96. マンソンジュ最強のチェル先生 Dr Nauczycielka, the Invincible in the Mensonge
「――その必要はないよ……アイたん。」
暗闇を背にナウチチェルカが立っていた。
その瞳には一条の光も差していない――。
◇◆◇
「チェルせんせー!!ご無事だったのですね……!!お怪我はしておられませんか?あいはとてもしんぱいで――!!」
愛情の心を向けながら、ナウチチェルカに走り寄ろうとするアイ。しかし、そのちいさな体躯を抱きしめて行かせまいとするものがいた。
「……!!……ラアルさま……!?」
ラアルの大きな身体が決してアイを離さないという風にアイに絡みつく。
「アイ!!……先刻も言ったでしょう……!ナウチチェルカ教官は怪しいの……!
――おそらく……裏切り者よ……!!」
王女のその言葉に、怯えていた生徒たちが……そのほとんどが、ナウチチェルカに敵意に目を向ける。
◇◆◇
ナウチチェルカはそれを何度も経験してきた事のように、ただ……
『あぁ……またか……。』
という諦観の瞳でみていた。
「……ラアルさま!まだ可能性の段階でしょう!?それに、わたくしにはどうしてもそうは思えないのですっ!
……っチェルせんせーは“やさしい人”ですっ!!」
ナウチチェルカの肩がピクリと動いた。
「アイ……貴女なら知ってるでしょう?
やさしい事と裏切り者のである事は矛盾しないの。
……現に貴女はそこにいるイダとは“いい友人”だったのでしょう?でも……いい友だちが裏切らないとは限らない。」
ラアルはオトメアンのオルレのことを思い出して苦々しく言った。
「……戦いとは、戦争とは信念のぶつかり合いなの、そこに人間性は関係ない。抱える信念が違えば、敵になるの……たとえ、相手のことが大好きでもね……。
私は王宮で嫌ってほどそういう事をみて育ってきたし、王宮付き家庭教師にほんとうに嫌ってほどそれを叩き込まれてきたわ。
――それに神学校で私自身もそれを経験した。
……友が敵になる瞬間をこの目で見たの。
そして何より私は、貴女が“おかあさまと同じぐらい”、“世界でいちばんが大切”なのだから、貴女のためならどんなに恩のある人だって疑うわ、兄弟たちでさえ殺してみせる。
だから――」
ラアルがオルレのことを思い出して、少し力が緩んだ途端に、アイがナウチチェルカに向かって走り出した。
◇◆◇
「!?……アイ!!帰ってきて!!」
虚弱なアイのことを想って、決して傷つけまいと……力を緩めていたのが仇となった。
「チェルせんせー!!」
その瞬間に怪我をした生徒たちの南方から、ナウチチェルカがいる方角とは反対の方から、声がいくつかした。
「無事か!?我が生徒たちよ!!」
「私たちが救援に来たわ!!」
「もう大丈夫!!1年生たち諸君早くこっちに!」
「早く!!訓練を思い出せ!!」
「一箇所に固まれ!」
主に1年生たちの訓練をを担当していた5人教官たちが現れた。
「ナウチチェルカは裏切り者だ!」
「こっちへこい!!」
「そのエルフは人間に復讐する機会をずっと伺っていたんだ!!」
「早くその亜人から離れてこっちへ!!」
「貴族の子息から順番にこっちに!!」
心を前に構えながら叫ぶ教官たち。
◇◆◇
怪我をした者たちはこぞって教官たちの方へ走り、ラアル、はるひ、かげろう、イダ、クレジェンテはその場に留まってアイをどうにか止めようとしていた。アイは皆と逆方向へ、ナウチチェルカ先生の方へ……疾走っていた。
ラアルとはるひ、そしてかげろうとクレジェンテがアイの名前を叫ぶなか、アイはただ独りの、独りぼっちの……ナウチチェルカへと愛情の心を向けていた。
「チェルせんせー!!だいじょうぶですか!?」
その瞬間ナウチチェルカがアイを両の手で捕らえ、心で包み込む。
「ナウチチェルカ!キサマァ!!」
かげろうが叫ぶ。
その瞬間に、かげろうたち5人の後ろから叫び声が聞こえた。
「ぎゃあああ!!」
「きゃああ!??」
「あついあついあつい!?」
急いで振り返ると、合宿所を焼いたのと同じような爆煙が迫ってきていた。
