121. どこにいきますの♡ Where are you going, handsome?
《どこにいきますの♡》
その声は真後ろから聞こえた。
その声は先刻この手で殺したはずの――!!
◇◆◇
振り返った瞬間に腹に何かを感じた、腹になんかぶっ刺さってやがる――!
あつい……!!いやこれは……痛みだ!!
目を見開くと、艶めいて蠱惑的な笑顔を浮かべたアイ・ミルヒシュトラーセが、柄にルビーのついた短刀で俺の腹をぶっ刺しているのがみえた。
「……わたくしを置いていくなんて、随分と寂しいじゃあありませんか……♡
遊ぶだけ遊んだらポイっ!……ですかぁ……?」
思わず膝をつく、うまく呼吸ができない。腹をぶっ刺されたんだから当たり前か……。
いや、そんなことより――。
「……アイ……なんで死んだんじゃあ……ゴフッ……!」
アイが俺の腹から短刀を引き抜く。
なぜか俺の胸は高鳴っている。ソンジュが生きてたと知った時みてぇだ。亡き友が生きていたような、そんな感覚。
「……おれも死んだことなんてなかったから知らなかったが……おれぁずっと女性体で戦ってたろ?
……死んだと思って意識が薄れてよぉ……なんだかふわふわと揺蕩っていたら、そうして気がついたら勝手に男性体になってたんだ。」
「……そうか……ゴフッ……お前、ほんとうに両性具有者……だったか……。
……神聖ロイヤル帝国の奴らは……ミルヒシュトラーセの人間に箔をつける為の嘘だって言ってたが……神聖ロイヤル帝国の言葉を鵜呑みにしちまったな……。
……俺も“ミルヒシュトラーセ”に生まれた奴が……さらに“両性具有者”だったなんてありえない奇跡……出来過ぎだと思ったんだが……嘘みてぇな真実も、あるもんだ。」
アイは短刀を俺の首にあてがう。
「……そこで思い出したんだ。この前両性具有者の片方の性で怪我をした時に、“性別を切り替え”たら……つまり、“換装”したら怪我がもう一方の性の身体に引き継がれてなかったってなぁ……。
それで作戦を考えた。……いいか悪いか、俺は男性体でも女性体でも見た目がそんなに変わらねぇ珍しいタイプの両性具有者だって思い至ったんだ。じゃあ換装して傷が治ったことがバレねぇと思ってな……そもそもお前は目を瞑って黙祷してたり、後ろぉ向いたりしてたからな。
だから、俺より何十倍も戦闘経験豊富で、百倍強いお前に勝つには……相手の土俵で戦わないことにしようとしたんだ……これを教えてくれたファントム先生には本当に感謝だぜぇ。……心を真正面からぶつけ合うのがお前の得意分野だろ?
そんで、換装してないフリしながら、死んだフリしてたったわけだ。まぁ……実際に女性体で一回死んだがなぁ……。」
なるほど……。
「フッ……ゲボっ……やりやがるな……アイ。流石に狡い手を使うミルヒシュトラーセだ……クククっ……。」
「あぁ……おれぁ原罪を振りまく地球人みてぇなミルヒシュトラーセ家の人間だからな……クククっ!」
◇◆◇
「ザミール……我が……熱き友よ……。
お前はダチだ……最期の言葉は……“聞いてやる”じゃない……“どうか、聞かせてくれよ”。
……お前の“ことば”を……お前“こころ”をよ……。」
急に襲ってきて勘違いで命を狙われて、実際殺されて……まだ、ダチと呼んでくれんのか……。
じゃあ――
「そうか……じゃあ俺の誰にも教えてねぇ……今この世ではお母様しか知らねぇ……“秘密”を教えてやるよ……アイ。……俺達ゃあ、ダチだしなぁ……。」
アイが俺の首にあてがっていた短刀を持つ手をゆっくりと握った。アイは抵抗しなかった。
ただ、不思議そうに小首を傾げる。
……敵に武器を持った手を触られてるってのに、身体をこわばらせもしねぇ……まぁ、ダチってそういうもんかぁ?
