼儀のなってない部下共を片付けに、風紀委員室にもどらねばならん。お前が代わりにアイを家まで送って行ってやってくれ。」
「生徒会長を顎で使うのなんて貴女くらいだよ……。まぁ!いいけどね~。ほらアイちゃんこっちおいで~。しらぬいさんがおうちまで手を繋いでてあげる。」
おねえさまからしらぬいさんに引き渡されて、おねえさまを振り返る。
「おねえさま……。」
「アイ、じゃあな……しらぬいといれば安心だ。しらぬい……手を繋ぐ以上のことをすれば……わかっているな?」
「はいはい、こわ〜いおねえちゃんは早く帰った帰った。」
◇◆◇
茜色の中で道に長い影を伸ばしながら、しらぬいさんと手を繋いで帰る。しらぬいさんはとてもうれしそうで、つないだ手を大袈裟に揺らしている。
しらぬいさんを見上げると、しあわせそうに笑って下さるので、つい微笑み返してしまう。でも、わたくしなんかといて、何がそんなにうれしいのだろう?見つめ合っていると、ふとしらぬいさんが立ち止まる。とってもいい笑顔で見つめられる。
「♪」
「……?」
どんどん近づいてくる。
「♪♪」
「??」
とりあえず笑みを返しているが、何が何だか分からない。
「フッ」
「ひゃあっ!」
耳に息を吹きかけられた!?
「アイちゃん!」
「……??はい?」
「アイちゃんアイちゃん」
「はい、はい……?」
「アイちゃんアイちゃんアイちゃん!」
「はい、はい、はい?」
「アーイーちゃーん!」
「はーあーいー?」
これで合ってるのかな?
「正解!アイちゃんかわいいねー、かわいいだねー、ワシャワシャ〜よしよし〜」
「わ〜♪」
撫で回される。犬になった気分だ。けど、嫌な気分じゃない。思えば、しらぬいさんと2人だといつもこんな感じかも?難しいことが考えられなくなるというか。
「アイちゃんだっこしてあげる!」
「えっ、でも……。」
「ここはもう、学園から離れてるしさ!誰にも見られないよ!」
「で、では……。」
ぎゅーっと抱っこされる。おねえさまとは、また違った抱きしめ方だ。絶対に離さないぞという強い意志が伝わってくる。こんなしらぬいさんも、おねえさまみたいに学校と普段とでは違う顔があるのだろうか。
「しらぬいさん……。」
「ん〜?」
「しらぬいさんは、生徒会長のときも、こうして2人きりのときも、変わりませんね?」
「ふふーん。しらぬいさんは、しらぬいさんだからね〜。でも、ほんとうはこわいかもよ〜。生徒会長の時は特に……。」
「でも、わたくしにはいつもお優しいですよね?」
しらぬいさんは目線を、抱き合う私たちが作る影に移しながら、答えた。
「そりゃあアイちゃんのこと好きだからだよ。好きな子には、やさしくしたいし、笑っていて欲しいと思うもんなんだよ。はるひちゃんみたいに、好きな子に意地悪しちゃうようなお子様ではないのだよ〜しらぬいさんは〜。」
知らなかった。
「はるひくんって好きな子がいるんですか?どんな子ですか?」




