9-②. 罪と罰と、ちいさな聖母の無垢なる祈り。Crime and Punishment with Prayer of the Very Little Virgin
「はるひが彼氏を連れてきた?!は!?まだ早いだろう!家の娘はまだ性別も決まってないんだぞ!!……うちに泊まった?!なんでお前は許したんだ!」
「まあまあアナタ、お似合いのかわいいカップルよ?」
「そんな問題じゃない!父親に挨拶もせずにはるひと付き合うなんて!うちに泊まるなんて!!その男をここに連れてこい!とっちめてやる!!」
「だってーアイちゃんー!こっちにきてくれるー?」
「……ん?あい……?」
◇◆◇
隣の部屋に敷かれた布団の上で、アイは震えていた。聞こえてくる春日春日の性格像が、自分の父親と一緒だったからだ。
春日春日の父親である、春日春日は、所謂昔気質の強い男だった。
生まれたときからやんごとなき身分であったアイの父オイディプスと、生い立ちは決して似通ってはいないが、通づるところがあった。家父長制の気質の強い家で育てられたのだ。
といってもしゅんじつは父から教えられる悪しき風習――と彼が判断したもの――は決して受け継がなかった。そして自らの心が善いと認めたものだけを、父から受け継ぎ――少なくとも彼そうできたと信じている――決して母や妹たちを蔑ろにする父を真似ようとはしなかった。
彼が父から真似た――もしくは彼の性癖だったのかもしれないが――ことは、男子たるもの女子供をよく守り、自分の事を犠牲にしてでも家族を守り抜くという一言に尽きた。彼の父親も妻と娘に対しては差別的ではあったが、いつもそれらを守ることに躊躇はなかった。この点で言えばオイディプスとしゅんじつに重なるところもあった。彼も家父長制的な家で育ったが、今は妻と娘たちを溺愛しているし、男子たるもの強くあれと言う精神を持っている。
違うのはしゅんじつはそれを自ら選び取り、オイディプスはそうなるしかなった、という点だ。また、おおよそ対極にも思える、庶民生まれのしゅんじつと高位貴族であるオイディプスの人生が数奇にも交わったことがあった。彼らは若かりし頃同じ女性を愛したのだ。
◇◆◇
その娘の名はサクラ。サクラ・マグダレーナ、貧民の生まれのため家名はなく――“マグダラのサクラ”――つまり“マグダラ生まれのサクラ”という意味であった。サクラは生まれたときからその美しさで周囲の人々を畏れさせていた。
しかし、サクラにとってはどうでもよかった。別の関心事があったのだ。サクラには幼なじみの男の子がいた。その子といつまでも繕いまみれの服や明日の飯もないことを笑いあいながら生きていたかった。山のなかで、貧しいその日暮らしをしていた。2人はそれでも幸せだった。
でも、サクラはある日それじゃあ足りなくなってしまった。この世でいちばんうつくしいとまで噂のサクラを、その時分まだただの平民の子であったしゅんじつが一目見ようとやってきたのだった。そしてその一目で恋に落ちた。一番下まで落ちたのだ。そしてすぐに求婚した。この恋が陽炎と消えてしまわぬように。
それがいけなかった、それがこの片田舎の美少女を傾国の美女へと変えるきっかけだった。彼女に気づかせてしまった。自分の美貌に価値があると。幼なじみと二人で花冠を作るよりも、この美しさを利用して純金の冠を手にしてやろうと。
それからは早かった。サクラは2人だけのユートピアであった山から降り、俗世の人塵の蔓延る街に降りていってしまった。思うにこの時がサクラと幼なじみとの決定的な別れの時であった。
サクラは貧民から平民となるために、春日と恋をし、平民から貴族となるために、オイディプスと逢瀬を重ねたのである。それから自らの美しさでもって春をひさぎ、地位を高めてきた。
外見ではなく、自分の能力1つでのし上がってきた――と少なくとも本人は自負している――エレクトラにはその点も気に食わないのであった。真にサクラとエレクトラは対照的だった。そして、その生き様は決してお互いを解さぬ平行線であった。アイが生まれるまでは。アイという子の2人の母親として、アイという存在によって、アイという点において、2つの線は交わったのである。
◇◆◇
――どんなやつだ?どんな男だ。まだちいさい、かわいいウチの娘を誑かしたやつは。どうせ碌なやつじゃねぇ。春日家の一人娘に手を出そうなんてやつは。いい度胸だ。どんな高位の貴族でも許しちゃおけねぇ。一発殴って分からせてやらねぇと。……来やがった、ふてぇ野郎だ……のこのこと――。
