104. いいや、俺は認めない。世界はもっとうつくしいはずだ。Hell no, I Don't approve.
「……このザミール・カマラードが問おう……。
アイ・ミルヒシュトラーセ……ミルヒシュトラーセ。
オマエは今まで生きてきて、この国がおかしいと思ったことはたったの一度もなかったか……?」
◇◆◇
「おかしい、と……思ったこと……。」
アイが自分に問いかけるように呟く。
「誤魔化すなよ。オマエは戦士だ。なら……嘘を吐くな。
俺に、じゃない……オマエのこころに……嘘を吐くな。」
ザミールの瞳がアイの迷いを貫く。
「……おかしい……?」
アイは薄氷の上に座るように、跪いた。まるであと少しでも立っていたら、今までの自分の常識が、全て崩れ去ってしまうというように。
「……俺がなんで、反政府組織なんてものを作ったか教えてやる。
そもそも、俺が組織した反政府組織……“パンドラ解放軍”の名前は聞いたことがあるか?」
「……パンドラ解放軍……おか……エレクトラ様や……お兄様が言うには……パンドラ公国人なのに……自国を憎む左翼集団の集まり、公国を憎み、この国壊す為なら……どんな非道な手段をもとる……“危険なテロリスト集団”……。」
ザミールが鼻で笑う。
「フンッ……!
それは、オマエらミルヒシュトラーセ家……“体制側”から見た俺たちだろう?物事には、いろんな側面がある。……こう感じたことはないか?
『なんでこんなに自分には優しい人が、こんなに非道い事をするんだろう?』
『なんでこんなに非道い人が、その人の友達には優しいんだろう?』
……ってな。」
アイの頭の中に過去の記憶が流れ込んでくる。
◇◆◇
おねえさまの笑顔。やさしい、笑顔。
『アイ……ほら、おねえさまと手を繋いで帰ろう。な?』
『はいっ!』
おねえさまのうち捨てられた海の老人のような顔。
『お母様は常に正しいんだ……!差別は……仕方がないことなんだ……分かってくれるな……?アイ……?』
『……は、い。』
おにいさまの背中。あたたかい、背中。
『足を挫いちまったぁ?しゃーねぇなぁ……ほら、オニーサマの背中に乗れ!帰るぞ!』
『わぁーいっ!』
『お前ホントは元気だな……?』
『うっ……足がっ!……いたいです……!』
おにいさまの追憶を想うように、絨毯を撫でる手。
『もうアイツの顔も思い出せない……。相手がこっちを差別してくるんだ……じゃあ、こっちも差別するしかないだろう……?俺はもう、お母様を悲しませたくないんだ。』
『……おにい、さま……。』
――おかあさまの言うことは、いつでもいつも正しい。
産まれたときからそうだった。おねえさまはいつだってわたくしの“やさしさの中心”にいた、おにいさまはいつだってわたくしの“ただしさの中心”にいた。そこから少しでもズレることがこわかった。
他人と違うことが嫌だった。家族と見た目も体格も違うことが嫌だった。だから、思想ぐらいは、愛情ぐらいは彼らと同じものを抱いていたかった。
……そうしないと、太陽がすべてを暴き去るからだ。
家族のなかでわたくしだけ、髪の色も肌の白さも違うこと、顔の形も両親どちらにだって、似ていない。わたくしにあるのはサファイアの瞳だけ、この瞳がわたくしを彼らの家族だと勘違いさせてくれるものだった。
だから縋った、思想に、信念に、哲学に。それを彼らと同じゅうすれば、もっともっと家族になれると思った――
――家族とはなろうとしてなるものではなくて、気がついたらなっているものなのに。
でも……エゴペーおねえさまは……?
エゴペーおねえさまの体温。あたたかい、温度。
『アイちゃん……一緒におひるねしようね〜。』
『はい……ふぁあ……は……い……。』
『ふふっ……かわいいなぁ……。』
エゴペーおねえさまのことば。おにいさまとも、おねえさまとも違った、そのことば。
『私は彼らとは違ってお母様の子じゃないし……アイちゃんと一緒でお母様の子じゃない。
うん……だからだと思う。私の思想の内側には差別思想が根付かなかったのは。
アイちゃんと私がまだ差別構造の内側にいながら、まだそういう思想に染まっていないのは、共通点が多いからだと思うんだ。』
◇◆◇
「……確かにこの世界の歪みを感じたことはある。生きてきてずっと感じてきた。
……オマエ達は、それを壊すのか――?
