139. “絶対言っちゃいけないこと”を、これから貴女に言います♡ The Curse of the Cherry Blossom
「顔は赤いですが、熱はない……ですかね?」
そしてアイは心底心配そうな顔で、汚れた思考をしていた私を心配する。
「〜〜!!」
私は声にならない声を上げる。
アイの身体に触れようとしていた手をシュバっ!と離して慌てて隠す。
「そ……そうね!熱はないわ!しんどくもないし!?」
アイは心底不思議な顔をして、首をかしげる。かわいい。
「ラアルさ――」
「一旦落ち着きましょう。一旦ね、一旦。先刻の話の続きでもしましょうね?ね?一旦ね?」
何が一旦なのか?自分で言ってたよく分からない。
「……ラアルさま。貴女はわたくしに秘密を打ち明けて下さいました。だから、わたくしも一つ、打ち明けごとをしてもいいですか……?」
アイが神妙な面持ちで聞いてくる。その表情もかわいい。
――だけど、その次にアイから発せられた言葉は、私のこころを、この国を、このパンドラ公国を揺るがすような、そんな秘密だった――
◇◆◇
アイは静かにその瑞々しい唇を開く。
耳元で囁く声がする。かわいい声。
なんて思っていたが、アイの言葉でそんな感情は消し飛ぶ。
「……ラアルさま……わたくしの性別を知っていますか?」
性別……?今?……今さら何でそんなどうでもいい話を……?困惑しながら声を出す。
「……獣神体でしょ?」
「はい。公王派の持っているわたくしの情報はそれだけですか?」
「……稀に現れるという、男女の性別を自在に変化させられる両性具有者で……その両性ともが、獣神体……。」
「つまり……?」
「“至高の性別”である……アニムス・アニムス。」
教練が終わった放課後の、活気づいた生徒たちの話し声が遠くから聞こえる。
「……えぇ。そう言われていますね。」
……?
「……言われている?実際にそうでしょ?
だって貴女は顕現させられる心の量も、至高の性別らしく……とっても多いわよね?」
アイのサファイアの瞳に放課後の教室の茜が射す。
「……それ以外は?わたくしは何者ですか?
公王派が考えるアイ・ミルヒシュトラーセとは、どんな“政治的”価値が……“軍事的”価値がありますか?」
……?私はアイしか見ていない。アイはアイだ。
……言われてみれば、アイを“アイ・ミルヒシュトラーセ”として見ていたのは、あの日教室に乗り込んでアイを目にする前までのことだった。
それまでのアイのイメージ?
持て囃されて、調子に乗って、いい気になって……。
――ミルヒシュトラーセ家だっていうのをいいことに好き勝手して。
アイの公王派からのイメージ……。
“ミルヒシュトラーセ家”で、“両性具有者”で、“アニムス・アニムス”……そして……“こころをもつもの”……?
――!
おかしい、余りにも出来過ぎている、余りにも恵まれすぎている。多くのものを持ちすぎているわ。
――主人公に都合のいい世界に生きている、なんでも自分の思い通りになる物語の主人公でもこんなに恵まれていないわ。
そんなにミルヒシュトラーセにとって利用価値が高くて、都合がいい子供が“自然に”できることがあり得るのかしら?
「……こころをもつもの?」
アイがこくりと頷く。
「ラアルさまは……不思議に思ったことはありませんか?」
「……何を?」
いや、ほんとうは分かっている。
――何かが、おかしい……。
「……何かおかしくありませんか?」
「……おかしい。おかしいわね。“何か”が……でも“何”が?」
アイが私の手とその小さな手を組む。
アイはいつもやわらかくて、いい匂いがして、力が弱い。触れれば壊れてしまいそうなほど――。
「……力が弱くて……いい匂いがする……?」
「そうなんですか?いい匂いですか……?
……うれしいですね?」
アイの瞳が前髪隠れて見えない。
「おかしいわ……だって、獣神体同士は、お互いの縄張りを侵さないように、お互いの匂いを嫌悪することはあっても……いい匂いなんて思うことは……。」
「……ありえない、ですよね……?
獣神体同士のパートナーが殆どいないのもその為です。授業でチェルせんせーに習いましたね?」
そうだ。今までアイは“運命の相手”だからと浮かれて、深く考えたことはなかった。
じゃあアイは?アイは何で――?
「花がいい匂いがするのは何故だと思います?
人が香水をつけるのは?
動物がフェロモンを出すのは?
