128. 人生は生きるに値しない。 Life is Not worth Living.
この世に愛はあって、おかあさまはこの世に其れがないからくれないんじゃなくて、わたくしとの間にそれが存してないだけ。
そんなのは知っているんだよ。でもじゃあこの状況をどうする?
『生まれて来て、よかった。』がだめならわたくしがほんとうに心を込めて言える言葉は、ここにいる皆を護れる言葉は……。
――!
そうだ……!聖別の儀の日にわたくしは一度言っている。心を込めて言っている。
◆◆◆
「最期に言い残すことはァ……?」
――ああ、ありがとう。ひまりさん。
「――産まれてきて、ごめんなさい。
……産まれて、こなきゃよかった――。」
「――じゃあな、アイ。」
◆◆◆
……あの、言葉か……。
◇◆◇
「……かげろうははるくんを手伝って、わたくしはもう大丈夫。」
「……しかしっ!」
アイはかげろうとおでこをあわせて、瞳をやさしく見る。
「……大丈夫、はるひちゃんもかげろうの大事な幼なじみでしょ?
わたくしたち三人はさ……みんながみんなを大事に想ってる幼なじみ三人組……でしょ……?」
追憶を見下ろすアイの瞳。
偶像を見上げるかげろうの瞳。
2人は旧知の幼なじみという、大好きな相手という、同じものを見ながら……しかし哀しいかな、全く別のものを見ていた。
アイは美化して彩った過去の追想を、かげろうは神聖視して歪めたどこにもいない偶像をみていた。
謂わば二人とも、目の前の相手を見ながら、目の前の相手を見ていなかったのである。
……相手の本当の姿を――
――本当のこころを……。
「しかし、アイ様。僕は……貴方を護ると、あの紅葉の日に……いや、あのステンドグラスの前で幼き貴方に出会ったときから――」
穏やかな説得では無理だと悟ったアイは、天の川を瞳に宿して言った。
「ごめんね言い争ってる時間はないの……。
――かげろう。貴方は先ほどわたくしの事を神と言いましたね。では……貴方の神が命じます。貴方の幼馴染と共に戦いなさい。
此れは“神との契約”です。神との契約は、人間と人間のものとは違って一方的に結ばれるものとは知っていますね?……地獄の“旧約”も“新約”もそうやって結ばれました。」
とても哀しいことだが、そう宣うアイの姿は……あまりにも天の川だった。
「……わかり、ました。」
「……そんなに心配しないで?かげろう……これが死に征く者の瞳に見えますか……?」
アイはかげろうの瞳を見つめるが、かげろうは“神を見た犬”のように押し黙っていた。どんな言葉を吐いても、自らの神の言葉を否定するか、自分のこころに嘘を吐くことになるからだった。
つまり、かげろうは
『わたくしは死に征く者ではない。』
という神の言葉を疑っていた。
……信じれば救われるはずの神の言葉を。
「わかり……ました。僕にとって貴方の言葉がこの世のすべてです。
『はじめにアイ様の言葉ありき――』
ですよ……全く僕が絶対に断れない命令の仕方を知っているんですから……。」
アイがお道化て返す。哀しい道化だった。仮面に一雫の泪の凍りついた……道化だった。
「ずるくてごめんね……?かげろー……。」
アイはかげろうのお腹の傷に、ありったけの愛の心を注ぎ込む。
「……いえ、行ってまいります。」
「取り敢えず孔は塞いだけど、もってこの戦闘の間だけだと思う。……気をつけて。」
「……アイ様の愛があれば、俺は負けることはありませんよ。そんなことは……あり得ません……!」
かげろうは大好きな人を安心させようとニカッと笑う。太陽のように――。
◇◆◇
……アイは“太陽”に追いつめられた人生を送ってきた。
まずは自らの顔貌が家族の誰とも似ていないという事を暴き立てる“文学界の太陽”。
次に独りの夜の孤独なる泥濘を奪い去ってしまう“空に浮かぶ太陽”。
そしてエレクトラとの間には存せず、春の日とひだまりの間には確かにある……“親の愛情という名の太陽”。
……そして、きょうだいたちのやさしさ、友たちとの情という……いつか無くしてしまうのではないかという“幸福という名の太陽”。
アイのこころには孔が空いていた。だからどれだけきょうだいや友達にやさしくされても、その母の愛情からしあわせが転び出るのだ。
熱くすべてを暴き立て、熱して追い詰め……自らの人生を乾きに喘ぐものにし、自分のこころを干ばつさせた“太陽”を……
……その全てからの光から逃げてきた、その“太陽”を……いちばん大好きな人の……陽炎のなかに見たアイは何を思ったのだろうか。
それは誰にも分からない。
多分……いやきっと……その答えを出せるのは、この世でたった一人……その者の名は――
◇◆◇
《――我が名はアイ・ミルヒシュトラーセである!!!》
アイが自死する人間のように、これでもかと自分の首を絞めて喉に心を送りながら辺りに声を響かせる。
ザミールが驚いてそちらをチラリと見遣る。
「アイ!?」
《キサマらの狙いはわたくしだろう!!》
「アイくん……?」
《ならば、これ以上わたくしの仲間に手を出すな!!そうすれば無抵抗でキサマらについて行ってやる!!》
「……アイ様!?」
《キサマらが望むなら自らの手で“散華”してやってもいい!!》
忠実なる騎士たちの動きが止まる。
《わたくしの出自は知っているだろう!
