15-③. パンドラの箱の底の残りもの No Longer Human.
前で紅葉の葉が踏みしめられる音がした。膝から顔を離して、眼を開くとかげろうがベンチの前に跪いていた。
「お礼なんてとんでもない。アイ様が地獄の学問を愛していたから、俺は地獄のことを知ろうと思ったのです。大好きな人の、大好きなものを、好きになりたかったから。だから、もし今のおれの言葉がアイ様の助けとなったのなら、それは他ならぬアイ様の手柄ですよ。」
両手でわたくしの手を取り、そこに口づけを落とす。いたずらっぽくかげろうが笑う。まだ三人で何も知らずに笑い合っていたときのような笑みだ。少なくとも成長してもかげろうはあの日々の面影を失わなかったらしい。
「でも伝えてくれたのは、教えてくれたのは、かげろうでしょ?……だから、ありがとう。」
精一杯笑みを作ってみる。
うまくできただろうか?
かげろうが少しの間、眼を見開いて固まったあと、眼をそらしてしまう。
うまくできなかったのかな……?
そしてわたくしの右手の甲に額を押し付けて、言う。
「やはり、おれはアイ様には笑っていて欲しいのです。……これはアイ様の笑顔がみたいという、俺の、自分勝手な欲望です。でも――」
かげろうの足元にあった黄色が紅に染まっていく。そしてゆっくりとすべての紅葉が刈安色から、朱色へと転じていく。獣神体になったかげろうの心のなせる業だろう。それに見惚れていると、かげろうがこころを伝う。
「アイ様の笑顔のためならば、おれはいつ何時でも、世界の色さえ紅く染め上げてみせましょう。
世界中が貴方のことを、太陽に向いていない向日葵だと、太陽に背く月だと、そう言い張っても、
俺がただ一人、貴方は太陽に向いていると、貴方こそが太陽であると、叫びましょう。
――ここに、誓います。」
なんで、かげろうは、太陽に向いていない、こんなわたくしに――。
「……例えば、もしわたくしが……」
――ほんとうは人間体だったとしても――?
「……ほんとうはかげろう思ってるような人じゃなくても?」
「勿論です……貴方はおれの、太陽、なのですから――。」
◇◆◇ ◇◆◇ ◇◆◇
パンドラ公国のマンソンジュ軍士官学校には、“人間体潰し”として、多くの人間体から恐れられる生徒がいた。
いくらパンドラ公国には種族的に優れた獣神体至上主義の機運がかあるからといって、能動的にわざわざ人間体に危害を加えようとするものは少ない。相手が人間体といえど、罪に問われる可能性があるからだ。勿論被害者の人間体が悪いと断じ、加害者に同情的な世論にはなりやすいので、可能性があるに留まるのだが。
なので、基本的には皆獣神体も普通の男女も、自然に、文化的に差別をするだけだった。
しかし、この人間体潰しは入学して以来、人間体を見つけ出しては、恐喝や暴言、時には暴力をふるい、1人また1人と学園から追い出していた。そうした経緯もあり、人間体潰しと呼ばれるようになり、人間体には恐れられるように、人間体以外の性別の者からは畏敬の目で見られるようになった。その者の名は――。
◇◆◇
「酷いじゃない!幾ら私が人間体だからって!寄ってたかってこんな事をしてもいいと思ってるの?!」
学園のトイレで、1人の女生徒が叫んでいた。数人のノーマルの男女に囲まれ、文房具を壊され、弁当をトイレに投げ捨てられたらしい、服に隠れているお腹には痣もできていた。
「黙れ、劣等種。この学園に紛れ込んだだけじゃなく、試験で不正までしやがって……。」
彼女を追い詰めている内の1人が吐き捨てるように言った。周りの者も同調する。
「そうよ!じゃなきゃ私たちノーマルが人間体なんかに負けるわけがない!人間体なだけじゃ飽き足らず、心まで醜いなんて!」
問い詰めらた女生徒はしどろもどろになりながら答える。
「わ、私は……不正なんか。ただ……獣神体にもノーマルにも負けないように、頑張っただけなのに……。」
その一言がノーマルたちの逆鱗に触れた。
「ふざけるな!負けないように……?」
「あんたたち人間体は生まれたときから負けてるの!劣ってるの!!」
「人間体のくせにノーマルに勝とうだなんて!!」
