129. 骨の姉 ・ 雷の兄 Silent Distress Signal
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――いや、刺そうとしたのだが、その手は左手は誰かのやさしい右手によって握り込まれ制止された。
アイはこの温度を知っていた。
アイの愛する人の体温だ。
アイはこの身体の温度とお昼寝をするのが大好きだった。
「――自殺なんてしないで、アイちゃん……アイちゃんには私が――」
アイの背中を伝って身体に声が響く、後ろから抱きしめられている。アイの大好きなあの心臓の音像を感じる、アイの大好きなあの温度で――!
「――きょうだいがいるでしょう?」
アイの目が見開かれる恐る恐る振り返ると、そこには居た。
いつもアイに与えてくれる、エゴペーおねえさまが……!!
◇◆◇
アイは口がきけなかった。
その精神は驚愕、無力感、脱力感……安心感……そして、失望感があった。どれがいちばん大きいのかはアイにもわからなかった。
そのちいさな身体は感情の濁流に押し潰されそうだった。身体から全ての力が解け、天へと昇っていく。手からも力が抜け、心の短刀は徐々に霧消していく。
下半身とふくらはぎには土の冷たさと小石が食い込む痛みが、上半身は大好きな人の体温に包まれていた。
混乱と安らぎのなかで、そしてまた死ねなかったという失望感と、まだ生きているという安堵感がせめぎ合っていた。
聖別の儀の時は誰も助けてはくれなかった。“アイ・エレクトラーヴナ・フォン・ミルヒシュトラーセ”が死んだときには誰も来てくれなかった。
――だけど……今は背中に体温を感じる。
“アイ・サクラサクラ―ノヴナ・フォン・ミルヒシュトラーセ”はまだ生きている。生きてしまっている。
色んなこころが刹那のうちに去来して、アイは苦難に喘ぐ声のなかから、やっと一筋の光の言葉を放つ。
◇◆◇
「え……あ……お……おねえさま。」
アイの放つその言葉はいつもシュベスターに向けられていたが、今回ばかりは違った。
エゴペーの瞳が妖しく光ったあとに、愛情に溢れかえる。そうして、アイを抱きしめ直しその頬に口づけを落とす。
「……そうだよ。おねえさま。エゴペーお姉様が助けに来たよ。
……もう、あんしんだからね。こわかったね。でももうお姉ちゃんがいるから、こわい人たちはお姉ちゃんがやっつけちゃうから……
『あっちいけっ!』
……ってするから……安心してね。」
アイはうまれてからずっと、シュベスターのことを“おねえさま”、エゴペーのことを“エゴおねえさま”と呼んでいた。
しかし、今回ばかりは違った。
「……おねえ、さま。おねえさまは病でお身体が……。」
アイの曇天を晴らすような明るい声でエゴペーが言う。
「……だいじょーぶ!弟を護る時のおねえちゃんは……世界でいちばん強いのだぁ〜!」
奇しくも教会でシュベスターにも言われた言葉だった。しかしアイは同じ言葉でも何か色が違う気がした。
アイとエゴペーの前で先ほどかげろうに打ち倒された忠実なる騎士が静かに起き上がる。
「……ゲホっ゙……あんな程度で、新生ロイヤル帝国の騎士は斃れない……!
