77. 罪の告白と愛の告白 Confession of Sin and Confession of Love
アルタークは焦っていた。
――お互いに“いちばんの親友と想い合っている子”を護りたかった。
だから走っていた。
そうして……自分の“こころを壊す光景”を目にすることになる――。
◇◆◇
アイとラアルが皆を逃がした方へ急いで向かうと、炎が激しさを増し、辺りは悲鳴と怒号に包まれていた。火傷を負った者、倒壊した建物の下敷きになった者、錯乱した味方に攻撃された生徒。
――辺りは“羅生門”のような地獄絵図だった。
「たすけて……お゙あ゙あ゙さん゙」
「あついあついあつい!!!」
「あ゙ぁ゙……ぉあ゙あ゙……こわいよ……ままぁ……。」
ラアルは息を呑む、いくら対立する辺境伯派の生徒たちのばかりとはいえ、そんなことは彼女には関係なかった。
……今までとは違い、関係なくなった。“敵対する人々”も……皆おんなじ人間なんだと悟った。
◇◆◇
ラアルが怒りに打ち震えていると、突然アイが皆の中央に走り出した。
「……!?……アイ!?」
皆もそれに気が付き、縋るようにアイに注目が集まる。
「ア゙イ゙さま゙ぁ゙……。」
「ミルヒシュトラーセ……さま……。」
そうして、両手を上げて何かを掴むように手を握ったあと、天を引きずり落とすように地面に両手を叩きつける。
その音の広がりと共に、愛情の心が皆に響き渡る。そしてポツリ、ポツリと音がした。皆は自らの頬を伝う涙以外に、何かがひとすじの小川のように顔を流れるのを感じた。
――雨が降っていた。
メラメラと燃え盛る焔の上にザアザアと天泣の雨が、ボロボロと傷ついた人々にポツポツと干天の甘雨が。
其れは……アイの愛情だった。
雨は炎に群がり落ちては脅し雨のようにそれを消し去り、人々の肌を伝っては汗疹枯らし雨のようにその傷を癒した。
――その天水は月光のような柔らかな光を持っていた。その様子はまるで天の川が降ってくるかのようだった。
アイはこころをもつものとしての心で天に雨を乞うていたのだ。雨乞いをしている間、地面につけた手と土の間に、神を感じたような気がした。
炎の消え去る速さから見て、どうやらあの火は実際のものではなく、心によるものだったらしい。
次第に人々の悲鳴と怒号がやがて屑雨のようにポツポツと弱まり、止んでいった。
「干天の慈雨だ!」
「アイ様の愛だわ!!」
「愛するものの心……!
……助かった……!」
人々が口々に“愛に感謝する”。
――奇しくもそれは、“ユスカリオテの背教者の名前の由来”だった。
アイはその只中の中で、“自らが汚した大地に接吻をするように”、両手をついて俯いていた。そうして、長く息を吐いて、座り込んだ。
「……はぁはぁ……ふぅ……。」
皆がアイに口々に感謝し、褒め称える。
しかし、生徒たちの中には、
『そんなことができるならもっと早くやってくれよ』
と恨む者もいた。
彼らは知らなかったのだ。
――アイ自身、自分がそんな事をできるとは思っていなかったこと。苦しむ人々を見て、自分がこころをもつものだと判明した初めてのはるひとの戦いで、雨を降らせた事を思い出したこと。そしてできるわからないけど、人々のために何とかやってみせたこと。
そしてなにより怪我をした人々をラアルやかげろう、ナウチチェルカ先生が一箇所に集めたからこそ、そのちいさな範囲でやっとの思いでできたことを。
◇◆◇
「アイ!!……大丈夫!?
一気にあんなに人のために心を砕いて……!!
下手をしたら“こころを亡って”いたかも知れないわよ!!
