5-①.受胎告知 The Conditional Annunciation
――そのとき、受胎告知が訪れた。
◇◆◇
「こころをもつものを生んだのはおれだ!!なぁアイ!プシュケーを生んだのはおれだ!そうだよなぁ!プシュケーはおれの子供だ!!ははははははぁ!!俺はプシュケーの母親だ!!誰にも文句は言わせねぇ!なぁプシュケー!!」
それは受胎告知だった!アイに常々自分を母親と呼ぶんじゃねぇといっていた、エレクトラからの!
「お前はアイ・エレクトラーヴナ!!!・ミルヒシュトラーセだ!。今からそう名乗るのを許可してやる!お前に親性を与えてやる!正式に告知してやる!お前はエレクトラーヴナだとな!」
――エレクトラーヴナ!――エレクトラの子!!
「お前を愛してやろう!ああ、愛してやろうとも!生まれて初めて役に立ったなぁ!おい!はっはぁ!」
おかあさまが――!
「まさかお前がこころをもってるとはなぁ!いや分かってたがなぁ!」
おかあさまがあいを――!
「お前に愛を与えてやった日!覚えてるだろ!!」
あいをみている――!!
「あの桜雨が降った日!!」
あいの穢れた顔を、髪を――!
「俺は分かってた!あの桜雨がお前のこころだってなぁ!!」
――あいを褒めてくださる!
「ミルヒシュトラーセ家にこころをもつものがいるとなれば、うぜぇ不知火陽炎連合の奴らも、目障りなパンドラ公国の公王も、ファンタジアの国王でさえ黙らせることができる!!
あぁ……ほんとうにお前を産んでよかったぜぇ!アイ、アイアイアイ!よく聞け!俺の役に立て!お前がこころをもつものであるという事を活かしつくして、使い潰して!俺の役に立て!!俺のこころをもつもの!!!|」
――産んでよかった――お前を生んでよかった!!――あぁあああ、おかあさま――!
「はい!わたくしにお任せください!粉骨砕身!万難を排して!!あいの存在の全てを懸けて!お母様の役にたちます!!」
◇◆◇
アイがこころをもつものであるという事が判明し、すぐにミルヒシュトラーセ家の、アイの妹以外の全員が集められた。そして突如として繰り広げられたエレクトラとアイの会話劇を目の当たりにした。
2人は神憑りにでもなったように、熱に浮かされていたが――但しエレクトラの神は“家の利益”であり、アイの神は“母の愛”であるという遥かなる断絶があったが――他の家族はおおよそ寒々しい心地で其れを見ていた。
唯一父、オイディプスはアイへの厳しい教育と体罰が実を結んだんだと結論付け、やはり自分の育て方は間違えていなかったんだと確信をより深いものとした。
だが長兄、ゲアーターは母と弟の歓喜がどちらも狂気に裏打ちされたものであると悟っていた。また長姉、エゴぺーは自身が病んでいるせいで、かわいい弟に本来自分が負うべきであった重責を押し付けることになるのではないかと、唯恐ろしかった。
そして次姉、シュベスターは長らく折り合いの悪かった、敬愛する母と愛しい弟の和解をついぞ見ることが叶ったと喜ばしかった。
……しかし何故か自分の姉としての心が、野分に暴かれたツルバキアの根のようにさすらうのを抑えられないのだった。
◇◆◇
「こころをもつものよ……聞け。お前に愛を与えてやる、疵をみせろ。」
エレクトラがつまらない時に爪の艶を確認するように左手を丸めると、手の甲からシレネの花弁がふわりと舞い地面に散らばる。
「この花は俺の愛情だ。疵に触れさせてみろ。」
「は……はい……。」
黒い太陽に灼かれたことを思い出し、おっかなびっくりと跪いてそれを拾い上げ、折檻された傷口に触れさせる。するとアイの身体に粘着性の分泌液のようなものが染み入り、傷をゆっくりと治していく。傷口が小さくなるたびに、アイは酒神バッコスの水に酔ったような心持になり、生まれて初めての母のやさしさに天にも昇る気持ちになるのであった。
「傷が……、ああぁあ……ぉかあさまぁ……!」
「感謝しろよ。此の俺が直々に愛情を与えてやってんだからなぁ。
……それと1つ覚えておけ。俺がお前に与えてやるのは……条件付きの愛情だ。もしお前がこの俺の期待を裏切り、家名に傷をつけるようなことがあれば、忽ちその愛情は形を変え、黒い焔となりお前の身体も……心も灼き尽くすだろう。
このことを努々忘れず心に刻み、精々俺の役に立つことだ。こころをもつものよ。」
◇◆◇
4人目の子供がこころをもつものであるという事が、ミルヒシュトラーセ家から正式には発表されてから、アイを取り巻く環境は劇的に変わった。
まず第一に、これまで忌み子としてアイに嫌がらせを働いていた使用人たちが、掌を返したように厚遇してくるようになった。そして貴族連中の中でもアイを利用してうまみを得ようと、顔色を窺い様々な便宜を図るようになった。
加えて、不知火陽炎連合の人々も、パンドラ公国の公王もどうにかアイを自陣営に引き込もうとパイプ作りに勤しむようになった。
そしてなによりも、母が、エレクトラがアイを愛してくれるようになった。これらの周りの変化により、ローブを目深くかぶりうつ向いて人目を避け、日向を避けてビクビクと怯え歩いていたアイも、少しずつ生来の明るさを取り戻していった。
