80. ニンゲンどものせいで泣けなくなっちまった人は、すぐに泣ける人よりかなしくないのか? The Princess Reigns, but The Beauty Governs.
「――?こんなものか……?」
敵の女は2人とも拍子抜けだった。
――もう既に自分たちが負けていることにも気が付かずに――!!
◇◆◇
女の顔がアイが触れた所からパチパチと音を立てて何かに蝕まれていく。
それは炎だった。不知火のように揺ら揺らと揺らめくちいさな火種だった。
「がっ!?」
それはとても徐ろに、とてもゆっくりと……だが確実に燃え広がっていく。
「教会で不知火さんを傷つけようとしたお返しです。
あの時の不知火さんのように、触れた瞬間に相手を焼き尽くすなどわたくしにはできませんが……。」
「ああっ!!あついあついっ!!痛いぃ!!」
「ですが顔なら大丈夫です。顔を焼けば、目も見えず耳も聞こえず、敵の匂いさえわらなくなります。
……まぁ……もう聞こえているかどうか知りませんが。」
女が心の水を使い何とか顔の炎を消し去る。しかし動揺で上手く心が練られず、かなりの時間を要してしまった。
「……がっあああ、まだ一年の糞餓鬼が……!
マンソンジュ軍士官学校の元生徒会副会長を舐めるなよ……!
こんなので僕を倒せると思ったか!?
副会長になるまでにどれほど苦労したと思ってる!?
オマエらみたいな何の苦労も知らない金持ち権力者の糞餓鬼に僕が負けるわけがないだろうが!!
僕たちのほうがずっと不幸で苦労の多い人生を送ってきたんだからなぁ!!」
アイのちいさな肩がピクリと反応する。
「何の苦労も知らない……ですか。
他人と苦労や不幸の量を比べるな。
人より不幸の量が少なかったら……大きさが小さかったら、その人は悲しんじゃいけないのか?
自分を不幸だと思っちゃいけないんですか?
『世の中にはもっと苦労している人がいるのに、そんなことで弱音吐くな。』
みてぇな塵滓理論で黙らせるんですか?
流石元生徒会副会長サマだぁ……お頭がおよろしいことで。
だから嫌いなんだよ……おれをこころをもつものだからって掌を返して持ち上げるヤツらが。
おれが顕現させられるかなしみが“大海”だったら、“少しの涙”でしかかなしみを表せない人は、おれよりもつらくないのか?
ニンゲンどものせいで泣けなくなっちまった人は、すぐに泣ける人よりかなしくないのか?
違うだろうが。
痛みや苦しみなんてのは“相対的”なものじゃあない。“絶対的”なものだ。
人は大雨に降られて笑って歌い踊れる人もいれば、雨水が一筋腕を伝っただけで死にたくなる人もいる。
一人でいるほうが安心な人は?太陽に絶望する人は?曇り空に慰められる人は?花の散りゆくをみて歩き出せる人は?
その人がどう感じるかなんだよ。
……だから“心なんてものは嫌い”なんだよ。自分の……人のこころを勝手に引きずり出して格付けをしやがる。
こころに上も下もねぇだろうが……。」
◇◆◇
「……って、わたくしはそう思うんですけど……どうでしょうか?
元・生徒会副会長さま?
……あぁっ!間違えた!
今は除籍されてただの何の地位もない阿婆擦れの糞女でしたね。
ごめんなさいっ!」
アイがかわいらしくゴメンナサイのポーズをとる。
「オマエェ……ぶっ殺してやる!!!」
そう言ってアイに殴りかかりながら、心の矢を正面に向けて飛ばす。
しかしその自身の全速力のまま顔面が何かにぶつかって、その衝撃と驚きで心矢も霧散してしまう。
「!?……冷たい……!!寒い!?氷の壁……!?
いや、なんでこんな速度でこんな範囲を……!?一年の糞餓鬼が……!!」
アイが手を丸めて自分の爪の艶を確認しながら、相手への興味を完全に失ったというフリをして話す。
「へぇ〜、流石に塵滓とは言っても、元・生徒会副会長サマ。
遠距離の心を操りながら肉弾戦も同時に行えるとは……感心、感心ですねぇ〜?えらい、えらいですよ〜?」
アイはいつものように、自分よりも強い相手をできるだけ煽ってミスを誘うと同時に、今まで自分に嫌なことをしてきた人たちの真似をして、戦うことへの恐怖を誤魔化し、平静を装おうとする。
「だまれっ!!なぜだ!!一年坊主がこんなことできるわけがないっ!」
「そうですね、わたくしにはとてもできません。
……普通ならね。普通じゃないことが起こった時は前提を疑ったほうがいいですよ?今後の学びとして教えてあげます。
……あぁ、アナタには“今後”なんてないですし、もう“学生”ですらないので、わたくしの講義は必要ありませんかね?
