14-①. 堕胎告知 The Abortion Annunciation
――エレクトラの刃は振り下ろされた。だが父親の手によってそれは防がれた。エレクトラは目の前に立つ最愛の夫を見つめる。その、空色をしたサファイアの瞳を――。
◇◆◇
「オイディプス……。何をしている?危うくお前を傷つけてしまうところだったぞ。心からお前を愛しているおれの心じゃあお前の肌に傷1つつかないと分かっていても。いい気分じゃあない。
……だいじょうぶか?……怪我をしたのか……?」
慌てて憎悪を投げ捨て、夫に駆け寄る妻。
「ああ、ありがとう。エレクトラ。俺は怪我1つしていない。お前が自分を守るよりも先に、俺を愛の心で守ってくれたからな。でも、もう少し、自分のことを大事にしろ。俺より先に自分の身を案じてくれ。」
「何を言ってる。自分よりも大切なお前だから、守るんだ。自分を守ってお前に怪我でもされちゃあ、おれは一生自分を許せないだろう。おれの身体が2つに裂かれるよりも、お前にかすり傷1つでもつくほうが、おれには痛いんだ。おれのこころはいたむんだ。わかってくれ。」
「……あぁ、そうだな、そんなお前だからこそ、俺はお前を愛しているし、お前も俺を愛していると確信できる。」
「おいおい!オイディプスよ!そんな当たり前のことを言うな!もしお前が愛されてるか不安に思うんだったらおれが、お前の妻であるおれが、何千回だって叫んでやる!愛しているぞ……この世の何よりも。」
「ああ、痛いほど伝わってくるとも。でも俺だってお前を愛してるんだ。お前が傷つけば、お前の夫の胸はいとも容易く引き裂かれる。……このことをこころに刻んでくれ。」
「!……ふふっ、ああ、刻むとも。“お前の言葉”は全部、出会ってからずっと全部、このこころに刻まれていとも。」
エレクトラが愛おしそうに胸に手を当てる。
アイが言ったように、夫をよく守る妻と、妻を甲斐甲斐しく支える夫の、“理想の夫婦の姿”がそこにはあった。
ひまりは信じられなかった。この夫への慈愛に満ちた妻が、子どもを憎悪で殺そうとした母親と、同じ女だとは。
◇◆◇
「それにしても、どうした?オイディプス。なんでここへ来た。危ないから離れていろといったよな?」
「あぁ、お前の判断をできるだけ尊重しようとは思ったんだがな。気がついてないみたいだから、言いに来た。アイを見てみろ。」
「アイ……?」
エレクトラが存在を忘れていた息子の方へ眼をやると、アイの身体が変異しきっていた。人間体へと――。
「ちっ、こいつ。こいつのせいで全てが台無しだ。ご破算だ。おれたちがどれほど苦労してこの聖別の儀を設けたか、こいつには想像もできねぇんだろう!」
苛立たしげに吐き捨てる妻の手を握って、オイディプスは提案する。
「落ち着け……。まだやりようはある。アイは完全に人間体になってしまったが……。それも、アニマ・アニマに。」
その言葉を受けて、エレクトラがアイをよく見てみると、確かにアイの身体に女性の特徴が現れ始めていた。
「クソっ!」
「大丈夫だ。幸い儀式に参列しているのは両家の者だけだ。この結果を知る者は、春日家やつらと俺たちだけだ。つまり――。」
「コイツらの口さえ塞げば、どうとでもなるなぁ……!やっぱりお前は最高だぜぇ……愛してるぜぇオイディプスよ……!いや、最高じゃあなくたって愛してるんだがな!」
「そんな当たり前のことを言うな。」
ひまりは恐怖した、ミルヒシュトラーセ家の人間なら、不知火陽炎連合の末端なんて文字通り消してしまえるのだろう。しかし、真に恐ろしかったのはそんなことではなかった。囁くように愛し合う2人には、アイなど眼中になく、きっとこの子も一緒に殺されるのだろうと思ったからだ。実の親に。
◇◆◇
