152. 花人局 Flowering-Badgering
「何故……今かげろうの話が出るのでしょうか?
今はわたくしたち“二人の”関係について話をしているはずです。」
自分の顔を力任せに掴みながら答えを返してくる。
「だからっ……!関係あるんだって……!!もう……アンタは!どれだけ自分が無意識にアイツに依存してるか考えて!!」
依存?わたくしがかげろうに?
「確かにわたくしはかげろうのことが幼馴染として“好き”ですが、その“好き”は依存心からくるものではありません。」
はるひちゃんが両手をちゃぶ台の上について膝立ちになる。
「へぇー!?アタシが近づくとすぐにアイツに隠れるのに?何かあるとすぐにアイツに伝えに行くのに?アイツを学校で見つけたら仔犬みたいに駆け寄っていくのに?」
「それは……わたくしはラアルさまが相手でも同じ事をしますし……お友達にはみんな……平等に……好意を抱いています。アルちゃんにだって同じ事をするでしょう。」
「“ラアルさま”……?」
ピクッと彼女の顔が苛立たちに引きつる。
「ほんっと、ファンタジア王女殿下と親しいよね?この前までいがみ合ってたと思ったら急にさ!
あぁ〜アイツも優秀な獣神体だもんね?アイくんは相手が優秀な獣神体だったら誰にでも尻尾を振るビッチなんだ?人間体……それもアニマ・アニマだもんね?弱っちくて力もないから、強い獣神体に媚びて生きていかないとね?
――ほんとビッチな男の子なんだから……アタシっていう番がいるのにさ!!」
はるひちゃんが自分の胸に力強く手を当てて叫ぶ。
「……わたくしの事は何と侮辱して頂いても構いません。しかしラアルさまを貶めるようなことを言うのは看過できません。
――彼女は……正式な……“双方の合意がある”わたくしの番です。」
はるひちゃんを睨めつけながら黙り込む。
「…………。」
「…………。」
目を見開き動揺したはるひちゃんがやっとのことで言葉を零す。
「………………は?」
◇◆◇
――?
――??
この子今なんて言った?
『わたくしの番です』?
あのラアルが?
「な……何いってんの?ア……アンタは……アタシ……わたし……わたし、の……。」
否定してほしい。
冗談だと言ってほしい。
たちの悪い冗談だと。
機嫌が悪かったんだと。
今ならまだ許してあげるから。
だから、だから……。
「今一度言います。
ラアルさまはわたくしの“正式な”番です。」
足の裏に畳の感触がする。
小さい頃から好きな肌触りだ。
しかし今はそれすらアタシを不快にする。
アタシの所有物が落ち着き払っていることも気に食わない。
「アンタはぁ!!アタシのぉ……!!!」
目の前が真っ赤に染まる。
この身の程知らずの人間体を。
目の前の男の子に理解からせてあげないと……!!
自分が誰の所有物か!!
このバカでザコでよわいクソビッチ男に!!
ちゃぶ台に足を上げて目の前の人間体に手を伸ばす。湯飲みがちゃぶ台から落ちて割れ、お茶が溢れているが知ったこっちゃない!!
コイツを……もう一度アタシの人間体に――!!
「――何をしているの!!!」
……何かがうるさい。
黙ってろ糞が。
「こっちを見なさい!!はるひ!!!」
……!
これは、本気で怒った時にだけ、めったに怒らない母がホントに怒った時だけ発する文言だ。
……視界から朱の色が落ちる。
アタシの目の前に居たのは獣神体の圧に当てられて、震えながら苦しみ喘ぐ人間体だった。
息を荒くして、もともと白い顔は蒼白に染まり、サファイアの瞳は恐怖に歪んでいる。
身体のすべてが恐れに支配されている。
こころの全てが恐怖に彩られている。
――アタシの……番だった。
その瞳に写ったアタシは犬歯を剥き出しにして、獰猛な獣のように嗤っている。
――これが、アタシか?
この理性の欠片もない獣が――?
相手のことなど考えず自分の気持ちをただぶち撒けるだけの、醜い、地球人が……。
「……ハッハァ……はぁ……はぁ……。」
「アイちゃん!!……大丈夫!?」
私の母親が我が子などには目もくれず、他人の子供に駆け寄っていく。
……当たり前だ。
だってアタシは獣神体でこの子は人間体なんだから。
昔は違った。性別が決まる前はおとーさんもおかーさんもわたしに優しくしてくれた。“女の子”だったからだ。
でも性別が獣神体になった途端父も母もアタシに厳しくなった。“獣神体”だからだ。
なんで性別なんかで扱いを変えられなくちゃならない?