まぁ……か・わ・い・そ・う、なので教えてあげましょう。
わたくしが先刻『かなしみは~』とか言っている間アナタは、自分の顔を癒し、自分の身の安全をどう確保するかしか考えていなかった。
つまり、自分のことしか考えてなかったんですね……まるでアナタの人生みたいですねぇ?
ダメですよ自分のことばかりじゃなくて他人のことも気にかけて上げなくては、こころを配ってあげなくちゃあなりません。それが敵ともなれば尚更“心を配る”必要がありますよねぇ?
……ここまで言えばどれだけアナタが教会で、
『阿呆が……。』とか『莫迦だね~?』
っておねえさまとしらぬいさんに言われる人間でも分かりますよねぇ?」
「チッ……くそっ……だらだらくっちゃべってる間に“心を配って”やがったのか……!だからあんなに速く、遠いところに一瞬で氷の壁を出せた……!」
アイがパチパチとちいさな両手を叩く。
「救いようのない……“おれの大事な人を3人も傷つけようとした糞滓”でもそれぐらいのことはわかるんだなぁ?
絶対に手をだしちゃあいけねぇ人間がこの世にいるってことはわからねぇのによぉ……。
よかったよかった……どうですか?
今からアナタは、自分が最も憎んでいる“炎”と“氷壁”によってぶちころがされる予定ですけど……ご感想は?」
女が苛々して吠える。アイの狙い通り、怒りで冷静さを欠き、本来の実力が出せていない。
「……誰にものを言っている!!僕は!!マンソンジュ軍士官学校の元生徒会副会長だぞっ!!」
「あらあら、言うに事欠いて今わの際に自慢するのが……過去の栄光ですか、もうアナタにはそれしか縋るものがないんですねぇ?かぁいそうに。
それと忠告しておきますが、自慢をすればするだけ、
『自分にはそれ以上の功績がない』
『自分はそれ以降よりすごい功績を打ち立てることができなかった。』
と言っているようなものなのでやめておくのをオススメしておきますよ?
因みにこれは、アナタが大・嫌・い、なしらぬいさんに、学校からの帰り道で教えてもらったことです。
あぁ!これはまた失礼をば……アナタはもう一生生徒会長にもなれないし、通う学校もないのに気がききませんでした。
……いやぁ失敬失敬。」
「だまれっ!!オマエは何様のつもりだ!!
オマエはそんなに偉いのか!?
僕を馬鹿にするだけしやがって……!!」
◇◆◇
「ぎゃあああ!!!」
ラアルの毒液を数滴くらった元風紀委員長の女の悲鳴が夜に轟く。
「うるっさいわねぇ……もう少し静かにできないのかしら。うつくしくもなければ、品もない。
……終わっているわね、貴女。」
ラアルの毒液が触れた顔と胸からどんどんと皮膚が焼けただれて腐敗していく。女は急いで自己愛の心で自分の傷を癒しながら、立ち上がり、ファイティングポーズをとる。
「あら!まぁまぁ、文字通り、腐っても実力至上主義の学校の風紀委員になれただけのことはあるのね。」
「だまれ!王女がなんだ!!
こんな利権とコネまみれのクソみてぇな国の王女がなんだ!!
俺を阿呆と呼べるほどテメェは、偉いのかよ!?
えぇ?カルト国家のオウジョサマがよぉ!!」
◇◆◇
「わたくしが、偉いのか?」
「私が、偉いのか?」
「偉いなどとは程遠いですが……。」
「偉いに決まってるじゃない!」
「わたくしは“この国を統治する任務”をファンタジア国王から拝領した、ミルヒシュトラーセ家が1人!」
「私は“この国に君臨する権利”をファンタジア国王から賜った、ツエールカフィー公王が娘!」
「――“アイ・サクラサクラ―ノヴナ・フォン・ミルヒシュトラーセ”だ!!……覚えておけ!!」
「――“ラアル・ツエールカフィーナ・フォン・ファンタジア”である!!……覚えておきなさい!!」
◇◆◇
かげろうとはるひが負傷した部下を引き連れて、皆が1つ所に集まる場所へ逃げ延びてきた。
それと同時に怪我がある程度治まったアルタークが先刻の雨でできた炎の抜け穴を通って丘から戻ってきた。
……そうして、ある光景をみた。
――この世界で今まではるひしか見たことがなかったアイの姿を――。




