4-②.小春日和と陽炎月夜 Der Altweibersommer et Brum de chaleur
「アイ様!お久しぶりです!このような天津水の降る中でも、相も変わらず御麗しい!」
「……!かげろうさっ、かげろう!お久しぶりです……だね!」
「ふふっ、無理に敬語を崩さなくていいのですよ。おれだって……ほら、敬語ですし。」
「でもでもっ……あいとかげろう……は、お……おともだち……だし……!」
「あ、あぁ……アイ様……!なんと勿体なき御言葉……!そうですね!アイ様とおれはアンドロギュノスの混交――」
「はーい、そこまでー。かげろうくんストップー。」
感極まってヒートアップしかけたかげろうを後ろから抱きすくめて、しらぬいが待ったをかける。
「お姉さま!お放し下さい!」
かげろうがぶんぶんと腕を振る。
「相変わらずだな……会うたびにこうだよな?」
なぜか対抗してシュベスターがアイを後ろから抱き上げる。
「わわっおねえさま。」
「んんーそうなんだよねー。ていうか、かげろうくん、100年ぶりに逢ったみたいな感じだしてるけど……二日前にも連れてきてあげたよね?アイちゃんに会ったよねぇ?」
「何を仰います!アイ様に会えないのなら、その日は一日千秋!永遠にも思われるのです!」
「……それをお姉ちゃんにも感じてほしかったなぁ……。ちょっと前までお姉ちゃん子だったよね?かげろうくん。」
それにしても、とアイが疑問を口にする。
「一昨日も会いに来て下さったのに。どうされたのですか?わたくしはうれしいのですが……。」
「がーん!用がなきゃ会いにきちゃいけないのー?しらぬいさんは悲しいなぁ!」
「いえ!わたくしはうれいしいのですが!」
分かりやすく大袈裟な泣き真似だが、アイは信じてしまう。母への信念を裏切られてもまだ人を信じていたいらしい。いや、むしろ他人を妄信することで自分を守ろうとしている。
「おいしらぬい……人の弟にだる絡みするな。」
「そうそう!用件だよね!あるよー?すごく大事なのが!そのためにこんな女梅雨が降る中を、ミルヒシュトラーセ家本邸くんだりまで来たんだから!ってゆーか、この雨ってなんだか触れてるとかなしい気持ちにならない?しらぬいさんだけかなぁ。」
「いや、確かに私も感じたぞ。朝起きてもまだ夜来の雨が降っていたのでな。何とはなしに触れたくなって右手で触ってみたんだ。そしたら――」
「――だ!よ!ねぇ~!」
しらぬいがシュベスターの話を遮る、このことについて問いただしたい人間が他にいるかのように。
「お姉さま方は感じられたのですか?オレはまったく……アイさまに会えるとあっては悲しみなんぞ吹き飛んでしまったのでしょう!」
「アイちゃんは~?」
なんだか追求するようなしらぬいの眼もあってか、アイは審判を下される前の罪人のようなこころもちになって答えた。
「……いえ、わたくしも全くなにも感じませんでした。」
そんな気持ちのせいか、つい嘘を吐いてしまった。ほんとうは誰よりもあの桜雨に感じるところがあった。ただ、それを白日の下に晒すのは憚られた。
「雨とは往々にして人々にかなしいこころもちを運んでくるものだろう?そんなに気にすることか?それより、今日の用件はなんだ?」
アイのちいさなおそれに唯一人、気が付いたシュベスターはすぐに助け舟を出す。
◇◆◇
「そう!そうそうそう!用件だよ!シュベスターが雨の話なんかするから~やめてよね、もう!」
「その話を始めたのはお前だ!」
「まぁまぁ、そんな小さいこと気にすんなよ、モテねぇぜ~?シュベてゃんよ~」
「コイツ……!てゃん言うな!私はモテたくなどないし、大体私には弟が――」
「――心……アイちゃんにも教えたんでしょ?」
ピクリ……とシュベスターが反応する。その反応がすべてを物語っていた。アイちゃんにも?
「……どこで聞いた?教えたのは昨日で、そのことを知っているのはお母様と私……そしてアイだけのはずだが?……。」
「……。」
姉2人の間の空気が張り詰める。シュベスターは相手を睨めつけ、しらぬいは飄々とした笑顔で応じるが……目が笑っていない。
「ミルシュトラーセはパンドラ一番の家だし、公国の要衝と言ってもいい。そりゃ不知火陽炎連合からしたら放っておけないよね〜?」
「だからって情報が筒抜けすぎる。一応ミルシュトラーセ家と不知火陽炎連合とは協力関係であるし、その実連合はウチの臣下といってもいい。その主君の家を覗き見、盗み聞きをして、公表されていない情報を得るというのは、褒められたものではない。連合と辺境伯爵との軋轢を生みかねないぞ。分かっているのか?連合の次期当主殿?」
「……。ほら!シュヴェスターが怒るからアイちゃんが怯えてるじゃん!こっちおいで〜」
いたく真剣な問に、お道化でもって答える。
「誤魔化すな!これは重要な国家の――」
◇◆◇
「お……おねえさま……?」
アイの声で、姉は今までの全てを忘れて、弟を安心させようとする。まるでそれが、パンドラ公国の重大な政治問題さえ優越するというように。
「アイ、すまない。こわがらせてしまったな」
しらぬいに後ろから抱きしめられてるアイと、膝をついて目線を合わせる。そして、できるだけやさしい声色を作る。“白い嘘”を吐くときのように――。
「アイ、大丈夫だ。少しお姉様たちは難しい話をしていただけだ。パンドラ公国には何の問題もないし、アイのお家とかげろうくんのお家はとっても仲良しなんだ。」
「大丈夫……なのですか……?」
「あぁ、お前が気にすることは何もない。それに、お前とかげろうくんはとっても仲良しだろう?それが家同士が仲が良い証拠さ。だから……安心しろ。」
アイはシュベスターのこのやさしく白い声音を知っていたが、おもねることにした。母に憎しみで灼かれてから……もうあまり何も考えたくのかったのだ。
「分かりました!おねえさまがそう言うなら、アイも信じます。」
それはシュベスターが恐怖を感じた、弟の母への盲信と同じものだったが、姉は自分もまた弟にそうさせているとは気が付かなかった。
「いい子だ……それでいい……。」
愛おしそうにアイの髪を撫でていた右手をあげて、徐ろに、ゆっくりと立ち上がる。名残惜しいのだろうか。
「ダメだよ〜。シュヴてゃ〜ん。姉はどんな時でも弟を守るものなんだよ。こわがらせてどーすんのさ。」
久しぶりに聞くしらぬいの一番低い、一番真剣な時の声だ。シュベスターは反論しかけたが、しらぬいと同じ信念を持っているということ、そして、しらぬいが本気でその信念に奉じているとその声音から得心がいったので、甘んじて受け入れた。




