148. 教育とは洗脳なりや? The Children's Story...
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「……だが、くれぐれも心を使いすぎるなよ。持病を持つお前には、あの“代償”を支払うしか心を使う術はないのは分かっている。しかし……それはあまりにも……大きすぎる代償だ……。」
「……ええ。心配してくれて、ありがとう!おにーちゃんっ!」
エゴペーがゲアーターに抱きつく。
「……はぁ……お前は調子がいいなぁ。」
「真面目成分は全部シュベちゃんとアイちゃんに取られちゃったの〜!私はおちゃらけ担当!」
ゲアーターとエゴペーはお互いにある一線を踏み越えないように話していた。
……まるでもしそれを踏み犯してしまえば、二度と“家族”には戻れないというように――
◇◆◇
アイが学校に帰ってきた。
端的に言うと、以前から一部を除いて高かったアイのマンソンジュ軍士官学校での評判は、格段に上がっていた。
その理由はまず、ミルヒシュトラーセ家の者が身を挺して身分の低い同級生を助けたこと。
大火傷を負った生徒たちを恵みの雨の心で癒やしたこと。
パンドラ公国の王女を身をとして護りきったこと。
そして何より砂漠の黒死病、ザミール・カマラードを命懸けで単身引き受けて、見事に退けたこと。
特に実際に助けられた生徒たちからの信頼が厚くなり、ラアル・ファンタジアが“神学校の聖女”と呼ばれていたことと対比して、“軍学校の天使”と呼ばれるようになった。
公王派は辺境伯派の管轄であるマンソンジュ軍士官学校でラアル王女の命が危険に晒されたことを評って辺境伯派を口撃する最大の材料としようとしたが、辺境伯派はアイの行動で王女が救われたことなどで対抗した。強硬的な公王派はそれすらマッチポンプではないかと批判したが。
彼らの多くからすれば、ラアルの命もアイの命も、政敵を攻撃する大義名分でしかなかったのだ。
しかし、彼女たちの命と“こころ”が徒花と散らなかったことを心の底から祝福している者たちもいた。
まずはラアルとアイの信奉者である。とくにアイを神輿として担ぎ上げ、自らの悲願を達成しようとする反エレクトラ辺境伯派たち。そして現在の第一王子に不満を抱いている……所謂ラアル派と呼ばれる、ラアルを次期公王に据えようとする者たち。
つまり、アイとラアルを実存する偶像としてこころから崇拝している……謂わば少し危うい集団たちだった。
そして、ラアルの実の母でありパンドラ公国の王であるツエールカフィー公王は……娘の生還を泣いてこころから喜んだ。無事王宮に帰還したラアルをみるやいなや、抱きしめ、愛の心で癒し……政治を三日三晩ほっぽりだして愛娘を二度と離さないというようにきつく抱きしめ、一緒に過ごした。その力の強さこそが、彼女の愛情の強さであった。
……一方でエレクトラ辺境伯は一度もアイの病室を訪れることはなく、今回の一件で得た、“新生ロイヤル帝国の危険性”を武器に精力的に政治活動を行っていた。
……現状のような新生ロイヤル帝国との小競り合いではなく、全面戦争へと国を導くために――。
ツエールカフィー公王はどこまで言っても母親だったし、エレクトラ辺境伯はどこまで言っても為政者だった。
ツエールカフィーは王である前に母だったし、エレクトラは母である前に為政者だった。
二人はほんとうに対極的だった。
――かつてのアイとラアルのように。
◇◆◇
「アイちゃん様!」
「アルちゃん!」
久しぶりにシュベスターと手を繋いで登校したアイを一番に迎えたのは、“いちばんの大親友”アルターク・デイリーライフだった。
アイは姉がアイに近づく人間体にいい感情を抱いていないと知っていたので、姉の手を離してアルタークに駆け寄って二人を引き合わせないようにする。
「元気になってよかったよ〜!」
アルタークがアイを抱擁する。
「ありがとう!……あっ!でも……ごめんなさい。お見舞い、来てくれてたんですよね?
ラアルさまと一緒に。
……わたくしあの時意識が朦朧としていて……。
ごめんなさい。気が付かなくて。」
アルタークは貼り付けたような笑顔で答える。
「いいのいいの!