「手……振りほどかねぇ……のか?」
「気にしねぇよ……むしろ心地いいぜぇ……?」
アイはうつくしく、でも悪戯っぽくニカッと笑う。
――俺もきっと同じ表情してんだろうなぁ……。
アイの短刀の切っ先をグググッと自分の首に沈み込ませる……。
「!?……おい……!何して……!!死ぬ気かよ……!?」
そりゃあ不思議だろうなぁ……。
「……あぁ、俺は……戦ってるときは常に……“死ぬ気”だぜ……!!」
アイの短刀が俺の首に深く沈み込んでいく。首から血が流れる。その血が切っ先を濡らしていく。
「ザミール!やめろ!!」
何故かアイが逆の方向に力を入れて、俺が自分を殺す方向に力を入れるという謎の逆転現象が起こっていた。
――心を纏ってないアイの膂力は余りにも……弱かったが……何故だ?此奴はアニムス・アニムスの筈だ……
「これが俺の秘密さ……じゃあな……アイ。」
◇◆◇
……そうしてザミール・カマラードの命は潰えて、アイ・ミルヒシュトラーセの
《夜明けまでにザミール・カマラードを殺す》
という誓いは達成された――
◇◆◇
アイは何故か敵の亡骸をその小さな身体いっぱいに……顔を胸に抱きしめて……茫然自失になっていた。
「……ザミール……。なんで……“砂神”の……アデライーダさんの……本懐を果たすんじゃあなかったのかよぉ……。
反政府組織の仲間はどうするんだよ……。
部下を守るんじゃなかったのかよぉ……。
……ミルヒシュトラーセ家を、ウチをぶっ壊すんじゃあ……ぶっ壊してくれるんじゃあなかったのか……?……ザミール。」
アイは決して人前で涙を流そうとはしてこなかったが、敵の……好敵手の……亡骸に捧げる泪を惜しもうとはしなかった。
アイの泪がそのうつくしい顔を伝って落ち、安らかに目を閉じたザミールの目尻を濡らす。それがザミールの頬をつたい……まるでもう死に絶えて泪を流せないザミールが泣いているかのように見える。
「あぁ……あぁ……ザミール。わたくしは……なんで家族を殺そうとする者のために泣いて、泣いてる……?わたくしが……?あぁ、泪とは何の為にあるんだろう……?友への手向けか……?輩への情か……戦士への、兵への。
なんで……ザミールとは神についての姿勢も、パンドラ公国への考えも違うのに……ミルヒシュトラーセ家への……思いも……正反対なのに……。
そして人生に対する姿勢も……とザミールの“神なき聖者”と……わたくしの“神を愛する人間”……目指すものも違うのに。
……あぁ、ザミール……わたくし、貴方のために祈ります……貴方が神を戴いていなくても……貴方への祈りを……“わたくしの神”ではなく……“貴方”へ捧げます。
どうか、安らかに……。」
アイの泪がまた一筋……ザミールの頬に落ちて流れる。
◇◆◇
ロイヤルの十数人の神聖ロイヤル帝国の忠実なる騎士を前に……ナウチチェルカは立っていた。
敵国の最高戦力たちを前に……死体に群がる虫でも見る瞳で一歩もひかずに立ちはだかっていた。
「……緑髪のエルフが一匹。
……おそらく“ナウチチェルカ・ジ・インビンシブル”だ。気をつけろ……コイツは……あのマンソンジュ軍士官学校で最強と謳われる軍人だ。」
「……人間族どもが十数匹。ブンブンと五月蝿いね……耳障りな蝿のようだ。」
ナウチチェルカは口では相手を軽んじているが、相手が強者揃いであることは、誇大な噂ではなく、本当だったと悟っていた。
そうして、考えた。
……はぁ……ボクは此処で死ぬのか……それもまた、面倒くさいなぁ……。
……いや、死ぬってことは面倒事を全て投げ出して救われるってことか……?
……じゃあ……いいか……?別に死んでも。
まさか、人間族に虐げられてきたボクが人間を護って死ぬとはね。まぁ……護る相手が生徒たちだからいいか。
生徒のために死ぬなんて先生として、随分と本望じゃあないか……?
……でも、願うなら最期に……アイたんの……アイの花のように咲う顔が見たかったかなぁ……。
◇◆◇
「ザミール……。」
アイは早く友を助けに行かないといけないのに、ザミールを胸に抱いて泣きじゃくっていた。
こんなに泣いたのは、彼のくるしい人生で初めてだった。
親に何をされたときでも、親に捨てられたときでさえ……親のためにはこんなに泣いたことはなかった。
「嗚呼……わたくしの強敵よ……。ザミール・カマラード……。」
アイの胸の内で声がした。聞こえるはずのない声が。
《おれを呼んだかぁ……?》




