143. 悪の陳腐さについての推察 Ἠλέκτρα in Jerusalem
「ええ、そしてその裏でロイヤルの方たちは、一年生の眠る宿舎を燃やし、無差別に攻撃していった。
そして、ソンジュを殺し……その罪をわたくしに被せることで、ザミール・カマラードとアイ・ミルヒシュトラーセの共倒れを狙った。そうして双方が力尽きた時に、二人とも散華させて鹵獲するつもりだった。
……彼らから見れば、ソンジュを殺す事とザミールとわたくしを散華させる事は失敗に終わりましたが。」
「ええ……彼らも予想外だったのでしょうね。おそらく彼らはザミール・カマラードと“ナウチチェルカ・ジ・インビンシブル”を戦わせる気だった。」
◇◆◇
「……しかしアイ、貴女ほど身分の高い人間が、平民たちを庇って独りでザミール・カマラードを引き付けたことが第一の誤算。
加えて、貴女が砂漠の黒死病とまで呼ばれ恐れられる、ザミール・カマラードと対等に戦えるほど強かったことが彼らの誤算の二つ目。」
ラアルが一本ずつ指を立てていく。
「……まぁ、決して対等ではなく、わたくしは時間稼ぎと相手の足を引っ張ることしかできませんでしたが……。結果だけ見れば、お互い痛み分けかもしれませんが、わたくしは一度殺されましたしね。過程をみれば劣敗でした。
……わたくしが両性具有者で相手がそれを信じていなかったことが功を奏しただけです。不意打ちが成功しましたね。」
アイは自分が決して実力でザミールを抑えられたとは思っていなかったし、事実ザミールの男性体が死んだのも、彼がアイの短刀を使い自殺したからだった。
《夜明けまでにザミールを殺す。》という誓いをアイに破らせないために。誓いを破ったことによってアイの命が亡われることがないように。
つまり、ザミールが“誠実”だったからだ。
「……それでも!よ!貴女は勇敢に戦い、あのザミール・カマラードを退けた。
――そして……新生ロイヤル帝国の最大の誤算が……アイとザミールが手を取り合ったことよ……。
新生ロイヤル帝国からすれば訳がわからない……先刻まで殺し合いをしていた二人が手を組んで、お互いを愛の心で癒しながら反抗してくるなんて。」
「……まぁ、それはザミールがいい人だったから助かりました。じゃなければ――」
ラアルがアイの口に人差し指を当てて言葉を遮る。
「――アイ、ザミール・カマラードが“いい人”だなんて、私以外の前じゃあ絶対に言っちゃダメよ。
……良くて公王派と辺境伯派につつかれて現体制に不満があると思われる。悪ければ……。」
ラアルはそこで言い淀んだ。
「反逆罪で処刑ですかね……?」
アイは何故か朗らかに笑う。
「そんなのは私が絶対させないわ!
それに貴女のお母様だって……きっと……!」
「いや、おか……エレクトラさまはそうします。
あの人に利があるなら“必ず”。」
アイの瞳には確信が宿っていた。
「アイ……。」
「……すみません……話がそれましたね。」
「え、ええ……それで貴女とザミール・カマラードが手を組んで忠実なる騎士達に反抗している間に、陽炎陽炎と春日春日が現着して、その後貴女のお兄様とお姉様……ゲアーター様とエゴペー様が軍隊を引き連れて救援に間に合った。アルタークとクレジェンテ・カタルシスの救難信号を受け取って。」
「はい……そうですね。」
「……それで、アイ?
これのどこがエレクトラ辺境伯の思惑通りなの?危うく貴女も私も死にかけたのよ?」
アイは深く息を吐いた。自分を納得させる為に。
「……ラアル様は誤解されているかもしれませんが……まず、エレクトラ様はわたくしの命など塵とも思っておりません。」
「……そんな!……自分の子供を愛していない母親なんてこの世にいないわ!」
◇◆◇
あぁ……また“太陽”か、嫌になる。
ひまりさんにも聖別の儀の前に同じ事を言われた。
……おそらく恵まれた人間には分からないのだろう。親に愛されてきた人間には……!
