194. 花に亡霊を。 Phantom in the Flower.
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……それにもう愛してくれる親がいるとしたら。このわたくし、“アイ・サクラサクラ―ノヴナ・フォン・ミルヒシュトラーセ”に愛してくれる親がいるとしたら、この文学界にただ一人でもいるとしたら……サクラ・マグダレーネ さましかいないからだ。だってだって、お父様もエレクトラ様も駄目だった。どんなに頑張っても駄目だった。
――桜の華はあいにとっての“無償の愛”……犍陀多にとっての“蜘蛛の糸”だった。
……御釈迦様が蓮池から垂らした、地獄から極楽へと続く……一条の光だった――。
◇◆◇
……執務室でエレクトラの前に一人の人間体がいた。
「何をしに来やがった。糞ビッチの糞人間体が……!!よくふんぞり返っておれの城の敷居を跨げたもんだなぁ?よく肩で風を切っておれの前にその糞みてぇな面晒せたもんだなぁ……?えぇ!?おい!!」
その者は桜色の衣に身を纏いて、羽衣をはためかせていた。人は言う、“立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花”……その女こそが――。
“愛”と“エゴとアガペー”の母にして、“美の神の寵愛”をその一身に受けた者……。この“文学界で一番美しい”者である。
――サクラ・マグダレーネ だった。
「――あらあら、エレクトラちゃん。そんなに恐い顔をしていたら、折角の可愛い顔が台無しよぉ?」
◇◆◇
「テメェ……ただの一娼婦がこの辺境伯爵様になんだその口のきき方は?」
エレクトラが不倶戴天の敵を睨めつける。しかしサクラは不敵で美しい笑みを崩さない。
「あら。いいじゃない。私とエレクトラちゃん、しゅんじつとオイディプスは“幼馴染”じゃない……。あぁ……忘れてた、それにファントムもね。
ファントムはここで私の子の家庭教師をしてたんだっけ?挨拶にいかないとねぇ?」
「……ファントムは今はもうマンソンジュ軍士官学校で教鞭をとってる。……今日はここにいるがな。」
「へぇ……あの子が学園で教師ねぇ。あの頃の泣き虫ファントムちゃんからは想像もできないわねぇ。
――それで?“オイディプス”は元気かしら?」
執務室の空気が一変する。
「テメェ……おれの夫には絶対に会わせねぇぞ……!!もし会ったらお前をこの手で殺してやる。」
サクラが着物の袖を美しい唇にあてがいながら、コロコロと嗤う。
「――あらあら、貴女には私を殺せないでしょう?今私がまだこうして生きている事が何よりの証明だと思うけど?
……じゃなきゃあ殺したいほど私を憎んでる貴女が私を生かしておくわけないもんねぇ?……ねぇ、“エレクトラちゃん”。」
突然執務室の全てが爆発し、机に肘を突き組んだ手に顎を乗せた、エレクトラの背から伸びた爆発の連鎖がサクラへと伸びる。……しかし、それはサクラに直撃する直前で爆発して消え失せた。
「あらあら、怖いわね。それが仲良しな幼馴染にすることかしらぁ?」
「……アイが生きているうちはオマエも生かしといてやる。……努々忘れるなよ。お前が今生きているのはおれの気まぐれだって事をなぁ……!!」
「……あらあら、その言い方……私を殺せない理由はアイちゃんにあるのかしらぁ?」
「勝手に吠えてろ。」
「まぁ、いいわ。今日は幼馴染達に会いに来たんじゃなくて、本命は私の子達だもの。エゴペーと私のアイちゃんは何処にいるのかしらぁ?」
「アイツらならどうせ中庭か談話室だろ。さっさと失せろ。おれの視界にこれ以上一秒でもいるんじゃあねぇよ。」
「……あぁ、また忘れてた。ファントムは何処かしら、あの子にも会ってあげないとね。私がいなくて寂しい思いをしているでしょうから。」
「チッ……ファントムなら探すまでもなく、蛇の尻尾振ってテメェの前に現れんだろ、どうせな。」
「ふふっ……そうね。あの子ならどうせ、そうするわねぇ。じゃあエレクトラ辺境伯爵様……ご機嫌よう。」
◇◆◇
サクラがアイを探しに廊下を歩いていると、窓から差し込む陽光のそばの影から、ファントムが揺ら揺らと現れた。
「……サクラ……。」
