92. マタンゴ The Spaces between my Fingers
「……だから、同じく“真理を求める者”として……この探究者の証が、“彼方へ渡らいける人”の、彼岸へ向かう意志のある者のこころが……わたくしの瞳にはとても――」
ナウチチェルカはアイのうつくしい蒼空色の瞳に写った自分の“顔の証”をみていた――。
「――“うつくしく”、映ります。」
◇◆◇
「……“彼方へ渡らいける人”……彼岸――」
ナウチチェルカは一族の異端者である自分にも唯一やさしくしてくれた、両親や兄弟たちにすら見捨てられた自分を……ただ一人庇ってくれた。自分のおばあちゃんを思い出していた。
“おばあちゃん”といっても“実の祖母”というわけではなく……“村の子供みんなのおばあちゃん”と言ったほうが正しい。
不老不死のエルフには“個別の家族”という概念が薄く、“村全体が家族”という考えの方が多数派だ。
だから、ナウチチェルカの“おばあちゃん”は本当の曾お祖母ちゃんか、曾曾曾曾曾お祖母ちゃんかもしれないし……血の繋がっていない他人のかもしれない。
まぁ、そんなことは不老不死のエルフにはどうでもいいことなのだが、彼らからすれば人間族が自分の個別の家族に異常な執着をみせるほうが、よっぽど病的だということらしい。
奇しくもアイのエレクトラへの執着がそのいい例だ。まぁ……哀しくも、アイとエレクトラは血の繋がっていない“他人”なわけだが。
それでもアイはエレクトラへの怪奇で複雑な思いを捨てられない、自身はエレクトラに捨てられたというのに……。
……これは人間族によくみられる現象で、“幼少期には母親が世界の全てだった”という理由からだ。年輪の一番内側に刻み込まれてしまったのだ……。
――“親への愛”という“忌々しい呪い”が……。
◇◆◇
「おばーちゃん……。」
大樹を心でくり抜いて作った、エルフ特有の家に、おばーちゃんの家に、幼いナウチチェルカがおずおずと入ってくる。
心で穴を開けることで樹を殺さずに、大樹と共生できるのだった。
「おやおや、チェルたんじゃあないか、どうしたんだい?
ほら、こっちへおいでよ……。」
おばあちゃんと呼ばれたエルフは、読んでいた本をすぐ閉じて、ナウチチェルカの方へ身体を向け、すぐに話を聞く体勢に入ってくれる。
おばあちゃんは本の虫なのにナウチチェルカが来たら、どんなに興味深い本を読んでいてもすぐに自分の方に、身体も心も向けてくれることが、幼いナウチチェルカにはうれしかった。
「おばーちゃん……。」
ぎゅっと抱きついて、それから言葉を話すこともなくただくっついている。
「おやおや、チェルたん。ほんとうにどうしたんだい?また悪ガキ達にイヤなことを言われたのかい?」
「ん……。」
おばあちゃんはナウチチェルカを抱きしめたまま横向きにやさしく倒れて、向かい合う。
座っていたら横になって、立っていたらかがみ込んで、必ずちいさい自分と目線を合わせて話してくれることがナウチチェルカはほんとうにうれしかった。
他の大人たちと違って自分のことを、“一人の子供”ではなく、“一人のエルフ”として対等に接してくれている気がしたからだ。
……それはそれとして、子供として甘やかしてもほしいのだが。
◇◆◇
「……今度はなんだい?また精霊さんのことでかい?」
「ん……。」
「ふむ……そうか。……なんて言われたんだい?」
「みんなぼくが“ヘンな考え”を持ってるって……。そういうんだ。“よくない考え”、だって……!