「聞いてただろう、しゅんじつ。俺達とまた手を組んで、やり直そうじゃないか。俺たちの仲だろう?」
アイを助けに戻る前に愛情を与えていったひまりのおかげで、しゅんじつは動けるまでに回復していた。いつの間にか、アイとひまりを庇うように立っている。
「……オイディプス様。いや、オイディプス。今度は貴族同士の政治じゃなく、お前ら夫婦の昔馴染みとして話させてもらう。
手を組んでもいいが、条件がある。ウチの家族に手を出すな。出そうともするな。2度と。
そう誓え、エレクトラ。」
「アァ〜、悪かったよ。我を失ってたんだ。もうオマエの家族を殺そうなんてしねぇよ。お互いこんなクソみてぇな立場になる前からの、旧い仲だしなぁ。
それにオマエを敵に回したら、昔からどんなにクソめんどくさかったか、さっきの殺り合いで思い出したよ。おれとオイディプスが手を組んでも、オマエを相手取るのはめんどくせぇからなぁ。」
「黙れ。そんな言葉はではなく、誓え。俺は誓う。俺、
《春日春日》は……今度、《お前が俺の家族に何かしようとしたら、必ず殺す。》」
しゅんじつが心で剣を創り出し、エレクトラの首にあてる。
「わかったよ。わかった。誓う、おれ、
《エレクトラ・アガメムノーンナ・フォン・ミルヒシュトラーセ》は、2度と《春日春日の家族には手は出さない。》」
エレクトラも創り出した刃をしゅんじつの首にあてがいながら、宣言する。お互い首に心をあてられても、それを相手が振り降ろすことは決してないという、深く旧い信頼があるようだった。そして、お互いの心が消えていく。
◇◆◇
「それと、アイ君もだ。もっと大切にしてやれ。」
「それはウチの問題だろぉ?他人の家に首を突っ込むな。」
そこにオイディプスが割って入る。
「さて、事態を収めようじゃないか。まず、ここでは聖別の儀は起きなかった。
アイと春日春日は、お互い別の人間と聖別の儀を行い、2人とも、アニムス・アニムスになった。そして――」
今まで黙って行く末を見守っていたひまりが声を上げる。
「オイディプス様……まさか……人間体になったアイちゃんを、“獣神体として育てる”つもりじゃありませんよね……?」
この場で唯一の人間体であるひまりだけが、その残酷さを真に理解していた。
「黙ってろクソ女、気安くおれの夫に話しかけんじゃあねぇ、人間体の分際でよぉ。」
「エレクトラ、次俺の妻を侮辱したら、どうなるか……わかっているな……?」
「チッ……わーったよ、わかった。で、オイディプス続きは?」
「もちろん、アイが人間体であることは隠して、獣神体として育てるつもりだ。幸いこころをもつものであるアイを信奉するものは近頃増えている。容易くアイが獣神体だと信じるだろう。」
「……!おそれながら申し上げます!ですが、それがどんなに残酷なことか分かってるんですか!?オイディプス様!力を持たない人間体が、万能の存在である獣神体として生きるなんて、獣神体として社会に扱われるなんて!人間体にそんなことが耐えられるわけがない!」
「テメェ……。」
「いい、エレクトラ。そうだな。確かに人間体は一般的に子を産む力以外の全ての能力で、獣神体に劣っている。ノーマルの子供にさえもな。
だが、アイはこころをもつものだし、見た目もむしろ獣神体でないとおかしいぐらいに――」
美しい、と言おうとして、側に妻がいることに思い至ったオイディプスは、言葉を選びなおす。
「――整っている。まぁ獣神体だと誤魔化せないくらい、男性体でも女性体でも華奢で女性的なのは玉に瑕だが……。
まぁこころをもつものの能力を使って、獣神体のフリをすることはできるだろう。それがどれだけコイツにとってつらいことかは、この際、脇においておこう。」
「っ!そんなの――」
「――やらせて下さい。わたくしに。」




