120. 陽炎日和と小春月夜 Der Altweibersommer et Brum de chaleur
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ナウチチェルカは迫りくる敵に対抗するために、地面に両手をつき心の根を張り巡らせる。
「まぁ。ボクは……忠実なる騎士を……“教育”、してあげようか。
なんたってボクは、アイたんが慕ってくれる……
――“マンソンジュ最強のチェルせんせー”……だからね……。」
◇◆◇
かげろうとはるひは連携を取り、索敵をしながら疾走っていた。
「たくっ……どこまで敵を引き離したんだよ……あの子は……!」
「何か見えるか? はるひ。」
「いいや、ぜんぜん。進んでも進んでも闇、闇闇。やんなるわ。
まじでどこまで砂漠の黒死病を私たちから遠ざけようとしたのさ……全くあの子は、“自分が弱っちい”ってことも忘れて……!」
心の炎で足元を照らしながら陽炎が答える。
「……俺にはこの距離が、どれだけアイ様が俺たちを大事に思ってくれているかを表している気がするよ。それだけザミール・カマラードから俺たちを守りたかったんだろう。」
「……ふーん、私にはをこの距離が遠ければ遠いほど、あの子が私たちを信用してくれてないんだって、頼ってくれてないんだって思うけどね。
この距離が……まさにあの子と“私たち”との――」
そこではるひは夕陽の指す教卓でアイを襲った時に、アイが縋るようにかげろうに助けを求めていたことを思い出して、言い直した。
「――“私”との、こころの距離のように思えるけどね。」
「俺だって御身をもっと大事にしてくれとは思うが……それに、アイ様は獣神体のはずなのに、それも“最強の性別”であるアニムス・アニムスであるはずなのに……とてもか弱く……儚く俺の目には映るんだ……。」
はるひはそれの理由が、アイが自らをアニムス・アニムスだと偽っている人間体だったからだと知っているが……それだけではないような気もした。
「……あの子は何か常に……哀しみがつきまとっているような気がする。あの子はきっと始終重苦しく暗い塊に押しつぶされているような気がしているんだろうって……。」
その理由の一端を自分が担ってしまっていることを、はるひは自分が辱めたアイを王女がその手で癒すのをみたときに――
――あの教室ではるひとラアルが諍いを起こした後の光景をみたときに、確信してしまっていた。
それまでは寧ろ其れでいいと思っていたのに、アイを傷つけて、そのちいさな身体に、かよわいこころに、消えない瑕を残して……アイのこころに一生残る春日春日を刻み込んで、永遠になりたかった。
――永遠に好きな子のこころに残りたかった。
だって……。
はるひは真隣を走るかげろうを横目で見る。
アイがほんとうにそう思っているかは定かではないが、はるひはアイがかげろうのことを、恋愛的な意味で好きなんだろうと思っていた。
……理由ははるひを苛々させるには十分なほど沢山あった。ほんとうに、沢山……思い当たった。考えたくもないのに、見たくもないのに、目に入ってきやがるからだ。
◇◆◇
アイは学校でかげろうを見つけると、パァァァ!っとその美しい顔に太陽が差したように、表情を明るくして、飼い主を見つけた仔犬のように駆け寄る。……尻尾があればブンブンと振っているところだろう。
はるひがアイをいじめたり、無理やりハグをしたり、首に跡をつけたり身体に噛み跡をつけたりした時に助けを求めるのはかげろうだった。
それに、あの日――陽光の指すあの空き教室で、夕焼けに支配された教室で、はるひに嫐られたアイが助けを求めたのは、手を伸ばしたのは、名前を口にして助けを求めたのは――
……かげろうだった。
そして何より、朝日の差す通学路で、午睡にまどろむ昼休みに、夕焼けに照らされた帰り道で、かげろうをみつめる瞳が、アイのうつくしい瞳が、そのサファイアの瞳が……アイをみつめるはるひの瞳と同じだったからだ。
好きな子をみつめる自分の瞳と同じ目で、同じ瞳で――アイがかげろうを見つめていると気がついたときには、はるひは地獄に落とされたような気分だった。