……いや、落ち着け……。愛されてる人は何も悪くない。むしろ愛されてない人間より生きる価値がある……わたくしなんぞよりずっと……そうだ。ラアルさまもはるひちゃんも何も悪くない。彼女たちに嫉妬するなんて傲慢だ。
……“怠惰”で、“傲慢”だ。
◇◆◇
「……いるんですよ。この世界には。子供を愛していない親なんていくらでも。……おそらく地獄の価値観が流入してきたせいで。
多分……地獄では子を憎む親なんて珍しくないのでしょう。勝手に産んで勝手に期待して……勝手に失望する親も。」
ラアルは何か慰めを言おうとしたが、それらを噛み潰した。何を言っても上からの憐れみになる気がしたのだ。
母親に愛されている自分は、どんな言葉を並べ立てても……ほんとうの意味でアイに同情は……同じ感情を抱くことはできないのだと。
「……それで、貴女のお母様の思惑とは……?」
「……気を悪くしたら大変申し訳ありませんが……あの方はわたくしを憎んでいますし……この国の王女であらせられるラアルさますら……。」
「……いいのよ、アイ。政治的に対立するということは……政敵になるということは、そういうことよ。」
「おそらく……あの方は事前に新生ロイヤル帝国が企てていることをある程度知っていたのでしょう。
“ミルヒシュトラーセの盾”である陽炎家……若しくは“ミルヒシュトラーセの手”である不知火家から情報を仕入れて。」
「……でもおかしくはない?
もし陽炎家が情報源だったら、陽炎陽炎を林間学校に送り出してむざむざ危険に晒す?
彼は次期当主だし……それに不知火家でも同じよ。だって不知火家と陽炎家は連合を組むぐらい蜜月なのでしょう?」
「……前者についてはわたくしも同意します。おそらく情報源は陽炎家ではありません。……不知火家です。
公王派のラアルさまはご存じないかもしれませんが、彼らは不知火陽炎連合を組んでいるとはいえ、別々の家です。決して一枚岩ではないのです。実の姉弟であるかげろうとしらぬいさんが、実質的な人質として別々の家にいることもそれを表しています。
彼らは“ミルヒシュトラーセの剣”であるカラマード家が凋落してからは、お互いがミルヒシュトラーセ政権下でより強く実権を握るために、水面下で争いあってきました。
しかし、そんな事をしていては公王派の思うツボです。彼らが争い始めたのも、公王派がそう唆したからと言われていますしね。
だから、彼らは協定を結びました。不知火陽炎連合を組み、連合の長はお互いの家から交互に出すと。
そして……その代の頭目の第二子を相手方の家に差し出し……もし裏切ればその者もろとも一族郎党を族滅する。
つまり……かげろうは生まれた時は不知火家でしたが、実質的な人質として陽炎家に差し出されたのです。」
ラアルは驚きに目を見張る。
「……そんな、ことが。」
「……ラアルさまが知らなくても無理はありません。わたくしだってしらぬいさんから直接聞くまでは知りませんでした。しかし、不知火家としては第二子などもうどうでもよかったのでしょうね。
だから、エレクトラさまにだけロイヤルが何か企んでいるとの情報を伝え、かげろうを林間学校へ送り出した。」
「……そんな……不知火家の頭目からしたら、仮にも自分の子でしょ……?」
「……地球人に脳髄を犯された人の価値観なんてそんなものですよ。……哀しいですが。」
「じゃあエレクトラ辺境伯がアイと私を危険が迫っていると知りながら林間学校へ送り出したのは……。」
「……ええ。あのお方の思惑として……。
理想はラアルさまが真っ先に逃げ出して、わたくしだけ死ぬ。そして……ミルヒシュトラーセ家の者が殺されたという、新生ロイヤル帝国との戦争の大義名分を得て……戦争反対派……反戦論者を黙らせる。
最悪ラアルさまも亡くなっても、確かに辺境伯派の運営するマンソンジュ軍士官学校が王女を死なせたと責任を追及されるでしょうが……それを勘案してももっと大きな恩恵がある。
……つまり、王女を新生ロイヤル帝国に殺されたからには、公王派黙ってはいられません。
――そうして、好戦的な辺境伯派とは反対に、保守的な反戦論者の多い公王派の世論を……戦争賛成へと導くことができます。それみたことかと。」