元より桜の狂い咲きのようなこの生!!
……今更散ることなど惧れない!!!》
純黒の甲冑を身に纏った三人の忠実なる騎士達が呟く。
「対象に投降の意思あり……抵抗の様子はない。」
「心を配っている気配もなし。」
「……ならば、アイ・ミルヒシュトラーセ!その言葉が正しいと証明する為に、その場で花供養してみせろ!!」
ザミールが吠える。
「アイ!!やめろ!!」
アイは返す。
《先に誓え!わたくしの仲間には手を出さないと!》
かげろうが呟く。
「……嗚呼、我が神よ……。」
忠実なる騎士達が手に持っていた三本の剣を交差させる。
《私達忠実なる騎士は……誓う我が皇帝に……アイ・ミルヒシュトラーセが花供養したならば、他の者には手を出さないと。》
「……アイくん。……アイ!あたしは許さないぞ!!絶対に許さない!!!
あたしの“人間体”が勝手に――」
はるひがアニムス・アニムスの力を最大限引き出して、全てを焼き払おうとする。
アイは全ての喧騒を少し遠いことのように聞いていた。
そして、柄にルビーの付いた心の短刀を顕現させながら、不思議と冷静に考えていた。
◇◆◇
はるひちゃん……そんな事言ったら、敵に、みんなに……かげろーに人間体だってばれちゃうでしょう?
……あぁ、今度こそ……やっと終われる、やっと“四苦”と“八苦”しかない人生から解放される。
わたくしの人生は、家族と同じ見目になれたらという五蘊盛苦と親の愛を得たい求不得苦 の人生だった。
……本当に、人生は生きるに値しない。
◇◆◇
アイは呟く。
《あぁ……ほんとうに産まれて――》
「アイ!俺から、反政府組織から!ミルヒシュトラーセ家を、家族を護るんじゃなかったのかよ!!アイ――!!」
《――こなきゃよかった。》
その言葉とともにアイが自分の鉛の心臓を刺した――
◆◆◆
「お母様!本気ですか!?アイを危険が潜んでいるかもしれない林間学校に送り出すなんて!!」
「……シュベスター。落ち着いて……大丈夫だよ。あの林間学校には学園最強の――をつけている。それに、もしことが起こったならば――の――だっている。何を心配することがあるの?」
エレクトラは自分の子供と話すときだけのやさしい口調と声音だ。
「……ですが、アイに少しでも危険が及ぶなら――」
「――シュベスター。少しは貴女のきょうだいたちを信用したら?それともあの子たちはそんなに頼りにならない?」
「……わかり、ました。ではせめて私もアイに付き添って、林間学校に――」
「――言ったはずだよ。ミルヒシュトラーセ家の人間は、このパンドラ公国で最強だとね。
ふふっ……貴女ももう少し、自分の家族を信頼してみたら?
◆◆◆
――いや、刺そうとしたのだが、その手は左手は誰かのやさしい右手によって握り込まれ制止された。
アイはこの温度を知っていた。
アイの愛する人の体温だ。
アイはこの身体の温度とお昼寝をするのが大好きだった。
「――自殺なんてしないで、アイちゃん……アイちゃんには私が――」
アイの背中を伝って身体に声が響く、後ろから抱きしめられている。アイの大好きなあの心臓の音像を感じる、アイの大好きなあの温度で――!
「――きょうだいがいるでしょう?」
アイの目が見開かれる恐る恐る振り返ると、そこには居た。
いつもアイに与えてくれる、エゴペーおねえさまが……!!




