97. 人種で差別してきた糞どもと同じ人種の奴ら全員が憎い Racism against Racists.
「……だって……ボクは人呼んで、
……“ナウチチェルカ・ジ・インビンシブル”――」
炎がパチパチと音を立てて途絶えていき……辺りに暗闇が帰ってきた。
地面から樹が生えてきて、アイをその中の虚に包み込む。華奢なアイがギリギリ入れるくらい、その木は小さかったがおばあちゃんとナウチチェルカが話していたあの大樹の広い穴によく似ていた。
……アイは自分を包むそれが愛情の心でできていることにをすぐに感じ取った。
「――“マンソンジュ最強のチェル先生”……だからね。」
◇◆◇
爆炎がやみ、チラチラと燃える大地だけが闇の中に浮かび上がる。
そしてその光は、焼けただれた生徒たちの身体を照らし出していた。
クレジェンテが呆然として言う。それは自分への問いかけなのか……“彼ら”への質問なのか、クレジェンテ自身にも分からなかった。
「……なんで――」
収まりつつある炎は5人の教官がナウチチェルカに向けていた心を倒れた生徒たちに向けている姿を、宵闇に映し出した。
「――教官方!!なんで僕たちを!!なんで!?助けにきてくれたんじゃ――」
◇◆◇
「――あーぁ……全員一気にぶっ殺すのは無理だったなぁ……。」
教官の一人が呟く。
「まぁ、こんだけの人数焼け焦げさしたんだ……御の字としましょうやぁ……。」
彼らの顔は暗闇の中に隠れている。
「あと……残ったのは……やはり獣神体連中が多いわねぇ……。」
「あぁ、面倒くせぇ……。」
「取り敢えず“ミルヒシュトラーセのガキ”と“公王のガキ”は心をぶっ潰して捕らえて……そんであとは?」
「決まってんだろ――」
「「「 ――鏖だ。」」」
◇◆◇
「……チェルせんせー……。」
明らかに何倍も自分より格上の相手だと知っている教官たちが……それも五人も、明確な敵意を自分の学友たちと先生に向けていることにアイは怯えていた。
アイが脅かされて恐怖を覚える対象に……アイの護りたい者のなかに……そこにアイ自身は含まれていなかった。
――アイには夢があったからだ。
《輩をつくり、嫌われ始める前に死ぬ》という……自己憐憫に満ちた極めて低俗なる夢が。
◇◆◇
それをアイが自分が狙われていることに怯えていると勘違いした学友たちと、ナウチチェルカがいう。
「アイたん……こわがらなくても大丈夫。
……こわい人たちはボクが『あっち行け!』ってするからね。」
そう言いながらアイの頭をポンポンとやさしく撫でるナウチチェルカ。
「ナウチチェルカ教官……先程の礼を欠いた言動の謝罪は後でするとして、今は取り敢えずアイを守ることに協力して頂けますか。」
炎熱が去った宵闇の中を駆けつけたラアルが冷静に告げる。王女として命の危機に晒さられた経験があるのだろう。彼女は至って冷静だった。
「……あぁ……『ごめんなさい。』はいらないよ……面倒くさいからね。
……ボクは……ある人に教えてもらってから、透明に澄んだ『ありがとう。』と『ごめんなさい。』しか受け取らないようにしてるんだ……。」
そこには人間族に虐げられてきた怒りが込められていた、実際に自分を差別してきた人間だけではなく、その人種すべてを憎むという……“差別”を。
――哀しくもナウチチェルカが忌み嫌う差別を、この世で最もやりたくないことを、彼女はしてしまっていた。だがそれも仕方がないことなのかもしれない。彼女は余りにも長い時間悪意に晒されすぎた。そうやって何度も繰り返されたレコードのように擦り切れてしまったのだ。
――そうやって無邪気な子供から、無意識に差別をするという“一般的な大人”になったのだ。
◇◆◇
「……ともかくラアル王女殿下、アイ様を護ることには同意ですが……貴女方も僕の大事な“教え子”です。闘いは避けてください。それに貴女様はこの国の王女殿下であらせられる。
彼奴らの狙いはおそらく“ミルヒシュトラーセの子息”であるアイ様と“公王様の娘”である貴女です。
そして、あわよくば……将来的な危機となり不知火陽炎連合の子らを殺し、若しくは“散華”させ……その脅威の芽を摘むのが目的でしょう……。」
“散華”とは、ナウチチェルカがいつかアイに説明した。相手のこころを完全に砕き、“鬱状態”に陥らせることだ。
速い動きで集まってきた、かげろうとはるひ、クレジェンテとアルターク……そしてイダを一瞥しながら言った。
「では俺たちにどうしろと……?」