……喰らえぇ……!!」
忠実なる騎士は雷でできた槍を顕現させてアイに向かって振り被る。
「――それに……アイちゃんには私以外にも頼れるきょうだいがいるでしょう……?」
「……?」
――それは迅雷だった。
稲妻のように走り、雷のように落ちた。
アイの目の前で……。
それはまるでかつての“雷神エレクトラ”の様だった。
それは忠実なる騎士の胸を貫き、バチバチと音を立てながら次第に人の形を持った。
アイが瞬きをすると、迅雷はゲアーターの姿となり、敵の心臓を鷲掴みにしていた。
「……じゃあなぁ……阿呆が……。」
心臓握り潰された忠実なる騎士は倒れ込み……その場で絶命した……。
◇◆◇
塵を見るような瞳をしていたゲアーターは一変、快活な笑顔でアイを振り返る。
「ようアイ……一晩中随分と無茶したみてぇだなぁ……。」
「おにい、さま。」
そしてアイの頭を無遠慮にグリグリと撫でつける。
「……だが、よく頑張ったな。さすが俺の弟だ……!」
アイは泣きそうになった。今までの1度だって人前で泣いたことなんかなかったのに、今夜は何度泣かされれば気がすむのか……。
――だが、泣けなかった。理由は分からないが、ザミールの前では泣けたのに、家族の前では泣けないのだ。
……それが何故か、この時のアイにはまだ分からからなかった。
背中に姉のやさしい体温を感じ、頭にはやさしい兄の手。
アイは先刻まで、此処は地獄だ、と思っていたが……今では此処が文学界の上の天国にさえ思える。
「……エゴペー、アイのことは頼んだ。あと雑魚共の処理も。……俺は忠実なる騎士達を殺す。」
「りょーかい!おにーちゃん!……ふぅぅ――」
《――遺骨の憤怒……。》
エゴペーが自らの背に顕現させた骨の翼を地面に刺す。すると、はるひとかげろうが戦っていた雑兵の人々の身体を、地面から飛び出してきた骨が突き刺していく。
皆が串刺しになっていくその光景に恐れをなし、武器を捨て遁走する者もいたが、骨は誰一人として逃がしはしない。皆が逃げ惑い、悲鳴を上げるが、エゴペーの人骨は無慈悲に一人、また一人と全員を散華させていく。
――その間を迅雷が縫った――!
其れはザミールと対峙していた三人の忠実なる騎士に向かって地面の其処此処を抉りながら走り、彼等に直撃した。
「……グッ……!!」
「“雷霆”のゲアーター・ミルヒシュトラーセ……!!」
「何故キサマが此処に!!……キサマは最前線に……チェルマシニャーにいるはずじゃあなかったのか!!」
◇◆◇
「アンタぁ……誰や?」
エゴペーの後ろにいつまにか、アガ・ハナシュがユラリと立っていた。
「……アナタこそ誰よ?そんなに殺気を向けられてたら、落ち着いて話もできないわよ。」
エゴペーが毅然として返す。
「ウチはアンタが抱えてる……ソコの糞餓鬼に用があるだけや……!
『アイ・ミルヒシュトラーセを殺す。』
それがウチの目的や……!!アンタの目的は!?邪魔ぁするんやったら……死ね!!」
ハナシュが怒りを顕に、
『アイ・ミルヒシュトラーセを“鹵獲”せよ。』
という任務も忘れて、アイ憎しで“殺そう”とする。
◇◆◇
エゴペー・エレクトラーヴナ・フォン・ミルヒシュトラーセの存在はあまり公に晒されていない。
――まず“妊娠能力の極めて低い獣神体の女”であるエレクトラと“妊娠できないノーマルの男”であるオイディプスとの間で、幸運にも子を成すことに成功した。
このゲアーター・ミルヒシュトラーセが産まれたことで一旦は、
『なぜ繁殖能力の高い人間体ではなく、ノーマルであるオイディプスを選んだのか。』
という辺境伯派内外からの誹りは減った。
しかし、その後第二子を望めないことから、オイディプスを責める声が高まった……“雷神エレクトラ”を誘惑し、堕落させたノーマルの男だと。
エレクトラは自分がどれだけオイディプスを選んだ事を責められてきても、幾らでも我慢できた。しかし自分の決断のせいで愛するオイディプスが責められるのには耐えられなかった。
そこで、最前線に置くように一人、国防を担うために中枢に一人……欲を言えば、誰かが政敵に暗殺されたり、夭折した時のためにスペアとしてもう一人……と望む声が大きかった。
しかし、『獣神体とノーマルの場合、子供は多くても一人しかできない、二人できたら奇跡だ。』と言われている。
……そこでエレクトラは人生で最悪の……文学界で最悪の決断をする――。
オイディプスを子供が作れないと言う誹りから護るために、オイディプスと人間体で子供を作らせようと考えたのだ。
そして、相手として選ばれたのが、稀代のうつくしさで“地獄に咲く桜”との呼び声高い、サクラ・マグダレーナ……マグダラのサクラだった……。
……エレクトラがノーマルの男を選んだのも、この最低最悪の決断をしたのも……全てはオイディプスを愛していたからだった――。