……そうして悟った、自分は決してアイのいちばん好きな人には……世界でいちばん大好きな人にはなれないのだと。
無理やり番にまでしたのに、何度
『獣神体と人間体との番関係を解消してほしい』
と懇願されても無視してきたのに、アイに対する支配欲から、独占欲から一蹴してきたのに。
……“その人”は自分ではなかったのだ、初めて逢ったあの日に――幼き日に湖に佇み泣いているアイに逢った時に、そのせかいでいちばんうつくしい泣き顔をみたときに……
――運命、だと思ったのに。
“あの子の運命の人”は自分ではなかったのだと、アイの懸想する相手は、アイのアンドロギュノスは、あの子をしあわせにできるのは……一生をかけてあの子をしあわせにできるのは――自分じゃあなかった。
そうしてはるひは考えた。考えて考えて考えて……思い至ってしまった。
あの子の“せかいでいちばん好きな人”になれないのなら、あの子をしあわせにできるのが、自分ではないのならば――
――あの子のせかいでいちばん嫌いな人になってしまおうと……
そうして、誰も嫌わないあの子の、誰にでも優しいあの子の、唯一嫌いな相手になって、唯一の憎まれる相手になって……消えない瑕をを残して――
――せめてそうしてあの子の“一番”になろうと、そう……思ってしまったのだった。
◇◆◇
だけどはるひの思惑は上手く行かなかった、どれだけ酷いことをしても、馬鹿にしても、無理矢理そのちいさな身体にはるひを刻みつけても、アイははるひを嫌ってはくれなかった。
ただ、泣きそうな顔をしながら笑うのだった。まるで、聖別の儀の前に見たひまりの笑顔のように。
ひだまりのように、決して太陽光のように手で光を遮って、目を守らなければならないほど眩しくはなく――
……しかし、やさしくあたたかい木陰に射す日のように、やわらかな“ひだまり”のように、やわらかな“母親”のように……微笑むのだった。
あの教室で、あの放課後に、無理やり男のアイの身体を組み敷いて、欲望のままに貪ったときも……その後も……アイはただ憎しみに燃え盛る太陽のようにではなく、哀しみ凍りついた月のように、俯いた紫陽花のように……儚く自分に微笑むのだった。
好きな子の“大好きな人”のいちばんにもなれなくて、だけれども“大嫌い”でもいちばんになれなくて。
いちばんになれないクセに、最下位にだってなれない。
……じゃあどうすればいい……?
と、そうはるひは思っていた。
宵の闇の中で隣を走る……いや、アイの愛情という陽だまりの中で遥か先を歩く……かげろうを、みながら――。
◇◆◇
「……かげろう……あたし、やっぱアンタのこと嫌いだわ。」
はるひと違って何も余計なことを考えず、ただアイを心配して、アイを必死に探していたかけろうが驚いたように返す。
「……?なんだ突然?それは今アイ様を助けることと関係ないだろう?なら後にしてくれ、あいにく今の“俺のこころ”は“アイ様を心配すること”で手一杯なんだからな。」
「……そーゆーところが……うぜぇんだよ……。」
◇◆◇
ザミールは散華したアイの身体に黙祷を捧げたあと、身体を翻し、振り返って状況を整理していた。
……先刻アイと戦り合ってる時に見た、あの光の心の合図はソンジュのもので間違いねぇ……。
……ということはソンジュはまだ生きているっつうことだ。
てこたぁアガ・ハナシュはやっぱり裏切り者で、そうなるとアイツが紹介してきた神聖ロイヤル帝国の奴らも怪しい……
――でも、おかしくないか?
神聖ロイヤル帝国からすりゃあ態々反政府組織を裏切らずに、反政府組織と手を組んで、パンドラ公国を侵略した方が都合がいいはずだ。
――何故、態々自分たちから敵を増やすようなことをする?
しかも、ずっと隣国と小競り合いをしてるってのに……神聖ロイヤル帝国からすりゃあ敵は一人に……一国に、“パンドラ公国”だけに絞ったほうが都合がいいはずだ……。
だって公国のバックには“ファンタジア王国”というさらなる大国がついてんだからな。
――なのに、なぜ自分たちが不利になるようなことを――?
……ともかくソンジュを探しに行かねぇと……。
《どこにいきますの♡》
その声は真後ろから聞こえた。
その声は先刻この手で殺したはずの――!!