吐き捨てられたその言葉は、打ち捨てられうらぶれた孤児のような響きを孕んでいた。
「あら!ファントムじゃない!……どう?元気にしてるかしら……?」
「……。」
死のような沈黙。
「あぁ、愚問だったわね。だって――」
サクラがファントムの頬に自分の頬を擦り付けながら言う。
「――私が居なくて貴方が笑顔な事なんて、ありえないわよね。」
「……!!」
「折角私に会えたのにだんまりかしら?貴方が夢にまで見た私がここにいるのよ?」
ファントムの手を取り、自分の身体に触れさせる。
「ほら、手触りを肌触りを体温を温もりを……私の全てを感じるでしょう?貴方と二人桜の森で暮らした私の全てを――。」
「……君は変わってしまった。
――“私に微笑む”山桜はもうただの染井吉野になってしまった……。」
「……ふぅん?ねぇ、ファントムいつまでも御伽噺の世界には居られないのよ?貴方だけがずっと、貴女のこころだけがずっとあの山桜の丘に取り残されている。」
ファントムはバッと身を離そうとしたが、身体が温もりを求めている。身体が蛇に睨まれた蛙のように動かない。
「……!……私は変わった!もう私は山桜の中に君の亡霊をみたりしていない……!!」
「あら?そうかしら?聞いたわよ?貴方、アイちゃんとの授業で、必ず目隠しをさせていたらしいわね?それも自分の姿を見ると石なるからという理由で。」
◆◆◆
「先生?……失礼、致します。」
入るやいなや細い布の目隠しがアイに巻き付いてくる。
「きゃっ!」
アイはよろけて床に跪いてしまう。
「……いい加減慣れろ。」
地を這う蛇のような低い声が耳元から聞こえる。
「……ファントム先生、いらしていたのですね。」
「黙れ。初めて講義をした際に決めたルールを言え。」
「無駄口はきかない。この部屋にいる間は目を閉じて、決して開けない。必ず目隠しをつける。毎回目隠しを付けられたら、部屋を出るまでそれを外そうとはしない。
――決して“先生の姿”を知ろうとしない。……決して先生の目は見ない。」
「……よろしい。では本日の講義を始めよう。」
周りが見えないのでおっかなびっくり歩いているアイの手を引いて、椅子に座らせる。アイには何故ファントムがこんな事をさせるのか分からなかったが、従うしかなかった。
◇◆◇
サクラが魔性の笑みを浮かべながら、滔々と話す。
「あててあげましょう。自分の姿を見られたくないなんて嘘でしょう?じゃあなんでそんな嘘をあの子につき通してきたのか。なんで『私の目を見るな』なんて伝えたのか。」
ファントムの耳に艷やかな唇を近づける。
「――貴方が、見たくなかったんでしょう?
アイちゃんに“貴方の姿を見せたくない”んじゃなくて、貴方が“アイちゃんの瞳を見たくなかった”んでしょう?」
「――!!」
◆◆◆
「恋は罪悪である、ということですよね。」
「そうだ、恋を知ればお前も身を滅ぼすことになる。だから先程の質問の答えや、恋なんぞというものは、求めるな。これは先駆者からの忠告だ。」
「しかし、先生恋とはしようとしてするものではなく、気がついた時には落ちているものなのでは?知らずにいようと抗っても結局時が来たら避けられないものなのでは。」
一歩近づいてくる気配。
「ほう、驚いた。お前は恋を求めているのか?」
怒りをはらんだような声に、すこし身が竦む。
「いえ、そんなことはありえません。穢れたわたくしなんぞに恋をされては、その相手は水仙の花にでもなってしまいたいと願うでしょう。わたくしなんぞが恋を抱くということこそ、罪悪というものでしょう。」
先程とは違い穏やかな足取りで近づいてくる。
「それでいい、お前はそんなものを知る必要はないし、そんなものに穢される必要もない。」
「穢れたわたくしめが、これ以上穢れるということがあるのでしょうか?」
「黙れ。自己卑下は卑しい人間のすることだ。お前はサファイアのような瞳以外は、どこも穢れてなどはいない。これから穢すことも許さない。」
◇◆◇
「だってあの子の見目は私と瓜二つだけど、貴方の恋したあの頃の私と同じだけれど、一つだけ違うものね。」
「……やめろ。」
「――あの“サファイアの瞳”。
貴方が恋した私が、他の男と交わった証である。……あの“オイディプス”のサファイアの瞳だけがね――。」




