4-④.小春日和と陽炎月夜 Der Altweibersommer et Brum de chaleur
「つまり……今朝偶然会って二人は友人になったと……友人に!……なったと。ただそれだけなんだな?アイ……。」
アイの肩を掴んだ姉1の、ギラリと光る眼光。
「は……はいぃ……。」
「まだ生きながらえられてよかったな……?はるひぃ。」
「いやいやいや!かげろうもお姉さんもおかしいって!」
「かげろうくんその台詞、陽炎家次期当主が春日家の次期当主にいうと洒落になんないよ〜。ぷぷっ。」
まだふるふると震え笑いを噛み殺している姉2。
「ふうー、つまり、言葉の意味を知らなかったと。言葉の意味を間違えて使ってしまっていたと。そういうわけだな?二人とも……?」
間違えてを強調する姉1。
「「は……はいぃ。」」
「ならいい。かげろう君も落ち着いたな?」
「はい……。」
「一番取り乱してたのシュベてゃんだったけど……。」
「黙れ。」
「よ〜し、とにかく!アイちゃんとはるひちゃんで心対決〜!」
「「は、はい!」」
「……ハァ~心対決まで長かったな~」
◇◆◇
お互いに距離をとって、アイは体の前で手を丸めて、はるひは胸に手を当ててそれぞれ構える。
「いくよ!アイくん!」
はるひが胸から手を離すと、胸から掌にかけてライラックの花の色と形をしたものが伸びている。手を振り上げてそれを引きずり出し、思い切り振り下ろしてアイのほうへ飛ばす。
「これがわたしの心だよ!」
ライラックの花が迫る中、アイは手をパンっと合わせて、ばっと広げる。そこにはラベンダーの花々が現れる。それはこれまでの人生で多分に感じてきた、切なさ、胸のくるしさ、やるせなさであった。それがふわりと舞い、ライラックを包み込み、溶かしていく。
「貴女のくるしみはわたくしが溶かしてみせましょう。」
今度はアイが体の左側に突き出した左腕を右側にゆっくりと回し弧を描く。腕が通ったところから透明な藍の色をしたかなしみの矢が次々現れる。右まで持ってきた左腕を勢いよく左にはじいて飛ばす。
「わたくしのこころですっ!」
迫りくるそれをはるひは避けなかった。
否――避けられなかった――。
アイのかなしみに見惚れていたのだ――。
アイのかなしみがはるひの身体を貫く。
――おかあさまは私を●●していない――
――お兄さまたちを羨んでしまう自分が嫌だ――
――うまれて●●●●よかった。
「こ……これがアイくんのかなしみ――もっと――」
もっとアイくんの哀しんだ顔がみたい――。あのうつくしいかおを――。そうか私はアイくんの泣き顔に心底落とされてしまったのだ、魅了されてしまった。一番下まで落ちたんだ――。
運命――だと、おもった。その泣き顔を見た瞬間に、その声を聴いたときに。その、雪のように音もなしに泣く声を――。――その無声慟哭を――。
「がはっ……もっともっと!もっとだよぉ!もっと貴方のかなしみをみせてよ!アイくん!!きかせてよ!!!」
「……分かりました……みせてあげます。わたくしの……あいの!かなしみをぉ!」
アイが手を天に伸ばし何かを掴んだように指に力を籠める。そして力いっぱいその何かを地面に叩きつける。すると巨大な水柱が天から一条降ってくる――。それが地面に激突し轟音をあげながらあたりに散らばる。
「はぁ……はぁ……」
アイは息を切らして座り込む。はるひは身じろぎ一つせずに――ただ見惚れていた。心を奪われていた――。
すると快晴だった空から俄かに雨が降り出した。
「「アイ(様)!!」」
シュベスターとかげろうが慌ててアイに駆け寄る。この場でしらぬいだけが冷静に、冷徹に何かを見極めようとしていた。
◇◆◇
「アイ大丈夫か!?」