……わるい……子、のぉ、考えるっ、ことだって……!そうっ、言われたんだっ……!」
幼いナウチチェルカは思い出して、震えた声で、泣きそうな顔で話す。
「そうかいそうかい……確かにチェルたんは“カッコいい考え”を持ってるからねぇ……。」
「……。……“かっこいい”……?ボクが……?」
おばあちゃんはやさしく……その愛が伝わるように、ほんとうにやさしく、心臓の鼓動の律動でナウチチェルカの背をたたく。ぽんぽんと、ぽんぽんぽんと。
◇◆◇
「そうだよ。エルフってのはみんな親から言われたこと、みんなが言うことをそのまま信じるんだ。だって誰より頼れる親がそう言ってるんだから……周りのみんながそう言っているんだから。
そこで一度立ち止まって考えたりはしない。だって皆が言うことが正しいことなんだから。だから森林教室で受ける授業の内容を、そこで教わる“森の神信仰”を、“精霊信仰”を疑う者はいない。
だって皆が同じ方向に歩いてるなかで……立ち止まるには勇気がいるからね。
……それも途方もなく大きな勇気が。」
「……たちどまる、ゆうき……?」
「そうさね。皆が歩いてる方に歩き出すのは意外と簡単なんだ……だって気がついたらしてるんだからね。親と一緒手をつないで、友達といっしょにふざけながら進めるんだから……。
でも……立ち止まるには勇気がいる。
一度……
『お父さんお母さんはこう言ってるけど、ほんとうにそれが正しいのかな?』って。
『学校の先生はこう教えてくれたけど、それをそのまま暗記するだけでいいのかな』って。
そう考えるには“立ち止まる勇気”がいる。時には一步踏み出すよりも、立ち止まるほうが大変なことがあるんだよ。
シンデレラのように夢を信じ続けることにも努力は必要だし、諦めて人と同じ事をするほうが楽なこともある。
だども、慣性で……惰性で夢を追い続けるより……立ち止まってが夢じゃなくて現実を直視して、覚悟を持って諦めることのほうが大変なこともあるんだよ。」
「……?むずかしい……。
……けっきょくどっちのほうががたいへんなの?」
「あぁ!ごめんねぇ!まだちいさいチェルたんには……ちょっと難しい話だったね。“年寄りの悪い癖”さね。
……じゃあ簡単なおとぎ話にしようか。」
おばあちゃんはナウチチェルカの脇を持ち上げて、自分と同じ目線の高さまで持ってきて、お話を始める。
ナウチチェルカはおばあちゃんの瞳に写った自分をみていた――。
◇◆◇
「――むかしむかし、ある所に一人のエルフの女の子が住んでいました。みんなと仲良く暮らしていました。仲良しな幼なじみの男の子もいて、彼は頭がよく、聡明で、とても美しい人でした。
彼と彼女はいつでも手を握って笑い合っていました。彼の左手の指の隙間にピッタリはまるのは彼女の右手の指だけでした。
彼女は
『こんな日々がずっと“同じように”続けばいいなぁ……。』
といつも思っていました。
――するとある日、彼女といちばん仲良しだったエルフの男の子の頭にキノコが生えてきてしまいました。みんなは大騒ぎです。
それまで彼と仲良しだった子供たちは、
『気持ち悪いからどこかにいけ!』
と彼をいじめるようになりました。
大人たちは、
『胞子が飛んで自分の子供たちにキノコが感染ったらどうするんだ!』
と彼を追いやりました。
彼の両親さえ、
『お前のせいで家族全員が村八分にされたらどうする!』
と怒って彼を樹の中に閉じ込めてしまいました。」
ナウチチェルカがその男の子に“共感”した声音で尋ねる。
「みんなとちょっとちがうだけで……?
……でも!いちばん仲良しな女の子は?
その娘は彼の味方をしてくれたんじゃないの……?」
おばあちゃんは哀しそうに、フリフリと頭を振りました。
◇◆◇
「キノコが生えてきてすぐは……最初は彼女も、
『みんなと違うなんてかっこいい!』
彼が子供たちにはいじめられ始めた時も
『私だけはずっとキミの味方をだからね!』
と手を握って伝えていました。
……手を握って、伝えていました……胞子が手にかかるのなんてお構い無しに……。
……だけれども大人たちや彼女の両親さえ、彼をいじめるようになったとき、彼女は恐ろしくなりました。
『このままじゃ、私もおとーさんとおかーさんに嫌われちゃうかも。』
『もし彼と一緒にいて私にもキノコが生えてきたら、私も狭くて暗い樹の中からだしてもらえなくなっちゃうじゃないか……。』
と。
……そして、ついに彼女は――」




