147. ミルヒシュトラーセの兄妹 Братья Карамазовы Млечный путь
こう思うとアイツほんとうにうるさかったな。
やっぱり一発入れとけばよかった。
「……僕は……!」
「は!……はい!」
「……君のことが……き、君の力になりたいんだ。……君は大切な――」
あぁ……意気地なし。
「――と、友達、だから。」
花のように咲う愛しき人。
「……ありがとう、ございます。
クレくんもわたくしにとって大切な――」
もし気持ちを伝えればこの笑顔を壊してしまうかもしれないなら、まだ暫くはこのままでいいかな、なんて……言い訳かなぁ?
「――“お友達”ですよ。」
◇◆◇
アイがちゃんと病院で湯浴みをして、愛するもの医者の検査を受けてもうすぐ退院という頃、アイのゲアーターとエゴペーが見舞いに来た。
「アイちゃ〜〜ん!!」
「わわ!」
エゴペーに思い切り抱きしめられて、アイは目を白黒させる。
「アイ、ここに見舞いの食いモンとか置いとくぞ。」
逆にゲアーターは至って冷静だった。
……見かけ上は。
――彼のこころは誰にも分からない。
「アイちゃん……怖かったね……もう大丈夫だからね……!痛いところはない?」
「……あ、あ〜……もう大丈夫ですよエゴおねえさま。おにいさまとおねえさまが助けにきてくれたおかげです。……ありがとうございます。」
エゴペーはそれでもアイを離さない。
「……アイ、もうすぐ学校に戻れんだってな?
よかったな。」
ゲアーターがアイの頭をぐしゃぐしゃと撫でつける。
「……はい、早く“みんな”に会いたいです。」
「アイ……お前の言う“みんな”とは――」
「――ゲアーター、アイちゃんはまだ病み上がりよ。」
「……ああ、だが重要なことだ。」
「……エゴおねえさま、あいは大丈夫です。
おにいさま……続けてください。」
腕を組んだままゲアーターが続ける。
「……お前の言う“みんな”とは、この前話していた、平民落ちの人間体も含むのか?まだ親交を続けているのか?」
アイは一切揺らぐことないサファイアの瞳でゲアーターを見ながら毅然とした態度で答える。
「はい。わたくしはアルちゃんから絶縁の申し出があるまでは、彼女との友達関係を絶とうとは思っていませんし、親交を絶つ気もありません。」
「「……。」」
二人の間に緊迫した空気が流れる。
「それが、お母様の意思に背くものだとしてもか?」
「はい。」
「それによってお前が身を滅ぼすかもしれなくてもか?」
「はい。友を疑って生き永らえるなら、わたくしは友を信じたまま死にます。」
「……それが、お母様を悲しませる結果になるとしてもか……?」
「おかあさまはアイが死んだら喜びこそすれ、悲しんだりしません。断言できます。
――あの人はそういう“人間”です。」
ゲアーターはマンソンジュ軍士官学校林間学校襲撃事件が……この一件が弟を大きく変えてしまったことを悟った。
「……そうか。」
エゴペーが割って入る。
「ゲアーター……今はアイちゃんが無事に、散華もせずに死にもせずに、五体満足で帰ってきてくれたことを喜ぶだけじゃだめなの?
