153. 親に自分より泣かれたら、子供はもう二度と親に悩みを打ち明けない。 Toxic Parents who Cry More Than their Children.
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「……この、糞性差別主義者が。」
そのまま居間を出ていく。
歩いて身体に流れる空気すら鬱陶しい。
手をかけた襖が異常に冷たく感じられる。
部屋を出ると解放されたような心地よさと、頭に黒い靄のような罪悪感の鉛が纏わりつく。
頭が重い。けど身体は軽い。
あぁ……冬は寒いんだった。
雪は冷たいんだった。
息は白いんだった。
足裏に縁側の冷たさを感じる。
つるつると滑ってしまいそうなほど滑らかだ。
両手をポケットに突っ込んで右足を出して、今度は左足を出して歩く。
少し猫背で歩く。歩く。歩く。
先刻からどうでもいいことを考えている。
冬の冷たさとか、居間の暖かさとか。
考え事をしていれば、後悔と罪悪感が襲ってくるのを引き伸ばせると思ったからだ。
足が冷たい。頬が濡れる。今日の朝はこんなことになると思ってたっけ?頬を伝う小川はあたたかい。母親にあんな事を言ってしまった。もし鼻水がでたら気持ち悪いだろうな。おかーさんを傷つけてしまった。自分の部屋まであと五歩ぐらいだろうか。わたしは人一倍おかーさんの哀しみを知っているのに。五、四、三……一歩ずつ数えてみよう。なんでアタシはあんな事を言った?そう言えば明日の学校の一限は校庭で教練だったな。なんで親を傷つけてあんなに気分が良かった?あぁ、そうだ……教練用の服用意しないと、いやおかーさんがいつもみたいに勝手にやってくれてるか。
おかーさんが、わたしのために。
……おかーさん、泣きそうな顔だったな。
今、泣いてるのかな……。
あぁ……冬はほんとうに、厭になるほど、寒い。
◇◆◇
春の日が去った居間には、静寂が横たわっていた。
怯えきったアイと、悲しみに打ちひしがれる“愛”がいた。先に話し始めたのは、怯えた方の“アイ”だった。悲しみの愛に言葉をかける。
「ひっ……ひっ……ひまり、さん。
……大丈夫ですか……?」
ひだまりは顔を静かに動かす。愛を見つめる。
「……大丈夫よ!もうアイちゃんったら心配しすぎ〜!はるひは聖別の儀の後の反抗期からずっとあんな感じなんだから!」
明るいひだまり、しかし目に手を翳して影を作りたくなるようなひだまりだった。
「ひまりさん……無理はしないでください。」
両の手を繋いでしっかりと伝える。
「無理?してないわよ〜?
それに私が悲しんでたら、あの娘が悲しめないでしょ?
聖別の儀の前……初めてアイちゃんが家に来てくれた時にも伝えたけど、親の人生の主役は子供なの。
だから、私ができることは、あの娘が怒りたいときに怒って、悲しみたいときに悲しめるようにしたいの。」
「……ひまりさんが悲しんでいると、はるひちゃんは悲しめないのですか?」
「……人はね、親が自分より悲しんでたら、悲しめない生き物なの。だって悲しみより先に、親を悲しませた自分に罪悪感を感じちゃうからね。自分のせいでお父さん、お母さんを傷つけちゃったって責めちゃうんだよ。」
「そう……いうものですか?」
アイは自分がどんな目に遭っても両親が喜びこそすれ、悲しんだところを見たことがないので、見当もつかなかった。
「そうなの……アイちゃん……少し昔話をしてあげようか。
私がまだ子供の頃、まだ春日とも出逢ってないぐらいの時のお話。
私、虐められてたの……学校で。理由は人間体だからっていうだけ。
……いや、今思い返すともしかしたら、私が知らず知らずのうちに何か酷いことを彼女たちにしてしまっていたのかも……。
でもその時の私は私が人間体だから虐められるんだってなっちゃって……詰られる時も、彼女たちは『人間体のクセに』っていう言葉をよく使ったしね。」
「それで……どうしたんですか?」
「……お母さんにね相談したの。私のお母さん。
多分私お母さんに慰めてほしかったんだと思う。
『今まで辛かったね。』
『独りでよく頑張ったね。』って。」
「……でも……そうはならなかった?」
「……うん。私が全部打ち明けると、お母さん泣き出しちゃって……。
『人間体に産んじゃってごめんねぇ……!』
って……。
私はその時分かったの。分かっちゃったの……。
『あぁ……お母さんも私を虐める人と同じ考えなんだ。』って。
だって人間体が劣ってると思わなければ、『人間体に産んでごめん』なんで言わないでしょう?