壊せるのか?どうやって……?」
「“パンドラ解放軍”の組織理念はこうだ。
このパンドラ公国を“解放”する。」
「……なに、からだ?」
「ミルヒシュトラーセ家からだ。」
「おれたち……から。」
家族を侮辱されているのに、不思議と怒りは沸かなかった……寧ろこれは――
――納得感。
「そうだ。ミルヒシュトラーセ家がこの国を牛耳って、“差別政策”を推し進めるまでは……地獄からの“原罪”をこの文学界に持ち込むまでは、ここは平和な土地だった。」
……?
「地獄からの“贈り物”じゃなく……?……“原罪”……?」
ザミールは決しておれの疑問を嗤わなかった。ただ真摯に答える。
「そうだ。お前たち辺境伯派が“贈り物”と言っている地獄資源を……俺達は“原罪”と呼んでいる。」
「……“原罪”……それは、地獄の聖書に登場する原初の罪。アダムとエヴァが禁断の実の味を知ってしまったから、“知恵”を得てしまったから、与えられた“寿命”と“苦悩”。」
「そうだ……。知ってしまったら、終わりなんだよ。
だから地獄の原罪は厄介なんだ。聞いたことはないか?この世界には元々無かったもの、おとぎ話のように平和だったこの文学界を、地球のように変えた。」
涙に濡れたマドレーヌの味がした。
そうか、それが――
◇◆◇
「エレクトラ様が言っていた。
『元々文学界には、年齢・性別・差別・盗み・奴隷・強姦・戦争・殺人・姦淫・売春・嘘・酒・神・偶像崇拝は存在しなかった。』と……。」
ザミールがおれの目を見つめている。おれが何者かを確かめるように。おれがこころの底から差別主義者なのか、そうじゃないのか。見極める瞳だ。
「そうだ。オマエが生まれる前、いや俺は、オマエの“肉体年齢”は知ってるが、“心の年齢”は知らない。だから、オマエは生まれていたかもしれない。
とにかく、昔々……エレクトラ・アガメムノーンナ・フォン・ミルヒシュトラーセは――その時、既にこの国の辺境伯爵だった奴は――地獄からの“原罪”を、つまり地球からの物資と情報をこの世界に持ち込んだ。昔はこの文学界は平和だったんだ、それまではな。
“悪いやつはいたが、厭な奴はいなかった”。
何が違うんだと思うだろう?
でもそれは大きな違いだ。おとぎ話には、“悪人”と“善人”しかいない。だから単純だった。悪人を懲らしめて、ソイツは改心して皆でハッピーエンド、それが文学界で繰り返される循環だった。自浄作用があったんだ。」
「……でも、誰かにとって嫌なヤツが、ソイツの家族には優しかったり、いじめっ子が一緒に誰かを虐めてる友達には親切なんてことはよくある話だろう?
俺には理解できねぇ……クソみてぇな話だが。」
ザミール・カマラードが目を見開く。
「理解できない……?クソみてぇな話……?オマエは……。」
「……どうした?」
◇◆◇
「いや、なんでもない。まさにそこなんだよ。
信じられねぇかもしれねぇが、昔はこの文学界にはそんなヤツはいなかったんだ。」
「はぁ……!?」
「……驚くのは分かる。だが……考えてもみろ。“差別・盗み・奴隷・強姦・戦争・殺人・姦淫・売春”……そして“嘘”……これらがない世界で。
……これらの“悪事”がない世界で、“ほんとうに悪いこと”なんてできると思うか?
“年齢・性別・差別・神・偶像崇拝”がない世界で、“戦争”なんて起こると思うか?
確かにこれ以外にも諍いを起こすに足る“理由”はあるだろう。
……だが、これらの“悪事”と“理由”2つともが、両方なけりゃあ?
――そもそも“戦争の概念”が無かったんだ。
――オマエの母親が“地獄の原罪”をみつけるまではな……!」