なんで事あるごとに、
『アイちゃんは人間体だから守ってあげてね。』
なんて言われなくちゃあならない?
身体が強い性別だから?
社会的に出世しやすい性別だから?
糞食らえだそんなもんは。
アタシはただ昔みたいにおとーさんおかーさんに優しくしてほしかっただけだ。
自分の子供の性別でこんなに扱いが変わるのか?
――そんなのアタシ自身じゃなくて、性別っていう“記号”をみているだけじゃないか。親ならアタシをみてくれよ。
アイくんは“男”っていう理由だけで父親に厳しく育てられた。だったらアタシも“獣神体”ってだけで厳しくされなくちゃあならないのか?
やさしくしてよ、やさしくしたいから。
やさしくしてもらわないと、やさしくなんてしてあげられない。
貰ったことがないものは、あげられない。
やさしく育ててもらはないと、やさしい子になんてなれない。アタシは強い性別だからって強く育ててなんて頼んでない。アタシをみて、わたしをみて欲しかっただけだ。
昔みたいにさ――。
「はるひ……貴女にはずっと言ってきたでしょう?獣神体は強いんだから人間体を守ってあげてねって。
……なのになんで傷つけるの?
貴女は強いのに、強い人は弱い人を守らないといけないの。人の強さは悲しき人々を救うために、そのために力を与えられたんだから。」
アタシが強い?
“アタシ”は強いかも知んないけど、“わたし”は強くなんてない。
なんで親なのにそんなことがわからない?
わかってくれない?
わたしの親なのに。
あぁ……苛々する……。
絶対に親に言っちゃいけないことだと。
言ったら後悔すると。
そう考えたけど、思ってしまったんだ。
冷たい考えなど沸騰した想いの前には何の役にも立たない。
“母親”の目をみて、いちばん傷つけられるであろう言葉をぶつける。
そうしたら少しでもこの濁流から解放される気がしたからだ。
「……黙れこの糞人間体が……!」
「……!」
あぁ……“アタシの母親”が、“わたしのおかーさん”が傷ついた顔をしている。
“わたし”は最低だ、だって“アタシ”はこんなに気分がいいんだから。
大事な人の傷つく顔を見て、こんなに青天のような気持ちだ。先刻までの曇天が晴れていく。
だけどなぜかその顔を見ていられなくなって、畳の目を無意味に数えながら、吐き捨てる。
あぁ、ずっとこの家で生活してたけど、この畳ってこんなに解れてたんだ。
知らなかった。
「……この、糞性差別主義者が。」
そのまま居間を出ていく。
歩いて身体に流れる空気すら鬱陶しい。
手をかけた襖が異常に冷たく感じられる。
部屋を出ると解放されたような心地よさと、頭に黒い靄のような罪悪感の鉛が纏わりつく。
頭が重い。けど身体は軽い。
あぁ……冬は寒いんだった。
雪は冷たいんだった。
息は白いんだった。
足裏に縁側の冷たさを感じる。
つるつると滑ってしまいそうなほど滑らかだ。
両手をポケットに突っ込んで右足を出して、今度は左足を出して歩く。
少し猫背で歩く。歩く。歩く。
先刻からどうでもいいことを考えている。
冬の冷たさとか、居間の暖かさとか。
考え事をしていれば、後悔と罪悪感が襲ってくるのを引き伸ばせると思ったからだ。
足が冷たい。頬が濡れる。今日の朝はこんなことになると思ってたっけ?頬を伝う小川はあたたかい。母親にあんな事を言ってしまった。もし鼻水がでたら気持ち悪いだろうな。おかーさんを傷つけてしまった。自分の部屋まであと五歩ぐらいだろうか。わたしは人一倍おかーさんの哀しみを知っているのに。五、四、三……一歩ずつ数えてみよう。なんでアタシはあんな事を言った?そう言えば明日の学校の一限は校庭で教練だったな。なんで親を傷つけてあんなに気分が良かった?あぁ、そうだ……教練用の服用意しないと、いやおかーさんがいつもみたいに勝手にやってくれてるか。
おかーさんが、わたしのために。
……おかーさん、泣きそうな顔だったな。
今、泣いてるのかな……。
あぁ……冬はほんとうに、厭になるほど、寒い。




