168. 貴女の好きな、貴女のわたくし I Love You; I am yours.
ふと、ラアルさまがずっと押し黙ってフルフルと震えていることに公王様とわたくしが気づいた。
「「……?」」
「ラアルちゃ――」
「ラアルさ――」
突然ガバっと動いたラアルさまに獣神体の凄まじい膂力で公王様の膝の上から抱き上げられる。
「アイ……!!そこまで私を想ってくれていたなんて!私は今感動しているわ!!猛烈に感動している!!このこころを表す言葉なんてこの文学界にないわ!」
突然叫びだしたラアルさまに、公王様とわたくしが目を白黒させる。
「愛しているわ!!アイ!!」
――そのこころからの純粋な言葉に、胸が痛んだ。
◇◆◇
「わたくしも……ラアルさまのことをお慕い申し上げています……。」
愛している、好き……とは言えなかった。
卑怯な気がしたからだ。
「あら〜ママの前でいちゃつくわね〜?」
「「うっ!」」
◇◆◇
次の日私が扉を押し開けると、金糸を編んだレースカーテン越しに、やわらかな日差しが室内にこぼれていた。真昼の光は、床の大理石に淡く跳ね返り、談話室全体を乳白色に染めている。
そしてその光の中心に――アイがいた。
さらり、と。
静かに揺れたのは、絹糸のような真っ直ぐな髪。両脇を結い上げたツーサイドアップが、小さな肩の上に軽やかな影を落とす。細く整った首筋。ちいさな体つきなのに、やわらかな曲線をまとっていて、触れれば吸い込まれそうなほど繊細で――なのに、息を呑むほど艶めいている。
何度見ても思ってしまう。
世界でいちばん可愛いのは、この子だわ。
「ラアルさま……。」
顔を上げたアイが、ぱっと花が開くように目を丸くする。つやつやの唇がわずかに動くたび、胸の奥がきゅうっと鳴る。
ああもう、どうしてこんなに可愛いのかしら。息をするたびに愛しさが増していくのだけれど。
「来たのね、ラアルちゃん。」
ソファの奥では、お母様――ツエールカフィー公王が、まるで宝石でも眺めるみたいに目を細めていた。
「今日は三人でお茶にしようと思ってね。ほら、アイちゃんも待っていたのよ。」
その声音は、国を治める威厳をどこにも感じさせない。
ただの“娘とその愛しい番”をかわいがって仕方がない母親そのものだった。
「お母様ったら……そんなに私の顔を見るのが嬉しいのかしら。」
わざと肩をすくめてみせると、お母様はすぐさま頬をゆるませた。
「当たり前じゃない。ラアルちゃんはこの国でいちばんうつくしいんだもの。」
ああ、まただ。
けれど私は、こういうお母様の親バカが嫌いじゃない。むしろこそばゆくて、胸の奥でそっと灯りがともるように嬉しい。
「もう……お母様は。」
軽く笑って席に近づくと、すぐ隣のアイが、そわそわと指を組んでこちらを見上げてきた。
「ラアルさま……こちらに、お座りになりますか……。」
声が小さい。語尾が震えている。
その表情に、私の胸がまた鳴った。
「もちろんよ。あなたの隣がいちばん心地いいもの。」
そう告げて腰かけると、アイの白い耳が、みるみるうちに赤く染まった。ああ、可愛い。どうしてそんなに素直にきれいな色になるの。
「ふふ、アイちゃんは本当に照れ屋さんね。」
お母様が笑みを深くする。
「でもそんなところも可愛いわよ。」
「こ、公王様……そんな、お言葉……。」
アイは顔を覆いそうになりながら、さらに真っ赤になる。その様子があまりに愛らしくて、私は思わず身を寄せた。
「アイ、あなたが恥ずかしがると、余計に可愛く見えるのだけれど。」
「ラ、ラアルさま……っ。」
涙ぐみはしないけれど、いまにも目を泳がせて逃げそうなほど真っ赤。
たまらなくなる。
抱きしめてしまいたいけれど、ここは談話室。
