93. マッシュルームグランドマザー Are right where yours fit perfectly
……だけれども大人たちや彼女の両親さえ、彼をいじめるようになったとき、彼女は恐ろしくなりました。
『このままじゃ、私もおとーさんとおかーさんに嫌われちゃうかも。』
『もし彼と一緒にいて私にもキノコが生えてきたら、私も狭くて暗い樹の中からだしてもらえなくなっちゃうじゃないか……。』
と。
……そして、ついに彼女は――」
◇◆◇
「――ある日の夜に、みんなが寝静まった月のないくらい、くらい夜に……こっそり彼に会いに行きました。
彼はとっても……とっても喜びました。彼女がきっと、
『このせまいせまい世界から“一緒に”逃げ出そう。』
と言ってくれると思ったのです。
……でも違いました。彼女はお別れをいいに来たのです。永遠の『さよなら』を――。
彼が木の洞の牢の隙間から左手を伸ばしました。いつものように、ぎゅと握ってくれると思ったのです。さむい、さむい夜だから、さみしい、さみしい夜だから、ぬくもりをわけてくれると思ったのです。
しかし、彼女はとっさにそれを、
『きゃっ!』
と言って左手で払いのけてしまいました。
胞子がかかると思ったのです。
……男の子はその手の痛みから、すべてを悟りました。この手の痛みは“サヨナラの証”だと。彼の“こころ”をもっとも傷つけたのは、仲良くしてた子たちにいじめられるようになったときでも、自分の両親に見捨てられたときでもなく……。
――この手の、“身体”の痛みでした。“身体の痛み”とは、ときに“こころに暗い日差し”をさすからです。
いつも一緒にいて手をつないでいたのに、欠けたと左手の隙間をうめる指をうめる人は、もう亡われてしまった。永遠に。
彼は悲しみました、彼の左手の隙間にピッタリははまるのは、彼のこころの孔をうめるのは、彼女の右手だけだったからです。なのに今では、汚らわしい物には触るように、いや触りたくないように、左手で払い除けた。
彼女はそんな彼を見て『ごめんなさい。』が口をついてでそうになりましたが、ぐっとこらえました。だってもう会いにこないのに、裏切ったのにそれを口にするのは、彼のためでなく……自分の罪悪感を薄めるための、卑怯で自己満足の『ごめんなさい。』に思えたからです。
……だから後ずさり、口を開いたり閉じたりしながら、ゆっくりと月のない宵闇に溶けていきました。」
ナウチチェルカが悲しそうに、不思議そうに純粋な疑問を口にした。
「『ありがとう』と『ごめんなさい』は、“いちばんたいせつなことば”なんじゃないの?
せんせいは、『ありがとう』と『ごめんなさい』を言えないと、大人になっても大人じゃないって言ってたよ?
『――この二つを素直に言えない人は、いくつになっても……“ただ年をとっただけの子ども”ですよ。』って。」
おばあちゃんは親が子をほめるときのように、ナウチチェルカの頭をやさしく撫でながら答える。
「そうだね。とっても大事なんだよ。
でもね言葉には言いも悪いもないの、言葉には“罪も罰”もないの……。
あるのはそれを使う人にだけ、『ありがとう』も『ごめんなさい』も悪く使おうとすればの」、いくらでも悪く使えるの……。
チェルたんにはちょっと難しい話だからやめておこうか……?」
間髪入れずに、子どもの好奇心でナウチチェルカが言う。
「知りたい!ぼくはこの世界の全部がしりたいんだ!」
「……!……ふふっ!そうさね。チェルたんならそう言うよね。そんなチェルたんにこっそりこの地獄本をあげよう。皆には内緒たもよ……?エルフは地獄が嫌いな人が多いからねぇ……。」
ナウチチェルカが来たときに読んでいた本を、まるで真理への招待状を渡すように手渡す。
「……?
……《なぜなのか、わたしは知りたい》……。」
不思議そうにちいさな手で大きな本をもって表紙を撫でる。
「これはチェルたんみたいな“真理の探究者”が記した本さ……地獄のね。」
「……ぼくみたいな人が、ぼく以外にもいたんだ……!」
「そうさね。顔も性格も知らないし、違う国の……違う世界の人だけど、こころが通ったような気持ちになるだろう?