……アイちゃんはあの夜に、死んでいたかもしれないのよ?“家族の命”より“ミルヒシュトラーセ家の立場”が大事なの?」
その言葉はどこか兄を責める色があった。
「……。」
ゲアーターは一瞬の逡巡を見せたが、すぐに弟妹にみせるいつもの笑顔に戻った。
「あぁ、そうだな。わりぃわりい。俺もミルヒシュトラーセ家の次期当主として考えることが多すぎてな、最近どうにも自分でもよくわかんなくなってんだ。
国を治めるものが護るべきは、家族か民草かってな……勿論両方護られれば世話はねぇんだが……もしどちらかしか選べねぇって状況になったら……俺は……どうするんだろうな……?」
「……それは貴方が――」
エゴペーの言葉にアイがつい割って入る。
「――おにいさまがどっちを選びたいか、ではないでしょうか?」
「……そう単純だと良かったんだけどな。
為政者にはつきものなのさ、“何をしたいか”より、“何をするべきか”で動かないといけない時がな。」
エゴペーが同情するように声を掛ける。
「……私とアイちゃんはお母様に期待されてないし、政治からは遠ざけて育てられたわ。
だから親の期待を一身に背負っている貴方やシュベスターの気持ちはどうしたってわからない。」
「……ああ。」
「……おにいさま。あいは、“おにいさま”しか知りません。あいたち下の弟妹にやさしく、強いおにいさましか。
あいは“雷霆のゲアーター・ミルヒシュトラーセ”を知りません。おにいさまが家のために身を粉にして“何を”しているのかさえ。
……人は誰しも接する相手により人格や仮面を使い分けます。あいはおにいさまが……どちらのおにいさまの時でも、やさしい“おにいさま”の人格を亡わなければいいなと思っています。
もし――うむっ!?」
『――エレクトラ様の願いを叶える為にゲアーターとシュベスターがおかあさまの側につき、おかあさまの野望を阻止する為にエゴおねえさまとあいがミルヒシュトラーセ家と敵対し……兄弟で対立することになっても。』
そうアイは続けようとしたが、アイの唇はエゴペーの人差し指で抑えられた。まるで仮想敵に手の内を明かすなと言わんばかりに。
「もうっ!二人とも!今はアイちゃんのお見舞いよ?先刻も言ったけど、アイちゃんが無事でよかった。まずはそれでしょう?」
エゴペーがぷんぷんと唇を尖らせる。
「……あ、ああ……安心したぜ。平静を装っていたが、あの夜お前を探している間、俺はほんとうに不安だったし……見つけた時には、俺はほんとうに安心したんだ。
アイ……お前が生きていてくれて、ほんとうによかった。生きていてくれて、ありがとう。」
「……おにい、さま……。
……おにいさまこそ、あいを助けにきてくれて、ほんとうにありがとうございます。
……おねえさまも、ありがとうございます。」
「いいのよ〜。“きょうだい”なんだから、そんな事は当たり前よ……ねぇ?
ゲアーター?」
エゴペーの瞳は兄を試すようにギラついていた。
「ああ……“当たり前”だ。」
◇◆◇
アイの無事を確認して一通り談笑し、アイのいる病室を後にしたゲアーターが切り出す。
「……ところで、砂漠の黒死病……ザミール・カマラードのことだが……。」
「……うん。」
「……わざと逃がしたな?エゴペー。」
「……前にも言ったでしょ?逃げられたんだって。」
「俺に嘘を吐くな。」
「相手はあの砂漠の黒死病よ?私の骨の心なんて、木っ端微塵よ。」
「……代償を支払って顕現させているお前の“骨”は、容易く砕けたりなどしない……だから俺はお前にザミール・カマラードの捕縛を命じたんだ。
……もう一度言う。俺に嘘を吐くな。」
「……本当だって、彼奴は思ったよりずっと強かった。だから逃げられたの。」
肩を竦めるエゴペー。
「……反政府組織に与するのか?……お母様とお父様を裏切って……。
――本当のことを言ってくれ。
……俺たちは兄妹だろ?」
「……私のことを信じて、私はミルヒシュトラーセ家をよくするために動いているわ。
私のことを信じられないの?
――私たちは兄妹でしょう?」
エゴペーは一歩も引かない。
「……はぁ……わかったよ。元々お母様には俺たちが現着した時点でザミール・カマラードは逃亡済みで、既にいなかったと報告している。」
ゲアーターはワガママな妹のお願いをきくように答える。
「……ありがとう。」
「……だが、くれぐれも心を使いすぎるなよ。持病を持つお前には、あの“代償”を支払うしか心を使う術はないのは分かっている。しかし……それはあまりにも……大きすぎる代償だ……。」
「……ええ。心配してくれて、ありがとう!おにーちゃんっ!」
エゴペーがゲアーターに抱きつく。
「……はぁ……お前は調子がいいなぁ。」
「真面目成分は全部シュベちゃんとアイちゃんに取られちゃったの〜!私はおちゃらけ担当!」
ゲアーターとエゴペーはお互いにある一線を踏み越えないように話していた。
……まるでもしそれを踏み犯してしまえば、二度と“家族”には戻れないというように――