あんなに長いこと眠り続けて、起き抜けにシャッキリしてる方がヘンだよ〜。」
「でも、ほんとうにごめんね?アルちゃん……。」
「ホントに気にしないでってば!
アイちゃんが元気になるのが何よりなんだからさ〜。それに気が付かなくても無理ないよ……だって私は……」
――たかが人間体……だもんね?
とこころのなかで独りごちるアルターク。
あの襲われた日に言われたことと、襲撃事件の夜のことを思い出していた。
◇◆◇
――オマエが人間体だというのは1人の人間しか知らないだろう?どうして我々が知っていると思う?オマエは――
――あのお方に裏切られたんだよ!――
◇◆◇
「――アルちゃんを守りたいの。
だってアルちゃんは……“人間体”、でしょ……?」
◇◆◇
「アルちゃん……?どうかした?」
アイが不安げな上目遣いで“友”を見遣る。
「……んーん!なんでもないよ!
アイちゃん様は病み上がりだし、私と手を繋いで教室まで行こー!」
アルタークはシュベスターが自分を見ていることに気がついていたが、見せつけるように繋いだ手を大げさに振って歩き始める。
「わわっ!」
「今日の一限は“基礎理論心学入門Ⅱ”だよ〜!」
「わぁ!心学ですか!一番好きな講義です!」
文学界には地獄から流入した学問であるところの心理学とはべつに心に関する学問……“心学”がある。
しかし読みや話し言葉だけでは神に関する学問、“神学”と区別がつかないので、生徒の間では専ら“心学”という愛称で親しまれている。
――しかし神よりも心を信奉する人間たちは、心学を心学と呼び、神学を神学と呼んでいる。そうすることで、自分の世界観では神よりも心が優越することを表現するのである。
「ナウチチェルカ先生の講義だから、三階の教室だよ……おんぶしてあげよっか?」
「……ふふっ、アルちゃんがわたくしをおんぶしたら潰れちゃいませんか?」
アルタークにはアイの言葉の全部にだって人間体だからという語尾がついているように聞こえる。
「なにを〜!?
力がよっっっわいクソザコのアイちゃんぐらいヨユーだよ!」
「ク……クソザコ……。確かにわたくしは力がうんと弱いですが……クソザコ……くそざこ……。」
「ジョーダンだって!いこいこ〜!」
「待ってください!どの部分が冗談ですか!?
クソザコの部分ですよね!?ね!ね〜!?」
◇◆◇
わたくしが教室に入るとチェルせんせーがほんとうにゆっくりと、他の人が見たら何をしているか分からないであろうほどフラフラと少しだけ手を振り、いつもの無表情のなかに少しだけ喜色が浮かんだ。
……うれしい。
また皆々が集まって口々に、回復祝いやあの夜助けたことのお礼を言ってくれた。
そして、無事でいたことにも祝福をくれた。
呪われて産まれてきたのに、生きていることを祝福される。
――もしかしたらわたくしはもう、ずっと求めていた物は手に入っているのかもしれないと思った。
エレクトラさまの愛が手に入らなくたって一生渇きに喘ぐ必要など、もしかしたらもう――
「――ということで、母親……若しくは……えーと……人間体の父親の胎内にいる間に心を注がれた赤子は、一生その人間に執着することになるよ……。
恐怖を注がれたら一生怯えることになるし、愛情を注がれたら……一生その人を愛することになる。
……まぁ大体の親は愛情の心を注ぐね。親子関係が上手くいくようにね。これは心学用語で“すり込み”と呼ばれるよ……。
これテストに出るからね……。」
――は?
「――親に受けた感情をそのまま返すようになる……?」
静寂の教室にわたくしの言葉が溢れる。
無意識だった。皆がこちらを見ている。
「……どうしたのかな?
アイた……ミルヒシュトラーセ様?」
チェルせんせーから問いが飛んでくる。
「親に胎内で与えられた感情と、同じ感情を返すようになる……。」
「……そうだね。」
口から世界に対する疑問が溢れてやまない。
「……一生……?」
「あぁ……そうだよ。」
だからわたくしはおかあさまを嫌えないのか?
何をされても?
どんなに非道いことをされてもこんなに愛しているのか?
でもじゃあそれは――
「――それは、洗脳と何が違うんですか……?」