拳に力を込めたしゅんじつの前に、アイが怯えた眼をしながらおずおずと姿を現す。
「……サクラ……?」
――なんでここに?いや、ありえない、だってサクラは……。いや、それに……あの頃のサクラだ。この髪、顔、なんで――。
形をなしていない疑問が次々とこぼれ出る。
「……サクラ……、どうしてだ……?、いやありえない、サクラ……、どうしてここに、その姿は――?」
普段狼狽する姿を決して家族に見せようとしない夫がしどろもどろになっている姿を見て、ひまりは驚いてしまう。
「あ、アナタ?どうしたの……?それに、さくらって……?」
「……あ、あの……?」
困惑するアイの表情をとらえたしゅんじつがハッとする。
――いや、違う確かにあの頃のサクラの生き写しだと思ったが、違う、サクラはこんな表情はしない、こんな態度は取らない。それにこの娘とは髪の色も、眼の色だって違う。サクラはルビーの眼をしているが、この子はサファイアだ。
神に跪くように屈み込み、問う。
「キミは……?」
「!……申し遅れました!大変申し訳ありません!お初にお目にかかります……わたくしの名は、アイ、と申します。アイ・ミルヒシュトラーセでございます。春日春日様。お、お会いできたこと、恐悦至極の念に堪えません。」
「あい……アイ?アイ・ミルヒシュトラーセ?……それじゃあ、君が。」
「は、はい。はるひちゃんの友……いえ、はるひさんの聖別の儀の相手役を務めさせて頂きます。アイでございます。」
「そうか、そういうことか。道理でアイツ……俺に君の姿を見せてくれない……君と会わせてくれないわけだ。」
しゅんじつは何かずっと不可解だったことが氷解したように。ひとり納得する。
「……あいつ?と申しますと?」
「いや、いいんだ。はじめまして、もう知ってると思うが、俺は春日家の家長、春日春日の父親、春日春日だ。……アイ様?」
「様などと!どうかおやめください!……わたくしなどは、ただのアイと、そうお呼びください。」
アイが深く頭を下げ、しゅんじつの眼が大きく見開かれる。
「なるほど、アイツとは正反対だ。似ても似つかない。そんなに怯えないでくれ、俺は君の敵じゃあない。それに、君はミルヒシュトラーセだろう?上の立場の者が軽々しく頭を下げるものじゃないよ。春日家なんぞ、君からしたら末端も末端だろう――」
今はまだ、と心のなかで付け足す。
「いえ、わたくしなんぞは比することも烏滸がましい者です。どうかご容赦下さい。」
――なるほど、これがほんとうにアイツの息子か?いや、アイツらが母親だからこう育ったのか?
「では、どうだろう。こうしようじゃないか。君はウチのはるひの友達で、俺は友達の父親だ。だからまぁ、既に親しいとも言えるし、お互い気楽に行こうじゃないか。それに、親しい者たちの間では慇懃は、むしろ無礼というものだ。君も礼を欠きたくはないだろう。」
しゅんじつはこの一瞬でアイが礼を欠くことを最も恐れているのだと、その慧眼でもって見抜き、即座にそれを逆手に取った提案をする。こう言われてはアイも失礼を働かない為には、慇懃な態度をやめざるを得ない。
「分かりました。では、しゅんじつさん……と。」
「おお、よろしくアイ君、まぁ、とりあえず座ってくれよ。獲って食ったりしないからよ。」
アイに座布団を指し示す。
「失礼致します。」
――しっかし、この美しさ、完璧にサクラの生き写しだな。サクラより美しいものなんてこの先お目にかかれるもんじゃねぇと思っていたが、生きてると、あるもんだなぁ。
「…………。」
「……?」
無言で見つめられアイはもじもじと身を揺らす。
「あなた!アイちゃんが怖がってるでしょ!やめなさい!」
ペシッと肩をはたくひまり。
「い、いや……威嚇してるわけじゃないぞ?ただどんなふてぇ野郎がくるかと思ってたら、こんなに綺麗な子が来て、驚いているだけだ。」
「そんなこと言って、さっきは拳握って、『とっちめてやるぅ!』って言ってたじゃない。」
「!ひうっ……!……。」
ただでさえちいさい体躯をさらに縮こまらせるアイ。
「あ、アイくん!違うんだ。怯えないでくれ!ひまりも!この子を怖がらせるようなことを言うな!俺だってこんなにかわいい子を殴ったりはしねぇよ!」
「……ほんとう、ですか……?」
アイが震える瞳で尋ねる。
「あ、ああ!本当だ!安心してくれ!」
はるひとひまりには、アイに怖がられないよう必死な父が、初めて見る小動物に狼狽える大型犬のようで、声を上げて笑ってしまう。
「「あはははっ!」」
「お前ら!笑うんじゃねぇ!」