かげろうがアイの背を支えながらいう。
「んなの、決まってるでしょ。アイくん……とそこのオウジョサマを、比較的命の軽い私たちが――」
「――お守りしながら、防御陣形を組むということですね。」
はるひの言葉を受け取り、ソンジュとの闘いを経て昨日よりもずっと自信のついたクレジェンテが手早く伝える。
「……そうですね。では死んでもこの御国に対して損害をもたらさない、平民の僕とデイリーライフ女史を最前列に配置するのがよろしいかと。」
なんてことないことように、イダが言葉をこぼす。
「……確かに私は、アイちゃん様たちと違って――」
「――それはダメっ!」
アイが焦ったように口を開く。
「……ユスカリオテのイダ……キサマ……わたくしとの“誓い”を忘れたのか……!」
「尊き貴方の御言葉を僕が忘れることなどありえません。
しかし誓いの内容は……僕がデイリーライフ女史を護る義務が発生するのは、“貴女の目が届かないとき”に限定されています。
……現在はその限りではありません。」
ナウチチェルカがパンパンと手を叩く、とても面倒くさそうに。
◇◆◇
「キミたち。言い争ってる場合じゃないし、そんな時間もないよ……。
それにアイツら裏切り者共は、ボクが全員相手をするから……キミたちはアイ様とラアル様を守ってくれりゃあいい……。
……ボクが生徒に“危険な役目”を押し付けるわけないでしょ……。」
さも当たり前の事ようにナウチチェルカが言ってのける。それにかげろうが食ってかかる。
「全員……!?
ナウチチェルカ教官……恐れながら申し上げますが、ヤツらは戦闘力ではこの国最強と名高い、マンソンジュ軍士官学校の教官たちです。
五人を一人で相手取るなど――」
「……陽炎陽炎くん、キミは忘れてるかもしれないけど――」
「――何をくっちゃべってやがる!?おらぁ!!」
痺れを切らした教官の一人が水の心を纏いながら、水流となり突撃してくる。
しかし地面から伸びた茨がそれを許さない。
決して、許さない。
それらは生徒たちに届く前に、茨に水を吸収されどんどんとその勢い奪われる。
「あぁ!?」
そして、ナウチチェルカの前にたどり着いた時には、もう心をすべて失い、無防備な生身で目の前に迫っていた。
「ボクがただお喋りをしていたと思うのかい?
教壇に立つ者にしては、おめでたい頭をしているね。」
「黙れ!!このエルフ風情がぁ!
ぶち殺して――!?」
その者は二の句を継げなかった、頭を人間族への怒りの心を纏ったナウチチェルカの手によって握りつぶされたからだ。返り血がナウチチェルカにかかる。
「「「!?」」」
皆が困惑するなかで、彼女は羽虫でも殺したような、感情の色を一切持たない顔をしていた。
◇◆◇
「……で、陽炎くん話の途中だったね。……仮にも、コイツら軟弱者を名高きマンソンジュ軍士官学校の教官だと言うのなら、ボクだってそうだ。
それと、なんだけっけ?
……あぁ、
『一人で五人を相手取るのは――』か。
――ほら、これであと四人だ。」
ナウチチェルカは決して振りえらず、己が人間を瞳に捉えたまま、かげろうのほうは見遣りもせずに言い放つ。
「……。」
かげろうは押し黙った。
残り四人の教官たちも、あまりの早業に押し黙って立ちすくんでいる。
「――チェルせんせー!」
アイの言葉に、心は敵に向けたまま、アイの方を振り返り、自らのこころを愛する“1人の生徒”に向けるナウチチェルカ。
「どうしんたんだい?……アイたん。」
「……イダくんは、敵が西方から迫っていると言っていました!……しかし教官たちが来たのは……!」
「南……。」
ナウチチェルカが呟く。
「そうです!なら西方から迫ってくるのは!パンドラ公国の西方にあるのは!!」
「……“神聖ロイヤル帝国”……。」
「なら!……せんせいが南方から来た教官たちを相手取って下さるというのなら、西方から迫る敵はわたくしたちに任せて――」
西方から迫る軍靴の音がした。
「――任せて!下さい!」
「……でもボクはたった一人、“マンソンジュ最強”の――」
ナウチチェルカが諦めたように、何かを諦観の言葉を零そうとした。しかしナウチチェルカ諦めをそのちいさな両の手で掬い上げるように、アイが毅然として叫ぶ。
「――確かにせんせいは、“マンソンジュ最強のチェル先生”かもしれません!
……ですが、決して孤独な……“たった独りのナウチチェルカ”ではないはずです!!わたくしが!
――チェルせんせいにはわたくし達がいます!!」