「おねえさま……だいじょうぶです……すこしつかれてしまっただけです。人前で感情を顕にしたことはなかったので……。」
「アイ様……!」
シュベスターがアイを抱きしめ、かげろうが手を握る。
「……アイ……この雨はお前のものだな……。お前のかなしみだな?自分でも何となくわかっているだろう……?」
「ええ……何故か、雨がこの肌を打つたびに、ひしひしと感ぜられるのです。此れはあいのこころだと……。」
「でも!シュベスター様!天候を変えられる程の心など!聞いたことがありません!」
食って掛かったかげろうに、しらぬいが答える。
「いるんだよ。それが。天候を変え、地形を変えるほどの心を持った人間が。」
どこか恍惚としてしらぬいが続ける。
「こころをもつものと呼ばれるその人々は!世界を変える力をもつ……!!あぁ……やっぱり、やっぱりそうだったんだね!……アイちゃん……!!」
最後の言葉はもう神憑りにでもなったような声音だった。
「おねえさま……?あいは……あいは……?何者なのですか……。」
アイは不安になって姉に縋る。
「……確かに、心に深く突き刺さるような、心的外傷的な出来事を経験した心者の中には、強大な力に目覚めるものもいる。
だが……アイ……それでもお前が私の弟であるという事実は何も変わらないだろう?お前が誰かということが変わるわけじゃない。だから……安心しろ。」
「おねえさま……はい!あいは……あいのままでいいのですね……!」
「あぁ、しらぬいもあまり弟を怖がらせるようなことを言うな。」
「……。……ごめんごめ〜ん。ついテンションあがっちゃってさぁ。だってこころをもつものだよ!滅多にいなくて、パンドラ公国には数十年……いや数百年現れてないんだよ!?まさか生きてる間に会えるなんて……!プシュケーに……!!」
その眼はアイを捉えて離さない。
「おい、私の弟の名前はプシュケーじゃない……アイだ。アイをプシュケーと呼ぶのはやめろ。」
シュベスターの鋭い眼光がしらぬいを貫く。だかしらぬいはあくまで飄々として受け流す。
「あはは〜そうだね。ごめんね?ちょっと興奮してさ。アイちゃんは、どんなアイちゃんでもアイちゃん!わかってるよぉ〜………………。」
「アイ様っ大丈夫なのですね?」
「はい!」
「とにかくお母様に報告だ……ほらアイ。」
「わわっ」
アイをお姫様だっこして去っていくシュベスター。
「み、みなさんっさようなら」
◇◆◇
アイが慌てて別れを告げ、陽炎不知火姉弟が見送る。一連の話をずっとすこし遠くからはるひは聞いていた。といっても殆ど頭には入ってこなかった。ただあのかなしみの光景に心を震わせていたのだ。
――あぁ、アイくんわたしは君の泣き顔に心底惚れてしまったみたいだ。
わたしの手で笑わせてみたい、いやもっと――泣かせてみたいなぁ。
◇◆◇
運命――だと、おもった。その姿を見た瞬間に、その声なき声を聴いたときに。その、音なき雪のように泣く声を――。
◇◆◇
アイの涙をみた時にはまだ自身にも分からなかった感情――。その柔肌につたう雨を見るたびに、その純白に光る肌に涙が跡をつけるたびに、その朱い唇の縁にかなしみが伝うたびに、この世でいちばん美しい景色をみていたいと思うのだった。
はるひはアイのうつくしさに月をみたのだ。その夜の帷のような黒髪の隙間からのぞく、白く耀く月のような肌を愛でたいと。その顔に暗雲が立ち込めるたびに、叢雲のような翳りが見えるたびに、もっともっと見ていたいと。
その横顔に太陽が差すたびに、あの宵闇が恋しくなるのだ。その徒桜のような儚さを。筒井筒の恋をしてしまったのだ。
その顔が喜色に彩られるたびに、泣き顔に変えてしまいたいと思わずにはいられないのであった。




