178. 信心と恋心の狭間で I Can Fall For You Every Time.
「でも……最近、アイちゃん様、ラアル王女殿下とすごく仲いいよね。学園でも一緒にいるし、王宮にも行ってるって聞いたよ。あんな美しい王女様と比べたら、わたくしなんか……地味で、つまんなくて……。」
その声に、嫉妬の色が混じっている。アルちゃんは目を伏せ、フォークをいじった。
「ラアル殿下に、アイちゃん様を取られちゃうんじゃないかって……ちょっと、怖いよ。嫉妬しちゃう……ごめんね、こんなこと言うの。」
わたくしの胸が痛んだ。アルちゃんの純粋な想いが、わたくしをさらに苦しめる。ラアルさまとの関係は、公の友情の裏に深い秘密がある。でも、アルちゃんには話せない。わたくしはそっと彼女を抱きしめた。体格差的に抱きついてるような格好になってしまうが。
「アルちゃん、そんなことありませんわ。あなたはわたくしの大切な親友です。ラアルさまとはまた違う、かけがえのない存在です。ずっと、一緒にいます。」
アルちゃんは少し安心したように微笑んだが、瞳の奥に嫉妬の影が残っていた。甘いマフィンの香りが部屋に漂う中、わたくしの心は複雑に揺れる。この日常を守りたい。でも、運命はそれを許さないかもしれない。
◇◆◇
教室の窓から差し込む午後の陽光が、埃の粒子を淡く浮かび上がらせていた。机の木目が、静かな時間の中で微かに息づいているように見える。クレジェンテ・カタルシスは肘を突き、背中を丸めてノートを眺めていたが、その背後に忍び寄る気配に気づく間もなく、柔らかな重みが降りかかった。
「グレぐ〜ん。」
アイの声は、疲労の滲む低音で響いた。彼女の腕がクレジェンテの肩を優しく包み、胸が背中に寄りかかる。突然の接触に、クレジェンテの体がびくりと震えた。
「あっ、ア゙イちゃん……!?」
クレジェンテは顔を真っ赤に染め、慌てて体を捩ろうとした。アイの匂いが、ふわりと鼻腔をくすぐる。甘い花のような、かすかにミルクを思わせる柔らかな香り。
それが彼の意識を一瞬、異性として強く引きつけた。背中に感じる彼女の柔らかさ――それは、ただの友人としての抱擁を超え、クレジェンテの心をざわつかせた。アイとしては身体は女性体でも男同士のスキンシップのつもりなのだが。
「どうしたの、アイちゃん? 突然……その、抱きついてきて……。」
クレジェンテの声は上ずり、赤面したまま肩越しにアイを振り返った。アイは彼の背中に頰を寄せ、目を閉じて深く息を吐いた。彼女の黒髪が、クレジェンテの首筋に触れ、さらさらとした感触がまた彼を意識させる。
「んー、疲れたの。クレくん、ちょっと貸してよ。このまま少しだけ……。」
アイの言葉は、ぼんやりと響く。彼女の体重が、クレジェンテの背中に優しく預けられ、彼は動けなくなった。柔らかな胸の感触が、制服越しに伝わり、クレジェンテの心臓が激しく鼓動を打つ。異性として、こんなに近くにいるのは初めてではないはずなのに、毎回のように新鮮な衝撃が走る。彼女の匂いが、再び鼻をくすぐり、彼は息を潜めた。
「う、うん……いいよ、アイちゃん。でも、みんなに見られたら……その、誤解されちゃうかも……。」
クレジェンテは周囲を見回したが、放課後の教室は二人きりだった。陽光が彼女の髪を照らし、黒い絹のように輝く。それを見ているだけで、クレジェンテの胸が温かくなる。アイは少し体をずらし、クレジェンテの肩に頭を乗せた。
「誤解? ふふ、クレくんはそんなこと気にするタイプなんだ。かわいいね。男同士なんだからダイジョーブ!」
アイの声に、わずかな笑みが混じる。だが、その奥に疲労の影が濃い。クレジェンテは彼女の異変を感じ取り、そっと手を伸ばしてアイの腕を握った。柔らかい肌の感触が、また彼の意識を揺さぶる。
「アイちゃん、最近……なんか疲れてるよね。学園の訓練? それとも、何かあったの?」
クレジェンテの問いかけに、アイは目を閉じたまま小さく首を振った。彼女の吐露が、静かな教室に落ちる。
