123. こころおわり Beginning of the Love
「……親の望みをかなえるのが子供だろう?
――お前はアデライーダさんの
『幸せに生きて。』
って言う願いを叶えようとしている。
……そして、おれはエレクトラさまの
『役に立って死ね。』
という願いを叶えようとしている。
そこに何の違いがある?
どっちも身勝手な親に押し付けられた願いをかなえようとしているガキだろう……?」
アイのサファイアの瞳には、狂信者のような狂気がこびり付いていた。
……それを暴き立てられるのは、剥がせるのは、果たして“差別主義者の”家族か、“秘密を共有できない”友か……それとも“命を賭して戦った”――
◇◆◇
「本来幸せになるのも死ぬのも本人の自由のはずだろう?
誰にだって不幸せに生きる権利だってあるし、好きな時に死ぬ権利があるはずだ。
だけどおれとお前の親は勝手に『幸せに生きろ。』だの『役に立って死ね。』だの親本位の身勝手な価値観を押し付けてきやがる。
幸せに生きることがいいことかなんて、本人にしか分からないことなのに。
……そして二人とも馬鹿みたいにそれに従ってる馬鹿なガキだ。
おれぁ……何か間違ってるか……?」
「いやぁ……何も違わねぇな……。
俺もお前もホントに馬鹿なガキだよ。」
ザミールはアイに預けていた上半身を起き上がらせ、胡座をかいて座り込んで、アイを真正面から見つめる。
「なぁ、……アイ、俺たちは似ている。
……先刻も聞いたが、反政府組織に入る気はねぇか……?
――俺たちと一緒に……この文学界を地獄から護るんだ。」
アイはうれしそうに、でも哀しそうに応える。
「ありがとう……こんなおれを必要としてくれて……。
だけど、お前の言う
“この文学界を地獄から護る。”
ってことは、
“このパンドラ公国をミルヒシュトラーセ家から護る”
ってことだろう……?
……だったらおれには無理だ。
だって……お前はおれの家族を殺そうとしているからな。確かに、おねえさまとおにいさまは差別主義者だし……ミルヒシュトラーセ家は最悪だ。
だけど、二人とも……ほんとうにやさしい人なんだ。おれにとっては、わたくしに対しては……ほんとう愛しいおにいさまと、おねえさまなんです……。
――彼らは差別主義者だけど、わたくしにとっては……天使のような方々なんです……。」
そこでアイはそのあどけない顔を、くたびれたバーにいる老いくたびれたピアノマンが鍵盤を眺めるように……ゆっくりと下げた。
「……ザミール、おれたちはこの家族への愛という檻から抜け出せたなら、何にでもなれるんだ。
お前が“アデライーダさんの本懐”から解放されれば、おれたちは仲間になれる。おれが“きょうだい達への情”を捨てられれば、おれたちは手を組める。
……だけどそうはならない。そうはならなかったんだよ……ザミール……わが誠実な犠牲者よ……。
……おれの……友よ……。」
ザミールはアイをみていた。彼が“家族と友”という“二つの信仰”の間で苦しむのを。
……彼もまた、一人の修羅なのだった。
「……そうか、そうだよなぁ……。
……まぁ、俺はいつでもお前を歓迎するってことだけは覚えとけ。」
ザミールとアイが立ち上がる。
「……じゃあ、まぁ、俺はこの国のためにアイ・ミルヒシュトラーセを連れ去る。」
「……おれは家族のためにザミール・カラマードを斃す。」
お互いが至近距離でかまえる。
「なぁ……ザミール……先刻は何で、おれの手を掴んで……おれの短刀を使って、自殺なんかしやがった……?
お前の男性体はおれと違ってまだまだ継戦可能だったし……まさか、おれに自分も両性具有者だと明かす為だなんて言わないよな……?」
「あ?……あぁ……“誓い”だよ。もう夜明けだ。俺らはお互いに《相手を夜明けまでにぶっ殺す》っつう誓いをたてていた。……もうすぐ夜明けだ。
あの時点でお前の女性体を殺して俺の誓いは達成されてたが、お前のはまだだっただろう?
