146. 愛をしたのは少し高い所からみる照れた顔に Your Blush is My Sun.
「……ええ、おねえさまの言葉は……愛情は何故か信じられるんです。いつだって言葉以外でも……行動で、態度で……こころで示してくださいますから。だからあいは今日まで生き永らえてこられたのです。」
「……アイ……。私は――」
「――アイちゃん!!……目が覚めたってほん……と……う……?」
ガラッとドアを開けて入ってきたクレジェンテがベットの上でシュベスターに抱っこされているアイを見て固まる。
「……し……失礼しましたー……。」
クレジェンテはそのままそっとドアを閉めて出ていこうとする。
学友に家族に甘えている姿を見られて、アイの顔がボンッと真っ赤になる。
「わぁ〜!まってクレくん!誤解なんです〜!!」
◇◆◇
「というわけでですね。クレくん、誤解なんですよ。さっきクレくんが見たものは全部。ね?聞いてますか?わかってますか?ねぇ?」
アイちゃんは先刻からずっと誤解……多分誤解ではない……を解こうと熱弁をふるっている。
「わっ……分かったよアイちゃん。つまり、アイちゃんが病み上がりでよろけちゃって、それでシュベスター様が抱きとめたと……。」
明らかにそんな体勢じゃなかったけど……。
言わないほうがいいんだろうなぁ……。
「そう!そうなんです。“あいは”オトナですから、おねえさまに甘えたりしないんですよ!」
「……ん?“あいは”?」
「あっ……“わたくしは”!わたくしは!甘えたりしません!」
ますます真っ赤になるアイちゃん……かわいいなぁ……。なんだかもっといじめたくなってしまう。これが可愛いものに意地悪したくなる気持ち……キュートアグレッションか。
「……ふふっ……お家では自分のことを“あい”って呼んでるの?かわいいね。」
すらすらと僕らしくもない台詞がでてくる。
「あぁー!いいましたね!今日のクレくんはイジワルです……いつもはもっとやさしいのに……。」
アイちゃんがしゅんとする。
「あ!ごめんごめん!でもこんなの“男同士の友達”なら当たり前だよ?」
アイちゃんはどうにも“男同士の友情”という言葉に弱いらしい。憧れがあるようだ。
それに……僕だって家族に対する自分をクラスメイトに見られたらと思うとゾッとする。
「……“男同士の友情”……!そうなんですね!じゃあ許してあげます!……じゃあわたくしも……クレくんなんて!……クレくん……なんて……えっと。」
戦ってない時のアイちゃんはとことこん人の悪口を言うのに向いていないらしい。
「……まぁまぁ、こういうのは無理矢理言うものじゃなくて自然と出てくるものだから。」
多分……実は僕もマトモな友達経験は殆どないからあんまり良く分かってない。
「……それにしても……。」
アイちゃんがとても徐に僕の手を握る。
その動きはひどく緩慢だったが、避けるという選択肢はなかった。多分拒絶されたらと怯えているんだろう。
……トイレでボクが非道い言葉をぶつけたから。
◆◆◆
「クレくん……貴方も獣神体ですが……絶対に勝手な人間体への私刑は行わないように。それは全て獣神体至上主義委員会の役目なので。わたくし独りの……役目なので。」
怯えきった、人間体の生徒を心で引き摺りながら、横を通り過ぎるアイちゃん……いや、アイ。
「黙れ。僕が!ずっと虐められてきた僕が!そんなことをするわけがないだろうが!!見損なったぞ!アイ・ミルヒシュトラーセ!オマエは僕がいちばん嫌いな人種と同じだ。
ヘラヘラ嗤いながら人を傷つけることを平気でする!これくらいイジリだろって言いながら!みんな楽しんでるんだから空気を読めよと言いながら!そう言いながら弱者を虐める!もっとも品性下劣な輩だ!!