お母様の前で、あまり大胆なのは控えなければ
――と思っていると、すぐ隣から声がした。
「まあまあ、二人とも。見ていて胸がいっぱいになるわね。」
お母様はお茶を注ぎながら、ほろっとした声音を漏らす。
「本当に……娘が一人増えたみたいで、嬉しいのよ。アイちゃん、ラアルちゃんをよろしくね。」
アイは椅子の上でちいさく背筋を伸ばした。
「は、はい……わたくしでよろしければ、いくらでも……。」
まるで献身を誓う天使みたい。
その誠実さと素直さが、また胸に刺さってくる。
私はそっとアイの手を取った。
「お母様、アイはとても優しい子よ。私なんて、毎日甘やかされてばかりだわ。」
「まあ……そうなの?」
お母様の目が丸くなる。
「ラアルちゃんが? アイちゃんに?」
「ええ。アイは本当に尽くしてくれるの。だから、つい……私も甘えてしまうのよ。」
「ラアルさま……そんな……っ。」
アイはまた耳まで赤く染める。
この子は、褒めるたびにどんどん可愛くなってしまう。
「ふふふ。二人とも、本当に愛らしいわね。」
お母様の声は温泉みたいにとろけていた。
「ねえ、アイちゃん。ラアルちゃんが昔から、誰にもなびかなかったの知ってる?」
「え……そうなのですか……?」
「そうよ。この子はね、とても綺麗で、誰より才気があって……それはそれは人気があったのだけれど……誰が言い寄っても『興味がないわ!』の一点張りだったの。
――でもアイちゃんに出会ってからだけはね、もう目に見えて顔がゆるんでいたわ。」
「お、お母様っ……!」
私は思わず声をあげた。
「そんなことを言ったら、アイが困るじゃないの。」
「困りませんっ……!」
アイが驚くべき勢いで首を振った。
「ラアルさまが、わたくしを……そんなふうに、思ってくださっていたのなら……それは……とても、幸せなことで……。」
その小さな両手が膝の上でぎゅっと握りしめられる。
その震えさえ、可憐で、美しくて。
「アイ……。」
私は耐えきれず、そっとその手を包み込んだ。
「あなたは、本当に……あなたは、この世界でいちばん可愛いわ。」
「ら、ラアルさま……っ。」
顔を真っ赤にして、唇を震わせる。
その反応を見るたび、胸があふれて苦しくなるほど愛しい。
「……ふたりとも、見ているだけで幸せになるわね〜。」
お母様は目を細め、少し湿った声でつぶやいた。
「本当に、うちの子たちは可愛いわね。」
「お母様……またそんなことを。」
「だって事実だもの。ラアルちゃん、あなたはこの国でいちばんうつくしいわよ。」
またその言葉。
胸が熱くなる。
少しむず痒いのに、否定したくない。
「……そんなふうに言われたら、嬉しいに決まっているじゃないの。」
すると、アイが小さく息を呑んだ。
「ラアルさま……とても……お綺麗ですから……。」
「アイに言われると、なおさら嬉しいわ。」
そう言った瞬間、アイの頬が再び真っ赤に燃え上がり、小さく震えた。その愛らしさに、私は思わず笑ってしまった。
こうして三人でお茶を飲むだけで、部屋の空気が甘くなっていくのを感じる。
お母様の親バカも、アイの可憐さも、どれも私にとって宝物のような時間だった。
◇◆◇
その午後の談話室には、淡い陽光と三人の笑い声が溶け合っていた。アイは、今はもう胸を張れば良いだけの幸福を知らなかった少女だった。
だがこの日初めて“親が子を慈しむ温度”に触れた。
公王の優しさも、ラアルの愛しさも、
彼女にとっては生まれてから一度も両親から与えられなかった種類の温もりだった。
それは、彼女の小さな胸の奥に静かに灯った。
――自分は、与えられたのではなく、自分で見つけた新しい親に愛されていいのかもしれないという確かな予感として。