私……本当は、
『人間体のままの貴女が……そのままの、ありのままのひまりが素敵よ。』
ってお母さんに言ってほしかったんだと思う。
それで、大泣きしながらお母さんの胸に縋り付くの……そして、その胸の中で眠りたかった。安心な気持ちで。
だけどそうはならなかった。悩みを打ち明けた時にお母さんが泣き出しちゃったから、なんでか泣きたかった私が泣けなくなっちゃて……それからはずっとお母さんの背中を擦りながら、泣くお母さんを慰めてた。……ほんとは私が慰めてほしかったんだけどね。
その時思ったの。
『――あぁ……私はこれからの人生辛いことがあっても決してお母さんには相談しちゃいけないんだ。』って
だってそうしたら私より悲しむお母さんを慰めないといけないし、何より……悩みを打ち明けても、慰めてもらえなくて、ただお母さんを悲しませるだけだって知ってしまったからね。
だからそれから私はどんなに学校で嫌なことがあっても、絶対にお母さんには言わないことにしたの。独りで耐えることに。
……それはほんとうに辛かったけど。ほんとうに……ほんとうに辛かったけど。……私にとってはお母さんを泣かせるよりはマシだったの。」
「……だから、ひまりさんははるひちゃんの前だと泣かないのですか?」
「えぇ、そうよ……。だって慰めてほしくて相談したのに、自分がいつの間にか親を慰める立場になってたらきっとあの娘は辛い思いをするし、誰にも本心を打ち明けられない人間に育つ。
……あの頃の私みたいに。だから私はお母さんとして子供に悩みを打ち明けられたら、自分のために泣くんじゃなくて、まず子供のために慰めようと決めたの。」
アイはひまりの追憶を見遣る目を、疲れ切った大人の瞳をみて、何かしてあげたいという気持ちがこころを支配した。
「……ひまりさん……。わたくしは、貴女の子ではありません。それにここにはもうはるひちゃんはいません。……わたくしの胸でよければですが、お貸ししますので、泣いたっていいのですよ……?」
アイは立ち上がり座り込んだひまりの頭を聖母のように抱える。
「……!……。……ありがとう。アイちゃんはほんとうにやさしい子だね。……でもいいの、私には今は春日がいるし……。
それに!アイちゃんとひまりが結婚したら、アイちゃんも“私の子供”になるんだしね〜!」
ひまりはむしろアイを膝に座らせて、向かい合って抱きしめる。……お道化て。
「ひまり、さん……。あの……わたくしの矮小な生では上手く言えませんが……はるひちゃんがひまりさんに反抗できるということは……。
『反抗期があるということはむしろ健全に育っている証拠』
だと、地獄本で読みました。
親が自分を絶対に見捨てないと知っているから、そう確信させてくれるほど愛情を感じているから、反抗できるのだと。
『反抗期とは親に甘えているだけだ』と。
だから、はるひちゃんなりの形でひまりさんに甘えているのだと思います。自立するために。……反抗期とは自立するために必要な過程ですから。」
「アイちゃん……。」
「まぁ、反抗なんてしたら絶対に見捨てられるから、親にたった一度の反抗もしたことがない……反抗期も持てなかったわたくしが言っても説得力はないかもしれませんけどね。」
アイがお道化て笑う。
「そんなことないわ。私は見たことがある。アイちゃんが、エレクトラ様に抗うところを……!」
「……?
いつ、ですか?
わたくしの記憶にはそんなこと――」
「――聖別の儀の時よ。
逃げ隠れた私とはるひの命を守るために、母親の足にしがみついていたアイちゃんを私はしっかり覚えているわ。私たちの命を守るためにしてくれたあの行動を。
……そんな事をすれば自分がどうなるかなんて、分かってたはずなのに。
――貴方は人のためなら、この世でいちばん恐れている存在にも反応できるような……そんな素敵な人よ。」
「……わたくしが素敵な人?
わたしくは、“おかあさま”に反抗したことがある……?」
愛の心……母への愛に縛られていても……?
……ならわたしはいつか、“エレクトラ”を――すことができる……?