わたくしがラアルさまにとっていい匂いがするのは……?」
それらは、全部……相手を誘う為だ……。
――つまり……アイは、アイは……いや、でもそんな事があり得るの?だってもしそうだとしたら、余りにも――
「――アイは、獣神体じゃない……?」
アイが蠱惑的に微笑む。
「……えぇ。それで?」
私はアイに操られるまま言葉を発する。
まるで花に群がる虫のように操られて……。
「……アニムス・アニムス……でも……ない?」
アイは決して誰にも聞こえないように、耳元で小さくつぶやく。もしそれが世界にバレてしまうと、終わってしまうからだ。
何が?何が終わってしまうの……?
そんなの――
「――じゃあ、わたくしは何ですか?
“何者”だと思います?」
アイは女性体でも男性体でもいい匂いがするし、やわらかくて、人を……惹きつける。
「アイ……貴女は……アニマ・アニマ……なの?」
「……。」
アイは返事をせずにこくりと頷く。
声で返事をしなかったのはこれが辺境伯派を……公王派を……そしてなにより、パンドラ公国を揺るがす秘密だからだろう。
「……でもっ!“最弱の性別”と言われている、アニマ・アニマに、“至高の性別”である獣神体のフリなんて……!!そんなのできるわけが――!!
……!――!!」
いや、そうか――!
「こころをもつものの、力ね……?」
「……はい、よくできました♡」
アイの扇情的な声に耳がゾワゾワする。
これは確実に人間体が獣神体を誘う時の声だ。
私の上に座るアイの全てが、それを真実だと……アイ・ミルヒシュトラーセが人間体だと告げている。
アイの息遣いが、汗に含まれるフェロモンの匂いが、その身体の全部が――わたしを、狂わせる。
私の瞳はきっと獣のような瞳孔になっているのだろう。獣神体特有の犬歯が伸びてくるのも感じる。私はこのまま……!!
――いや、落ち着けそんなことより、自分の欲求よりも――アイのことが心配だわ……!!
「なんで!なんでそんな事を私に伝えたのよ!
私は公王派で、公王の娘よ!?
そんな辺境伯派を揺るがすような、ミルヒシュトラーセ家の弱みなることを!
私が貴女のその弱みにつけ込むとは考えなかったの!?」
「考えませんでした。」
アイがキッパリと言う。
「ラアルさまは、わたくしの知ってるラアルさまは……絶対にそんな事をしません。」
アイがそのちいさな両の手で、私の片手をとる。両手で片手をとるのがやっとなのか……今までなんで気が付かなかったのかしら。
――恋は盲目とはよく言ったものね。
「ええ!私は絶対にしないわ!
でも!そんな事を伝えるメリットはなに?
辺境伯派にとって何もいいことはないでしょう……!?
なんで――」
「――ラアルさまは、先ほどわたくしのためにはるひちゃんに本気で怒ってくれました。
だから、伝えないと、と思ったんです。伝えたいと、思ったから……。」
好きな娘を護るために怒るなんて、当たり前の事だわ。
「好きな……友達を護るために怒るなんて、当たり前の事だわ。」
「フフッ……ラアルさまの“当たり前”はカッコいいですね?いや、うつくしいと言うべきでしょうか?」
私の心は先刻からずっとアイのせいで激しく乱高下しているのに……アイがひどく落ち着いているのが、少し気に食わない。
……でも、この娘になら振り回されてもいいと思ってる自分もいる。
「……だったら、自分のために本気で怒ってくれる友人に、その諍いの理由を明かさないのは、わたくしにとって当たり前じゃないんです。
……だから、伝えたんです。
ラアルさまだから伝えたんです。」
そう言われては、私は何も言えなくなってしまう。
「……他にこの事を知っている者は?」
「この国には殆どいません。
絶対に明かしてはいけないミルヒシュトラーセの“最高機密”ですから。」
私にさらっと明かしたくせに……。
「……おとうさまとエレクトラさま、そして“聖別の儀の相手”と相手方のお父様とお母様……そしてわたくしだけです。
わたくしが誰よりも愛するきょうだいたちにすら打ち明けていません。」
でも私には話してくれた……あぁ、また勘違いしそうになる。
……ん?……聖別の儀?
「……聖別の儀の相手で貴女がアニマ・アニマになったってことは……相手は獣神体か……“アニムス・アニムス”になったはず。」
「はい。」
「そして、貴女はいつもある者に怯えている。
……その娘は貴女に異常な執着をみせている。」
「……えぇ。」
パズルのピースがはまっていく。
そうか、だから――だからアイツは……!!
「――アイ……貴女の聖別の儀の相手は――」
……あぁ、頭の後ろに靄がかかったように嫌な気分だ。そうに決まっているのに、どうしても自分の推理が外れていて欲しいと願ってしまう。
「――ええ……春日春日ちゃんです。」
◇◆◇
アイが獣神体に絡みつく姿は、皮肉なことに、哀しいことに……実母の“娼婦”……サクラ・マグダレーナにとても良く似ていた――。