お願いだから無茶しないで……!!」
ラアルさまが心配して抱きかかえて下さる。確かに疲れたけど。
「……まだ、心の余裕はあります……。まだ……戦えます……!」
「……アイ。ダメよ!私が許さないわ!貴女を危険な目に合わせたくないの!これ以上は……。貴女は十分に頑張ったじゃない。
――いくら貴女自身でも、貴女を傷つけようとする人を私は許さないわよ……!」
……物語にでてくるおかーさんみたいだ、本当のお母様は2人とも言ってくれなかった言葉をくれる。誰かがこういうことを言ってくれるたびに、なんでかエレクトラさまじゃなくて、ひまりさんが“いちばんににこころに浮かぶ”。
――こんなことを思ってしまうから、はるひちゃんには『お母さんを盗った。』って言われて、エレクトラさまには、『死ね。』って言われちゃうんだろうなぁ……。
「ラアルさま……貴女もお分かりになっていると思いますが、わたくしはまだ“ミルヒシュトラーセ”なんです。“ミルヒシュトラーセ”では居続けたいんです。それだけは喪いたくないんです。
地位やお金が惜しいからじゃないんです。わたくしの世界はきょうだいなんです。おにいさまとおねえさま達を亡うと、わたくしは死ななければならないのです。生きててもいい“”言い訳”がなくなってしまうんです。だから、護るんです。ミルヒシュトラーセ家の人間はこの国の人々を護るために生れてきたんですから。」
◇◆◇
ラアルさまはその深紅のルビーの瞳をメラメラと輝かせながら、怒ったように叫ぶ。
「私はぁ!!貴女に生きててほしい!!私も!貴女の生きる理由になりたい……!いつでもいつまでも貴女想ってる!私は想ってる!!朝鏡の前で自分自身を見つめている時も!お昼に授業を受けてる時も!!夕暮れのなか帰ってる時も!!!
今までは自分のことだけ考えてきたの!前の学校で人を助けてまわってたのだってただのエゴだった。それをある友達が……私の親友が!!……元、親友が……教えてくれたの。私のやってることは自分をうつくしいと思いたいだけのエゴの押しつけだって……!それで逃げてきたの……公王派の少ない、マンソンジュ軍士官学校に。
でも何も変わらなかった。だって場所が悪いんじゃなくて、私が悪いんだから。私に原因があるんだから……。だから全部を周りのせいにして、どこへ逃げたってどこまで遠くに行ったって、変わるわけがない。環境を変えても、自分を変えないと何も変わらなかったの。
だけど、そんな私を……ほんとうはうつくしくない私を……変えてくれた娘がいたの。」
「ラアルさま……。」
「けんか腰で、失礼な態度で名前を叫んだのに、その娘はやさしく答えてくれた。
恥ずかしそうに、でもはにかみながら、私のことをこんな私のことをうつくしいって……“この国でいちばんうつくしい”って……!“お母様とおんなじ言葉”を言ってくれたの……!」
「でもそれは、ほんとうにそう思ったからで――」
「――それだけじゃない!!そのあと、王族だって驕ってた私をやさしく叱ってくれた。怒るんじゃなくて、叱ってくれた。お母様のように。
そんな事してくれたの、お母様以外にいなかった。みんな私の顔色を伺ってこころをさらけ出してはくれなかった!でも貴女は、“心臓の鼓動”を聞かせてくれた。“こころの温度”を教えてくれたの。
……だから私は貴女がもっともっと好きになったの!」
◇◆◇
ひまりさんのようなひだまりの温かさでなく、そこには太陽の熱さがあった。でも決して花を枯らすようなものではなく、月を照らすような灯りだった。
ひまりさんのものもラアルさまのも、どちらの光も大好きだけど、ラアルさまのルビーの瞳をみていると、わたくしをほんとうに好いてくれているのだと、思い上がってしまいそうになる。“この世でいちばんこども愛している”はずの母親からも死を願われている。だれからも好かれるはずのないこんなわたくしを。
いや、違う。思い上がりなんかじゃない……!そんなことを考えるのはここまで愛を伝えてくれた相手に失礼だ。わたくしはラアルさまに好かれている。愛されている。声を大にして叫ぶことさえ厭わない。
――だってこんなに態度で、ことばで……こころで伝えてくれているのだから。
じゃあお返しをしないといけない。だって貰ったことがないものは渡せないから“誰にも愛されたことがない人は誰も愛せない”。だけど、“ラアルさまに愛されている私はラアルさまに愛を渡すことができる”。
いや、できるからじゃない。そうしたいんだ。わたくしが、そうしたくてたまらないから、そうするのだ。
◇◆◇
「ラアルさま……。」
「……ん?」
「……わたくしも、ラアルさまがだいすきっ!!です!」