「調子に乗らないで!!」
「ただでさえ何でもできる獣神体のせいで俺たちノーマルが割を食ってるっていうのに!」
「こんなんじゃだめだ!やっぱり2度と調子に乗らないよう、もっと痛めつけないと……!」
「社会の仕組みが分かってない馬鹿な人間体に教えてやろう!」
「2度と学校に来れないように……!」
最初は何とか反論した女生徒だったが、あまりの悪感情に晒され、ただ頭を抱え助けを祈るばかりになった。ノーマルたちが今にも彼女に襲いかかろうとしたとき、喧騒を切り裂く冷たい声がした。
◇◆◇
「……何を、しているんですか?」
トイレの入り口からしたその声はおおよそ大きいとは言えないのに、全てを黙らせる温度をしていた。全員が振り返り入り口の方を見る。窓際に追い詰められ、蹲った女生徒にはその生徒の姿は見えなかったが、声だけでも先ほどまでの屈辱を忘れ、ただ恐怖するには十分だった。
足音が近づいてきて、人波が自然と割れていく。皆の怯えを表すように、必要以上に離れるノーマルたち。女生徒の目には、この学校指定の靴と靴下が見えた。ゆっくりと顔を上げる。
そこには、この世の者とは思えないほどうつくしい、しかしこの世の全てを軽蔑した眼をした、生徒が立っていた。体格も華奢で上背も低いのに、その子より遥かに大きな生徒さえ、怯え切っていた。スカートとネクタイの色から見るに、女生徒と同じ1年生のようだった。彼女は制服着て、肩にかかった黒いコートには腕章が付いていた。
「質問に答えて頂けますか?皆さんは、この生徒に何をしていたんでしょうか?」
皆言葉を失っていたが、ノーマルの内の1人がやっとのことで口を開く。
「こ、コイツが……コイツが人間体のくせに調子に……調子に乗っていたから……」
「そうよ!……それに、テストで不正も……!」
この子には誤解されたくなくて、違うと心から叫びたかったが、こわくて言葉が出ない。
「なるほど。それで皆さんが教育、していたと……そうですね?」
その子が言葉をこぼすたびに、皆震え上がる。
「そ、そうです……。」
上級生であろうノーマルでさえ、畏まった言葉遣いだ。学年など超越した美とおそろしさが、その子にはあった。
「なるほど……ふむ。」
「コイツが悪いんです!コイツが――」
《黙れ。》
ちいさな呟きだったが、絶大な圧があった。獣神体の放つ圧だろう。ノーマルが皆黙り込むなか、女生徒だけは、目の前の子のことを、自分を救いに現れた天使だと思った。祈りが通じて、私を助けに来てくれたのだろうと――。
「皆さん、よくできましたね。いい子です。」
――天使は、天使ではなかった。
「……ですが、いただけません。人間体を粛清するのは、わたくしたち、獣神体至上主義委員会に任せて下さらないと。勝手な判断で私刑を行ってはいけません。
……分かりましたね?2度と、ですよ?」
その子の獣神体としての圧が強すぎて、ノーマルたちは言葉を発せない。その様子をみて、天使が舌打ちをする。
「チッ……全員……返事。」
「「は、ハイ!!」」
皆が慌てて返事をする。
「……よろしい、ではこの不正を働いたという、不届きな人間体はわたくしが直接この手で懲罰致します……。皆さんは解散してください。」
その子が黒い手袋に覆われた手で女生徒を指さす。すき間からのぞく肌の白さで、髪の黒さと手袋の黒が強調されている。その手袋は、人間体なんぞには触れたくないという、彼女の心を物語っているようだった。
「あ、あの……そのコートに腕章……貴女はまさか……。」
女生徒も噂には聞いたことがあった。夜のように黒い長髪、黒いコートに黒い手袋、雪のように白い肌、天使のように愛らしく、美しい顔。人間体潰しは、天使のような見目麗しい……悪魔だと。
「うん?……ああ、そうですね。お初にお目にかかります。わたくしはこの学校の1年生。
そして、獣神体至上主義委員会の委員長でもあります――」
天使の微笑みに、空色の、サファイアの瞳。
「――アイ・ミルヒシュトラーセと、申します。」
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