122. おれを呼んだかぁ……? Calling me? Baby.
「ザミール……。」
アイは早く友を助けに行かないといけないのに、ザミールを胸に抱いて泣きじゃくっていた。こんなに泣いたのは、彼のくるしい人生で初めてだった。
親に何をされたときでも、親に捨てられたときでさえ……親のためにはこんなに泣いたことはなかった。
「嗚呼……わたくしの強敵よ……。ザミール・カマラード……。」
アイの胸の内で声がした。聞こえるはずのない声が。
《おれを呼んだかぁ……?》
◇◆◇
アイの目は見開かれ、そのちいさな揺れでまた泪が一筋落ちる。それは、アイの胸のなかにいた一人の女性の頬を濡らす。
アデライーダにそっくりな女性の頬を……!
「……ザ、ミール……?」
その女性は、アイの知るザミールのように、ニカッと微笑んだ。
「あぁ、呼んだかよ?」
アイの身体が震える、それは決して自ら殺した敵が生きていたからという恐怖ではなかった。
……それは寧ろ亡き友が生きていたような高揚感。
「ザミール……なのか?……なんで……?」
その女性は愉快そうに笑う。
「俺だって言ってるだろ?……アイ。ダチの顔見間違えんなよ?……くくくっ……冗談だ。」
アイは敵が自らの胸の中にいるというのに、臨戦態勢も取らず、まんじりともしない。
「……ザミール……お前は……いや、お前も、両性具有者だったのか……?」
ザミールは悪戯がバレた子供のように、無邪気に笑った。
「あぁ……獣神体で身体が丈夫だったってのもあるが、コレが俺があの人間体収容所の地獄を生き残れた理由だ……。
……既に散華してたお母様を除けば……家族で俺だけが生き残ってしまった理由だ……。」
アイはザミールの頭をそのちいさな胸に抱きしめる……力いっぱい抱きしめる。
――母のように抱きしめる。
「おわっ……!?急にどうしたんだよ」
「あぁ……ザミール、
生きていてくれて、ありがとう。」
ザミールは子供に還った気分だった。ちいさな頃、アデライーダに抱きしめられた温もりを思い出す。そっとザミールがアイの背中に手を回し抱きしめ返す。
《生きていてくれて、ありがとう。》
とは、未だ眠り続けるお母様に、一番に言ってほしかった言葉だ。
実のところ……アイとアデライーダはそんなには似ていない。ただ同じ黒髪、同じように優しい眼尻……同じようにやさしいこころ。
――そして何より……同じようにかなしい横顔。
ただ抱きしめ返すと、ザミールはある事に気がついた。
アイの背中が……母の面影を見る少年の、その背中が……アデライーダとは違ってとても華奢でちいさく……弱々しいということに。
◇◆◇
暫く経ってアイは言葉をザミールの頭にこぼす。
「……お前の女性体……お前のこころの中に見た、アデライーダさんに似ているな……。」
「……そうかぁ……?黒髪のお母様と違って、俺は髪も白いし、いや黒いところもあるが……。
……俺はそれよりお前のほうが俺のお母様に似ていると思ったな。」
アイが小首を傾げる。
「……どこがだよ?髪の色が黒いってことぐれぇじゃねぇか?……あと……タレ目……?とか?」
「いや、見た目の話じゃあなくてな……。」
――ザミールはアイを……多くの人が畏敬の念を感じて、それより先をみようともしないアイの“外見の美しさ”ではなく……その奥にあるアイの“こころのうつくしさ”をみていた――。
「……こころの話さ。」
「こころぉ……?おれがあんなに立派な戦士と似てるかぁ……?月とスッポン……月と六ペンスぐらい違ぇだろ。あんなお方と比べられちゃあ……おれなぞ、風の前の塵と同じだ。」
……ウジウジとした自虐ばかりのアイの言葉を聞いて、ザミールはアイを責める気にはなれなかった。
アイの自虐的な、自罰的な性格は……父と母の両方に幼少期から虐待されて育ったからだと知っていたし、他人にその罪悪以上の罰を与えられてきたからだと理解していたからだ。
他人に……親にそうだ言われてきたなら、そうなる。自分でもそうだと思う。
アデライーダの
『獣神体なら人間体を守ってね。』
という言葉に縛られて生きてきたザミールには痛いほどその気持ちがわかった。
――“親”は小さな子供にとっては“世界のすべて”だからだ。
いくら大人になってから他人に慰められても、自分を慰めても、常にその言葉は人生に暗い影を落とす。他人の言葉なんか意味はない。
……だが、それでもザミールは伝えたかった。
“友の言葉”で“親の呪縛”から解放されることができるのだと、友達にはその力があるのだと信じたかった。
ザミールは、自分自身親の言葉に縛らているくせに俺は何を……と思ったが、自分が呪われているからこそ、友の呪いを切実に解いてあげたいと願うのかも知れなかった。
「……アイ、お前……死ぬ気だったのか?
