13-②. 妻と母 the Child Hater and Lover
「――なんで、自分の子どもにそんなことができるの……?」
ここにいるはずのない者の声。とっくに逃げたはずの、ひまりの声。エレクトラの後ろに、ひまりが立っていた。
「アァ?!テメェなんでまだここにいやがる?!娘と一緒にビクビク逃げ回ってりゃあいいのによぉ!!娘はどこだ?!吐きやがれ!!」
「私の娘なら、安全な所に隠してきたわ。絶対に見つからないよう私の心でね。今は私一人。貴女の目的は私の娘でしょう?だったら私が娘の居場所を、貴女に言うわけがないでしょう?私は母親なんだから。あの子の親なんだから。決して傷つけたりしない。この命に代えても守りきってみせる。」
ひまりが、アイには見せたことのないような、鋭い眼光でエレクトラを睨む。
「オイオイオイ!これはお笑いだ!!大事な娘を独り置いて、ノコノコとこんなとこに来た奴がよく言えたなぁ!!よくいい母親ヅラできるなぁ?!ギャハハ!!」
エレクトラが頭に手をやり、ひまりを嘲笑う。
「……たしかに私はいい母親じゃないかもしれない。夫に『娘を守ることだけを考えろ』って言われたのに。ここに来ちゃったんだもの……。
……でも、貴方は。自分の子どもを笑いながら殴るような貴方は。自分の子どもに平気で怒りをぶつけるような貴女は。自分の子どもに『産むんじゃなかった』なんて言葉を言えるような貴女は。母親じゃない!!母親ですらないわ!!!」
最後の言葉に、ぴくっと反応し、笑みを止めるエレクトラ。
「テメェ……今なんつった……?おれが母親じゃねぇだと……?劣等種の糞女が。ガキを産むだけの劣等種が。このおれに、獣神体のおれに、母親じゃねぇだと……?テメェはおれのことを何も知らねぇだろうが!!」
ひまりを力任せに蹴り飛ばすエレクトラ。
◇◆◇
「黙れ!!うるせぇんだよ!!おれだって母親になんかなりたくなかったよ!!おれが望んでなったと思うか!?こんな塵屑の母親によぉ!!こんな何の役にもたたねぇガキのよぉ?!あの腐れ糞売女のガキなんかの母親によぉ!!
オイディプスのガキじゃあなけりゃ産まれたときにぶっ殺してる!!オイディプスとのガキじゃなけりゃ、おれがわざわざ母親なんて、貧乏くじ引くわけねぇだろうが!!母親なんて糞の恩恵もねぇ、損ばかりする役割によぉ!?何してやっても感謝もされねぇ苦行をよぉ!?
こっちは飯も住む場所だってやってるんだ!!糞餓鬼1人育てるのに馬鹿みてぇに金がかかってるんだ!!その分ガキが親の役に立たなきゃあ割に合わねぇだろうが!!わざわざ産んでやって、飯もやって、金までやってんだ!!じゃあ子は親のモンだろうが!!ガキは産んでもらってる分際なんだから、育ててもらってる身分なんだからなぁ!!」
ひまりは立ち上がり、自分より遥かに強い性別の、ずっと心の強大な相手に、一切怯まず言葉を返す。
「確かに私は、貴女の事情は知らないわ。でも貴女も私のことを知らないでしょう?
『母親になんかなりたくなかった』て言うけど、自分で選んだんでしょう?子を持つということがどういうことか、よく分かった上で、“自分で”決めたんでしょう?だったら自分の決断に責任を持ちなさいよ。自分の不満で子どもに当たり散らかすぐらいなら、最初から母親になる資格なんかない!母親になんかならなければよかったじゃない!
親になるっていうのは、自分の人生の主役を子どもにするってことなの。自分よりも先に子どものことを考えるってこと。命を次に繋いでいくってことなの。何時までも“女の子”として、甘やかされていたいんなら、自分ことばかり考えていたいんなら、母親になんかなるんじゃないわよ!!子どもが可哀想よ!!
貴女はなんでもあげたあげた、してあげたって言うけど。それは親の言う台詞じゃない。子どもがいつか大きくなって自分からそう思って、親にたくさんのことをしてもらったって気づくことなの。それは子どもが自分の手で気づくことで、親が押しつけることじゃない!!
それに親だって子どもにたくさんのものをもらってる。親は子どもがいて、はじめて親になれるの。子どもに親にしてもらうの。親が1人で親になれるわけじゃない!子どもの成長を見守るだけじゃなくて、親だって子どものおかげで成長させてもらえるんだから。親になったらいきなり急に立派な人間になれるわけじゃない。親だって人間なんだから、親だって親になるのは産まれてはじめて、分からないことばかりだから子どもと一緒に成長するの。
でも、子どもに怒りにまかせて暴力を振るったり、子どもがいちばん傷つくことをわざわざ伝えるのは、絶対に間違ってる!!親になったばかりでも、みんな知ってる。だってみんなはじめは誰かの子どもだったんだから。親に言われたら、されたら嫌なことなんて、自分が親にされて嫌だったことなんて、知り尽くしてる。だから、アイちゃんにそんなことをするのはもうやめて。」
◇◆◇
エレクトラは黙って聞いていた。俯いているから髪に顔が隠れて表情は闇の中だ。アイは最初はひまりが自分なんぞを庇ってくれることに、やさしくしてくれることに、わざわざ戻ってきてくれたことに、涙を流したい気持ちになった。アイには涙は流せないが。
しかし、ひまりの言を聞いているうちに、おかあさまが黙ってそれを聞いている姿をみるうちに、おかあさまを助けないと、という気持ちのほうが大きくなっていった。どんな仕打ちをされてもアイは、アイはどうしょうもなく母を愛してしまうのだった。それは決してやめられないのだ。理由なんかない、条件なんかない、ただこの人が自分のおかあさまだから、愛するのだった。
喉が潰れていたがそんなことは関係ない、おかあさまのために、首がもげようが、喉を掻っ切られようが、話さなければならなかった。万力の力を込めて、最後の……最期の心を振り絞って言葉を伝えるのだった。
◇◆◇
「……ひ、ひまり、さん。ありがとうございます。わたくしのなんぞのために。はるひちゃんを傷つけたわたくしなんかのために、戻ってきて頂いて……。やさしい心を砕いて下さって。わたくしにはそんな資格なんかないのに……。でも、違うんです。」