……もう、オマエのことは友とは思わない。ミルヒシュトラーセ!二度と僕に話しかけるな!関わるな!!そして……その人を離せ!!」
そう言うと、ミルヒシュトラーセは少しかなしそうな顔をしたような気がしたが、ほんの少し微笑んだようでもあった。
「……そのこころを忘れないように。よかったな人間体。この無謀で恐れ知らずの獣神体に免じて、今日のところは見逃してやる。だが、人間体潰しの恐ろしさ……努々忘れることのないように……。」
そう言い捨てると、ミルヒシュトラーセはトイレから出ていった。一度も振り返ることもなく。
◇◆◇
だから僕は決してアイちゃんの手を避けなかった。今度は拒絶したくなかった。両の手を合わせても僕の片手よりずっとちいさなその手を握り返す。
「……クレくんが無事でほんとうに良かった……。」
「……うん。」
「怪我はない?今でも残る痛みがあるなら、わたくしの愛するものの力で――」
一番大怪我して、一度は死にまでしたくせにまた他人の心配をしている。僕に……心を砕いている。
「――アイちゃん。今は自分のことだけ心配して、アイちゃんがザミール・カマラードを引き付けてくれたおかげで、僕たちはみんな無事だから。」
「……そう、ですか。良かったです。もし誰かを亡っていれば、死んでも死にきれません。まぁ……一回死んだんですけどね、女性体は。うふふっ。」
お道化笑う。
「アイちゃん……ありがとう。僕の前ではもうお道化なくていいんだよ。
……ソンジュと闘ったあとアガ・ハナシュに襲われたときも助けてくれたし、その後も僕と君を殺そうとしてたザミール・カマラードから守ってくれた。
だから……ほんとうにありがとうね。」
「……でもそれは当たり前で――」
「――それに、あの時……トイレで非道い言葉を言ったのは本当にごめんなさい。」
ソンジュが頭を深く下げる。
「いえ、わたくしが非道い事をしていたのは事実ですし、わたくしはクレくんがわたくしに怒ってくれて嬉しかったですよ?
『……あぁ、この人は本当に虐げられた人々の立場になって考えられる“強い人”だ。』と……。」
「……でも、それも何か理由があるんでしょ?獣神体至上主義委員会の委員長なんかやってるのも……。」
「……それは……。」
「いいんだ、アイちゃんはミルヒシュトラーセ家だから僕には言えないような政治的な……立場的なしがらみがきっといっぱいあるんだと思う。
それこそ僕みたいな“小市民”には一生縁が無いようなさ……。」
「……クレくん……。わたくしはクレくんを“小市民”だとは思いません。アガ・ハナシュを撃退した時に貴方に話したわたくしの言葉を覚えていますか?」
「……それは勿論一言一句全てね。」
――だってあの時僕は君に二回目の救いを受けたんだから……。
一度目は教室の隅で縮こまっていた時に話しかけて……笑いかけてくれた時。太陽のように。
そして二度目があの夜――。
あの夜を思い返す……。
◆◆◆
「泣いてるのからってカッコ悪いとは思わないよ。わたくしにはもう泪は流せないけど、でもだからこそその大切さが分かってるつもり。
もし涙と鼻水で顔がぐしゃぐしゃになっても、その人をわたくしは愚者だとは思わないよ。みっともないとも思わない。
むしろすっごくかっこいいと思うよ。だってそんなにこわいのに立ち向かったんだから。むしろもっともっとすごいことだよ?」
桜の樹のしたから、空を見上げて花の隙間から差し込む木洩れ日のような言葉だった。
「でも……結局アイちゃんに助けてもらった。
……あのときに、トイレであんなに怒りをぶつけたのに、『二度と僕に話しかけるな。』って罵倒したのに……助けてもらうことしかできなかった。
僕はほんとうは……最初から自分が負けると思って戦ってたんだ。時間稼ぎができたらいいなって。
……アイちゃんは僕の100倍つよいよ……。
……かっこいいよ。」
自分の口に人差し指をつけて、アイちゃんが少し考えたあとに言う。
「うーん……じゃあクレくんは、わたくしの100倍勇気があるってことだね!」
悪戯っぽく咲う。
「へ……?」
「だってそうでしょ?
クレくんはわたくしと同じ相手に立ち向かったんだよ?
クレくんよりも100倍もつよいわたくしと。
わたくしが何とか斃したあの人に立ち向かったんだよ?
じゃあ、あの人もクレくんより100倍は強いってこになるよねぇ……?