「うん、最近疲れてるの。なんだか、心が重くて……理由は、言えないけど。クレくん、聞いてくれてありがとう。」
彼女の声は、かすかに震えていた。クレジェンテは胸が痛み、アイの腕を優しく撫でた。異性として意識してしまう柔らかさが、そこにあり、彼は慌てて手を離した。顔が熱くなる。
「そっか……無理しないでね、アイちゃん。僕でよければ、いつでも話聞くよ。」
アイはようやく体を離し、クレジェンテの隣の椅子に腰を下ろした。彼女の黒髪が揺れ、再び甘い匂いが漂う。クレジェンテはそれを嗅ぎ、内心で動揺した。彼女の存在が、こんなに近くで、異性として強く感じられるなんて。
「ありがとう、クレくん。あなたはいつも優しいね。学園で、こんな風に甘えられる男の子の友達は、クレくんだけかも?」
アイの言葉に、クレジェンテは照れくさそうに頭を掻いた。だが、心のどこかで疑問が浮かぶ。彼はそっと口を開いた。
「でも、アイちゃんは疲れた時は、かげろう様の所に行くと思ってたよ。……あの人、アイちゃんの大事な人だろ?」
クレジェンテの声は、少し寂しげだった。アイは少し目を細め、窓の外の空を見つめた。彼女の表情に、微かな戸惑いが浮かぶ。
「かげろうには、なんでか最近良いところしか見せたくないんだよね。疲れた顔とか、弱いところ……見せたくなくて。変だよね、そんなの。」
アイの言葉は、無自覚に恋心を滲ませていた。クレジェンテはそれを聞き、胸がずきりと痛んだ。
――ああ、彼女はかげろう様に恋をしているんだ。無自覚に、でも確かに。自分なんか、ただの友人でしかない。異性として意識してしまう柔らかな匂い、身体の感触――それが、届かない想いの証のように感じられた。
「そっか……変じゃないよ、アイちゃん。でも、僕には甘えていいんだからね。いつでも。」
クレジェンテは無理に笑みを浮かべ、アイの肩を軽く触った。だが、心の痛みは消えなかった。彼女の笑顔が、かげろうに向けられるのを想像するだけで、嫉妬のようなものが湧き上がる。アイはクレジェンテの表情に気づき、優しく微笑んだ。
「クレくん、ありがとう。本当に、クレくんがいると心強いよ。ねえ、ちょっと気分転換に散歩しない?」
クレジェンテは頷き、立ち上がった。アイの匂いがまた近く、恋愛対象として意識してしまう自分を、密かに叱った。胸の痛みを隠し、二人は教室を出た。陽光が二人を優しく包む中、クレジェンテの想いは静かに揺れ続けた。
◇◆◇
学園の庭を歩く二人の影が、長く地面に伸びていた。秋の風が葉を揺らし、かすかなざわめきが耳に心地いい。アイはクレジェンテの横を歩き、時折彼の腕に軽く触れる。その感触が、クレジェンテをまた動揺させた。柔らかな指先の温もり。こんなに近くにいることが、喜びと痛みの両方を生む。
――アイのとても小さな歩幅に合わせてクレジェンテはゆっくりと歩く。
「クレくん、この庭、きれいだね。花が咲き始めてるよ。」
アイの声は、少し元気を取り戻していた。クレジェンテは彼女の横顔を見、胸の痛みを押し隠した。
「うん、アイちゃん。春みたいだね。……アイちゃんの髪みたいに、黒くてきれい。」
クレジェンテの言葉に、アイはくすっと笑った。彼女の匂いが風に乗って漂い、クレジェンテの鼻をくすぐる。彼はそれを深く吸い込み、心がざわつく。
「クレくん、褒め上手になったね。ありがとう。」
二人はベンチに腰を下ろした。アイはクレジェンテの肩に頭を寄せ、再び柔らかな感触が伝わる。クレジェンテは体を硬くし、彼女の匂いに包まれた。甘い、優しい香り。それが彼の理性を試すように。
「クレくん、いつもありがとう。あなたがいると、疲れが吹き飛ぶよ。」
アイの言葉に、クレジェンテは胸が熱くなった。だが、かげろうへの想いを思い出し、痛みが蘇る。彼はおっかなびっくりアイの髪を撫でた。さらさらとした感触が、指先に残る。
「僕こそ、アイちゃん。君がいてくれて、嬉しいよ。」
夕陽が沈み、二人の影が重なる。クレジェンテの心は、愛しさと痛みの狭間で揺れ続けた。