「……!?みんな!?」
アイが後ろを振り返る。
その瞬間、炎炎はナウチチェルカとアイたちのいるところまで迫り、すべてを包み込んだ。
アイは咄嗟にナウチチェルカを愛情の炎の心で包んで庇ったが、自分を守るために心を使う余裕はなかった。
だから、目を閉じて痛みが来るのを待った。
いつもおかあさまが怒りに任せて、目の前で手を上に振り上げたときにそうするように。
――だが痛みと炎熱はいつまでたってもこない。
◇◆◇
……ふと、目を開けると木々の淡く葉擦れするような、幼い頃に大樹に身を預けたときに感じたような、やさしく新緑の匂いが香った。
ナウチチェルカに抱きしめられていた。そして、彼女の愛情の心に包まれていた。その外殻には、炎の心まで纏っている。……襲ってきた炎と“共感”して、相殺いるのかもしれない。あの一瞬でニつの心を同時に顕現させたみたいだ。あまりにも早業すぎる。
アイは自分を包んでいたナウチチェルカの胸から、頭を上げるとナウチチェルカただアイを、みていた。
――“爆炎”がのたうち周り、“悲鳴”の響き渡る中で、ただアイだけを……。
自分がお腹を痛めて産んだ愛し子をみるような、おばあちゃんが孫をみるような……そんなやさしいまなざしで――。
「アイたん……信じてくれて、ありがとう。
キミだけはいつだってボクを偏見に満ちた目で見なかった。ただ純粋に木々を眺めるように、花を愛でるような瞳で、ボクをみてくれた。」
「チェル……せんせー……?」
「……キミはそんなの“当たり前”だと、そんなことでと……きっとそう言うだろう。やさしい子だからね。
でも……このパンドラ公国でそんな“当たり前”を持つことは、持ち続けられることは……ほんとうに、ほんとうにすごいことなんだ。
亜人種を“人間”とも、“人”とも呼ばないようなこの国で、みんなが『それは白い』と言う当たり前を持っているなかで……独り道の真ん中で『それは黒い』と叫び続けることは、みんなと真逆の“当たり前”を保ち続けることは……それを隠さずに生きていけることは。
……みんなにを迎合せずに、弱者に寄り添うことは……いや単にたまに来て優しくすることは簡単なんだ……でも寄り添い続けることは。
――やさしい……ことなんだ。やさしい……こころなんだよ……。」
「……チェルせんせー……じゃあチェルせんせーも、とってもやさしい“人”ですよ。当たり前のように人を守るなんて、誰にでもできることじゃありません。それも自分を偏見に満ちた目で見てくる人達を護るなんて。
……わたくしにはわかります。チェルせんせーは“自分の生徒たち”を助けに来てくれたんですよね?……たといその生徒たちが自分を裏切り者だと言っても。
――だってわたくしの知るチェルせんせーはそういう“先生”で……そういう“人間”ですから。」
ナウチチェルカは一瞬目を見開いたあとに、いつもの無表情でも、たまにアイの前でだけ見せる微笑でもなく……少女のように、あの頃のおばあちゃんと過ごしていた時のように――
――花をが咲くように咲った。
「……アイたんは何でもお見通しだね。そろそろこの炎も止む。……そうしたらあとはこのボク……チェルせんせーに任せなさい。
きっとボクの生徒たちは死なせない。
……たとえ彼らがボクをエルフだって理由から憎んでいてもね。」
「チェルせんせー……!」
ナウチチェルカがアイの頭をやさしくグリグリと撫でる。
◇◆◇
「……だって……ボクは人呼んで、
……“ナウチチェルカ・ジ・インビンシブル”――」
炎がパチパチと音を立てて途絶えていき……辺りに暗闇が帰ってきた。
地面から樹が生えてきて、アイをその中の虚に包み込む。華奢なアイがギリギリ入れるくらい、その木は小さかったがおばあちゃんとナウチチェルカが話していたあの樹木の穴によく似ていた。
……アイは自分を包むそれが愛情の心でできていることにをすぐに感じ取った。
「――“マンソンジュ最強のチェル先生”……だからね。」
お盆が終わったのでまた月・金の週2回投稿にしようと考えていますが、9月に入ればまた毎日投稿をできればと思っています。