わたくしは勝てる相手に立ち向かっただけなの。
でもクレくんは自分よりも100倍も強い相手に立ち向かったんだよ?
それも最初から勝てないと思っていたのに。
ということは、クレくんはわたくしの100倍勇気があるということになります!
はいっ!かんぺきな理論です!ふふーんっ!」
お道化て僕を元気づけようとする。見上げれば木洩れ日が差すということは、その桜はもう満開ではなく……自身も散り往っているはずなのに。
自分もこわかったはずなのに。
「……アイ……ちゃん。きみは……。
……!?」
不意に顔を寄せられてドキッとする。口を僕の耳に近づけて話す。どうやらこしょこしょ話がしたかったらしい。2人しかいないのに。右頬にサラサラな髪とモチモチなほっぺが当たってドギマギする。いい匂いだってするし。
……内容、入ってくるかなぁ……?
「あの女の人には『絶対に勝てない相手』みたいに言ったけど、実はわたくし、あの人に勝てると思ってたんだ。あの人より強いってね。」
――これはきっと地獄本で読んだ“やさしい嘘”というものだろう。
「……だから、勝てると分かってた相手とだけ戦ったわたくしよりも、勝てないと知ってた相手に立ち向かったクレくんのほうが……」
あぁ、教室の揺れるカーテンの横の席で話したときに戻ったみたいだ。心地よい風の吹く、あの午睡の微睡みのなかへ――。
「……100倍、かっこいいよ。」
「……ありがとう。
……そのことばで僕のこころは救われるよ……。」
◇◆◇
あの言葉だ。あの言葉たちだ。
「……ありがとうね。アイちゃん。」
アイちゃんはまんまるな目を少しひらいて心底不思議そうに問い返す。
「……?……何がですか?」
――あぁ、僕もなれるだろうか、当たり前の事のように人の幸せを願い、行動できるこの娘みたいな“人間”に。
「……ふふっ……なんだと思う?」
「えっ!クイズですか?……う〜ん。」
アイちゃんにはきっとその答えは分からない。答えを知らないまま正解するなんて……人道が何か自覚しないまま人を救えるなんて……もしかしたら本当に彼女は――
◇◆◇
「……そう言えばさ、アイちゃん戦ってる時は随分とキャラが違うよね?」
アイが人差し指同士をつんつんとしながら答える。
「あ、あ〜……お友達の何人かにはもう説明したんですけど、わたくし……あまり人を傷つけたり攻撃するのに、その、向いてないらしくて。
それで、戦ってる時はおかあさまの真似をするんです。……人を傷つける時はおかあさまがわたくしのお手本なんです。」
哀しい微笑み。
この娘のために何かしたい、親にも捨てられ、政治的なしがらみだらけのこの娘に。
「……アイ、ちゃん。」
「……はい?」
「ぼ……僕は……。」
「はい。」
何を言おうとしている?
ただ助けたいという“こころ”が先走って“ことば”が追いついてこない。
「僕は……君のことを、君の、ことが……。」
ソンジュが言っていた余計なことを思い出す。
◆◆◆
アイが去ったあと、クレジェンテは自分を心で癒しながら、ジョンウの横に座り込む。
「そんなに近くに来てもいいんですか?不意を打って殺されるかもしれませんよ?」
「貴方はもう動けないだろう?それに汚い手を使うやつは敵にそんなアドバイスはしない。」
「なるほど……そうですかそうですか、
……それで?」
「……?“それで”、とは?」
「あの子との馴れ初めは?
どこが好きなんです?
いつから好きになったんです?
もう付き合ってるんです?
まだならいつ告白するんですか?」
「………………うるさい。」
◇◆◇
こう思うとアイツほんとうにうるさかったな。
やっぱり一発入れとけばよかった。
「……僕は……!」
「は!……はい!」
「……君のことが……す……き、君の!君の力になりたいんだ。……君は大切な――」
あぁ……意気地なし。
「――と、友達、だから。」
花のように咲う愛しき人。
「……ありがとう、ございます。
クレくんもわたくしにとって大切な――」
もし気持ちを伝えればこの笑顔を壊してしまうかもしれないなら、まだ暫くはこのままでいいかな、なんて……言い訳かなぁ?
「――“お友達”ですよ。」