じゃなきゃあ俺がソンジュを辱められたっつう嘘を信じてお前に立てさせた誓いで、お前は命を落とすことになってた。
――そんなのは俺が許せねぇ……。自分自身を許せねぇ……それだけだ。」
フッとアイが笑う。
「……敵に塩を送るとか……どこまでも……誠実な犠牲者だよ……お前は。もし生きて帰れたら地獄にからきた……フランス領アルジェリア出身、アルベール・カミュの文学を読んでみろよ。“ペスト”でも“異邦人”でもいい。」
「……いや、部下にも勧められたが……それは……いや、それも地獄から来たという時点で……“原罪”だ……俺は読まねぇ……。
……これ以上文学界を地獄に犯させない為に、俺は生きてるんだからな。」
「……それもそうか。じゃあ――」
アイが心を纏いながら言う。
「――行くぜぇ……!!」
◇◆◇
アイが背中で心を爆破せながら真正面に殴りかかってくる。俺はそれを容易く避けて、カウンターで心を纏った拳をアイの顔面にお見舞いする。
アイが体勢を崩したので、即座に腹に、踵で心を爆破させて加速させた、砂塵を纏った膝をぶち込んだ。
するとアイのちいさな身体は吹っ飛んでいき、壁にぶつかり倒れ込んだ。
……勝った。
勝った……勝った……。
勝った……んだが……。
――あっけなさすぎる。あまりにも。
まずアイの戦術がお粗末すぎる。直接心をぶつけ合うことが俺の得意分野だから、それを決してしないように立ち回ってきたくせに、今度は真正面からぶつかってきて、瞬殺されてやがる。
……なんだ?この違和感は……?そもそも、彼奴の、今蹴り飛ばしたアイの身体は……獣神体というより……。
アイの纏っていた全身の心が洞窟の天井に空いた穴に向かって解けていく。
するとアイの身体は震えだした、怯えた瞳で俺を見る。まるで捕食者を前にした、非捕食者のように。
――!
――圧か?
……彼奴はこれまでずっと全身に心を纏っていたらしい……それが今解けた。そして、俺が放つ獣神体の圧が彼奴の身体をあそこまで怯えさせるということは……。
――いや、そんなはずはない。ありえない。
だって、ロイヤルの奴らはアイ・ミルヒシュトラーセは稀代の獣神体だと言っていた。
――まさかアイ・ミルヒシュトラーセが人間体なわけ……。
……でもそう伝えてきたのは誰だ?何度も俺を騙そうとしてきた神聖ロイヤル帝国だ……。
まずい……確かめないと。そうじゃないと……俺は、お母様との約束を――
「……アイ……!」
慌てて駆け寄ると、アイは小動物のようにビクビクとしながら恐る恐る此方を上目遣いにみあげる。
その一挙手一投足が示していた……アイは……。
「アイ……お前……人間体……だったのか……?」
「……。」
アイが俺の圧に晒さられて、ビクビクと怯えながら……ゆっくりと首肯した……。
――そんな、そうじゃないと思いたかった。
だって俺は約束した。今はもう散華したお母様と……
『獣神体なら、人間体を守ってあげてね。』と。
――獣神体が、人間体に暴力を振るうなんてもっての他だ……。
……なのに、俺はアイの顔を……よりにもよって人間体の顔を傷物にして、全身をズタズタにして、一度は殺しもした……。
俺は獣神体なのに……獣神体は人間体を守らないといけないのに……。
“人間体に暴力を振るう獣神体”なんて、俺が一番嫌いな人種だ。一番にくんでいる存在だ。
だって俺はお母様と約束したんだから、人間体は弱いから、獣神体として護ると……。
なのに、俺はいい気になって人間体を……アイを……!
そうして、お母様との約束を破ってしまったこと……人間体に暴力を振るってしまったことを後悔していた俺は、気が付かなかった、アイが俺の目の前に立っていたことに――!
アイが俺を優しく抱擁する。
「爆裂の……」
――そして、小鳥が囀るように呟く。
「……哀しみ……。」