……悪く言えば、人生ではじめて大事に扱われるという酒に酔い、調子に乗っていた。
また、アイと知己の仲であり無二の親友であるということを公言していた、陽炎陽炎の立場が強くなり、次期不知火陽炎連合の当主は不知火不知火ではなく、陽炎様だろうという噂が巷間を賑わすようになった。
そして、春日春日の父親春日春日は、娘が稀代のこころをもつものの友であるという事を最大限利用し、平民上がりの春日家の地位向上を画策していた。
またアイの外見の美しさもアイに神性を帯びさせるのに一役買った。人々はこの世ならざるその美しさに神を、そして太陽を仮託したのである。こころをもつものであるという点でアイの心の軍政的価値は確かなものであり、そのうえ見目まで神を見るほどに麗しいとくれば、アイの偶像《アイドル》としての利用価値は計り知れないものである。……ということに大人たちは気が付いてしまった。
そしてなによりアイの母親がその価値を通してだけ彼を見てしまっていた。
◇◆◇
アイはこころをもつものとしての職務に追われて、孤独な時分にたよっていたパンドラ文学やパンドラ哲学の中に眠る、死せる友たちと古きを温めることを忘れて久しくなった。その頃に、久方振りに不知火陽炎姉弟とシュベスターアイ姉弟の4人で会合をすることになった。
前は姉2人は椅子に座り、草の上に座って遊ぶ弟たちを微笑ましげに眺めていたが、今では4人とも座ってすこし神妙な面持ちで話すようになっていた。
◇◆◇
「会合だなんて大袈裟だよね~。ただ会って話すだけなのにさ。」
不知火がつまらなさそうに愚痴をこぼす。
「仕方がないだろう……アイがこころをもつものだと判明してから、アイが忙しくなったのは勿論だが、我々4人とも自分の立場を慮った立ち回りを考えなければならなくなったからな。
……もう前のように仲のいい姉弟同士で友と気安い時間を過ごすだけというのも難しくなってしまったんだ。」
淡々と、だが少し寂しそうにシュベスターが友を慰める。
「アイ様……お変わりなくお過ごしでしょうか?」
「うん!……むしろ前よりすっごく元気かも!みんなやさしくしてくれるようになってねー!」
「それは……よかった……です。」
アイの無邪気な笑顔に、しかしかげろうはどこか物思いに耽ったように答える。
「……アイちゃんがしあわせそうだからいいのかな?……そのくせアイちゃんファーストのシュベスターが、あんまりうれしそうじゃないよねぇ?」
「アイがしあわせなのはいいことだ。たとい其れが与えられたものだとしても……弟は今まで何も与えられてこなかったんだからな。
……ただ……ただ考えてしまうんだ。みんながアイをプシュケーだとみなして、アイという名ではなくプシュケー様と呼んで、アイの外見の美しさやアイの心の軍事的有用性ばかりに目がいって、アイそのものを……アイのこころを……見てる者がいないのではないかと。
……お母様でさえアイを見てはいないのではないかと。いや、忘れてくれお母様のすることはいつでも正しいし、私たち家族を愛して下さっている。失言だった。」
「でたでたシュベスターのお母様第一主義、アイちゃんファーストはかわいいけど、そっちは少しどうかなと思うよ~?」
「おい、滅多なことをいうな。誰が聞いているかわからない。アイの恩恵でさらに権勢を誇っている今のエレクトラに楯突くようなことを軽々しく言うな。
……お前の身を案じているんだ……アイとかげろうくんが親しいということで陽炎家が強くなって、相対的に不知火家の連合での立場が弱くなっているだろう?」
シュベスターが声を潜めて、心根から親友を案じているという声音で話す。
「しらぬいさんは~エレクトラ様じゃなくて、親友の!シュベスターに言ってるんだよ。
貴女が私を売るなんて思わないし、愛してる弟と、かわいいアイちゃんと、心から信じている親友の貴女しか聞いていないから言ってるんだよ。」
珍しく真剣な口調に、シュベスターははっとさせられる。
「すまない……そうだな。この4人は決してお互いを裏切ったりしない、どんなに初めて4人で集まったときから立場が変わりさらばえても、私たちの関係が変わったりはしない。
勿論私もしらぬいの発言をお母様に報告したりはしない。お前とは性別が決まる前からの、誰よりもお互いの心を知っている、無二の親友だからだ。」
「うわ~親友だって~。シュベてゃんは恥ずかしいことを臆面もなくいうな~さすがのしらぬいさんも恥ずかしいよ~ひゅーひゅー。」
「てゃん言うな!お前なぁ!先に親友って言いだしたのはお前だろうが!」
「……うん、一生親友だよ。わたしとシュベちゃんも……かげろうくんとアイちゃんも。それで私たち4人は、仲良し姉弟同士で~!仲良し親友同士で~!仲良く四人で楽しく、面白おかしく暮らすのさ~!」
「……!……あぁ、そうだな。私たち4人ははずっと一緒だ。なにが変わっても、何も変わらない。」
姉2人はまだ弟が生まれていない時分に、何も世間のことなど考えず、2人で無邪気に蓮華を編んだ時のように笑い合う。
◇◆◇
「お姉さま方……よくそんな恥ずかしいことを素面でいえますね。」
「「うっ」」