時代も時も人種も種族も超えるのが……悠久の時を渡れるのが、本の何よりいいところさ。
――普段は絶対に話ができない人と“対話”ができるんだからね。」
「ありがとう!おばーちゃん!」
「よしよし、ありがとうが言えるいい子だね。チェルたんは。……あっ!そうだった。
『ありがとう』と『ごめんなさい』の悪い使い方だったね。ごめんごめん話がそれるのは“年寄りの悪い癖”だ。」
「どうやってやるの?」
「そうだね。たとえば、『ありがとう』と言っておけば何をしてもいいと思ってる人もいるんだよ。
チェルたんが何かやりたくないことをお母さんにお願いされたとしよう。やるかやらないか答える前に……
『ありがとう!ほんとうに助かるわ!』
って言われちゃったら断りづらいだろう?」
「……たまにある……。」
ナウチチェルカは古い本の匂いをクンクンとかぎながら呟いた。
「そしてもっと最悪なのが……自分の罪悪感をなくすためだけに『ごめんなさい』を使う人だね。」
「ざいあくかん……。」
「たとえば今日、先刻のチェルたんに意地悪を言った子たちが、それか昔チェルたんを虐めてた人が大人になって謝ってきたらどう思う?」
ナウチチェルカは両の手を使って、自分の髪で顔を覆いながら……涙声で、呟いた。
「きっと、ゆるせないと思う。それで、むかしを思い出してイヤな気持ちになる。もう……関わらないでほしい、思い出させないでほしい……。
……それで、それでっ!きっと“人を許せない自分”をもっときらいになるとおもう……。」
おばあちゃんは髪を使って殻に閉じこもったナウチチェルカを無理やり暴き立てようとはせず、隠れた顔ごと抱きしめる。
「そうだね。チェルたんみたいにやさしい子はそうなると思う。
……けど謝った側はきっとスッキリするんだ。罪悪感を被害者に押し付けて、次の日からのびのびと幸せに生きていく……。
これが、『ごめんなさい』の悪い使い方かな。」
「……おばーちゃん。」
髪にくるまったままナウチチェルカがくぐもった声を出す。
「……なんだい?」
「さっきの女の子は?そのあと『ごめんなさい』したの?しなかったの?」
髪に隠れたナウチチェルカには見えなかったが、おばあちゃんは追憶を見つめる遠い目で言った。
「……したよ。それも最悪の最低の『ごめんなさい』をね……。」
「おばあちゃん……?」
「……そのあと驚いたことにね。その夜の後すぐにね、集落の皆の頭にキノコが生えてきたのさ。大人も子供も、男の子にも女の子にもね。
……ただ最初に生えた男の子といちばん仲良しだった女の子だけには決して生えなかった。だから、多数派と少数派が入れ替わったのさ……。」
「じゃあ、みんな男の子に『ごめんなさい』したの……?」
「……あぁ、ヘラヘラ笑って
『今まで悪かったな。』って
『私たちも“森の神”の恩恵をさずかったよ。』って言っていたなぁ……。」
「……あの女の子は……?」
「その娘はね、一人だけキノコが生えなかったからね。今度は迫害される立場になった。
みんな……みんな、
『キノコが生えてるなんて、気持ちが悪い。』って言っていたのに……!
今度は世論が、
『キノコが生えていないなんて、気持ちが悪い。』になったんだ……。」
幼い頃から聡明なナウチチェルカは、おとぎ話のはずなのに、妙に実感がこもっていることに気がついていた。……賢い彼女はその事を決して口にはしなかったが。
「その女の子はどう……なったの?」
「厚顔無恥にも、自分から裏切った少年に助けを求めた。最初にキノコの生えた彼に胞子をもらえれば、私にもキノコが生えてきてくれるかもしないって……ほんとうに自分勝手で醜い考えだったよ。
……そして、少年に会いに行ったが、すると少年は――」