なぜ自分の死を戦闘の作戦に組み込める……?
……ソンジュも言ってたが、教会で鉄の女とソンジュが戦り合ったとき、お前はシュベスターの心配はしていたが、自分の命のことは一顧だにしていなかったらしいじゃないか。」
「……ん?なんだ、急に……?」
「お前も両性具有者なら知ってるだろう?……両性具有者の死に方は様々だ。
片方の性別で死んだら二度とその性別には戻れない例が圧倒的に多い、散華したらその性別は皆と同じように鬱状態や植物人間状態から元に戻すのはとても困難だ。
……そして、片方の性別で死んだら……もう片方の性別が無事でもそのまま死ぬことはままある……マジで死ぬまで自分がどのタイプの両性具有者か分からねぇ……自分の命を賭けて博打をするようなもんだ。
……先刻お前はそのまま死んでたかも知れねぇんだぞ。
なんでそんな事ができる?死ぬのが恐ろしくはねぇのか?死んで周りの人を悲しませるのが、死んでこころが無に帰すのが。
……死んで永遠の無に包まれるのが……?」
「んなことかぁ?答えは単純――」
アイはニカッと悪戯っぽく笑った。
「――おれが死んでもだれも悲しまないからさ。」
ザミールはアイをのサファイアの瞳に凍りついた《お前みたいなゴミ、産むんじゃなかった。》という言葉をみていた。
「……だが――」
「――それに、親は両手を挙げて喜んでくれるぜ、一回おれが森に……3日だったかな?親に心配してもらいたくて逃げ込んだときにゃあ、オイディプスさまもエレクトラさまも酒呑んで喜んでくれたぜ。
……多分……“役に立ってさっさと死ぬ”のが……おれにできる唯一の“親孝行”なんだろう……な……。ははっ……。マジで……わら、えるぜ……。」
アイは笑っていたが、笑ってはいなかった。
「……なぁ、アイ……友は?きょうだいたちは?お前のこころと混ざり合ったとき、お前がちゃんと……しっかりと、好かれてるのをみたぜ……。
お前は唯一愛してくれると確信させてくれる、シュベスターのために死なないことを決意したんだろう?」
「ゲッ……そこまでみえたのかよ……。」
ザミールは意趣返しのように笑う。
「お前も俺とアデライーダのことを勝手にみただろ?」
「はぁ、そうだな……これで……おあいこか。」
「……一つ“忠告”をしておいてやる、いや、ダチからの“お願い”かもな……。
――親の愛を求めて……自分を愛してくれていない人に縋って、今お前を愛してくれている人達を蔑ろにするなよ。」
「……どういう意味だ?」
ザミールはアイの頬の泪の跡を撫でながら伝える。
「……こころが“遠くにある人”に、愛してくれもしねぇ親に愛してもらうために、今お前を愛してくれている……“身近な人”を軽んじるなと言っているんだ。」
アイは頬を撫でていたザミールの手を……自分よりずっとずっと大きい手を掴む。そして、それをそっと握り込む。
「……親の望みをかなえるのが子供だろう?
――お前はアデライーダさんの
『幸せに生きて。』
って言う願いを叶えようとしている。
……そして、おれはエレクトラさまの
『役に立って死ね。』
という願いを叶えようとしている。
そこに何の違いがある?
どっちも身勝手な親に押し付けられた願いをかなえようとしているガキだろう……?」
アイのサファイアの瞳には、狂信者のような狂気がこびり付いていた。
……それを暴き立てられるのは、剥がせるのは、果たして差別主義者の家族か、秘密を共有できない友か……それとも命を賭けて戦った――




